6 聖女、提案してみる
【聖女、提案してみる】
聖女の日常といえば、特にやることも無く、何か出来るわけでも無いので、日々魔王を踏みながら、開発の進捗状況とその成果を聞き出し記録していた。
開発にかかった金額と国に登録し、それに対し支払われる使用料などをまとめている。パソコンと表計算ソフトが欲しいが、無理なので、辛うじて存在した算盤を使っている。
中々に黒字で、見ていて楽しい。心底、視覚的に様々なグラフを使って右肩上がりを眺めて堪能したい。
自分の給与と貯蓄では、なし得ない有様に、興奮してしまう。
これを見る限り、魔王は決して甲斐性無しでは無い。
人格的・性癖的にアレだが、財産を差し出す発言をするだけはある。
開発能力もかなり高く、聖女が上げる不満をその都度ほぼ潰していっていると言って良い。それで派生し出来た術もある事から、かなりの数の開発をこなし、登録件数は増えていくばかりだ。
流石に知識欲に負けて人間を辞めただけはある、と聖女は感心している。
そして、最近聖女は気づいてしまった。
自分が不便なことを魔王に訴え、それをなんとか解消してもらっているこの状況は、アレと似てるのでは無いか、と思い始めたのだ。
聖女はメガネをかけていないし、赤点を取ったことはほとんど無い。魔王も青くない。だが、この状況は似ているのでは無いか、いや、でもわたしが帰れないし、わたしが来てるのだから違うのでは………?
考えにふけっていたら、足元から声がした。
「何かお悩みですか?」
「?」
「そのような気がいたしましたので」
「え、そうなの? そんなわかりやすいかな」
「まぁ、日に何度も踏まれておりますと、こう、少しずつ……」
「!!」
瞬時に聖女は足をどけた。
なんなんだ、この気持ち悪いコミュニケーションは。
ていうか、いつから踏む行為はコミュニケーションになったのか。
聖女はじっと足元の魔王を見た。
「そういえば」
「はい」
「変化の魔術とかあるの?」
「変化、ですか?」
「ええ。こう別の生物になるとか」
「人間から魔王になりましたが」
「あんたの場合は変化じゃなくて変質でしょ。一方通行で戻れないんでしょ」
「そうですね」
「そうじゃなくて、こう一時的に動物の姿になるとか」
「ああ、そういう……お伽噺で出てくるような」
「こちらのお伽噺を知らないから、どんなものかわからないけど……。そういう魔法は無いの?」
「認識を誤変換させる魔術はありますが……対象自体の姿形を変えるのですよね?」
「そうなるかな」
「聖女様は何がお好みですか?」
「うーん、猫かな? 青い色の」
「青とは……聖女様の世界にはそういう猫がいらっしゃる?」
「いないいない。それこそお伽噺で出てくるのよ。その猫が困った男の子を助けてくれるの」
「なるほど。わかりました。……少々お待ち下さい。文献に覚えがあります」
そう言って、魔王が消えた。
こうなると、魔王は周りが見えなくなることも多々あるので、聖女は一人でおやつを食べることにした。
本日は使用人がオススメの店のアップルパイである。役人を呼ぶ度にチェリーパイを買って来て欲しいと頼むので、聖女がパイが好きだと思われている。好きだけど。
こちらの国は、日本よりも圧倒的に小麦と乳製品の味が良い。鼻に抜けるバターの香りの濃厚さ、林檎の甘煮の歯ざわり、素晴らしい出来だ。
聖女がおやつのアップルパイを食べ終わって、紅茶のおかわりを飲み干した頃、魔王が帰ってきた。
「やはりありました」
魔王によると、隠密行動用に開発された魔術らしいが、様々な制限がかかるために実配備には至らなかったらしい。
「今、試してみても?」
魔王が訊ねたので、聖女は頷いた。押さえきれないわくわくした気持ちで、魔王を見つめる。
ところが……
魔王は空中に光る手のひら大の魔法陣を創ると、すっ、と指先でその魔法陣を聖女の方に押し出した。
「え?」
驚いた次の瞬間、がくん、と聖女の視線が低くなった。
どうして両手まで床に付いているの……? え? 猫の……
「に?(は?)」
……聖女が、猫にされていた。
「みゃーーーーーーーーっ!!!!!!(なにこれーーーーーーっ!!!!!!」
猫になった聖女はキョロキョロと周りを見回し、そこにあった全てが迫るように巨大となったことを確認し、改めて自分を見下ろす。
…………青かった。
毛並みが青かった。少し深いくらいの青色で、四足の先は白い。白足袋ちゃんである。聖女にはわからないが、顔の中心も白くハチワレでもある。
勿論、長い尻尾も付いている。びっくりしているので、本来細いであろう青い尻尾はパンパンに膨れていた。
ふわり、と聖女に影が落ちた。
ぬっと巨大な手が伸びてきた、と思ったら聖女は魔王に抱き上げられていた。あまりに簡単に持ち上げられてしまって、聖女が固まる。
「なんとお可愛らしい」
ニコニコと魔王は聖女を覗き込んだ。
「ミギャー(どういうことよ、これ)!!」
フリーズから復帰し、聖女は怒りに任せて顔を爪を出したまま踏みつける。だが体重が軽く猫の短い後ろ足では、思ったほど打撃が加えられない。衝撃を吸収する肉球が憎い。
じたじたする猫の可愛らしい様子に魔王は頬ずりした。
「よほどお気に召したらしい」
「なー!!!!(な、わけあるか!!!!)」
ざしゅっ、ざしゅっ!
「フーーーーーッ!!!!」
聖女は爪を出して魔王を引っ掻いた。
だが、皮膚も人で無しレベルに頑丈となった魔王にはまるでダメージが無い(むしろ爪がかわいいな、とか思っている)。
やがて、あまりの手応えの無さに怒り狂った聖女は、頭に噛みつくと、髪をむしり始めた。
「みーぃぃぃぎゃぁぁぁーー!(禿げてしまえーーっ!!)」
ブチブチと抜かれる毛髪に、魔王も流石に聖女が怒っていると解ったので、解術した。
人間に戻った聖女は激怒していた。
魔王を正座させると、ムカつくツヤツヤの旋毛に踵をめり込ませる。
「あ・ん・た・が!! 猫になるの!! わたしじゃないの!!」
「え? 困った男の子を助ける猫なのでしょう?」
「だ・れ・が!!!! 困った男の子だ! 厚かましいこと言ってんじゃないわよ!!!! 腐れ魔術師が!!」
「腐ったわけじゃなく、闇に……」
「厨二病は黙ってろ!!」
怒り狂った聖女はいつもより三割増しくらいの勢いでグリグリと魔王を踏んだ。
「あ、これは凄い……」とか魔王がつぶやくので、鳥肌を立てながらブチ切れ、思わず蹴飛ばしてしまった。
…………
聖女の恐慌が収まるのを待ち、至極真っ当なことを魔王が言った。
「私が猫になったらどうやって戻すのですか?」
某所で実配備に至らなかったのは、自分で戻れないからだった、と魔王が言う。あのままでは機動性は上がるが、安全性が極めて低い。
「……確かに。自分で戻る方法を考えてから試した方がいいわね」
当然の指摘に、悔し紛れに思わずぎろり、と魔王を睨んでから、聖女は頷く。
聖女のつぶやきを拾った魔王も視線を外した。頭の中には高速で幾つかの魔法陣が浮かんでは消える。
「自分で戻る、ですか……そうなると、今かけられている魔術をなかった事にする、か……」
ふむ、と聖女が思案する。
「そう定義すると、様々な方向に汎用性がありそうよね。それに猫の姿でも術が使えるように簡易なものを作るか、そもそもの術に時間とか条件とかの制限を持たせるか……」
聖女が言えば、魔王がうっとりと彼女を見つめ、手を取った。
「ほんとうに貴女は素晴らしい。――今すぐ取り掛かりましょう」
魔王は聖女の手に口づけを落とすと身を翻し、早速、机の上の紙に幾つもの魔法陣を書き始める。
聖女はそれを眺めて、また始まったよ、と、テーブルの茶器を片付け始めた。
「夕飯の時間には、一旦やめなさいよー」
と声をかけて、茶器の乗ったトレイを持って部屋を出た。
……帰還への道のりがまた遠のいたことに、聖女はまだ気がついていない。
お読みくださりありがとうございました。