人生の振り返り
現在、私は、中年で世間一般で言うなら結婚をして子供もいてもおかしくない年齢だ!
まさかこんな展開になるなんて!
私が生まれた町は、まぁまぁ田舎な所だ。知ってる人は知っているマニアックな田舎町だ。
幼少期の記憶は、うろ覚えな為、鮮明には描けないと思う。
私は、朝乃家の末っ子で次男として、産ぶ声をあげた。母からの話では、乳児の頃、高熱で病院に入院し生死を彷徨っていたらしい。その結果、後遺症なのかわからないが知的障害を疑ってしまう場面が時々出てくる。
幼少期は、近所の女友達と遊ぶ事が多く三輪車に乗り顔面から転けて鼻に瘡蓋を作った写真も残っていた。
小学校に入学してからは、よく遊んでいた幼なじみがいた。そいつは、ある時から柔道を習い始めた。それをきっかけに私は、イジメ(今見たら悪ふざけにしか思えない)のターゲットにされていった。
今、その頃に戻れるなら『遠慮するな!嫌ならイヤだ!って言いなよ。言うことも大事だ』って伝えてあげたい。悪ふざけは、エスカレートしていき、中学まで続いた。
中学に入ってからは、そいつとも違うクラスになり、面識もなくなった。クラブ活動に参加することになったからだ!
私は、内向的な性格だったし中学でできた友達の徹の誘いで吹奏楽部に入部した。
当時は、吹奏楽=女子が多いみたいなところがあったのか私と徹と徹の兄の裕太しか男子が居なかった。
後に私の友達の晃と洸が入部するが直ぐに退部していく。私の担当楽器は、サックスだった。正直言って、兄が吹いてみたいって言ってたのもあってサックスを希望した。
サックスをやってた事もあって、後に公の場で披露する事になった。
正直、楽譜なんて読めなかった。女子の中に居ることが目的だったと思う。しかしながら、女性の厳しさにはついて行くのが困難で泣かされてしまった思い出も中にはある。でも3年間続けた。ソロパートが出た時は、タイミングがわからなかったから内心ヒヤヒヤだった。
コンクールにも、出場し先輩といた時は、銅賞。3年になった時は、銀賞を頂きました。『審査員の方の耳は、大丈夫?俺、ほとんど吹いてなくて真似してたのに銀賞ですけど良いのですか?』って思いがかなりあった。
それもさておき、高校入試が始まってくる。
私は、地元の高校を受験することにした。
受験当日に、私は、1人の女性に一目惚れしてしまった。試験の勉強で教科書を開くがなぜか私の目線は、一目惚れした優子に行ってしまった。
私が受験したのは普通科、福祉科もあったが当時は福祉には興味なかった。今思えば、福祉を受けてたらこの小説執筆に行き着いたかも不明だ!
過去が変われば未来が変わるからだ!!そこでこうしたらどうなってたのかなぁ?って思うことが今現在では多々ある。
それはそうと、晴れて高校進学することになり、私は、優子と同じクラスになることができた。運命なのか?それとも「また会いたい、同じクラスになれますように!」と何度も頭の中で言ってたからなのか?よくわからない。
今の自分からしたら思考が現実化しただけ自分の願いが叶っただけで何ら不思議なことではない。
そう!!だから、この小説を書き終えた時は、私は、どこにいるのか見当はついてしまう。思考は現実化するからである。
答えを先に言うなら、刑務所の中である。いや、今の段階では、違うかもしれない。
脳内の思考が混乱しているからなんとも言えない状況です。
いや、そんなことを思う場合ではない。人生を反省して、償う必要がある。
話が脱線してしまった。
時を戻そう、高校生になった私は、優子に想いを寄せながら高校生活を送っていた、入学してすぐサッカー部に入部したがガラの悪い連中の集まりにしか見えなかったから当時の自分からしたら性に合わなかった。
高校入学して半年後には、卓球部になっていた。卓球は、面白かったから夢中になれた。初心者からスタートして、卒業する頃には、部内では1番2番に強くなっていた。同好会からスタートして副キャプテンをしたがなぜかキャプテンをやっていた。最後の大会では、個人戦で県大会に出場し、私と練習相手をしていた京子は地方大会まで行く事になった。逆に言えば、私がいなかったら京子は地方大会に行けなかったと自惚れてしまうぐらい私の成長が止まらなかった。もっと早くやってたらどうなってたか?気になってしまう。
それもさて置いて、高校卒業後はどうするかの三者面談もあった。私の中では、自衛官という道を選びたかった。担任と母からは、「自衛隊はあなたには厳しいと思う。大学とか就職を考えて欲しい」と心配されていた。世間一般では、陸上自衛隊のイメージ が強く厳しいイメージしかなかったからだ。
しかし、私は入隊することが出来た。しかも、航空自衛隊だった。
自衛隊の教育は、はっきり言って緩いです。社会を色々経験した今だから言える。
「刑務所の中」って言った理由を早く書きたい。
いやぁ、待て待て!!これを先に書いてしまったら面白みがなくなる。小説を書く意味がなくなる。
楽しみは最後まで取っておきましょう!
自衛隊生活は、最初は厳しいと思ってた。規律さえ守っていれば全然楽勝だけど、国民の税金から給料としてもらうとなったら「てめぇら、もっと働け8時〜17時の勤務はやめてしまえ!」って言いたくなる。職場によって多少のズレもあるが殆どそうである。
そんな生活が嫌で退職を選んだ。詳しことは、また後で伝えていこう。
退職してから直ぐに私はどこで生活したでしょう?
1:他の公務員を目指し実家から専門学校に通った。
2:地元の友達に仕事を紹介してもらってアパートを借りて生活した。
3:付き合っていた彼女と同棲し一般企業に就職した
4:夢を掴むために国外でルームシェアしてバイト生活した
普通に考えたら2か3だと思う人が多いと思う。
5年勤務した自衛隊を退職してから私は、なんとワーキングホリデーというビザを取得してカナダに行き生活していきます。
なぜカナダかは、一回行った事がある国だから。
それともう一つ、この地に私が経営する飲食店を出したかったです。
安易な考えだけで海外に行くとか今の自分からしたら考えられない。計画も立ててないで行動することが最悪な結果になることもある。