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山桜 『瀬原集落聞書』  作者: 櫨山奈績
瀬原修一
3/8

巫女

 重蔵(じゅうぞう)の家、即ち、(おさ)(やかた)に移ってから(しばら)くは、修一は泣き通しだった。


 (なつ)だけでも修一について来てくれたら、と思ったが、(なつ)は、(よし)の乳母になってしまったから其れは叶わなかった。


 修一は、重蔵は大好きでも、やはり(よし)が許せなくて、泣いた。




 (おさ)(やかた)には、巫女が十人居た。

 瀬原集落(せばるしゅうらく)は、『苗の神教(ナエンカンきょう)』という宗教を信仰する者達で構成された百二十戸程の狭い土地で、其の信仰(ゆえ)に、なるべく外界と接触を絶ち、隠れ里として存在しており、地図にも載らない。


 巫女とは其の『苗の神教(ナエンカンきょう)』の巫女なのだった。

 何故か顔も名前も全く思い出せないが、皆白い着物を着ていた。


 上は四十路くらいから、下は数えで十四の年の女の人達で、『(かみ)』は『(かみ)』に通じるとして、伸ばす決まりらしく、皆とても髪が長かった。


 (かいこ)を飼ったり、(はた)を織ったりと、よく働く人達だったが、(くりや)には立たなかった。

 水垢離(みずごり)と桑畑に出る以外で(ほとん)ど外に出ない、否、出てはならない、色の白い人達だった。


 巫女達は、とても修一に優しかった。

 修一は其れが嬉しかった。


 一番若い、数えで十四の巫女は愛らしく、修一の御気に入りだった。

 本当に長い、美しい黒髪だった。

 幼い修一が髪を触っても、其の巫女は怒らなかった。

 本当は男の人が巫女に触ってはいけないが、修一は重蔵の息子なので特別だ、と、笑って言われた。

 修一は、(おさ)とは、そういった特別な存在らしい、と思った。




 巫女達には、何処か俗世とは浮いた雰囲気が漂っていた。

 其れは幼い修一にも感じられた。

 子供を産み育てる、とか、其れについての悲喜交々(ひきこもごも)に振り回される、とか、そんな事とは無縁の女性達の(よう)に、修一には思えたのだった。

 富久(ふく)(なつ)とは何かが違う人達だという事が、幼い修一にも分かった。

 整った、調度品も少ない、ともすれば殺風景とも思える(よう)な場所で、皆同じ白い着物を着て、何時(いつ)も穏やかに微笑んで暮らしていた。


 巫女とは(とこ)処女(おとめ)で、十人の巫女は誰も伴侶が居ない、と、キチンと教えられたのは、引き取られて(しばら)くしてからだった。

 巫女達の事は好きだったが、彼女達が如何(どう)して巫女になったのか、という経緯(けいい)が修一には謎で、富久(ふく)達とは全く違う生き方を選んだ理由が分らず、時折、巫女達の整った穏やかな様子に、何故か世の無常を拒む(よう)な、寂しい感じを覚えた。




 其の(よう)にして過ごしていると、生まれて一ヶ月程経過した(よし)が、(みさお)夫妻や(なつ)と共に(おさ)(やかた)にやって来た。

 其の(よう)にして(おさ)(やかた)に参じる事を、里では何故か『宮参り』と呼ぶのである。

 (みや)、と言っても集落の中に神社が在るわけでは無い。

 単に、重蔵が祈祷をしてくれるだけである。

 此の里では、冠婚葬祭、寺や神社で通常遣る事の全てを、重蔵が執り行い、農作業の指揮を取っていた。


 久しぶりに見た(よし)は、肌が彼方此方(あちこち)赤く(ただ)れていて、湿疹(しっしん)が頭皮にまで広がり、産毛が全部抜けてしまっていた。

 酷く肌が弱いのだそうである。

 やっぱり猿だ、と修一は思った。




 重蔵は、(よし)の儀式を終え、(みさお)達が帰った後、珍しく、修一を館の外に連れ出してくれた。


(よし)が嫌いか?」

 重蔵はニヤニヤしながら、そう言った。


 重蔵に手を引かれながら、修一は、勿論、と言った。


 そんな事を口にすると大抵叱られるが、構わない、と修一は思った。


 しかし、予想に反して、重蔵は、其れが良い、と言ってケラケラ笑った。

 修一は、そんなに笑う重蔵は珍しいな、と思った。


「嫌いで丁度良い。好きになったら大変だ」

「え?」

「地獄だぞ」


 重蔵の明るい言い方に反して、其の口から出た内容が怖かったので、修一は、そんな怖い事を重蔵に言わせるなら、やっぱり、あの(さる)()らんわ、と思った。


 だから、思った(まま)を言った。

「好きになんかならない。ずっと嫌いだ、あんな猿」


 重蔵は、其れを聞いて、益々(ますます)笑って言った。


女の子(オナゴンコ)はなぁ、男の子(オトコンコ)より大人になるのが早い。二、三年の差なら()ぐ追い付かれる。油断していると、花が咲いたみたいに綺麗になって、気付いた時には遅いのだ」


 何が遅いのだろう、と修一は思ったが、明るい声の重蔵が、少し(つら)そうな顔をしていたので、詳しく聞けなかった。


 手を繋いでいる重蔵と修一の間を、そっと春風が通り抜けていく。

 桜は()うに終わってしまった。


 修一は、(よし)神立て(カンタテ)をした日から、重蔵と御揃いの白装束しか着ていない。

 行事としての花見すらした事も無い修一は、今年は桜の花の一輪すら見損ねていて、着ている物にも彩り一つ無く、何も春らしい感じはしなかった。

 其れだけは、何だか味気なく感じたので、大人になったら色物を着てやろう、と、朧気(おぼろげ)に思った。


「儂にも妹の(よう)な子が一人居た」

 重蔵が、黒っぽい木の前で立ち止まって、そう言った。


 其の場所が禁足地(きんそくち)だと知ったのは後になってからの事だった。

 重蔵は此の時、修一だけに、秘密の場所を教えてくれたのだが、其の意味を知る事になったのも、随分後の事だった。


「妹の(よう)な子?」


 修一の問いに、重蔵は、そうだ、と言った。


「最初は、皆が其の子をチヤホヤするもので、大嫌いだったが。本当に、ある日突然、綺麗になりよった。こんな風に」


 重蔵が、修一の手を離し、黒っぽい木を指差した。

 幹が(たわ)んで、枝が地面近くまで垂れている木だった。


 重蔵は、何事かを呟いた。

「もろともに、(あは)れと思へ山桜。花よりほかに、知る人もなし」


 修一は、重蔵は、また何か綺麗な事を言っているな、と感心した。


 山桜?と言って、修一が木を見ると、黒っぽい木の枝に、(たちま)ち、サァッと白い花が咲いた。

 そして、赤茶色っぽい小さな葉。

 あまりにも綺麗だったので、修一は山桜の花に手を伸ばした。

 桜は終わったのではなかったか、と修一が思った途端、花は、サァッと、溶ける(よう)に消えてしまった。


 此れが術かと、修一は再び感心した。

 修一も(みさお)に習っているが、こんなに上手くは出来ない。


 花が見えたか?と、重蔵が優しく言ったので、修一は頷いた。


「こんな風に、パッと咲いて。パッと、あっという間に手の届かない所へ行ってしまう。女の子(オナゴンコ)というのは厄介だぞ」


「重蔵、寂しそうだな」


 修一が、重蔵の顔を見上げて、そう言うと、重蔵は笑った。


「修は(ヨメジョ)でも貰え」


(ヨメジョ)が居たら寂しくないのか?重蔵の(ヨメジョ)は?」


「四十路前になった頃から、考えん(よう)になってしまった。まぁ、年は関係ない。誰と添うかという話だな」


 重蔵は其処で言葉を切った。

 修一には意味が分からなかった。


 取り敢えず、重蔵は嫁を貰う気は無いという事らしい、と思ったのは覚えている。


 (おさ)は生涯独身の決まりで、重蔵は、修一以降は嫁を取れるようにして、(おさ)を世襲制にせよと遺言していた事を知ったのは、かなり後になってからの事である。


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