重蔵
巫女が全員捨て子だったと知った時、修一は、とても驚いた。
重蔵も捨て子だったのだというし、修一も、そうである。
一体其れが如何いう事なのか、修一には本当に不思議だった。
今なら理解出来る。
此の里は『苗の神教』という宗教を元にした隠れ里なのだ。
外界に、なるべく存在を知られぬ様、親の無い子を拾って来る事で宗教人口を増やしているのである。
其れまでは、如何して彼女達が巫女になったのか理由が分らなかった修一だったが、巫女として生活する以外の選択肢を、彼女達が殆ど与えられていないも同然だった事を知って、愕然とした。
拾われて、長になる為に育てられ、長である重蔵に引き取られた修一と、何ら境遇が変わらなかったのである。
其れが十人も身近にいる、という事が、何だか、修一を途方も無い気持ちにさせた。
修一は別に長になりたくは無かったが、長になる様に育てられているので、他の何かになる自分、というのが想像出来ない。
そして次第に、捨て子だった自分が、下方限の子供達の様な貧しい暮らしをしていないのは、修一が偉いのでも何でも無く、ただ修一が、長の後継だから、里全体に養ってもらえて、良い生活が出来ているのだ、という事が察せる様になってきていた。
そう、実は、里の最高権力者である筈の、長の重蔵が、何処か操達に遠慮している様に、きっと修一も、捨て子を擁立してもらっているだけ、という立場を完全に弁えたなら、形式上は丁寧に接してくる彼らに、一生頭が上がらないに違いないのだ。
未だ自我すら不定形な修一と違って、修一が生まれる前から巫女の修業をしている彼女達は、苗の神教の巫女として、神に仕える事に誇りを持っていた。
しかし抑の、巫女になるという事自体に、捨て子だった自分達に選択肢が無かった事について、如何考えているのだろうか、という事は、修一は遂に、彼女達に尋ねる事は出来なかった。
元々居る人間を長にして、世襲にしない事にも意味が在るという事も、修一は学んだ。
其れは、捨て子を擁立する事で、権力争いによる要らぬ揉め事を起こさぬ為の知恵なのだった。
狭い里で、そういった分裂が起きると、其れに寄って人口が流出した場合、里が内側から崩壊する可能性も有る。
流出により、里の人口が減るのもさる事ながら、里の事が外に知れやすくなり、隠れ里としては成り立たなくなる。
捨て子を拾う、という行為は、長年続いてきた、里を維持する仕組みなのだった。
しかし、重蔵は、修一の後の代から世襲にすれば良い、という考えなのだ。
だから以前、嫁でも貰えと修一に言ったのだ。
言われた時は幼過ぎて意味が理解出来なかった修一だったが、今にして思うと、かなり思い切った発言だった事になる。
修一は、里が隠れ里を維持出来なくなっても良いのか、という趣旨の事を、もっと拙い言葉で重蔵に尋ねた。
重蔵は、個人的には構わない、という趣旨の事を言って、修一を驚かせた。
「巫女も最近は拾って来るのを辞めているし。もう、隠れ里でなくなるなら其れも良い、と思っている。明治も終わって、大正だ。宗教が弾圧されていた頃とは違う」
隠れ里は、廃仏毀釈による宗教弾圧から逃れる為に出来たのだ、と、其の時、修一は教えられた。白装束を着るのも、弾圧されない様に、神道由来の宗教に偽装していた頃からの、惰性の慣習らしい。
「長なのに、重蔵は、苗の神様を信じていないのか?」
「そういう事では無いのだ。確かに、苗の神教の秘術を守る為には、隠れ里で居る方が都合は良い。此の儘の方が良いのかもしれない。其れに、儂と巫女達が居なければ宗教の儀式は成り立たないが。儂にとっては、里が続くのは、儂の為の様なものだからな」
「え?」
「里の長、として儂は存在している。祈祷師の他に、何か仕事が出来るわけでも無い。だから、里が無くなって困るのは恐らく、本当は儂だけなのだ」
「重蔵…」
「だから別に、儂の為だけに里が在るのでは無いが、儂が里の為に居る。儂は里が無くなったら困るが、他の者は、里の外で暮らしても構わないのではないかと思っている。儂の代で全部終わりにしても、儂は構わん」
如何やら、重蔵は本心から、そう言っているらしかった。
長は里の為だけに居る存在、という言葉は、其れから一生、修一と共に在った。
もう明治も終わった、と重蔵は言った。
「だから里に拘るな。里の慣例に拘り過ぎるな。修は嫁でも貰え。ただ、嫁だけ貰っても、ややこしい事になるだろうから、修の息子が長を継ぐ、という事にしろ。理由もなしに慣例を変えるのは難しい。後継を作る為、と言えば良い。後は修の好きにしたら良い。もう、捨て子を拾って何か役職に付ける事は、儂はしない」
「…もう、拾わないの?」
「だって、寂しいではないか。皆家族が在るのに。ポッと拾って来られたら、里での居場所は、有って無い様なもの。長だと言われ、敬われても、其れは変わらない。儂も巫女達も、其れは変わらない。そんなのは、もう儂等で止めても良いのではないか?」
「…そう」
そうなのか、と修一は思った。
修一は拾ってもらって良かったと思っているから、重蔵の言葉は意外だった。
そして、重蔵が一人ぼっちな理由も、何と無く分かった様な気がした。
重蔵は結局『一人』なのだ。
重蔵は、自分の家族、というものを求めた時、上手く得られなかったのだろう。
だから修一を貰ったのだろう。
修一は、確認する様に言った。
「拾ってもらえようが、もらえまいが、捨て子だった事は変わらないのだし、拾ってもらえなかったら野垂れ死にしていたかもしれない。そういう、困っている子を連れて来るのは、いけない事?…里の何処に居ても寂しいのは、本当かもしれないけど。俺は、俺や重蔵や巫女さん達が野垂れ死にしなくて良かったと思っているけどなぁ」
重蔵は、優しい子だな、と言って、修一の頭を撫でて、微笑んだ。
「修は嫁を貰って、家族を持ったら良い」
また其れか、と修一は思った。
結局、修一が、自分は拾ってもらって良かったと思っている事に対して、重蔵が如何思っているか、という、果々しい答えを得る事は、遂に無かった。
そして如何やら、重蔵にとっては、然るべき手順で嫁取りをする、という行為が、非常に重要らしい事が、何と無く修一には察せられる様になっていた。
重蔵は其れが幸福だと思い込んでいるからこそ、修一には其れをさせてくれようとしているらしいのだった。
修一には其の頃、嫁取りをする幸福の意味が全く理解出来なかった。
幼過ぎて、嫁取りをする自分、というものが全く想像出来なかったのだ。
「巫女さん達は嫁に行かないの?引退の儀式をすれば、巫女ではなくなるのでしょう?」
一番若い巫女の様な娘なら嫁取りも考えても良い、と思ったので、修一は聞いてみたが、重蔵は苦笑いした。
「難しいのだ。恋愛結婚ではなく、キチンと嫁入りしようと思ったら、そういう事を世話してくれる親が居ないと。うかうかしていると薹が立つ」
「そういうもの?」
「こんな宗教由来の里で、巫女だと知って手を付ける奴は少ない。其れに、下方限で所帯を持つのは恋愛結婚だから、其れ程難しい事では無いが、中途半端に、こんな、長の館の在る上方限(上方)で、巫女様扱いされて育ったら、下方限で雑多に貧しく暮らしていく事は容易ではないぞ。修業以外は、清く美しく、日がな一日機を織って、髪なぞ梳いて暮らしているのに、草履どころか、草鞋も両方揃ってない様な男と、夏は着る物も無い人間が居る地域で生活出来るか?其れでは上方限の硬い家か、となったら、年頃になったら親が相手を決めてやる、という事でも無ければ、なかなか。上方限では夜這いなど御法度だからな」
夜這いの意味は、当時の修一には分からなかったが、此れはまた、地域による貧富の話なのだ、という事を、敏感に感じ取った。
上方限と下方限には、明確な貧富の差が有る。
上方限には、家の格の様なものまで在る。
上方限と下方限の人間同士が一緒になる、という話を、修一は殆ど聞いた事が無い。
そんな事を思い付いたところで、親や周囲から身分が違うと言われて終わりだ。
其の点は確かに不思議だった。
『方限』という言葉には、地域、というくらいの意味しかない。
単純に、居住区の単位を示す言葉なのである。
瀬原集落、という里が、単に、其の二つの地域に分かれている、という意味しか無い筈なのだ。
上方限は四つの家が其々、門で分けて土地屋敷や畑を持ち、下方限では、瀬原の一門が住んでいて、其々で共同体を形成している、というだけの話なのだ。
本家当主は、家や門の代表として、其々の一門、衆を率いている、というわけである。
『上』と『下』も、緩やかな傾斜地に在る集落を南北に流れる小川で分けて、高い位置に在る、比較的平地が多い地域を『上方限』、低い、谷底の様な地形に在る地域を『下方限』と称しただけなのである。
間違っても、大正にもなって、身分の上下など在ろう筈も無いのに、『上』と『下』は、何時の頃からか、瀬原集落に於いては、地域を身分の上下で分ける言葉の様になってしまった。
実は、上方限と下方限では、使われている言葉も、敢えて分けているのではないかと思える程までに違うのだった。
「そうか。中途半端か…」
「そうなのだ」
重蔵は、そう言って悲しい顔で笑った。
瀬原本家当主、瀬原重蔵。
瀬原衆は下方限に住むが、長の館は上方限に在る。
重蔵は、下方限の言葉も話さない。
故に、修一には、如何やら、重蔵も、修一同様、上方限で育ったのであろう事が察せられるようになってきていた。
其れは、下方限の子供達と接する様になって得た成果である。
中途半端、という言葉の意味を、修一は噛み締めた。
下方限の本家の当主で、里全体の最高権力者。
長の館は上方限に在る。
そして、長である重蔵は、下方限で育っても居ない。
『上』と『下』、何方の存在でもあり、何方の存在でも無い。
孤独にもなろうというものである。
そして恐らく、修一は知らないが、拾われてきた巫女も、上方限の長の家で育つのであろう、と推測された。
巫女と奉られながら、其の実、上方限の、家柄の良い所の娘ではない、捨て子で、拾われてきて、里で宗教の為に従事している存在。
確かに中途半端である。
何方にも居付けない。
其れなら生涯を長の館で過ごす、という気持ちになっても仕方が無い。
「第一な、これまた中途半端な話だが、巫女だった女を伴侶にする、というのは、里では、其れなりの権威に繋がるものなのだ。だから、まともな家で育って、まともな神経をしておったら、遠慮して、巫女に手を出そうなどとは思わん。だから、難しい。然るべき相手を巫女自身が見付けようにも、滅多に外に出ない身で、自分で相手を見付けろと言うのも酷だし。親が釣り合う相手を世話しなければ、やはり、上方限では婚姻自体が難しい」
「だから、重蔵も巫女さんと一緒にならないのか」
修一の言葉に、重蔵は久しぶりにゲラゲラ笑った。
「そりゃ、御前。権力を分散させておく為に捨て子を拾って来るのに。其の捨て子が、巫女という宗教的な権威を得て、やっとの事で認められて、里の長で居られるのだ。其れを、長が自分で巫女という権威に手を出して、引退させて嫁にして、其れを権威に繋げてもなぁ。豆腐を態々豆乳に戻す様な話だ。完全には戻らないから、豆乳の儘にしておけば良かったのに、という話だ。元巫女より、巫女の儘の方が、宗教的価値が有るというのに」
「権力と権威?」
見分けが付かない言葉だ、と修一は思った。
そうだ、と重蔵は言った。
「何方も素晴らしいものだが、分けておく事にこそ意味が在るのだ」
「両方手に入れると如何なる?」
「里人を完全掌握出来るさ」
修一は、二つの意味で驚いて、目を剥いた。
二つ合わさると、そんな凄い事が出来るのか、という驚きと、長である重蔵は里人を完全に掌握出来ていないという自覚が有るらしい事に対する驚きだった。
「…両方手に入れないの?」
「あのな、強過ぎると脆いのだ。幾久しく里を長らえさせたかったら、権威と権力は分けておく方が良い」
「如何いう事?」
「巫女は特別なものだ。宗教的に欠かせない。ああいったものは権威だ。里で何か実質的な権力を持つわけでは無いが、儀式では無くてはならない存在だ。だから大事にされる。其れは分かるだろう?巫女を傍に留めて宗教的な儀式を行える、だから長が偉いと思われる。此れは巫女ありきだ。此れが巫女の権威だな」
「はい」
「一方、長と言うのは、実質的な権力なのだ。長だけには宗教的な権威は無い。長に巫女役は出来ない。巫女とは逆に、神事ではなく、俗世の仕事を行う。指導者の様な立場で、里の雑務も全て引き受けて、其れなりの地位に居る。権力を持つ存在が、権威を持つ存在を奉り、其の威光を笠に着て力を維持するという構造だ。巫女の宗教的な威光を笠に着て、とまで言う心算は無いが、巫女という存在に支えられ、長の権力が補強されている、という事は有ると考えている。権力と権威を同時に得ようとするには、俺が巫女も兼ねる様な宗教的な力を持たねば、周りも納得しない」
「其れが、宗教的な権威と権力…」
「そう、其れ等は別のものなのだ。男でありながら、巫女の様な事が出来る存在でも登場したら話は別だが。儂が、そんな事をしてみろ。外の力と中の力に、身体が引き裂かれるか、精神が崩壊するか」
「確かに…男が巫女、というのは…」
修一には、『男』と『巫女』という言葉が、上手く重ならなかった。
重蔵は続けた。
「いや、性別の問題では実は無いのだが。巫でなければ、覡と呼ぶからな。兎に角、宗教の儀式を一人二役熟す様な存在になるには、儂には器が足りぬ。宗教の術を行う者と、宗教の儀式を行う巫女とは、本来別であるべきなのだ。儂に其れ程の力が有れば、一人で『苗の神教』を代表して、人心を完全掌握出来る。だが、そういうものは脆い。他に、儂と同じ事が出来る者が現れれば、簡単に取って代わられる。そして、儂には、其の二つを同時には扱えない。良いか、仕組みとして、権威と権力は分けてあるべきなのだ。そして、長と覡は別だ。其れは切り離しておかなければ物理的にも危険なのだ」
巫覡、という言葉を、修一は其の時教えられた。
男も巫女の様な事は出来るが遣らない方が良いということだろうか、と修一は解釈した。
「そして…其の、権威である巫女さんが嫁ぐと、其処に権威が移る可能性も有るという事か」
思ったより危うい事なのかな、と修一は御思った。
御前は賢いな、と重蔵は言った。
「年の割に異様な程頭が良いな、御前は。賢い、可愛い修。尤も、巫女が本当に誰かと一緒になりたいなら儂は止めない。個人的には其れも構わないと思っているが、偶々、今まで誰一人、儂の知っている限りで里の男と一緒にならなかっただけだ。尤も、片端から里の男に手を出されて巫女を辞されても困りものだが。其れで、十人一緒に寝起きさせている、というのも有るらしい。其れとて儂が決めた慣例では無いが」
「え?」
「ああしておくと、里の男の手が付きにくいのだ。個室に分けて泣かせておくより、大部屋で寝泊まりさせておく方が、な」
修一には今一つ意味が分からなかった。
意味が分かったのは、下方限での夜這いの実体を知ってからだった。
結局其の時は理解を諦めて話題を変え、普段から気になっている事を言った。
「そう言えば、此の長の館は、坂元本家に、そっくりだね」
そう、修一は気付いてしまったのだ。
今まで、家と言えば、其の二つしか知らなかったので、家とは、こういう物、という思い込みが有り、二つの家が酷似している事について、全く考えが及ばなかったのであるが、最近、如何も他所は違うらしい、という事を悟ったのだった。
そうだろう、と言って重蔵は微笑んだ。
しかし、目には感情を感じなかった。
「此処は明治に入ってから、儂の代で建て直した館だ。坂元本家そっくりに作ってある」
修一は初めて、少し重蔵が怖くなった。
なぁ、修、と重蔵は言った。
「長い時間が経って何方かが無くなったら、何方が先に出来た家かなど分からなくなるよな。両方なくなっても、そうだ。何時か渾然一体となって、何方が何方か分からなくなる」
「如何して、そんな事…」
「儂は操になりたかった」
「え?」
「長などではなく、坂元本家の当主になりたかった」
此れは駄目だ、と、修一は、幼いながらに直感した。
もうじき、正月が来たら数えで六つになる修一であるが、幼心に、此れは駄目だ、という事は分かった。
重蔵の心には大きな穴が開いているのだ。
そして其れは、修一の父親である、という事だけでは塞ぎきる事が出来ないのだ。
重蔵の寂しさを全て理解する事は出来ない修一だったが、其の歪さの源が何処に在るのか、という事は嗅ぎ付けていた。
「儂はな、坂元本家で育ったのだ」
重蔵の其の告白は、修一には初耳だった。
坂元家の面々と重蔵の距離の近さの理由が、修一には、朧気ながら察せられた気がした。
「俺と同じ様に、坂元本家で育ったの?」
「そうだ」
修一は何も言えなかった。
此れはいけない、と、修一は、何故か強く思った。
重蔵の考え方は平等ではない。
里の為に居る、というのであれば、自身の事より、里の事を考えるべきでは無いか。
だが、幼かった修一は、結局、其れ等を上手く言えずに、ただ、重蔵の言葉を噛み締めた。