第90話 欠落
約一か月前。ドイツ。ミュンヘン空港。
到着ターミナルの電話の前には、一人の少年。
黒いアタッシュケースを持つ、ジェノの姿があった。
『荷物は受け取ったか?』
受話器から聞こえてくるのは、組織の上官。神父の声。
イタリアで行われた三人一組の異種格闘技トーナメント。
『ストリートキング』が終わった後に起きた出来事だった。
「はい、問題なく。……中身はなんですか?」
イタリアにいた時には、なかった荷物。
それが、この黒いアタッシュケースだった。
ドイツに送られた目的は、何も聞かされてない。
恐らく、師匠を復活させる任務に関わることだろう。
『核兵器の発射装置だ。お前の生体認証で起動する。慎重に扱え』
神父の口から明かされたのは、思いもよらぬ内容。
身に余る物体。復活とは、まるで真逆の大量殺戮兵器。
こんなものを持たせる理由が分からない。なぜ、どうして。
疑問ばかりが頭に浮かぶ。ケースを持つ手が自然と震えてくる。
「か、核ぅぅぅうううう……っ!!!?」
ようやく口にできたのは、ありきたりな反応だけだった。
◇◇◇
27日目。ドイツ。ミュンヘン。ホフブロイハウス。
ジェノが持っていた、黒いアタッシュケースの中身。
それを明かし、場の空気が少しだけ落ち着き始めた頃。
「……どうして、そんなものをドイツに持ち込んだ」
この中で唯一、驚きを示したヴォルフは、当然の疑問を投げかけた。
顔は強張り、目つきは鋭く、眉をひそめ、言葉の節々にはトゲを感じる。
(まぁ、知らなかったら、普通こうなるよな……)
もし、他人事なら、たぶん同じ反応をしていた。
厳しい目を向けて、非難を浴びせていたかもしれない。
だけど、これは自分事だ。甘んじて受け入れるしかなかった。
「機密事項なので詳しくは言えません。悪用される心配もあるので」
ただ、話せるかどうかは、別の話。
中身は明かせても、仕様と用途は話せない。
そういう命令だし、盗んだ犯人がいる可能性もある。
信じたいのは山々だったけど、あまりにも、状況が悪かった。
「てめえ……。オレを信用してねえってのか!!!」
すると、ヴォルフは机を踏み越え、襟を掴み、怒鳴りつけた。
言ってることは分かるけど、怒ったところでなんの意味もない。
感情に意識を割くよりも、問題解決に意識を向けた方が効率的だ。
「落ち着いてください。怒っても、なくなったものは出てきませんよ」
ジェノは冷めた目を向け、ヴォルフを説得する
客観的事実を述べれば、きっと分かってくれるはずだ。
「……どうしてそこまで冷静でいられる! 最悪、人が大量に死ぬんだぞ!!」
襟を掴む力が強くなるのを感じる。
どうやら分かってくれなかったみたいだ。
もう少し、強く言った方がいいかもしれないな。
「毎日、人は大量に死んでますよ。俺たちは見て見ぬ振りをしてるだけです」
人は結局、自分のことにしか興味がない。
気になるのは、自分の周りと身近な場所だけだ。
ヴォルフも例外じゃなく、身の危険を感じて怒ってる。
これが、離れた場所だったなら、きっと知らないフリをする。
でも、それが正常だ。全ての事象を親身に受け止める人間はいない。
普通は心が持たない。親が死ぬ苦痛を、毎晩、味わい続けるようなものだ。
「……けっ。そうかもしれねえけど、そうじゃねえだろ」
呆れたように、ヴォルフは手を放した。
ひとまず、状況を理解してくれたみたいだ。
これなら、冷静に、前向きな話し合いができる。
(あれ? なんで、俺、こんなに落ち着いてるんだろう……)
激しい感情をぶつけられたことで、心が浮き彫りになる。
何かおかしい。昔は、どちらかというとヴォルフ側だったのに。
「茶番はそれぐらいにして、どうする。回収しなければ、戦争に発展するぞい」
自分の変化に戸惑っていると、リアが話を進行した。
あくまで、犯人じゃない。そう主張するつもりみたいだ。
(……犯人捜しは、後回し。今は、アタッシュケース探しが優先だ)
冷静に考えを巡らせ、やるべきことを定める。
するとすぐに、最善の行動が頭に浮かんできた。
「探す範囲はツテを使えば、ある程度まで絞れます。ただ、詳細な位置までは特定できません。そこで、リアさんの魔術をお借りできませんか。それなら、そこまで苦労せずに、アタッシュケースを見つけられるはずです」
戦闘はまだまだだけど、直面した問題の処理能力。
これだけは、できるようになってきたかもしれない。
そう思えるぐらいの、良い提案をした手応えはあった。
リアが犯人だったら見つからないし、味方なら見つかる。
どちらに転んでも、結果が伴う。事態は、前進するはずだ。
「……魔術を使うのは構わんが、ツテとやら次第だな。信用できるのか?」
リアが危惧しているのは、能力の開示。無駄に魔術を使わされること。
近くには、敵対するマフィアのボスがいる。うかつに見せたくないんだろう。
「99%当たる占い。その精度は、この目で確認済みです。俺に任せてください」
でも、大丈夫。あの人は有能。
探し物には、うってつけの能力だ。




