13 聖女、爪を塗る
※ゆるふわファンタジー設定です。
【聖女、爪を塗る】
ということで黒曜石を調達した二人は、融かして黒の爪紅を作った。ブラックオニキスや瑠璃、紫水晶、瑪瑙など数種類の宝石も合わせて、ダークな色調なものを幾つか調合した。更に各種宝石や金や銀を小さく砕き、アレンジ用の小物も揃える。
銀や黄金、白金を糸状に加工したものが無くて、今度魔王に作って貰うよう頼んだ。フレンチネイルをする時に使いたい。
「ふっふっふっ」
満足気に爪紅の小瓶を眺める聖女を、魔王はしげしげと眺める。
相変わらず、興味のあるものに対する欲望が貪欲で、見ていて小気味が良い。そもそも肥大した知識欲の固まりである魔王としては、馴染み深いものである。
にこにこと微笑ましい気持ちで見ていれば、聖女に手を掴まれた。
「さて、やるわよ!」
え? と魔王が思っているうちに、聖女は彼の指に、作った黒や紺色の爪紅を塗っていく。
興が乗って、金粉や様々な宝石粒を乗せて、夜の闇のようにしてしまう。
……両手のすべての指を。
「ヨシッ! 出来た!」
満足気に荒く鼻息を吐いた聖女に、魔王がポツリと言う。
「……ところで、これでは硬化の魔術を掛けられないのですが……」
「は……?」
魔術を使うはずの魔王の両手にぬらりと輝く、硬化前の爪紅。少しでも傾ければ、絶妙に配置した色々な物が流れてしまいそうだ。
「!? え……うわっ! えええええええっ!!!」
――聖女に魔術は使えない。
ファンタジーだ! と一度憧れて、練習してみたことがあるのだが、自分の魔力を感じる所から挫折した。
故に、このままでは聖女の渾身のネイルアートは完成されない……。
「ど、どうしよう……これ、めっちゃ力作だったのに……えぇぇぇー……」
この際、片手は諦めるべきだろうか……?
真っ青になり、泣きそうな顔になる聖女。魔王は少し思案して、提案した。
「そうですね……それなら、額を合わせてもらえますか」
「え?」
「子供の熱を計る時みたいに」
魔王が上半身を少し倒し、額を差し出した。
しばしのためらいの後、聖女は自分の前髪と魔王の前髪をそっとのけると、額を合わせた。
瞬間、聖女は息を止めた。
距離が、近い。
自分のまつげと魔王の灰色のそれが触れそうで、心臓が強く打った。
こんなに自分の鼻が低くて良かった、と思ったのは初めてである。
提案された時に、ちょっとそれは、と思わなかったこともないが、ノリノリで作ったネイルアートを無駄にするのは忍びなく……応じてしまったが……これは……。
恥ずかしさといたたまれなさで、聖女は視線を下げ口を尖らす。
「こうなる前に止めてよ」
聖女の憎まれ口に魔王がくすくす笑った。まつ毛を揺らす笑い声がくすぐったい。
「確かに……。でも、こんな事……貴女以外の前ではしませんよ」
「?」
意図が読めず、聖女は魔王の目を覗き込んだ。薄く緑の入った灰色の瞳が柔らかく彼女を見ていた。
「貴女だけです。貴女なら何をされてもかまいませんので」
「!?」
心臓が止まる、と聖女は思った。
何を言い出すのだ。
そんな優しい声で、この男は何を言い出すのだ。
そんな……自分を差し出すようなことを。
視線が揺れた。
絶対、顔が赤い、と聖女は思った。
ちょっと頭が追いつかない。
なのに、なのにこんなに近い、なんて。
止まるかと思った心臓は、反対にうるさく動いている。全身に熱い血が巡るようだ。
そこではた、と気がつく。
お、おおおお、おでこ……!
おでこがくっついてる!!
魔王に触れている額に、変な汗が滲んでる気がして聖女は焦った。
かと言って、この状況で深呼吸とかできない……。
混乱からの立て直しができない聖女は、訳がわからず酸欠になりそうだった。
脳の温度が上がりきった時、魔王が、ほう、とつぶやいた。
「な……に!?」
裏返りそうな声帯を叱咤し訊けば、目をかすかに魔王が細めた。
「闇の力が抜けていきます」
「へ? 踏んで無くても?」
「ええ。ゆっくりですが」
「ふ、ふぅん……」
だが、これは無理だ。
こんなに恥ずかしいのは、一日何回も(しかも長時間)は無理だ。
まだ踏んでいる方がマシだ。
聖女は思った。
少しずつ冷静さを取り戻した聖女は、唇をちろりと湿らせる。
「で、次はどうするの?」
「私の手に、手をかざしてください」
触れた額がほんのりと暖かくなる。聖女のかざした手の向こうに小さな魔法陣が浮かんだ。
「え? 魔法陣、出た!?」
聖女が動揺すると、そのまま、と魔王がつぶやく。魔王の瞳が、魔力を帯びて黄色味を帯びる。
「貴女は私の魔力に馴染んでますから」
言えば、ごく細かな金色の光の粒が魔王と聖女の前髪できらめいた。
魔法陣が魔王の指先を撫でた。
あ、と思った次の瞬間、ふつり、と魔法陣が消えた。
聖女が施したネイルアートが硬化・定着した。
自然と視線を合わせ、笑い合う。
「ふふっ。すごい……成功した」
額を離し、乱れた前髪のまま二人は笑いあった。
聖女は妙にくすぐったい気持ちで、前髪を直しながら言った。
「ねぇ、ローブを着てみてよ。黒いのがあったよね」
派手な装飾は無いが、黒いローブを魔王は持っている。魔術師の正装だそうだ。
きっと、この爪がより一層映えるに違いない。
はっきり言って、見たい。
「そうですね……ああ、でもその前に……」
魔王は聖女に椅子を勧めると、自らは跪き、そっと彼女の室内履きを脱がせる。
そしてその夜空のような爪の先で、つ、と聖女の足の甲をなぞった。
ぞわり、と身体の芯がしびれた。戸惑う聖女は、足を引くタイミングを失ってしまう。
目が――魔王から外せない。
魔王はゆっくりと赤い爪紅が入った小瓶を手に取り、聖女に見えるように持ち上げた。
「さあ、まずは紅玉を融かしたこれで、聖女様の御御足を塗らせて下さいませ」
「!!」
にこり、とよい笑顔で見上げてくる魔王に聖女は絶句した。




