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山桜 『瀬原集落聞書』  作者: 櫨山奈績
瀬原修一
6/8

弥五郎

 数えで五歳になった修一は、春、初めて田植えに参加した。


 坂元本家に居る時も、(おさ)(やかた)で過ごす(よう)になってからも、人目に(ほとん)ど晒されずに育てられていた修一が、下方限(シモホーギリ)の子供達と会うのは、其れが初めてだった。


 皆と同じ(よう)に野良着を着せられているのに、何故か皆(あか)じみていて、修一とは違って見えた。


 否、此れまで見てきた人間が皆、身形(みなり)も容貌も、(えら)く整っていて美しかったのだという事を、修一は初めて知った。

 (よし)は本当に全く猿ではなかったらしい事を、修一は初めて理解した。


 此の中に於いては修一の方が異質で、修一が何か異質だと感じていた巫女達や(よし)は、修一側の、身形(みなり)の良い、整った人間に属するらしかった。


 持って生まれた容姿もさる事ながら、此れが貧富の差なのだという事を、言葉では分からずとも、修一は体験として実感してしまった。


 重蔵も修一も其の子達も、姓は同じ、()(ばる)なのだという。だが、前述の理由から、同じ一門(イッケ)の子達だという意味が、修一には理解出来なかった。




 (やや)あって、重蔵が作業の指揮に行って、傍らから居なくなると、青洟(あおっぱな)を二本垂らした、小汚い、如何(いか)にも(わる)餓鬼(がき)という顔をした、同じ年くらいの少年が、畦道(あぜみち)に立って呆然としていた修一を、ドン、と押した。


 修一は、何故そんな事をされるのか、意味が分からなかった。


 修一は、(あぜ)の近くの(くさ)(むら)で尻餅をついた。


 草叢には、草刈り鎌が放置してあった。

 今にして思えば、子供が多い場所なのに、其の(よう)に刃物の扱いが雑なのは迂闊(うかつ)な事だったが、後で其の場所を刈る予定だったのだろう。

 修一は、危うく、其の鎌で手を切るところだった。

 修一は、ムッとしながら、其の鎌の柄を掴んだ。


 周囲から弥五郎(やごろう)と呼ばれている其の少年は、修一を小馬鹿にした(よう)に笑いながら、言ってはならない事を言った。


「赤毛の捨て子(ウッセゴ)


 弥五郎はニヤニヤしていた。

 今にして思えば、数えで五つの弥五郎が思い付く言葉ではない。

 里の誰かが、弥五郎が覚えてしまう程、修一の悪口を言っていたのだ。


 其の時は、そんな事は分からないから、容姿の良さを称えられて育った修一は、今まで自分の髪と、他人の髪との間に感じていた違いが、揶揄(やゆ)される対象になり得るのだと、弥五郎の言葉で急に悟ってしまい、其れに酷く自尊心を傷付けられた。


 修一はカッときて、弥五郎の足を、手にしていた鎌で切り付けてしまった。


 弥五郎の右足の脹脛(ふくらはぎ)に、スッと赤い線が入った。


 後の事は、よく覚えていないが、()(かく)、大騒ぎになった事は確かだった。




 修一は、重蔵と一緒に(おさ)(やかた)に戻され、下働き達に清拭(せいしき)された(のち)に、白装束に着替えさせられた。


 立派な着流しと羽織を着た、背の高い人達が三人、長の館にやって来た。


 (おさ)(やかた)に大慌てでやって来た(みさお)は、修一の傍まで来て、火が付いた(よう)に怒った。

 普段の丁寧さは微塵も感じられなかった。


 操が修一に殴りかかろうとするのを、増雄と(ただす)が両脇から必死に止め、重蔵が泣きながら、修一を庇う(よう)に抱いて、上座敷の床に(うずくま)っていた。

 (いま)だに(みさお)の事が少し怖いのは、此の日の記憶のせいも有るかもしれない、と修一は思っている。


 (みさお)は、修一を叱りながら、(ほとん)ど泣いていた。

 刃物で他人に怪我をさせるとは何事だ、傷口から悪いものが入ってしまったら、相手は死んでしまう、そうしたら人殺しになってしまうぞ、と言われた。


 修一は、ただただ、(みさお)が怖くて泣いた。

 修一は悪い事をしたのだった。

 震えながら、ごめんなさい、と言った。


 増雄が、(いさお)(なだ)める(よう)に、子供の手の届く場所に鎌が有るのも悪い、と言った。

 修一の方が怪我をして破傷風になっていた可能性も有る、と、増雄が重蔵に言うと、重蔵は、修一を抱いた(まま)、床に()(つくば)(よう)にして、(みさお)達に、泣きながら許しを請うた。


「頼む。此のくらいで勘弁してやってくれ。(しゅう)()だ幼いではないか。鎌が其の辺に有ったのは儂の監督不行き届きだった。其れに、(しゅう)が、こんな事をしたのは、儂が目を離したからだ。頼む。な、(しゅう)、もうしないな、しないな」


 (ただす)が、ボソリと言った。


「…弥五郎(やごろう)に、赤子の捨て子(ウッセゴ)と言われたそうです。勿論、此の子が相手に怪我をさせたのは事実ですが…」


 其れを聞いて、(みさお)は脱力した。


 (みさお)は、自分を両脇で抱えて止めている、増雄と(ただす)に、体重を預ける(よう)にして、膝から崩れ落ちた。

 (ただす)と増雄が、慌てて操を抱え起こした。(みさお)は、修一が見た事も無いくらい、真っ青な顔をしていた。(ただす)が、(みさお)を抱える(よう)にして帰った。




 操と(ただす)が帰っても、重蔵は(おさ)(やかた)の囲炉裏端で胡坐を掻いて、両手で顔を覆ってシクシクと泣いていた。

 残った増雄が、黙って、重蔵の傍らに立っていた。

 重蔵は、修一が傍に寄って行っても、()だ泣いていた。

 増雄が、憐れむ(よう)な顔をして、修一の顔を見た。


 重蔵が、か細い声で、(ます)()ちゃん、と言ったので、修一は驚いた。

 何処かに甘えが滲んだ声音だったからである。


如何(どう)しても親になれん。遊んでやったり、甘やかしたりする事しか出来ん。上手く叱れん。これじゃあ単なる遊び相手だ。物も教えてやれん」


 重蔵は、そう言いながら、更に、涙をボロボロ(こぼ)した。

 修一も泣いた。

 自分が仕出かした事が、重蔵を(ひど)く追い詰めている事を、修一は知ってしまった。


(トト)


 修一が重蔵を呼ぶ声を聞いて、増雄は、重蔵の傍らに立った(まま)、ポン、と重蔵の肩を叩いて、ゆっくり言った。


「子供に気を遣わせるな。此の子が可愛いから、と、無理に貰ったのだろう?本家で今まで通り、せめて此の子が成人するまで育てても良かったものを」


 重蔵は、ハッとした顔をして、やっと修一の顔を見た。

 重蔵は、修一を抱き締めて、泣いた。


 修一も泣きながら、言った。

「重蔵、俺の父親(テチョ)だろう?」


「そうだったなぁ」


 (いびつ)な関係ではあったが、何とか親子になろうとしている二人を、増雄は、少し離れた場所に立って、悲しい目をして見詰めていた。


 修一は、増雄には、一人ぼっちが二人に見えるのかもしれない、と思った。




 後から聞いた話では、増雄は面倒見の良い人で、(ただす)も、顔は怖いが子沢山の良い父親で、糞真面目な律儀者なのだという。


 二人が重蔵と如何様(いかよう)な関係なのかは、修一には結局、詳細には分からなかった。

 しかし其れが、修一の知る限りで、増雄と(ただす)(おさ)(やかた)に来た、最初で最後の日になった。




 意外にも、其の後、思ったより軽傷だった弥五郎は、破傷風になる事も無く、修一の子分になった。


 弥五郎は、修一の方が弥五郎より強いと思ったらしかった。

 そして、弥五郎の三人居る友達は、(ほとん)ど自動的に修一の子分になった。


 そういう仕組みなのか、と思うと、修一は其れを少し迷惑に思った。


 別に其れ程自分が強いとは思わなかったからである。


 体格は他の子供より確かに良かったが、修一は、結局、立場の維持の為にだけ、というのでは無いが、其の日から、とても真面目に体術の練習をする羽目になった。

 結局、其れ以降、修一は、周囲の子供からも、容姿才能を誉めそやされて育つ事になった。


 しかし何故か、年の近い子供達に褒められると、相手を遠くに感じた。

 (おさ)の後継の子供、という存在は、対等の友を得る事が難しいと知るのには、其れ程時間は掛からなかった。




 相手が子分になってから付き合ってみると、弥五郎の悪口は、関心から来るものだった事が判明した。

 如何(どう)やら、修一と仲良くしてみたかったが、大層言葉が下手だったらしい事が分かったのだった。


 更に言えば、弥五郎は、御世辞にも賢くなかった。


 弥五郎は、悪気が無かったどころか、既に自分が何を言ったかも記憶に残ってはいない様子で、修一に懐いてきた。


 そんな弥五郎に、カッときて怪我をさせてしまった負い目は、弥五郎の右足の脹脛(ふくらはぎ)に残った傷跡により、一生、修一に付き纏う事になったが、()(かく)、弥五郎が子分になった其の日から、修一は、四人の子分、もとい、仮初(かりそ)めには『友』と呼べる、同い年の仲間を手に入れた。


 当時の事を思い出すと、修一は時々、友人の作り方まで(いびつ)だ、と自嘲してしまう。


 何にせよ、其の時修一は、自分は、赤毛である事と、捨て子である事を指摘されると、カッとしてしまう人間らしい事を知った。


 何方(どちら)も、本当の事である上に、努力では変える事が出来ない事柄だからである。


 其れ等は、誉めそやされて育った修一の劣等感であり、其れを出されるだけで、自分の美点が全て帳消しになる気がするものだった。


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