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悪魔の加護

私が意識を取り戻した時、そこは見慣れた家の白い天井でもなく、病院の不健康そうな白色灯の下でもなかった。



そこは異世界、剣と魔法の世界、人の形をした天使や悪魔のいる世界だった。




生まれ変わる前の最後の記憶にあるのはこんな会話だ。




”おまえには再び人の命をやろう。思う存分楽しむがいい。ただしー”




およそ何一つ灯りのない真っ暗闇、時間も感覚も存在しない何もない空間での会話だった。




”おまえの大切なものは、俺がもらう。”




後になって考えれば、私を異世界に転移させたのは神でも女神でもなく悪魔に違いなかった。



「契約は等価交換だ。」


私には大切なものなんて何もなかった。だから、”大切なもの”の価値なんて知らなかった

私は静かに頷いた。









・・・




雨が三日三晩降り続いた郊外の森はひどくぬかるんでいた。



魔獣の革できたブーツや矢を防ぐための分厚いマントは日本のそれらと違い、ひどく着心地が悪い。



靴擦れで血が滲むかかとは今では歩くのも耄碌する始末だ。



辺境の街で爵位を与えられた男がもつ高級品ですらこの有様であった。




「桔梗、ここで死ね。」



「ハイ、この命、これまでもこれからもあなたのものです。」



誰もいない鬱蒼とした森の木々の間で、聞こえるのはたった2人の会話だった。


女の言葉は丁寧だがなんの抑揚もないものだった。

雨が鬱陶しいとさえ感じていないかのように瞬きひとつしないその表情は、神々しくさえあった。



グサッ。



男は手に持った刺突剣を女の腰元の大動脈に突き立てた。



暗殺者に特有の黒装束に身を包んだ女は、ドサリと音を立てぬかるんだ地面に膝をついた。




女は男が平民として生まれ、武勲を立ててより爵位を持つまでのこれまでの30年間をずっと共にした幼馴染だった。




流れ出る血の色は赤く、彼女もやはり人間であることを知らせる。それはなぜだか男を安心させた。



「ひとるわかりません。これではマスターの命を守れと言う命令を守ることができません。」



「ああ。」



共に笑い、共に泣き、共に道を歩んでいたはずの彼女が、男のことをマスターと呼び始めたのは、いつからだっただろうか。



男は逡巡したものの、それがまったく思い出せなかった。



「マスター、なぜ泣いておられるのですか?」


「ああ。・・・苦しくはないか、桔梗。」



男は片膝をつき倒れる間際の彼女を抱き抱えると、麻痺の魔法をかけた。

彼女には痛みなど、感じていない。いや、感じてもなんとも思わないということを知っている。

それでもそうしたかったのだ。



「・・・マスター、私は目障りだったのでしょうか?」



彼女は出血による生理的な悪寒と痙攣を伴いながら、それでも死に対する何の恐れもないかの様に話を続けた。



「違う!・・・桔梗はよくやってくれた。全て・・・全て桔梗のおかげだ。人はこれでやっと安らかな生活を手に入れられるだろう・・・。誰もが心から感謝してる。もちろん、私もだ。」



「それではもう用済みということですね。それなら何もお手を汚さなくとも、自刃ー」




「ッ!ああ・・・もう良い。喋るな。」


「失礼・・・しました。」



「違う。違うんだ。なにも、お前はなにも失礼など・・・。」



雨が降る。それはこの地方特有のひどく重く、冷たくて、とめどない礫だった。



「最後にもう1つわがままを許してくれ。」



「ハッ・・・何なりとご命令を。」



「命令では・・・ない。願いだ。本当はずっと・・・。」


男は女の顔を近づけて、その青白い顔を全てから隠した。

温かい吐息がぶつかり雨の音が遠ざかる。


生きも絶え絶えの女は、本当に微かだけ目を見開いた。



「お身体が・・・よごれてしまい・・・」



「嫌か?」



「なんなり・・・と。」



大量の出血と体温の低下を受けて、女の目はもう既に輝きを失っていた。



男は雨でベットリとした髪を掻き分け、口元を指先で一度撫でると静かに長い口付けをした。



ざあざとふる雨の音ばかりがうるさく、それが否応もなく時の流れを知らせてくる。



「桔梗、すまない・・・私などが居たせいで・・・・。」



「いえ・・・仕えられたこと・・・幸せでした・・・。」



「ッ!! 嘘を申すな!!!このような・・・このような・・・どこに幸せが・・・。」



「私の命は・・・あなたの・・・。」



男は自責の念に耐えられずその時一瞬だけ目をそらしたことを後悔した。



再び目を見つめる頃には、女の目はもう既に虚空を見つめていた。

















・・・





「辺境伯どの!どういうことです!?桔梗様を討たれたとは!?」



男が亡骸を抱え、領地の屋敷に戻ると親衛隊長を務める男が詰め寄ってきた。



歳は10ほど上で有ろうか、万事において信頼の置ける忠臣である。



「しばらくこの地は安全である。桔梗の任を終いにした。」




「その事は承知しております。長い間、侵攻を続けていた他種族との戦争は終戦、周辺の国家も今ではすっかり勢力を落としました。それもこれも、辺境伯殿のおかげ、そして桔梗様のお力によるものです。然ればこそ!なぜこの様な酷い仕打ちを!?任を解かれ隠居というのが筋ではありませぬか!?」



「お前もわかっているだろう。桔梗はそれで終わらぬ。私に及ぶ危険の種は全て潰して回るであろう。例え、この国の王であろうとも。」



「し、しかし、これではあまりにも!!!」



桔梗はこの国において、それどころかこの世界にとっては過剰戦力であった。



その能力は、小人やエルフのみならず、龍族や魔族と呼ばれる超常のものたちを単騎で葬ることの出来る唯一の人間であるといっていい。



その存在は250年あまり続いた人族への迫害を跳ね返すものとなった。



故に、戦争のなき今、彼女とその主人である2人は国にとって恐ろしい存在でもあった。



既に多くの刃が辺境伯に向けられ、その全てを淡々と桔梗が処理する日々が続いていた。



「下がれ。」




「伯!!!」



「二度は言わぬ。」


「・・・ではせめてその遺体はこちらで丁重にー」


「触るな!!!」



「・・・。承知しました・・・。しかし、私には!・・・わかりかねます。」



兵隊長である男が部屋をでると、政務室であるその部屋は途端に静寂を取り戻した。




「もうこれ以上、桔梗の魂は誰にも触れさせない・・・。」




作戦会議用に使う大きな円卓の上に、今はもうすっかり冷たくなった女を置く。




水滴が机に水溜りを作るとそこには悪魔の様な顔をした自分の姿が映った。




きっかけはたった1つの悪魔からもらった加護だった。




”お前の大切な人は生き物を殺めるほどに強くなる。そしてその分だけその心を失う。”




「わかっている・・・全ての元凶は・・・私だ・・・。私の命にそんな”価値”はなかったはずなのに。」




男は今ではもう自分の顔と悪魔の顔に見分けがつかなくなっていた。


数日前に終わったばかりの人族と人外との戦争は、人族の勝利に終わった。



決め手はたった一人の英雄が行なった主要な大将級の暗殺である。

人外における強大な個の力は大きい。人間がそうであるよりもずっと、それは戦況を左右した。



それから数日の後、雨が止んだ領内では多くの戦死者を弔うための儀式的な火が焚かれた。


その中でも一際小さな炎の前で幾日となくそこに居座り続けた男は、静かに何の音もなく火が消えるのを見送った後、姿を消した。



それ以降、人外大戦の最前線であったこの辺境は歴史から次第に忘れられていくことになる。



それより100年の後、賢者と呼ばれた男と英雄と呼ばれた女はお伽話に残るのみであった。




・・・




人族は疎か人外も超常のもの達も知らぬ森の大穴の中で男は一人つぶやいた。




「ヤットミツケタ。」




男を除いてあたりには生身のものは1つもない。



そして男の見た目も亡者のそれだった。




”誰かと思えば随分と懐かしい顔だなあ。辺境伯様よお?”





「カエセ。キキョウヲ。」




亡者の目の前には何もなく、ただただ無が広がっているだけだった。





”何言ってやがる。大切な大切なお姫様(・・・)はとっくに死んじまってるだろう?あんたの手でよう。”





「カンジル。・・・イマデモ。マモラレテイル・・・キキョウ二。オマエガ・・・ココロモッテル。」





”そうだそうだ、そんな名前だったなぁ。でなんだって?”




「イノチダ。イノチヲ・・・・オマエカラモラッタ・・・・コレヲカエス。」




”はあ、いらねえよそんなもん。命は余ってるんでなぁ。”




「アクマノケイヤクハ・・・ゼッタイダ。」




”何を言ってる?”




「オレノイノチト・・・オレノタイセツナモノ。トウカダ。」




”ふん、勝手抜かすな!!その命はもうお前のものだ!”




「チガウ・・・オマエカラモラッタノハ・・・ヒトノ(・・・)イノチダ。ソレハ・・・モウ・・・オレノデハナイ。ダカラ・・・オレノタイセツナモノハ・・・モウ・・・オマエノモノデハナイ。」




”何を訳の分からないことを。”



「オレハ・・・モウ、アクマダ。」



男は懐からひどく禍々しい光を放つ”ナニカ”と、灰色になった脈打つ心臓を取り出すと暗闇の中にそれを放り投げた。


「ケイヤクハ・・・ゼッタイダ。」



”どうやって悪魔にー”



心の臓の落ちる音はしない。




そして、先ほどまでわめいていた悪魔も、もうどこにもいなくなっていた。













・・・




どれほどの時間がたっただろうか、いや、実際には1秒すら経っていないのかもしれないし、あるいは巻き戻ったのかもしれない。



 ふと、温もりに気づいて目をやると、手元には自分が持っていたのとは別の小さな命があった。

なぜ、命も大切なものも全てを失ったはずの自分こんなものひとつ持っているのか、その悪魔には理解ができなかった。



”イツ・・・ダレガ・・・アクマ二・・・イノチヲ・・・。”



気付けば向こうから人がやってくるのが見えた。




悪魔は何かにハットして、今にも奈落の底に落ちて消えてしまいそうな男に話しかける。




その顔には見覚えがあった。




遠い昔、この世界より前の記憶にあった顔。



悪魔は手元の命を見て、口を開く。



”イノチヲカソウ。タイカハ・・・キキョウ(・・・・)ヲタイセツ二スルコト。ソシテ・・・サイゴニカナラズカエスコト。”



歩いてきた男は何もわからないといった顔をしている。



「ちょっと待ってくれよ!桔梗って誰!?そもそもあんただれ?」



”アトハタノンダ。”



時間のない暗闇の中、悪魔は命一つを今にも消えかけの男に渡すとしたたかに契約を結んだ。



これから男の身におこる人外大戦や辺境の街の事は気になるが、彼には悪魔の加護を与えた。

大切なものを絶対に失わないと言う加護だ。


悪魔は振り返ると、静かに笑う懐かしい顔を見た。


ここは時間のない闇の中、これからはいつまでも一緒に居られると思った。



”マタセテスマナイ”



「ーー。」




悪魔の名を呼ぶ声が聞こえる。



そして、悪魔は何も言わず、静かに微笑み返した。


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