7 魔王、侵入する
いつかの夜
【魔王、侵入する】
夜更け、聖女の寝室のドアが音もなく開けられた。いや違う。音を殺したのだ 。文字通りに。
寝室に滑り込んだ魔王は、そのまま聖女が寝ている寝台に近付いた。
なぜだか無性に寝顔が見てみたくなって、部屋へ入ったが、聖女が気が付いたらどうなるのだろう。
思いついた疑問に口角を上げる。
悲鳴を上げて罵りながら、枕を投げてくるだろうか。
それとも、初めて会った時のように、まず固まるだろうか。
夜の闇など意味を為さない魔王の目には、はっきりと眠る聖女を捉える事が出来る。
柔らかな掛け布の中、聖女は静かに眠っていた。
小さな可愛らしい聖女様。
肌理の細かい上等なバターのような色をした肌は柔らかく、重みのある茶色の髪は染めているらしい。こちらの国の平均的な女性よりは全体的に小柄で、凹凸の少ない顔立ちは幼く見える。
だが、焦げ茶色の虹彩に黒い瞳は、とても知性的だ。
本来は口汚く罵ったり、腹が立ったからといって相手を踏みつけるような女性では無いのだろうことは、魔王にもわかっている。
ただあの時は、異常事態に混乱してしまっただけで。
いつも我儘を言うが、それは結局、変えられた環境が不便なことへの不満なだけだ。
喚び出した者の責務としてその不満をどうにか魔術で解決していくと誓ったのだが、幸か不幸か、魔王にはそれがすこぶる楽しい。自分の能力が上がったことと、聖女の発想のあり方が自分とは違うせいで、従来よりも一歩踏み込んだ物が出来る。
新たなものを作り出す度に、存在すら知らなかった世界の仕組みの裾に触れることが出来るのだ。
魔術師の本懐とも言える。
彼は、このように心が踊る体験を今まで知らなかった。
……きっと私ほど、自らの望みを叶えた魔王はいないだろう。
この世界に聖女を縛り付けている癖に、もう少し、もう少しと願ってしまうのは、罪深く、欲深い存在になったせいか。
そして、うかつにも聖女は、そんな魔王にたやすく蜜を与えてしまうのだ。
何度も、何度も。
正直で、短気で、流されやすくて、妙に義理堅く、そして賢い聖女様。
そっと柔らかな頬に触れかけて、――止めた。
夫婦となっても、二人の関係は白いままだ。
唇さえ許されていない。
いや、乞うてもいない。
人でなくなった自分と、聖女ではあるが人である彼女と、――願うのは筋違いだ。
そもそも彼女には想い人がいたと、最初に聞かされた。初めて食事を共にする筈だった、と。
指先を肌に触れない距離で滑らせた。すっと首で指を止める。
この指で、聖女のその頼りない首を絞めたら、すぐ事切れてしまうだろう。
魔王は手を離し、目を細めた。
聖女は眠る。
何も知らずに。
無力な聖女様。
その時が来たら、貴女はほんとうに私を殺してくださいますか?
――それとも……
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