目覚め
しとしとと降る雨の音。
それ以外の無駄な音が一切聞こえない。
かんかんとがなり立てる踏切の音も、耳障りな電車の音も聞こえない。
寝不足の頭に響くからとても不快だったのだ、と静かになって初めて気が付いた。
…やけに静かだと思う。
都会で駅から徒歩1分なんて近くて素晴らしいとか、雨の時とか困らなくて済むとか、そんなうたい文句につられて借りた家賃のやたら高いマンションの一室ではありえない。ありえないのだけれど、今私はとても眠いのだ。だから、目を開ける気なんてかけらも起きない。でもそれでもいいはず、だってここしばらくの平均睡眠時間なんて3時間だし、眠くならないわけがない。ああ、でも少しもったいないかも。数時間後にはまた出勤する必要があるから、そのために精神面での疲労回復の時間が必要でもある。そういえば、昨日だったっけ?【黎明の彼方へ】の新刊発売日。うー、コンビニ受け取りにしたのが失敗だった。ポスト投函してくれる方にしておけば…!今すぐ癒しを手に入れられたのに!
にしても眠いのにより意識がしっかりしていく感覚がする。これはもう寝られない、か。
ぱち。
目を開けたのに目の前は真っ暗なんですが。私明かりけして寝た記憶ないんだけど。うーん、とりあえず、電気つけるかー。…あれ?体が動かないんだけど。????
とりあえず、指は…動く。腕は…動くけど上がらないな。足の指は動くけど足全体にはそこまで力は入らない。……もしかして過労死寸前とかじゃないよね?とりあえず、声出るならスマホがすぐそばにあるはずだし音声認識のシステムで起動させて救急車呼ぼう。
「…っ…あぁぁあああ(へい、マイスマホェえぇぇぇ)…!?」
ちょっと待て、声でないわけじゃないのにいろいろおかしい!どう考えても今単語言えてなかった。それどころかろくに話せないんですけど。というかこのかんじ成人女性じゃないよね?あるまじきくらい幼いというか、なんというか。まず間違いなく赤ん坊の声じゃん!あれ?いつ私赤ん坊になったの?記憶上ではブラック企業ではないけどグレーな会社で働いてたしなびた28歳なんですけど???三十路へのカウントダウンがかかってた年齢=恋愛経験どころか恋したことない喪女なんですけど???あっ、これ夢か―。疲れすぎて赤ん坊になって何もしなくてよくなった夢みてるのかー、そっかー、あははー。ってなるかい!どれだけ疲れてるんだ私は。ちゃんと目が覚めたら退職も検討していこう。よし、寝るか。
バン!
勢いよく扉が開く音と男性と女性の声に勢いよく目を開ける。いやまて人んちになんで見知らぬ人が入ってきてッてこれ夢だったわ。というか、見慣れない質素なワンピースにエプロンの姿ですね女性のかた。そして男性の方も結構質素なシャツとスラックスですね。というかドアが開いたおかげでわかったけど、ここ結構小さい木製の家なのね。
「さっき泣き声がしたきがしたんだけど…。静かね。」
「そうだね、ロザリー。でも僕らの可愛い娘はどうやら先ほどの音に驚いて固まってしまっているみたいだ。」
「あっ。…ごめんなさい。ママが悪かったわ。安心して眠っていいのよ、アイリス」
抱き上げられて、その腕の柔らかさ、温かさ、なにより一定の間隔でする鼓動の音に、不思議と力が抜けて先ほどまでの眠りにつけなかった感覚が嘘のように、意識がほどけて行った。
…で目が覚めると思うじゃん?ところがそうもいかなかったんだよねぇ(遠い目)
あれから約半年、ええ。お判りでしょう。夢じゃありませんでした。これだけ目が覚めなかったら、そして痛みもあれば納得せざるを得ない時間が経過してるよね、もうこれ。赤ん坊になったってことは死んだんだとは思うけどいつ死んだ、原因は何?とかはっきり覚えてはいないけれど、仕方ない。とりあえずは、状況把握だけは済ませてある。
どうやら前の人生とは全く違う世界に生まれたようで、帝国、王国などが存在し、魔法、魔物などが存在するらしい。私がいるのはザリアー王国というこの大陸の中で小さい王国のようで、先日第一王子の1歳の記念式典が開かれていたらしくて運よく耳にした。今いる場所はその中でも隣国のどでかい帝国の国境にある小さなプリモヴァーチェという町。両親はその町の端の方にあるパン屋。夫婦二人で経営している小さなパン屋だけれどそこそこ人気があるらしくて、首の座った私をおんぶ紐で背負って母さんがパンの販売をしており、父さんがパンを焼いている。父さんの名前はエルドール、母さんの名前はロザリーというらしい。ちなみに私の名前はアイリス。え?将来有望そうかだって?両親は金髪碧眼だけど普通の容姿だから期待はできないと思う。ただ気になるのが、私の髪の毛とか目の色がどうやら両親と全く似ておらず昔と同じ黒髪黒目なことなんだけど、特に夫婦仲が悪いとかないし、父親が違う感じでもない様子。うーん、そのあたりもしかするとまだ知らない事情とかあるのかもしれない。よくある前世と同じ容姿になってるとか、隔世遺伝とか、チェンジリングとかいろいろあるのかもしれないし。あまりその辺りは気にしないのがよさそうだ。近所で噂とかも立てられない感じなのでおそらく問題なし、としている。
ある程度安定した日々が過ぎていて、平和だったので私は考えていなかった。
その平和が壊れるのは突然だなんてことを。