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山桜 『瀬原集落聞書』  作者: 櫨山奈績
瀬原修一
1/8

修一

 『瀬原集落聞書』シリーズ全体の解答編に近いものになると思います。江戸末期の話も書いてみたいのですが、資料が膨大過ぎて纏めきれておりませんので、一旦、大正末期を舞台にしたところの話を書いてみたいと思います。御付き合い頂ければ幸いです。

 修一(しゅういち)が、父の()原重蔵(ばるじゅうぞう)と暮らし始めたのは、数えで四つの時である。


 修一は其れまで、坂元本家(さかもとほんけ)、という家で、本家当主の(みさお)、其の妻の富久(ふく)、乳母の(なつ)に育てられていた。

 父の重蔵は独り身であったので、修一は、縁の有る坂元本家に預けられたらしい。




 重蔵は時々、修一に会いに来てくれた。

 修一は、重蔵の膝に乗って、坂元本家の囲炉裏端で、二人きりで話をするのが好きだった。


 操と富久は、重蔵と修一には、とても丁寧に対応してくれていた。


 修一は、富久が自分の本当の母親だったら良いのに、と思っていた。

 綺麗で、とても優しかったからである。


 一方、操は、とても丁寧な態度で接してはくれるものの、そう甘やかさずに育てる人だった。

 怖い、とまではいかなくとも、何だか威厳を感じる人で、修一は、あまり上手く操に甘えられなかった。

 (いま)だに、数えで四歳まで育ててもらったというのに、何処か他人行儀である。


 反面、重蔵は、とても修一に甘かった。

 修一は何処かからか拾われてきた、という話だったから、重蔵とて、修一の本当の親ではなかったのであるが、修一は、とても重蔵が好きだった。

 親というよりは友達の(よう)に思っていたのは事実であるが、重蔵の事は、操より好きだった。


 ()()ぎの(よう)ではあっても、一通りの愛情を注がれて育った心算(つもり)ではいる修一だったが、其れでも、自分には本当の親が居ない、という、此の、物心ついた時から決まってしまっている事柄を理解するのは(つら)かった。


 操や富久、捺と暮らしているというのに、重蔵が居なくなってしまったら、此の世に自分は一人ぼっちになってしまうのではないか、という、漠然とした不安が、幼いながらも、修一の頭の片隅には何時(いつ)も在った。


「重蔵、今日は寒かったね」

 修一が何か言うと、重蔵は何時(いつ)も微笑んだ。


「重蔵、今日は暑いね」

「重蔵、今日は遅かったね」

「御話して、重蔵」


 重蔵は何時(いつ)も、そうだなぁ、と言って、胡坐を掻いた膝の上に、修一を乗せてくれた。


 重蔵は里の(おさ)で、里で一番偉い。

 だから本当は、こんな風に、友達の(よう)に接してはいけないのだと操は言ったのであるが、重蔵は構わないと言った。


(おさ)と呼ばれるのも堅苦しい。(しゅう)だけでも、儂を名前で呼んでおくれ」


 重蔵は何時(いつ)も白い装束を着ていて、とても髪が長かった。

 伸ばし過ぎているからか、背中を隠す程長い黒髪は、途中、所々波打ってしまっていた。

 祈祷師(ウセンシ)なので、其の方が、箔が付くのだと重蔵は言う。

 演出、という事なのかもしれないが、修一には当時、意味が分からなかった。


 重蔵は、作り物の(よう)な繊細な顔立ちをしていて、何時(いつ)も何処かに消えてしまいそうに儚く見えた。


 重蔵は、他の人の前では威厳の有る態度を崩さないが、操と修一の前では、砕けた態度を取る事が有った。

 特に、修一には、何時(いつ)も寂しそうに笑って、何か綺麗な事を言った。

 重蔵は強い振りをして居る、と、幼いながらに修一は嗅ぎ付けていた。

 だから、本当は弱いのを隠している重蔵が、名前で呼んでほしい、と言うのであれば、例え操に(とが)められても、修一は、重蔵を呼び捨てにせねばならない、と思っていた。


「重蔵は如何(どう)して俺を拾ったの?」

「拾ったのは儂ではないが。修が如何(どう)しても欲しかったから貰ってしまった」


 許せ、と重蔵は言った。そうなのか、と修一は思った。

 許せと言われた意味は結局、今になっても分かっていない。


 だが、多分、重蔵は、一人ぼっちだったから、同じ、一人ぼっちの修一が欲しかったのだろう、と解釈した。

 其れは其れで構わない、と修一は思った。

 きっと修一も、重蔵が居ないと里で一人ぼっちだと思ったからだ。




 修一は当時、とても富久(ふく)に好かれたかった。

 しかし、富久(ふく)は優しかったが、具合が悪そうにしている事が多く、修一は気兼ねして、なかなかベッタリと甘える事が出来なかった。

 子が二度流れたからだと聞いたが、修一には意味が(ほとん)ど分からなかった。




 乳母の(なつ)の事は、修一は、無条件で好きだった。

 乳離れをする(よう)に操から叱られても、コッソリ乳を飲ませてくれた。

 乳が止まらない(よう)に、こうしているのです、と言ってくれたが、修一には、其れも意味が分からなかった。

 実際、修一に乳を遣るようになるまで、(なつ)は近所の子に乳を遣って、乳を止めない(よう)にしていた、と聞いたのは、随分後になってからである。

 自分の子が二人亡くなってしまった人だと聞いたのは、其の更に後だった。


 時々、寂しくて、修一は、古風な丸髷(まつまげ)を結った(なつ)の、剥き出しになった首筋や、鎖骨と乳首の真ん中辺りを吸った。

 人肌は暖かくて好きだった。

 今にして思えば、(なつ)は薄幸そうな顔立ちの女性で、其れ程美人とは言えないが、修一は、(なつ)の素朴な容姿に安心していた。


 修一は、(なつ)に容姿才能を誉めそやされて育った。

 坂元本家の屋敷に住んでいる事自体は、修一には不幸ではなかった。


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