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山桜 『瀬原集落聞書』  作者: 櫨山奈績
瀬原修一
2/8

神立て

 全てが変わったのは、明治四十五年の三月十九日、富久(ふく)が、三度目の正直で、娘を出産した日からである。


 其の日から、(みさお)富久(ふく)(なつ)も、全部、其の娘のものになった。


 其の娘を養育する事になるから、と、修一は、重蔵に、坂元本家から(おさ)の館に移される事になった。

 如何(どう)やら、修一は一時的に坂元本家に預けられていただけだったらしい事を、修一は其の時知った。


 修一は晴れて、大好きな重蔵と暮らす事になった。

 だが、修一は、其れなのに、腹が立って仕方が無かった。

 富久(ふく)が突然産気付いてから登場した、真っ赤な猿の(よう)な存在が、修一の今までの全部を奪った(よう)に感じた。

 修一が叩いてやろうとすると、絶対に(なつ)に見付かって、一度も成功しなかった。

 修一は、とても悔しかった。




 修一の住む、()(ばる)(しゅう)(らく)という里は、上下、つまり北と南の二つの地域に分かれている。


 其々(それぞれ)上方限(カミホーギリ)下方限(シモホーギリ)と呼ばれている。


 操達の住む上方限(カミホーギリ)では、子が生まれて七日目に、神立て(カンタテ)という行事を行う。

 下方限(シモホーギリ)では行わない。

 出産の祝いに招かれた客が、其の家の家族と共に、其々(それぞれ)(ふだ)に、赤子に付けたい名前を書く。

 其の札を引いて、出た名前を、生まれた子に付ける。

 そうやって、新しく生まれた子供の名前を決める行事なのである。

 神に御伺いを立てる、くらいの意味の名称なのだろう。

 新しく生まれた子の神立て(カンタテ)が終わったら、修一は、其の足で重蔵の家に行く事になっていた。


 だから其の日、正装で白装束を着せられていた。


 行事に出るのにも、(おさ)の家に行くにも正装、という事だったのだろう。


 修一は、重蔵の家に行くのは嫌では無かったが、生まれたばかりの赤ん坊に追い出される(よう)な気がして、其れが気に入らなかった。

 もう記憶も朧気(おぼろげ)だが、とても腹が立っていた事は覚えている。


 いざ神立て(カンタテ)、となって、客が来たが、とても少なかった。


 重蔵と、操の叔父の正雄(まさお)、操の弟の(ます)()と、操の従弟の(ただす)、と、四人来たきりだった。


 しかし修一は、坂元本家の中で、(ほとん)ど人目に晒されない(よう)にして育てられていたので、客が同時に四人来ただけでも非常に驚いたのを覚えている。


 全員、正装の白装束だった。


 正雄は酷く老いていて、増雄と(ただす)に、(ほとん)ど両脇から抱えられる(よう)にして来た。

 実際、其れから暫くして亡くなったという。

 明治も終わろうかという時に、()だ総白髪を丁髷(ちょんまげ)にしていたので、修一は、正雄の姿を珍しいものと感じた。


 増雄は色白で、顔立ちは操に割と似ていたが、其れでも、威厳が有るというよりは、妙に人が好さそうに見えた。操は、増雄には、とても優しくて、弟に対してなのに、『増雄さん』と、優しく呼び掛けていた。


 正雄と増雄は、修一にも微笑みかけてくれた。

 正雄は、皺のせいで、目が何処に在るのか、と思う具合に年老いていたが、増雄は、艶の有る黒髪を綺麗に撫で付けていて、とても上品に見えた。

 二人共、操と同じく五尺八寸の身丈で、其の年代の人間にしては(えら)く背が高かった。


 (ただす)という人は堂々とした六尺の人で、幼い修一から見ても、ハッとする程の美しい顔立ちをしていたが、重蔵をギロリと睨み付けていたので、修一は、とても怖かった。

 何処と無く操に似ていない事も無い、とは思ったが、美しく整っている、という点に於いては(ただす)の方が格段に上で、しかも、操より相当厳しい表情をしていた。


 後から聞いた話だが、癇性とはいかないまでも、風呂を沸かせない日でも、御湯を沸かして髪や体を洗って身嗜みを整える程の綺麗好きで、使った物も定位置に戻さなければ気が済まない人なのだという。


 道理で、一部の隙も無く、何処(どこ)彼処(かしこ)も整っていたわけだ、と、幼い日の修一は納得したものである。


 そんな怖い顔の(ただす)に対して、重蔵は、操や増雄に対するのと同じ様に、砕けた、何処か少し甘えた態度を取ったので、修一は不思議に思った。


 神立て(カンタテ)は、増雄の書いた札が当たって、操の娘は、(よし)と名付けられた。

 増雄の息子の吉雄(よしお)から音を取ったのだという。

 富久(ふく)から一字取った『(よし)』の音が『(よし)』に通じるのが、縁起が良いと言って、操は其の名を大層気に入り、とても円満な祝いの席になったが、修一は札を書かせてもらえなかったので、全く面白くない気持ちで、(なつ)の膝の上から、富久(ふく)に抱かれた(よし)を見た。

 既に字は書けたが、確かに、今思うと、四月二日で満三歳だったのだから、書けたと言っても、とても下手だったし、名前を付けるという行為自体も全く理解していなかったから、当然と言えば当然だったのだが。

 しかし、普段は、数えで四つにしては凄いと褒められるのに、と思うと、幼心に、自分だけ字を書かせてもらえない事について納得がいかなかったのだ。


 修一の不満だけを残して、行事はアッサリと終わった。


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