25 聖女、気づく 再び
【25 聖女、気づく 再び】
魔王が額をすり、と合わせれば、あ、と思う間もなく、ぽろりぽろりと聖女の目から涙が溢れた。
あまり涙をこぼさない聖女のそれは痛ましく、魔王の心を抉った。
魔王は聖女を片手で抱え直すと、聖女の涙を拭った。その指は蔦を引き裂いた時にささくれ荒れており、がさがさと聖女の肌をこする。
聖女が目を細めたので、気がついて手を離した。
「申し訳ありません」
「……いいの、わたしの方こそ汚してごめんなさい」
聖女が首を振り、ぎゅっと首に抱きついてきた。その身体はかすかに震えている。
魔王は彼女を一瞬強く抱きしめ返し、数度頭を撫でると、椅子の上に下ろした。
「少々お待ち下さい」
魔王は離し難く思いつつも聖女に断りを入れて身体を離すと、まず座らせた彼女に膝掛けを掛けた。そのまま代理人を監視しつつ、材料が置いてある場所から金属の板を取り出す。それを紙を破るかのような軽さで、金属板を縦四つに引き裂いた。
魔王は細長くなった板を持って代理人の前まで行くと、両手両足に一本ずつ金属板を曲げ手枷・足枷とすると、床に打ち付けて男を拘束した。床本体にも硬化の魔術を掛けた上で、打ち付けた金具が取れないように床板の中で鈎状に曲げた。
氷でも動きは止めていられるが、いつ魔術を破壊されるかわからないため、物理的に拘束した。
代理人を十分床に固定できたのを確認すると、その頭に手を置いた。魔王は掌に魔法陣を展開させると、代理人の三半規管を狂わせて、更に機動力を奪う。この男は相当に身体能力が高いと思われるため、何をしてくるかわからない。
代理人の顔が大きく歪むのを見て頷くと、棚の引き出しから水晶の屑石を一掴み取り出した。それを爪紅を作った時の要領で液体化させると、床に転がっていた聖女の血が付いた短刀の上にとろりと掛けて覆う。短刀全体がその水晶液に覆われると、硬化の魔術を掛け固める。そしてもう一度、水晶液を掛けた。だが今度は紙一枚ほどの隙間を空けて、短刀を包む。わざと全体に空間を作って覆い、硬化を掛ける。この短刀にどんな術が仕込まれているか、どんな条件で作動するか不明なため、何も無い層を一層挟む事で直接手に触れないようにしたのだ。
そして水晶で覆った短刀を代理人から一番遠い場所へ、靴底で蹴り転がした。
ちらりと聖女を見れば、青い顔で一部始終を見ていた。
魔王は作業台の元へ向かい、先程まで使っていた自分の作業用エプロンと大きく丈夫な鋏を掴む。エプロンは先程までの水仕事により多少湿気っていたが、何も問題ない。
代理人の所に戻ると、彼の衣服に容赦なくその鋏を入れた。一部不自然に硬い部分等があるが、力任せに切っていく。切り進めるごとに鋏は刃を傷め、買い替えをしなくてはならないようだ。
途中ビクビクと代理人が震え何か言おうとしているが、うまく言葉を出せないからか、呻くのみである。魔王はもちろん取り合わず、切り進めた。
ある程度切り終えると、代理人の上に用意した分厚いエプロンを被せ、切り刻んだ衣服を引き抜いた。床に落ちる時、重たい音がする。案の定、衣服とは思えない重さである。……どれだけ暗器等を仕込んでいるのか。
代理人の動きを止め、物理的にもほぼ裸の状態にすると、さて、どうしたものかと、思案する。
完全に処分したいが、聖女の目の前では出来ないし、その場を誤魔化しても後々訊ねられると面倒である。
これは、聖女の言っていた『そういう時のためのリチャードさん』に投げるか。
何にせよ、その前にもう少しある程度使えなくした方が良い。
魔王がそんな事を考えていた時、酷いめまいと吐き気に襲われている代理人が、それでも何とか動く首から上を巡らし、聖女を見つける。
目が合った聖女はびくりと身体を震わせた。気づいた魔王が手拭い(使用済み)を代理人の顔に被せた。代理人はそれは首を振ってどけようとしたが、手拭きの一端を魔王が踏んでいたので叶わない。
代理人はそれでも何度も嘔吐き、唾液を飲み込ながら呻いた。
「お前は聖女だろう、アイツを殺せ」
聖女は首を振る。顔が見えないだけでも大分マシだ。ひりつく声帯を叱咤し、きっぱり答えた。
「いや」
その時、魔王の足が代理人の腹部に入った。仰向けに床に打ち付けられているので、逃げようにも何も出来ない。
「黙れ」
無防備な状態からの踏みつけに矜持も何もなく悶絶の声を上げる代理人の腹に、容赦なく靴を深くめり込ませた。
「エドワード! それ以上はやめて!」
一方的な暴力に聖女が膝掛けを落とし、立ち上がった。
魔王が聖女を振り返る。足をどかせば、被せたエプロンに足跡がくっきり付いていた。ああ、エプロンも新調せねばならないな、と魔王は思う。
「申し訳ありません。お目汚しでした」
せり上がって来る胃液に喉を焼きながら、代理人は悔しさに呻いた。
「……なぜだ! なぜ殺さぬ! あれは魔王だ……魔王は滅すべきもの、だ……!」
何度も咳き込みながらも、更に重ねる。
「聖女、魔王を殺せ。それがお前の役目だ」
必死な声に気圧されながらも、聖女は首を振った。
「いや」
そんな恐ろしいこと、出来るわけ、無い。
聖女はようやく実感した。自ら血を流し、痛みに悶え、自らに望まれていることを理解した。
ちょっと切られただけ驚くほど痛かった。
血が出て思った以上に、その赤さに動転した。
そういう事だ。
他人に自らの意思で、刃を立てるなんて……それをもっと深く……
それを自分がやれるのか?
答えは『否』である。
あの短刀で、刺し殺すなどと恐ろしいことを、自分に出来るわけが無い。
そんなことは出来ない。
それに、魔王は
エドワードは――
エドワードを殺す理由なんて……わたしには……
聖女はもう一度断りを入れようと、顔を上げ代理人を見た。
そこで、
「………………………………あ」
間抜けな声が出た。
ふいに聖女は、ひどくどうでもいいことに気づいてしまった。
いやいや、まさかと、もう一度確認した。
……でも、やっぱり、そういう……
いや、でも……この組み合わせは……
聖女は目を細めた。
目を細めて見てみても、それ以外に無い気がする……
聖女は気がついてしまったのだ……
あそこで床に貼りつけられている代理人は、所謂『裸エプロン』の状態ではないかと……
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