某に花束を
賑やかな話し声と、明るい笑い声が廊下まで響き渡る。数人の男子がひとところに集まり騒いでおり、女子達もいくつかのグループを形成して話に花を咲かせている。黒板に落書きをしている者もいれば、ひとり静かに読書に勤しんでいる者もいる。朝の教室は、爽やかな喧騒に包まれていた。
ドアを開けて一歩、中へと足を踏み入れる。すると一人の男子がこちらに気づいたようで、手を振りながら近づいてきた。
「おお、おはよう! 久しぶりだな、もう大丈夫なのか?」
髪を短く刈り上げた、中学生にしてはかなり大柄のその男はこちらを心配するように声をかけてきた。彼の着ている真っ黒な学ランの胸部分には、金色に光る糸で小野塚と刺繍がされてあった。
「おお、拓真か。もうすっかり元気だよ。むしろ元気すぎて有り余ってるくらいだ、病院は退屈だったからな。てか、なんでお前もう学ラン着てんの? まだ冬服期間じゃないだろ」
周囲を見回せば、他は全員中間服に身を包んでいる。かくいう自分も長袖のカッターシャツに、黒い学生ズボンの組み合わせだ。
「こいつバカだからさ、寒い寒いって騒いで特別に先生から学ラン着ててもいいって許可もらったんだよ。まだそんな寒くないのによお」
肌の白い、細身の男が拓真の背中をバシバシと叩きながら言う。そこまで背は高くなく、拓真の横に並ぶとより小柄に見えた。
「おい健吾、痛いって!」
拓真は軽快な音を立てられていた背中をさすりながら、原口を睨みつける。当の本人はどこ吹く風といった様子で、へらへらと笑っている。
「原口、あんまりやると拓真が怒るぞ。こいつデカいから、殴られたら痛いぞ絶対」
「大丈夫だいじょうぶ、拓真は優しいからな。何しても怒らないの」
その言葉に拓真が大きなため息を漏らし、次いで何か言おうとしたところで別の声に遮られた。
「お前らそろそろホームルーム始まるぞ。早く席着かないと先生に怒られちゃうぞ」
薗部は自身の席に座って、顔だけをこちらへと向けてそう言った。時計へと目を向けると、確かにもうすぐホームルームの時間だった。さっきまで固まって談笑していた者たちも、いそいそと自分たちの机に向かっているのが見える。
ホームルームでは、俺が今日から復学したことが淡々と告げられた以外は、とりとめのない行事確認だけで終わった。一限目が始まる前に用でも足そうかと席を立った時、背後から自分を呼ぶ声が聞こえた。
「あ、あの……えっと…………」
声の主は眼鏡の内に隠された瞳を忙しなく動かし、時たまこちらをちらりを見てはすぐに目を逸らす。一体何用だろうかと思索を巡らすも、思い当たる節はない。
「ごめんなさい!!!」
目の前の少女の大きな謝罪と共にその小さな頭が下げられ、二つのおさげが宙に跳ねる。セーラー服の裾がはためき、石鹸の香りが鼻まで届いた。
「うーんと、君は……?」
何の話をしているのか分からず狼狽するが、女子生徒は下を向いたまま動こうとしない。どうしたものかと頭を掻いていると、隣から快活な声が響いた。
「ごめんね、この子ちょっと口下手で。あんたが怪我した時、水筒踏んだでしょ。それ、この子が落としちゃったやつだったのよ。ほら可奈、顔上げなさいよ」
髪を肩までまっすぐにおろした彼女の溌剌とした言葉を受けて、小林可奈は面を上げた。その目は涙で潤み、今にも声を上げて泣き出しそうだった。
確かに俺は水筒を踏んだ。昼休み時間に友達と教室を走り回っていた俺は、勢い余って小林さんの机にぶつかってしまい、そのまま落ちてきた水筒に足を取られたのだ。バランスを取ろうと二、三歩前へと進んだが、やはり体勢を崩してしまいそのまま頭から窓ガラスへと突っ込んだ。その後のことは何も覚えていないが、顔中血まみれで酷い有様だったと後から聞かされた。きっと彼女は、ずっと自分を責めていたのだろう。自分のせいで俺が怪我をしたのだと、そう考え続けていたのだろう。だからこそこうして俺に頭を下げ、泣きじゃくった様な顔をしているのだ。
だが、小林さんは何も悪くない。どう考えても教室で暴れていた俺の自業自得だ。水筒だって俺のせいで落ちたのだ。それにまあ、大きな怪我こそしたがこうして無事に学校に戻って来られたんだ。そんなに重く捉える事もないだろう。そう彼女に伝えると、少しホッとしたように表情を緩め、もう一度謝罪をして席へと戻っていった。途中で声をかけてくれたボブヘアーの女子生徒にお礼を言うと、照れ臭そうに肌の白い頬を掻いていた。
授業の時間は退屈だった。入院中にやるようにと渡されていたプリントは授業の進行より大分先まで及んでいたようで、どれも以前に解いた事のある問題ばかりだった。12時50分のチャイムが鳴り、四限目が終わると皆一様に動き出し、あちらこちらでざわめきが響いた。自分も机を並べ直し、向かい合わせの島を作る。すると長袖のカッターシャツを折り曲げ、七分袖にした大柄の男子生徒に声をかけられた。
「お前、今週給食当番だろ」
黒髪を短く刈り上げ、見るからにスポーツマンといった風貌の男は、少し腰を折り曲げこちらへと顔を近づけながら言った。
「あー……、そうだったっけ?」
「俺と一緒に温食の担当だけど、大丈夫か? なんなら俺一人で持つけど」
野太い声をしたそいつは、ピンク色の給食着入れを掲げる。袋には、小野塚拓真と黒のマジックで大きく書かれている。
「大丈夫だって、そんなに心配するなよ拓真。というか、なんで学ラン脱いでんの? 別に学ラン着たままでも給食着は着れるだろ」
「いや、やっぱまだ昼間は暑いわ。あんなん着てたら汗だくになっちまう」
「お前、やっぱりバカなんだな。知ってた」
その言葉を聞いてこちらに迫る拓真から逃げ、廊下に飛び出した所で先生と遭遇し二人仲良く叱られてしまった。その後は大人しく給食の準備をして、昼休みは外には出ずに教室で入院中の学校の話を聞いて過ごした。
午後の授業が終わるとすぐに帰りの会が始まり、大した話もなくそれもすぐ終わった。さて家に帰ろうかと鞄に教科書を詰めた終えた時、学ランを着た拓真に話しかけられる。
「迎えが来たみたいだぞ、早く行ってやりな」
拓真の指差す方向へと目をやると、所在なさげに髪の毛を弄んでいる女子生徒の姿が見えた。学年章の色からして、一つ下のようだ。少女は目が合うと、早くこちらへ来いという風に、大きく手招きをする。
「ほら呼ばれてるぞ。気をつけて帰れよな」
そう言う拓真に背中を押されて、青い鞄を両手で持つ彼女の元へと小走りで向かう。俺が到着すると、二人横に並んで歩き出した。
「病み上がりだから、一緒に帰ろうと思って。流石に帰りの道を忘れてるなんて心配はしてないけど、途中で転んだりしても大変でしょ」
つかつかと歩くたびにポニーテールを揺らす彼女は、ぴんと立てた人差し指を回しながらそう言う。
「まるで子供みたいな扱いされてるなあ」
「ごめんごめん。でもやっぱり、ちょっと不安だったから……。あ、そうだ。今日の晩御飯、カレーなんだってさ。楽しみだね」
「……ああ、それは美味しそうだな。いいなあ」
隣を歩く少女がこちらを振り向き、細い眉を少し寄せて怪訝そうな顔をする。しかし、また前を向くと何事もなかったかのように話を続ける。
「そういえば、久しぶりの学校はどうだった? 楽しかった?」
「友達にも会えたし、楽しかったよ。授業のほうは、宿題でもうやってたとこだったからつまらなかったけど」
「入院生活が暇すぎるって言って、めちゃくちゃ真面目に勉強やってたもんね。普段からは考えられないくらいだったよ」
白い歯を見せてクスクスと、鈴を転がすような声で笑う。
「……確かに、あの時が一番勉強してたかもなあ。けど、入院はもうごめんかな。怪我だってそうだ」
俺がそう言うと、少女はふんと鼻を鳴らしてこちらを振り向く。力強い目をまっすぐに向けられ、少しだけたじろぐ。
「本当にこれっきりにしてよね、お母さんもすっごい心配してたんだから。お兄ちゃん、昔から色々やんちゃしてたから、ちょっとだけ不安なの。何かあったら私だって困るんだから」
「…………俺の妹は優しいなあ」
そう言って妹の頭を撫でる。こうするのは、本当に久しぶりな気がした。
「……なあ、俺やっぱ病院に戻るよ。ありがとうな」




