幸せな母子
「これはマウスの胚細胞です。胚細胞というのは受精を終えこれから分化を始める細胞のことで、まあ赤ちゃんのモトというやつですな」
男はデスク上のモニタを示し、鷹揚に言った。
「生物というのはみんなこのたった一つの細胞から生まれるのですよ。ここから色々なシグナルを受けて、頭や心臓といった機能を持った器官に分化していくわけです」
モニタに映っていた小さな細胞は少しずつ数を増やしてゆき、やがて頭部や尻尾のようなものを形成していく。
「つまり、この胚細胞に与えるシグナルを操作することで思い通りの器官を作りだすことができるのです。あなたの横にあるのがその機械で、これは最初にプログラムした通りにタンパク質や核酸を分泌することで、脳だけを作るように発生の方向を操ることができます」
男は天井に届く程の大きさの円筒形の機械を指差す。
「先生、お詳しくありがとうございます。でも私、そのお話でしたらこちらに初めてお伺いした時にも聞きましたわ」
「インフォームドコンセントというやつですよ。医者には施行の前に患者に説明をする義務があるのです。もちろん初診の際にも同じようなセミナーに参加してもらって、同意書にサインして頂きましたが、もう一度確認が必要でしてね。よろしければこちらに承諾印を頂けますかな」
そう言って男は手のひら大のカードを示した。女がそれに触れると、ピッという音とともに一度だけ緑に光った。
「よろしい。それでは始めましょう」
男がカードを挿入すると、円筒形の機械が動き出す。
「この機械の中にはあなたの脳細胞から作った多能性幹細胞が入っています。先ほど説明した胚細胞と似たようなもんですな。それに旦那様のDNA情報を追加し、あなた方のお子様が生まれるわけです。ボディは持ってきていますね?」
「ええ、最新型を購入しましたわ」
そう言うと女は腹部の格納庫から小さなポーチを取り出した。男はそれを受け取ると、機械の中ほどにある扉を開けて丁寧にセットした。
「結構。次はメディカルカプセルを投入していきます。こちらはオレキシン受容体拮抗薬です。安らかに眠ってくれますよ。これはセロトニン作動性抗不安薬。不安を和らげてくれます。他にも栄養剤など色々……。残量が少なくなるとボディのランプが点灯します。まあ10年は大丈夫でしょうが、その時はウチに来れば処方致します」
数十種類のカプセルが次々とポーチに埋め込まれていく。それが全て終わると、Don't touchの文字が表示される。
「いよいよですな。脳のサイズも良好です。ボディと連結できるまで少々お待ちいただきます」
「先生、私なんだか不安ですわ」
「なに、それはおかしいな……子供が生まれる前は期待でワクワクとしているはずだが」
その時、機械が一際大きくうなりを上げた。振動が終わると自動で扉が開き、赤ん坊がひとりでに這って出てきた。母親を認識しているようで、真っ直ぐに女に向かって進んで行く。
「無事誕生したようですな。元気な男の子です。どうぞ抱いてみてください」
そう言われて女は赤ん坊を抱き上げる。すると赤ん坊は嬉しそうに手を振って笑い出した。
「先生、これが子供を抱くということなのですね。なんだか私、まだ実感が湧かなくて……。でも母親として、できることはなんでもやるつもりですわ」
「ふむ、やはりあなたはご病気のようだ。薬剤分泌機能科を受診してください。治療が終わったら、子供を抱くたびに幸せな気持ちになれるはずですよ」




