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山桜 『瀬原集落聞書』  作者: 櫨山奈績
瀬原修一
4/8

明治の終わり

 重蔵は、表情が乏しいせいか、髪形のせいか、何歳だか、よく分からない事が有った。


 (みさお)より何歳かしか下ではないと聞くが、作り物の(よう)に整って、表情の乏しい顔は、何処かで時間が止まってしまったかの(よう)で、年齢を引き合いに、嫁取りを諦めた、と本人から聞いても、修一には今一つピンと来なかった。


 修一は最初、(みさお)富久(ふく)(よう)に、十人の巫女のうち、どの人かは、重蔵の細君(さいくん)なのではないかと考えていたくらいだったのである。


 しかし、恐らく、其れ等の事とは無関係で、重蔵は一人ぼっちだった。


 十人の巫女と、数人の下働きの女性と暮らしていたが、其の中の誰とも、特別に親密にしている様子は無かった。

 加えて、修一を引き取って同居しているというのに、如何(どう)にも、幼い修一の目から見ても、重蔵は一人ぼっちだった。




 あんまり重蔵が寂しそうに見えたので、ある日、一緒に散歩している時、修一は言った。

「重蔵、俺の父親(テチョ)だろう?」


(しゅう)


「重蔵、(トト)だろう?元気を出せ」


 重蔵は微笑んで、修一を持ち上げ、肩車してくれた。

 其の日から、修一は重蔵を(トト)と呼んだ。

 其の方が、重蔵が少し寂しくなさそうに見えたからである。


 重蔵は、修一を肩車した(まま)何時(いつ)だったか連れて来てくれた、山桜の在る場所まで来て、言った。


「此処は、本当は入ってはいけない場所だが、修にだけ此の山桜を見せてやろう。花が咲く頃、また連れて来よう。取って置きの花見の仕方を教えてやる」


「はい、(トト)




 雨の日、重蔵の仕事が無いと、時々重蔵は、修一を坂元本家に連れて行ってくれた。


 富久(ふく)は、修一が行くと、とても喜んでくれたが、(よし)を産んで半年くらいは(ひど)く調子が悪そうで、何時(いつ)も青い顔をしていた。


 (みさお)は会うと決まって、最初に修一に、キチンと食べているか、と尋ねてくるので、修一は、其れが少し面倒だった。修一は偏食で少食だからである。はい、と言えない。其れから操は、口を開けば、布団は毎朝自分で畳んでいるか、草履は揃えて脱いだか、と、丁寧な言葉で、とても細かく尋ねてくる。そんな事を口煩く修一に言うのは(みさお)くらいのものなので、怖い先生の(よう)な感じがして、修一は窮屈(きゅうくつ)だった。




 初めて、(なつ)が、(よし)を抱いて乳を飲ませているのを見た時は、修一は、泣きそうになるくらい腹が立った。

 (なつ)(よし)に取られた気がしたのだ。


 修一は(なつ)に恨み言を言った。

(なつ)は俺より(よし)の方が好きなのだろう。皆そうだ」


 修一は、(なつ)には八つ当たりする事が出来た。

 しかし、修一の本気の怒りを、(なつ)は、ただ微笑んで受け止めたので、修一は拍子抜けした。


 (なつ)は、幼い修一に、諦観までをも感じさせる程、穏やかに言った。


「子供の何方(どちら)が好きか、というものでは御座いませぬ。親というものは、そういうものではありません」


 修一は其の時、重蔵同様、(なつ)も、何時(いつ)も何処か寂しそうである事に気付いた。


 思い返す(なつ)の顔を薄幸そうだと思ってしまうのは、優しい(なつ)の表情の何処かに、修一が諦観を嗅ぎ取ってしまっていたからかもしれない。


 亭主を亡くして、子供二人抱えて、坂元本家の富久(ふく)に仕える(よう)になった後、子供二人も亡くした、という事情を、修一が当時知らなかったのにも関わらず、である。




 (こと)(ほど)左様(さよう)に、修一の周りの大人達は、寂しそうか、具合が悪そうか、厳しそうだった。


 日々は、そうした中で、大した物音も立てずに、静かに過ぎていった。


 修一自身も、其れ程、暴れたり、はしゃいだりする子供ではなかった。


 だから、静かな日々の中で、生まれたばかりの(よし)の泣き声が、いやに修一の耳に付いた。


 修一は(よし)が嫌いだった。




 そうこうしているうちに、明治四十五年は七月三十日で唐突に終わり、七月三十一日から大正元年になった。


 其れを修一が知ったのは、秋口になった頃の事だった。

 意味は(ほとん)ど分からなかった。




 生後三ヶ月まで首が据わらなかった(よし)も、秋になると、赤子らしい動きをする(よう)になってきた。

 肌の弱い(よし)は、全部抜けてしまった産毛のところから、行き成り、濃い、黒い髪の毛がゴッ、と生えて来て、まるで剃りたての坊主頭(ボシビンタ)(よう)になった。

 爛れていた肌の調子も、次第に赤みが引いて、猿から、(やや)人間寄りの容姿になってきた。


 しかし、修一からしてみれば、前より少し強そうな猿になっただけ、という印象だった。


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