修一
『瀬原集落聞書』シリーズ全体の解答編に近いものになると思います。江戸末期の話も書いてみたいのですが、資料が膨大過ぎて纏めきれておりませんので、一旦、大正末期を舞台にしたところの話を書いてみたいと思います。御付き合い頂ければ幸いです。
修一が、父の瀬原重蔵と暮らし始めたのは、数えで四つの時である。
修一は其れまで、坂元本家、という家で、本家当主の操、其の妻の富久、乳母の捺に育てられていた。
父の重蔵は独り身であったので、修一は、縁の有る坂元本家に預けられたらしい。
重蔵は時々、修一に会いに来てくれた。
修一は、重蔵の膝に乗って、坂元本家の囲炉裏端で、二人きりで話をするのが好きだった。
操と富久は、重蔵と修一には、とても丁寧に対応してくれていた。
修一は、富久が自分の本当の母親だったら良いのに、と思っていた。
綺麗で、とても優しかったからである。
一方、操は、とても丁寧な態度で接してはくれるものの、そう甘やかさずに育てる人だった。
怖い、とまではいかなくとも、何だか威厳を感じる人で、修一は、あまり上手く操に甘えられなかった。
未だに、数えで四歳まで育ててもらったというのに、何処か他人行儀である。
反面、重蔵は、とても修一に甘かった。
修一は何処かからか拾われてきた、という話だったから、重蔵とて、修一の本当の親ではなかったのであるが、修一は、とても重蔵が好きだった。
親というよりは友達の様に思っていたのは事実であるが、重蔵の事は、操より好きだった。
継ぎ接ぎの様ではあっても、一通りの愛情を注がれて育った心算ではいる修一だったが、其れでも、自分には本当の親が居ない、という、此の、物心ついた時から決まってしまっている事柄を理解するのは辛かった。
操や富久、捺と暮らしているというのに、重蔵が居なくなってしまったら、此の世に自分は一人ぼっちになってしまうのではないか、という、漠然とした不安が、幼いながらも、修一の頭の片隅には何時も在った。
「重蔵、今日は寒かったね」
修一が何か言うと、重蔵は何時も微笑んだ。
「重蔵、今日は暑いね」
「重蔵、今日は遅かったね」
「御話して、重蔵」
重蔵は何時も、そうだなぁ、と言って、胡坐を掻いた膝の上に、修一を乗せてくれた。
重蔵は里の長で、里で一番偉い。
だから本当は、こんな風に、友達の様に接してはいけないのだと操は言ったのであるが、重蔵は構わないと言った。
「長と呼ばれるのも堅苦しい。修だけでも、儂を名前で呼んでおくれ」
重蔵は何時も白い装束を着ていて、とても髪が長かった。
伸ばし過ぎているからか、背中を隠す程長い黒髪は、途中、所々波打ってしまっていた。
祈祷師なので、其の方が、箔が付くのだと重蔵は言う。
演出、という事なのかもしれないが、修一には当時、意味が分からなかった。
重蔵は、作り物の様な繊細な顔立ちをしていて、何時も何処かに消えてしまいそうに儚く見えた。
重蔵は、他の人の前では威厳の有る態度を崩さないが、操と修一の前では、砕けた態度を取る事が有った。
特に、修一には、何時も寂しそうに笑って、何か綺麗な事を言った。
重蔵は強い振りをして居る、と、幼いながらに修一は嗅ぎ付けていた。
だから、本当は弱いのを隠している重蔵が、名前で呼んでほしい、と言うのであれば、例え操に咎められても、修一は、重蔵を呼び捨てにせねばならない、と思っていた。
「重蔵は如何して俺を拾ったの?」
「拾ったのは儂ではないが。修が如何しても欲しかったから貰ってしまった」
許せ、と重蔵は言った。そうなのか、と修一は思った。
許せと言われた意味は結局、今になっても分かっていない。
だが、多分、重蔵は、一人ぼっちだったから、同じ、一人ぼっちの修一が欲しかったのだろう、と解釈した。
其れは其れで構わない、と修一は思った。
きっと修一も、重蔵が居ないと里で一人ぼっちだと思ったからだ。
修一は当時、とても富久に好かれたかった。
しかし、富久は優しかったが、具合が悪そうにしている事が多く、修一は気兼ねして、なかなかベッタリと甘える事が出来なかった。
子が二度流れたからだと聞いたが、修一には意味が殆ど分からなかった。
乳母の捺の事は、修一は、無条件で好きだった。
乳離れをする様に操から叱られても、コッソリ乳を飲ませてくれた。
乳が止まらない様に、こうしているのです、と言ってくれたが、修一には、其れも意味が分からなかった。
実際、修一に乳を遣るようになるまで、捺は近所の子に乳を遣って、乳を止めない様にしていた、と聞いたのは、随分後になってからである。
自分の子が二人亡くなってしまった人だと聞いたのは、其の更に後だった。
時々、寂しくて、修一は、古風な丸髷を結った捺の、剥き出しになった首筋や、鎖骨と乳首の真ん中辺りを吸った。
人肌は暖かくて好きだった。
今にして思えば、捺は薄幸そうな顔立ちの女性で、其れ程美人とは言えないが、修一は、捺の素朴な容姿に安心していた。
修一は、捺に容姿才能を誉めそやされて育った。
坂元本家の屋敷に住んでいる事自体は、修一には不幸ではなかった。