3 聖女、気付く
【聖女、気付く】
いきなりの求婚に驚愕し、言葉を無くした聖女だが、混乱から復帰すると、そんな事はできないと突っぱねた。
「なんで、殺す予定のあんたと結婚しなくちゃいけないのよ!」
「ですが、聖女様……」
魔王は聖女が自分の財産を自由に使うには、結婚し妻となる必要がある、と説いた。聖女には自分の財産を使い潰す権利がある、とまで主張する。更に妻となれば、この国の魔術師である自分の妻として登録され、身分が保証され様々な恩恵を得られると言われる。
実際、自分が寄る辺のない身であることに大きな不安を抱えていた聖女は、ぐらり、とその提案に傾いた。
それを敏感に察知した魔王は辛抱強く説得を続け、日々の精神的疲労に正常な判断が出来るとは言えなくなっていた聖女は、ついに頷いてしまったのだ。
「勿論妻の責務がどうとは申すつもりもありせんし、どうせ聖女様はお帰りになるのでしょう? 異世界の婚姻歴などあちらに帰れば無効になるのでは?」
という言葉によって。
確かに、そうかも知れない……と言ったが最後、その後は速かった。
魔王は善は急げと、結婚の手続きの為に魔法書記官である役人を呼び寄せた。
魔法が発達したこの世界では、国家への申請にも魔法が使われ、その申請に関わる専門職が魔法書記官である。この魔法書記官がいれば、何処ででも大概の登録申請が出来るのだという。
歩く受付窓口か、と聖女は感心した。
連絡を取った役人は昔馴染みであり、開発した魔術の特許出願等でよく出向いてもらうのだと、魔王は言った。
「ただ優秀ではありますが、口うるさい人間ではあります」と添えて。
その呼び出された役人と言えば、知り合いの魔術師から一切の説明もなく『とにかく婚姻届を準備して我が家に来い』と連絡を受け取った。
かの魔術師は今まで何度も国を揺るがしかねない魔術を開発・申請してきたので、上司からもくれぐれも連絡があった場合は、何よりも優先して動けと言われている。
魔術師というのは優秀さに比例して、人間的な何かがずれている人種であるというのが、役人の持論である。
今回も何かヤバいものを作って急遽婚姻しなくてはいけなくなるような失敗したのか、単純に変な女に捕まったのか……嫌な予感しかしなかったが、言われた通りの婚姻届と、念の為特許出願書類を何組か用意し、魔術師の家へと向かった。
――結果、予想以上にヤバい状況だった。
事もあろうに、魔術師は伝説の魔王になっていたという。ある夜、魔王になってしまったが、どうやら自分には耐えられそうにない。このままでは何をしでかすかわからない、それは許されない、と魔王は言う。
そこで自分を滅ぼすために聖女を召喚したが、聖女を帰すことを考えてなかったため、しばらく滅びるのを保留し、まず聖女の帰還魔術を開発することにした。
開発が完了するまでの聖女の生活への不安を払拭するために、(国家にはそう登録されているため)魔術師である自分と婚姻し、身分を与えたいという。遺産の相続を円滑に行うために遺書も用意するから、その手続きも引き続きしてもらいたい、と魔王は言った。
ど、何処から突っ込んでいいいかわからない……。
「ていうか、魔王になったんなら、すぐ報告しろよ!!」
ホウレンソウ大事!! 役人が吠える。
「何故?」
魔王は首を傾げる。
「何故って……」
自分でもわからない怒りに震える役人に向かって、魔王は言った。
「報告義務などあったか?」
――確かに『自分が魔王となった』ということを報告する義務はない。一応魔王も確認したが、この国が定める魔術師の規定には無かった。
義務が有れば報告するが、無ければ報告はしない。自分で対処できることは自分でしてしまう。それが魔術師という存在である。
というか、五百年前に一度あったらしい『誰かが魔王になる』という非常事態に対応した法を整備しようと考えた為政者は皆無であった。
そもそも、魔王という存在に倫理観を求める方が筋違いである。
役人は頭痛がしてきた頭を押さえながら、それならば何故この事が明るみに出なかったのか問うた。
魔王は、ふむ、と顎に手を添えた。
魔王の推測はこうである。
闇の力を受け入れた後から聖女を喚び出すまでは、その力が外に漏れるのをなんとか自力で抑えていたし、聖女が現れてからは踏んで貰って都度消滅させて来たので、日常生活が送れていたという。
魔王は魔術開発に忙しく研究室に籠もっていたし、聖女も訳のわからない異世界を歩く気分にもなれず引き籠もっていた。当座の必要物資は通いの使用人に言付ければ、大概の物は手に入るため、不便にも思わなかった。そんな生活をしていたため、幸いにも外部に漏れなかったようだ。
通いの使用人も、魔術師が変わったことをするのは、魔術師であるから仕方ないという常識の範囲内だと思っているようである。
現状を順を追って説明をされたが理解し難い状況に、役人は(とっくに魔王に対しては諦めているため)聖女に向けて溜め息を吐いた。
「――魔王に誠実な対応を求める貴女の思考回路が驚きだよ」
「……うるさいわね。わたしの幸福の前には、魔王だろうが法王だろうが皆平等なのよ」
ムッとする聖女に魔王は顔をほころばせる。
「さすが聖女様、素晴らしいお心根でいらっしゃる」
「お前さ、だいぶん知性が退化したんじゃないか?」
役人は、踏まれ過ぎて魔王の頭の螺子が大量に飛んだのだろうと本気で思った。
だが彼は優秀な役人だったので、ブツブツ文句を言いながらも書類を滞り無く作成し、不備が無いか確認すると、二人に差し出した。
魔王と聖女が婚姻を結んではならぬ、という法も無いからである。
魔王は書類をざっと眺めると、役人から渡された特殊なペンで自分の名前を書いた。
聖女はこの世界の書類どころか、元の世界の婚姻届も現物を見たことが無かったので、ちらり、と書面を眺めただけである。そもそも文字が読めない。
「ここに署名してくれ」
役人が指し示す場所に、自分の名前を日本語で書く。特別製のペンを使い個人の魔力を流し込み認識させるので、文字の種類は関係ないという。
「婚姻はなされた」
役人が婚姻届に手をかざし告げると、聖女と魔王が各々書いた名前の部分が発光し、消えた。
この瞬間王宮にある貴族の名簿に記録されたという。何人たりとも取り消しは出来ない。
公式に夫婦と認められ、離別する場合はまた別の手続きを幾つか踏まねばならないという。
そこまで役人の説明を聞いていた聖女が、眉を寄せた。
「え? 貴方、貴族だったの?」
「はい、一応」
「えええええええええ」
聖女が顔を歪ませた。
「……早く言ってよ……うわぁなにそれ、面倒くさそう……」
「何も説明していなかったのか」
役人は呆れたように、魔王を見る。
「貴族云々よりも、魔王だということのほうが優先すべき問題であったし、今回の結婚は聖女様に我が遺産を円滑にお譲りするためにご提案させて頂いたものだからだ。ご安心して殺していただくためにも、私の誠意を実感していただくためにも、早急に対処する必要があった」
「まぁ、そうだろうがよ、」
間違ってはいないがな、と役人は肩をすくめる。揉める未来しか見えないのは幻視か。
「……殺す……遺産……」
ふと、聖女が首をかしげる。手を口に当て、考え始めた。
そして、何かに気づき怯えた目で魔王を見た。
「ねぇ、ちょっと待って……いくら遺言状があったって貴方を殺した実行犯のわたしは貴方の遺産を手に入れられるの? よく考えたら、わたし犯罪者じゃない? 貴方達の法律はどうなってるの?」
ああ、と役人は頷く。
「犯罪者になるな」
聖女は常識のある社会人である。法律にはさほど明るくないが、殺人犯が殺した人間の遺産を円滑に相続できるなんてことが出来るはずが無いという、事はわかる。
……ただ、今の今まで忘れていただけで。
役人は告げる。
「単純に物事だけみれば、夫殺しの罪人になるのだから無理なのでは?」
「……デスヨネー」
そもそも彼が魔王になったという事実をこの場にいる者以外誰も知らない。だとすれば、聖女が魔王を滅した場合、世間から見れば『結婚したばかりの新妻に財産目当てで殺された魔術師』ということになってしまう。
ふむ、と魔王が頷く。
「というより、殺して頂けるということは、聖女様の帰還が叶うという事なので、最早、罪人等々関係無いのでは」
帰還魔法が出来るまで、聖女は魔王を殺せないのだから。
結婚で得られる遺産相続という誠意を受け取るには、魔王を滅した救世の聖女では無く、ただの夫殺しになるしか無い。
帰るまでの間、魔王の財産を使ってただ遊んで暮らすなら、今のままでも充分だったのでは?
聖女は非常事態に次ぐ非常事態で、その事実に今この瞬間まで気が付かなかった。
「え? ということは、この結婚、意味が無くない?」
呆然と聖女はつぶやいた。
役人と魔王は無言で顔を合わせた。
「「……」」
無言が怖い。
「え、ちょっと、待ってよ、……え? え? え!?」
魔王は聖女の手を取り、その指先に口づけを落とした。ひた、と冷たい唇がふれる。
「私の可愛い聖女様、」
ひっ、と短い悲鳴を上げる聖女に深い笑みを向けた。
「どうぞ末永く、私をその御御足で踏んでくださいませ」
「イヤーーーーーーッ!!!!」
・・・・・・・・
その後、魔王は聖女の快適な暮らしの為に邁進し、数多の魔術と魔法陣と魔法道具、魔法薬を作り、数々の特許を取得すると莫大な富を築く事となる。
そうして、やがて絆されて帰れなくなってしまった聖女と魔王は、寿命が尽きる迄面白おかしく、(たぶん)仲良く暮らしましたとさ。
おしまい
追記
魔王が開発した商品の一番の売れ筋は、排泄時の温水洗浄魔法符(乾燥温風付)でした。
他には(闇の魔力で腐敗・乾燥させる)家庭ゴミ分解符、(極小の地獄の業火を喚び出して素早く焼く)瞬間焼却炉、等が好評でした。
御婦人方には、足の爪を美しく彩る染料が人気となりました。
お読みくださりありがとうございました。