富
富は兎に角、這うのが下手だった。
這い這いを殆どしなかった。
そうかと思えば、満一歳で、行き成り、手近の紙を掴んで立ち上がった。
二歳頃には言葉を話そうという意志を見せ始めた。
雨の日に時々見に来るだけの修一には、富の成長は筍の伸びる速度と変わらない様に思えた。
其の成長速度は、予め重蔵から伝えられてはいたものの、修一には奇妙に思えた。
富は、満二歳の頃には髪も伸びて、艶々としたおかっぱ頭の、色の白い娘になった。
数えで六つの修一からしてみれば、殆ど急に、富は市松人形の様に愛らしくなったのだった。
周囲は富の成長を逐一喜んだ。
重蔵でさえ、時々、富に構っていた。
思い返すと、重蔵は里の子供に優しかった。
子供が好きだったのかもしれない。
作り物めいた、整った顔の重蔵が、市松人形の様な姿の富と居るのは、何だか薄気味が悪く、修一には非現実的で、異様に見えた。
富は、急激に富久に似てきた。
美しくなる、という、重蔵の言葉は、此の儘順当にいくと実現しそうであったが、修一は相変わらず富が嫌いだった。
修一の持っていないものを全部持っていたからである。
富は、生まれた時から、何の苦労も無く、両親も、乳母の捺も持っていた。
あんな、産毛が全部抜けてしまった、猿の様な、赤く爛れた姿であったのに、長じるにつれて、富は、雪の様な美しい肌に、美しい黒髪までも手に入れていた。
富の小さな、形の良いおかっぱ頭の上には、何時も、輪の形に艶が出ていた。
実方本家当主の忠顕が、蝉鬢と称えていた。富の髪が、蝉の羽の様に透き通って美しく見える程のものだと言うのである。
修一は内心、其れが羨ましくて仕方が無かった。
富は修一に、よく懐いた。
何時も、修一の袖をギュッと、小さな手で握ってくる子だった。
修一は其れを迷惑に思ったが、表立って意地悪は出来ず、また、富も、修一の言う事は、よく聞いた。
喋るようになると、富は修一を御兄様、と呼んだ。
富なんて妹ではない、と、頑なに思う修一だったが、確かに、修一と呼ばせるわけにもいかず、他に何と呼ばせ様も無かったので、黙って、御兄様と呼ばれる事に耐えていた。
富と対峙する時、修一の中には何時も、ある種の諦めが有った。