28 聖女、ガチギレする 再び
【28 聖女、ガチギレする 再び】
聖女は言葉が頭を通り抜けてしまうのを感じていた。
帰れると代理人も、魔王も言っているようだが、実感が無い。
おかしい。
聖女は焦った。
とうとう帰ることが出来るらしいというのに、なぜだか嬉しいとは思えない。
どうしたらいいのか、と思っていると、魔王が言うのだ。
晴れやかな声で
「聖女様、私を殺してください」
と。
言われた瞬間、寂しい、と聖女は思った。
強烈な寂しさに指先が冷えた。
息を呑んで、二度瞬く。
殺してくれと言われたのは二度目だ。だが、意味が全く違うと聖女は思った。
一度目は、魔王は絶望し聖女に慈悲を乞うた。
二度目は、前回のほとんど占めていた責任感も、自暴自棄も無かった。
自らの為でなく、ただ彼女の為に全てを手放そうと言うのだ。
空転を始めた頭が出した言葉は、馬鹿げた問だった。
「あなたはそれでいいの?」
「私は貴方様の願いを叶えるためにおります」
質問がズルかったと、聖女は我ながら思う。
この世界は聖女の元居た場所と命の価値に相違がある。そして、魔王は聖女を帰すと約束したし、全てを捧げると誓った。
元より生真面目な魔王はそれを違えないだろう。
だけれど、そんな事を言ってほしいのではない。
だけど、欲しい言葉は魔王は、エドワードは言わない。言えないのだ。
唐突に聖女は理解した。
今、わたしに選択権があるのだ。
エドワードは選択の全てをわたしに委ねてしまった。やさしさと自分への思いからだろうが、それをどうにも寂しいと思うのは、身勝手か。
だからこそ、わたしが選択しなくては何も進まないのだ。楽しいからと言って曖昧なままでは居られないのだ。
短い人生経験の中で聖女は、知っている。
自分で声を出さねばならない瞬間があることを。
声に出さねば伝わらないことがあることを。
「いやだ」
幼い言葉で拒否をした。
「わたしは言ったわよね? 『帰還魔法が出来るまで絶対殺してやらない』って」
「ですが、聖女様」
「だから殺さない!」
違う。
こんなことを言いたいのではない。
こんな言葉遊びをしたいのではない――。
ただ、今はちゃんと言わなくてはいけない。震える手を握りしめた。
勇気を振り絞った割に、出てきた声は小さかった。
「…………一緒にいたいの、エドワード」
魔王が戸惑った声を出した。
「ですが、よろしいのですか? あの時あなたには……」
今なら本来の形に戻れる。
魔王はそう言った。
そうかもしれない。
そうかもしれないけれど……
聖女は激しく頭を振った。
「その後一緒に居たのは、あなたでしょう?」
魔術は役目を終えれば、現象は消える。そうかもしれない。だけど、干渉した結果は残る。
火を着けた魔力が消えても、着いてしまった炎は消えないのだ。
「例え、戻ったって、あなたがわたしを喚び出して……ここにいた事は、変わらないのでしょう?」
魔王は殺されてそれで終わりかもしれない――だけど、
あなたに干渉された、わたしはどうなるのだ。
とんでもなく頭がいいくせに、どうにもポンコツで、トンチンカンで、何するかわかんなくて……でも、誰よりも何よりもわたしを大事にしてくれて……そんなエドワードとずっと一緒にいたわたしはどうなるのだ。
何もかも無かったことにはならないのに。
聖女は悔しくなってきた。自分にも、魔王に対しても。眉根が寄る。涙が零れそうだ。
「……どんな顔で別の男と会えって言うのよ」
低く言い捨てる。
「あなたに気持ちを残したまま、どんな顔で、今更、別の男と食事をしろっていうわけ!?」
エドワードを責めるような言い方だが、自分も悪いことはわかっていた。
楽しくて、嬉しくて、見ないふりをしていた。好意は感じていたのに。この先を見ていなかった。
愚かにただ甘やかされて、近付いていく距離の意味を考えようとしなかったのは自分なのだ。
目を見開いたエドワードをしっかり見つめ、聖女は言った。
「あなたはわたしの望みを叶えてくれるんでしょう?」
強気な言葉が出るが、内心では何も言わないエドワードに不安が募る。
「……それとも、わたしと一緒にいるのはいや? こんな我が儘な女、もう嫌になった?」
魔王は首を振った。
「いいえ、我儘など……貴女はわたしの望みを叶えてくれる方です。それは貴女意外にあり得ない」
「じゃあ考えて! その無駄に回る頭で、どうしたらわたしと一緒にいられるか考えてよ!」
強く聖女は言う。
魔王の顔が歪んだ。
「ですが、もしかしたら方法は見つからないかもしれない。たとえ見つかっても……その時、私は――もう貴女を手放せないかもしれない」
その言葉に聖女は微笑む。嬉しさに胸が高鳴った。
「良いよ……それでも一緒にいたいんだよ、エドワード」
魔王が微かに震える声で言った。
「私は貴女の手を取っても良いのでしょうか?」
「――っ! 毎回毎回、許可を取るのが遅いのよ、あんたは!」
聖女が睨むと、魔王が手を伸ばし引き寄せる。
「あなたを愛しています」
聖女を包み込み、強く抱きしめた。
「どうか私と一緒にいて下さい、史織様」
その後抱きしめた身体を離した魔王が、聖女の額に手を当てる。不自然に身体が熱いと気がついたのだ。額に手を当て、首も手を滑らせて確認すれば発熱していた。
急激な疲労で出したようで、実感のない本人はキョトンとしているが、魔王は瞬時に無表情になると聖女を抱き上げ、椅子に座らせた。
そして膝掛けを掛け直し、水を飲ませる。
座らせるに留めたのは、代理人がいる状況で、たとえ敷地内だろうと自分たちが離れるべきでは無いと判断したためだ。
知恵熱かなぁ、とのんきに聖女は考え、座り心地の良い自分専用の椅子にふんぞり返った。
そして、ふと思いついたことを聖女が、訊ねる。
「ところで、五百年前の記録なんてほんとうに当てになるの?」
聖女の感覚では五百年前のことなど、歴史の教科書に書かれている「だったらしい」という物である。聖女の世界で流される時代劇だって当然のように脚色がなされている。古い年代ほど資料は少ないし、写真や映像などの資料のは近代のものだけだ。
そもそも歴史書は都合の良い真実しか書かれない事も多い。偏った視点で書かれがちだ。
そして書き残した者が間違えていたとしたら? それを検証する手段が無いとしたら? 検証する気が無いとしたら?
聖女に言わせれば疑わしいの一言である。
だがあれだけ二人揃って「殺せ殺せ」というくらいだから、確証があるのだろうけど一応……、と訊ねてみたのだ。
「「……」」
なのに魔王も、文献等管理している側の代理人さえ無言になった。
恐ろしく嫌な予感がし、聖女は疑問を畳み掛ける。
「前代の聖女ってどういう人なの? 名前は? 髪の色は? 目の色は? どういう国から来たの?」
「……」
二人は無言である。
ずきんずきんと脈打つごとに頭が痛むのだが、これは何が原因なんだろう。聖女はこめかみに手を当てた。
「そもそも『確かに聖女が元の世界に帰った』て誰が証明したの? 誰か付いて行って確認したの?」
「「……」」
一向に口を開けない男たちに、聖女の声が冷えた。
「代理人さん?」
「……知らない」
「文献とか残っているの?」
「わからない」
「は?」
聖女の眉間がくっきりと寄った。
代理人は実に言いにくそうに言った。
「聖女を召喚するための術の文献は残っているが、聖女のその後に言及した物があるとは聞いたことが無い」
告げられたのは乱暴で実に粗雑な真実である。それに……
――聖女が切れた。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああ!? あんたたちバカなの!?」
「……」
「そんな確証も無いような事で、わたしに殺人(?)をしろって言ってたわけ!?」
アアァ!? と最上級のガラの悪さで凄んだ聖女に、魔王と代理人は恐怖で視線を反らした。なんだろう、妙な逆らい難い圧力が有る。
経験者である魔王は知っている……これは聖女が、ガチギレしたのだ。
「エドワード!」
「も、申し訳……」
脊髄反射で出た謝罪の言葉を遮って、鋭い声で聖女が訊ねた。
「あんた、魔術を開発する時、どうしてる?」
「は……」
聖女は完全にパワハラ上司モードである。もはや流れるように跪く魔王。いや、これはスライディング土下座である。
「文献を漁り、情報を収集した上で様々な考察に基づいて実験してデータを取るでしょうよ!! そして結果が出れば再現実験を繰り返して更に確認するでしょう!?」
「その通りでございます」
それを指摘されるとぐうの音も出ない。魔王はうなだれて頭を垂れた。
「……ほんとにわかってんのか? ボンクラが」
ぐっと聖女の足が魔王の頭にめり込む。ドスの利いた声が上から突き刺さる。
「最近、成功が続いてるからって調子にのってんじゃないの?」
ぐりぐりぐりぐりぐり……と踵をめり込ませる聖女。怒りが振り切れているからか、吸い取られる勢いが今まで以上で、魔王は地に伏しながら震えが隠せない。
それを横から見ていた代理人は、ドン引きしていた。
魔王が聖女に跪き、頭を踏まれながら何故か喜びに打ち震えている。
しかもよくよく見ると(ただ目が離せず見ていただけだが)、魔王に溜まる闇の力が聖女の方へ抜けていくではないか。それも凄まじい勢いで。
聖女は闇の力を払い、魔王を滅すると言い伝えられているが、これのことだろうか……。
異常な事態に、多分違う事が判別できなくなっている代理人である。
そして現在、彼は未だに裸で貼り付けられているままである。しかし寒い。本格的に洒落にならないくらい寒い。
そんな代理人を他所に、なおも聖女の怒りは収まらない。
「その不確かな情報で!! わたしが! ちゃんと! 元の世界の元の時間に戻れなかったら! どうしくれんのよ!?」
時間と場所の座標も特定もせずにいきなり術が発動したとして、飛ばされた先が巨大な昆虫が文明を築いている世界とか、粘液しか無い世界とか、よしんば元いた世界に帰れたとしても、カンブリア紀やジュラ紀だったらどうしてくれる。例え日本に帰れても戦国時代だったり、明治維新あたりだったら、生き残れる自信がない。
そういう可能性を何一つ考えていないのだ。
今までの聖女の行く末は、ほんとうにどうなったのだ。考えれば考えるほど背筋が凍る。
そもそも味噌と醤油を召喚するのに、どれだけのトライ&エラーが繰り返されたのか忘れたのかと、叫びたい。
膨大な記録用紙を叩きつけたい気持ちで、聖女は吐き捨てた。
「これだからファンタジー世界の人間は……!」
脳みそまでファンタジーか!!
魔術でなんとなぁく何でもどうにかなると思うなよ!
なんという大迷惑!
聖女補正が残高不足だったり、ご都合主義が適用除外だったらどうしてくれるんだ!!
聖女は更に足に体重を掛けた。
「数字を見ろって言ってんでしょ、数字を!!」
「……お怒りごもっともでございます」
ぐりりっ。
聖女は怒っている。
いろいろ……今までの事もそうだが、何よりも、
とにかく!
「そもそも!! わたしと生きることに手を抜くんじゃないわよ!! この大馬鹿!!!!」
怒り狂う聖女に、その聖女に踏み込まれながら色々感激している魔王、裸で床に貼りつけられて震えている代理人――
……ただそこには混沌だけが存在した。
お読みくださりありがとうございました。
あと少しお付き合いいただければ幸いです。
超今更ですが、聖女のフルネームは、山城 史織といいます。




