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26 聖女、動揺する 再び -前編-

【26 聖女、動揺する 再び -前編-】







 気づいてしまった以上、無視出来ないのが聖女である。


 一度そう思ってしまうと、そうとしか思えない。


 今、目の前には男の裸エプロンが転がっている!!


 しかも、拘束され顔に手拭きまで掛けられた、より間抜けなのかマニアックなのかわからない姿でないか!!



 ――認識してしまうと、場を覆っていた深刻でどこか陰惨な雰囲気が(聖女の脳内限定で)一瞬で吹き飛んだ。





 聖女はこの状況になる前から混乱を極めている。

 思いがけない出来事と、異世界怖い系の真実の発覚が引き起こしている極度の疲労で消耗し、正常な判断が出来ない状態だと言って良い。

 そしてわけも分からず傷つけられ、処理できていない怒りが燻りつづけいた。

 その怒りが、今謎な方向にすり替わった。




 いくら書類上の関係とは言え、自分の目の前で夫が新妻を差し置いて他所の男を剥いて裸エプロンにしているとか、意味がわからない。

 世界線がおかしい。

 どこの異世界か!?

 異世界だけど!!


 とにもかくにも、なんたる状況なのだ。


 いや、自分がやりたいとか、やってもいいとか、そういう問題でなく。


 …………これは一体なんなんだ。


 あったまおかしいでしょ、どう考えても!!


 ずぅぅぅぅぅぅっっと思ってたけど!!!!


 なんなのこれ!!!!


 あまりの混乱ぶりに、聖女はあらぬ方向へ伸びる怒りに火を付けてしまったのである。



「……なんで、わたしがあんたの要望を聞かなきゃなんないのよ」


「なに?」


 剣呑な声に代理人が、不自由ながらももぞもぞ動く。分厚く重みのあるエプロンなため、すぐにとは言わないが、それなりに動くといろいろ見えそうになるのが、怒りを倍増させた。身体能力が高く、鍛え抜いた代理人の身体は、なかなかに鑑賞に耐えうるのが、何故だかわからないが、更に一層腹立ちを加速させる。



 少しは恥じらえよ!


 どうなってんだ、この世界の羞恥心!!


 聖女は爆発的なストレスにより、今や考えられ得る全ての物に噛み付きたい衝動に駆られていた。



 代理人といえば、決して、裸でエプロンで覆われている状態が平気な訳では無い。正直に言うと寒い。そして何よりも全方向に心許ない。

 ただ彼としては、自分が今現在裸であるという事実は、魔王と世界樹の前では小さい問題なのである。

 問われれば声を大にしていうだろう、断じて好きでこの格好でいるわけではない――と。それを気にしている状況では無いだけで。



 聖女はそこに思い至れる状況ではなかった。



「なんでわたしが裸エプロンで床に貼り付けられてるような犯罪者の言うことを聞かなきゃいけないわけ?」


 聖女が低い声で一息に毒吐いた。



「は?」


 よくわからないが何故か理不尽な文言で攻められているのはわかった代理人が問い直せば、聖女の怒りは頂点に達した。


「なんで、わたしが!! 馬鹿げた裸エプロンな上に、会ったばかりの命令口調の男の!! 言う通りになんなきゃいけないか、て言ってんの!!」


 聖女が叫ぶと、沈黙が落ちた。






 ――そこに魔王の声が入る。







「……あの、裸エプロンとは?」




「え?」



 聖女が魔王を振り返る。


 魔王はただ純粋に疑問に首を傾げ、聖女に問うた。


「この男の状態の事でしょうか? これが、何か……?」


「は? ………え……? ………!!!!」




 聖女は、心臓が止まるかと思った。




 聖女は今気が付いた。


 魔王に問われる今の今まで思い至らなかったが、この世界には『裸エプロン』という概念というか、趣味嗜好が無いようだ。


 確かに代理人は裸にエプロンだが、魔王が予防的処置でそうしただけで、桃色展開でそうなったわけでも、好き好んでこうした訳でもない。ただ、幅広で適当な布がエプロンしかなかっただけで。

 勿論、代理人が自ら好んでこの状態になったわけでもなく……



 改めて文化の違いに、戦慄する聖女である。





 聖女は赤面した。


 赤面したどころか恥ずかしさといたたまれなさで、目の前が真っ赤になったようだ。冷や汗がどっと出るのに、体温が沸騰する。



 え。


 待って


 そんな……!!


 ちょっと待って!!


 恥ずかしくない!?


 確実に恥ずかしいでしょ、これは!?



 恥ずかしさが極まってどこかの血管がきれそうである。



 今、この瞬間が、聖女の人生で一番恥じた瞬間と言っても良い。



 そしてさしあたっての問題は、『裸エプロン概念』の説明を今求められている事である。


 ちら、と代理人を見下ろせば、口を閉じて説明を求めるかのように聖女を真っ直ぐ見ていた。

 視線が刺さる。痛い。



「いや、あの……」


 聖女は必死に視線を外し、沸騰している頭を更に回転させた。そもそも本日オーバーワーク気味な脳細胞が、うまい言い逃れを見つけてくれない。


 どうした、社畜!

 これくらいで音を上げるな、社畜の脳みそ!


 ていうか、誰だ、『裸エプロン』ていう概念を作ったのは!?

 そして広めたのは誰なんだ!?


 ていうか!!!!

 なんでわたしが知っていたの!?


 誰よ、わたしに教えたヤツは!!!!


 ちょっと待って、ちょっと待って!!

 わたしはいつの間にか薄汚れた大人になってたの!?




 ………………………………………………。




 いくらボロボロの脳細胞を叱咤激励しても、『裸エプロン』をうまい具合に誤魔化す言葉は何一つ出てこない。


 『裸エプロン』は状態だけを指す言葉では無い。

 多分違う。


 そこのところ、説明するの? どこまで……!?

 え? もしかして人による好みや各種見解まで説明は必要なの!?


 するの!?


 …………………いや、出来ない!


 絶ぇぇぇっっっ対に無理!



 聖女は虚ろな目で床を見る。



 穴を掘って埋まりたいけど、この床では駄目だ……とても掘れそうにない(さっき何やら魔王が魔術を掛けていたし)。




 聖女は絶望した。


 深く深く絶望した。


 もう駄目だ!!


 大変遺憾ながら、もう駄目だ!!



 耳から煙が出そうなほど考えたが、どうでも良いことしか浮かんで来ず、解決策は何一つ出てこない。

 どうしても何も捻り出せない。


 脳内には白いフリルの付いたエプロンがひらひらと舞うばかりだ。


 現実逃避をしたい脳が、エプロンの材質は木綿かな? 絹かな? とか言っていて、完全に末期である。


 もはや彼女に出来ることは、一つしか残されていなかった。綿々と受け継がれた社畜の伝統芸能を披露するしか無い。



 観念した聖女は床に膝を付き、深々と頭を下げた。



「………………ごめんなさい、忘れて下さい。お願いします」



「………………………………………………」


 何かしら察した魔王は、赤くなったり青くなったりで冷や汗まみれで土下座した聖女に片眉を上げ、取り敢えず微笑みを返した。







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[良い点] 26 読みました! >聖女は赤面した。  無限に広がっていくかと思われた聖女さんの激情が、この一文で一瞬にして収束したの、ほんとよかったです。  矛先を誤ったエネルギーが全部自分に帰っ…
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