19 聖女、声をかける
【聖女、声をかける】
聖女は、帳簿をつけていて気がついた。
庭に何故か生えてきた(種を撒いたのは自分たちだが)世界樹の若木について、もう少し詳細な記録を残した方が良いのではないか。
ある程度、日々高さと幹の太さの計測はしているが、葉の数までは記録していない。
これから魔王が「数枚毟る」らしいから、まだ葉の数がカウント可能な今のうちに数え、記録に残しておいたほうが良いのでは無いだろうか。
面倒だが、役人ことリチャード・クーパー氏に延々と嫌味と説教を聞かされる方が嫌だ。この間の盗聴器の件から、リチャードは、遠慮(そもそも最初から怪しかったが)を捨て去った。
聖女に堂々と嫌味を言ってくる。
そして改善を迫る。
リチャードとしても、大体において聖女と魔王がいい加減にしておいた件で巻き込まれているので、文句も言いたくなるのだろう。
元社畜の聖女は、リチャードの苦労も何となく分かるので甘んじて受けているが、なるたけ回数は減らしたい。
だが、魔王は役所や書類関係に対して当初よりどんどん無頓着になってくるし、そもそも聖女はこの世界の住人では無かったので、基本的な慣習やルールを知らないのである。
結果、リチャードにほぼ丸投げしてある状況なのだ。
そして、「取り敢えず、これだけは出しておけ」とリチャードが言った書類はまず間違いない。
世界樹の件はまず間違いなく説教されると流石にわかっているから、できるだけ短縮していただけるならば、そのように準備をしたい。
最初からデータをある程度揃えて説明すれば、お説教の時間をいくらか短くしていただけるに違いない。
そうに決まっている。
よし、そうしよう。
関係機関との円滑な連携を愛する聖女は、記録するための紙とペンを持って立ち上がり、扉を開けた。
「ねぇ! ちょっとー! 毟る前にさー……あれ? お客様?」
扉を開けて外に出ると、魔王が居るであろう方へ身体を伸ばし、呼びかけた。
若木のある所に魔王ともう一人、見知らぬ男が立っていた。
客かと思ったが、何となく、不穏な雰囲気である。聖女はノブを掴んだまま動きを止めた。
視線をめぐらせれば、珍しく魔王がぎょっとしたよう顔で聖女を見ている。
「えっと……」
「お部屋にお戻りください」
聖女が何か言う前に、魔王が強く遮った。
「うん」
魔王の勢いに、ここは引こうと、頷いて中に戻る事にした。
何かが起こっているのだろうが、とりあえず、魔王だから大丈夫だろう。
あ。
扉を締める前に、要件を思い出して素早く伝えた。
「毟る前に葉っぱの数だけ数えておいてね~」
軽く言ったのだが、思わぬ方向から叫びが上がった。
「毟るだと!?」
いきなり見知らぬ男が叫び、若木を守るように身体の向きを変えた。
あまりの剣幕に驚いた聖女が、扉の奥に戻るのを忘れてまじまじと男を見た。
「女! どういう意味だ!?」
聖女は大声に首をすくめた。
だが、男が声を上げた次の瞬間、何かに強く引き倒されたように地に伏した。
「ぐっ」
男が身体を起こそうにも、見えない何かに押さえつけていて出来ない。
「!!」
男が短刀を握った手だけでも、と藻掻こうとしたところを、容赦のない勢いで手を踏まれた。男物の革靴が二度三度と踏みにじる。その強さに短刀を握る手が解けてしまった。
「誰に向かってそのような口を聞いている」
魔王が温度のない声で、男に言った。決して大きな声では無いはずなのに、やたらと耳に刺さる声だった。一気に体温が下がり、冷や汗が滲み流れる。
魔王は手を踏んでいた足をあげると、そのまま男の頭を踏みつけた。ぐ、と体重を掛けて地面に縫い付ける。
「余程状況が読めないと見える」
男の下になった右頬に小石が刺さり擦れて出血したが、本人はそれどころではない。物理的に押さえつけられているのは頭だけなのに、全身を起こすことが出来ない。
「な……」
もつれる舌では何も言えず、一音で途切れた。
「私が魔王だと知っているのだろう。その領域に許可なく入った者の末路は想像がつかないのか?」
「ちょ……! 何やって!!」
驚き、再び固まっていた聖女が声をあげた。魔王は聖女を振り返りもしない。
「お戻りください」
「でも!」
聖女の声を無視して、踏みつける足に更に体重を掛けた。
「どこから潰そうか? 喉は最後にしてやる。して欲しい順番に言え」
言え、と言われたがとても言葉を発することが出来ず、男はなんとか動かすことが出来る眼球で魔王を捉えた。下から見た魔王は無表情で何も伺えず、ただ魔力を帯びた目が金色に光っている。
胃の腑から恐怖が上がってきた。痛みすら覚える――得体のしれない物に命を握られている、根源的な恐怖。
更に静かな魔王の言葉が落とされる。
「それとも穴を開けてやろうか?」
言われた瞬間、男のシャツの襟に穴が空いた。首すれすれに、錐で開けたようなきれいな円形の穴が空く。
一つ、もう一つ……
次々とレース細工のように穴が等間隔に空いていく。じ……、と貫通した場所の土が焦げて、煙が目に刺さる。
これ以上冷えぬと思っていた腹の底が冷えた。
「どこがいい?」
ひたりと告げられて、男は土で汚れた唇を震わせた。
その時、
「――いい加減にしなさい!!」
ぐらり、と魔王の身体が横にブレた。いつの間にか近づいていた聖女が魔王の耳をつかみ、引っ張っている。
「事情は全くわからないんだけど……、あんたたち、わたしの家で変なことしないでくれる?」
「……」
聖女と魔王と役人くらいしか知らないが、事実、この屋敷の土地と建物全て、聖女の名義であった。
聖女の物は聖女の物、魔王の物も聖女の物なのである。
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