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5分で読める短編集  作者: 鳥乃雛
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我が家の風呂場の鏡は割れている

 我が家の風呂場の鏡は割れている。


 放射状に、蜘蛛の巣のように、あらゆる方向に。


 大人の背丈程もある鏡とその斜向かいの中程の大きさの鏡。それらの表面には保護フィルムが貼られており、触れて怪我をすることがないようにされている。曇り対策もされているようで、風呂場の高い湿気の中でもその輝きが失せることはなかった。


 そんなことをするくらいならば、鏡ごと取り替えれば良いのに。しかし、我が家の風呂場の鏡が変わることはなかった。


 何故鏡をこのような状態で放置しているのか父に聞いてみたことがある。


「死角を無くすためだ」


 そう言ったきり、他の疑問には何も答えてくれなかった。その父も先日死んでしまい、母のいない自分は一人ぼっちになってしまった。遺体は風呂場で発見されたが、その死因はよく分からなかった。目立った外傷も持病もなく、医者も首を傾げたという。


 それから、だろうか。それが現れ始めたのは。


 最初は気のせいだと思った。そう大して広くもない風呂場だし、何かの音が反響しているだけなのだろうと。


 風呂場で目を開いていない時に、それは聞こえる。頭をシャンプーで洗った時、顔を洗う時、泡をシャワーで流している時。


 呼吸音だ。フーッフーッ、という息遣い。


 初めはかすかに耳に届くだけだった。数日経って、はっきりと確実に聞こえるようになってきて、ようやく気付いた。音が大きくなっている。目を閉じる度ごとに、少しずつ、少しずつ。


 どうしたらよいか分からなかった。どうしようもないように思った。ただ妙な音が鳴っているだけ、何もない、何も問題はないと言い聞かせ、いつもの通り身体を清めに風呂場へ向かう。


 音はもう、耳のすぐ横で聞こえるようになっていた。


 大丈夫、気にすることはない。早鐘を打つ心臓を誤魔化すように、一心不乱に髪を洗う。その間にも音はどんどんと近づいてきて、ふぅっと生臭い風と共に、気色悪い感触が肌に当たったことに驚いて目を開く。


 化け物だった。鏡に映ったその姿は明らかに人間ではない。カマキリの顔のようなシルエットに縦に裂けたふたつの口。そこからフーッと空気が吐き出されると、先程の異臭が鼻に届いた。体はムカデのようにいくつもの体節から成っており、ところどころボコボコと泡のように膨らんでいる。


 鏡越しにそれと目が合う。するとそれは目にも留まらぬ速さで視界から逃げ出した。しかし、移動した先もまた割れた鏡の別の面に映っている。直接それのいる場所に目を向けても何も見えず、鏡を通して目が合うとまた逃げる。しばらくはその繰り返して、瞬きもせずにそれの移動を追っていた。


 その時、垂れてきたシャンプーの泡が目に入った。痛みについ目を閉じてしまったとき、近くでまたそれの気配を感じた。ぶにぶにとした柔らかい風船のような、いまにも弾けて中の液体を撒き散らしてしまいそうな、そんな感覚の物体が腕を這ってくる。


 そのあまりの気持ち悪さと恐怖に震え声を上げながら、どうにか痛む目を開くと、それは口から伸ばした謎の突起物をいまにも自分の耳の中にぶち込もうとしているところだった。はっきりと目を見開き、視線を合わせると、それは憎悪に目を剥き出しながらささっと逃げていった。


 それが離れたその機会に、勢いよく蛇口をひねって泡を流す。冷水だが仕方ない、とにかく急いで目を開けるようにしたかった。


 そして泡を洗い落とし、しばらく視線の追いかけっこをしていると、諦めたのかようやく鏡のどの面にも映らなくなった。


 ふぅ、と息を吐く。おそらく、父はあれに殺されたのだろう。あれが人の視線に弱いことを知って、こんな鏡を用意したのだ。父が死んだから、自分の前に姿を表したのだ。あれはいつからいたのだろうか。我が家の鏡は自分の生まれたときからずっと割れている。父はずっとあれと戦っていたのだろうか。


 どうすれはあれはいなくなるのか。お祓いだろうか、父はよく寺や神社に行っていたが、効果はなかったのだろう。父は銭湯なども行きたがらなかった。きっと外の風呂でもあれは出るのだ。鏡のある我が家のほうが安心だったのだ。


 一体どうするべきか、何をすればよいのか、考えに考え、自分は風呂に入らないことにした。


 もう5年になる。




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