第7話
アタシは追って洞窟に入ってきた男に向き直り、両手をかざした。
「疾風砲球!」
かざした両手から放たれた魔力は周囲の大気を圧縮し、巨大な弾丸を作り出す。その大きさ、直径にして2メートル以上。
それは、アタシと男が対峙しているこの洞窟の入り口の径を塞ぐのには充分な大きさだった。
放たれた大気の弾丸は唸りとともに暗い洞窟に積もった塵芥を捲り上げ、壁にかけられた松明を吹き飛ばしながら男に迫る。
「なっ…グァァッ!?」
不可視にして不可避の風の槌。
男の身体は抵抗することすら許されず、後方まで吹き飛ばされていったのだった。
男を吹き飛ばしたアタシが洞窟から出ると、既に男の一撃から立ち直ったラルフが剣を抜いて男に近づいていた。
「勝負あり、だな」
煙を上げて転がる松明をカツンと蹴ってどかし、ラルフは地に伏したままの男に剣を突きつけた。
「ラルフ、油断しないで!」
男の一挙手一投足に注視しながら、ラルフに駆け寄る。
疾風砲球は直撃すれば人間程度なら数メートルは吹き飛ばす威力はあるが、所詮は風。殺傷力は皆無と言える。使いようによっては今みたいに戦局を変えることは出来ても、相手を直接的に戦闘不能に出来るものではない。
「身体は動くでしょうけど、この状況からアタシたち2人を相手にして、出し抜けるとは思わないことね」
警戒しながらアタシも剣を構え、ラルフと2人で男を挟むように立つ。
だが、男にはすでに抵抗する気は無いようだった。
「どうやら、そのようだな。アンタ達二人を相手にしては、本気を出しても厳しそうだ」
男が諸手を挙げながら、ゆっくりと身体を起こす。
既に、男から発せられていた殺気は微塵もなく消えていた。
「やっぱりアンタ、魔術も使うわけね。なら、どうして…」
「出し惜しみしたわけじゃない。言っただろう、取り込み中だと。
中で、ちょっとした儀式の最中だったんでね、制限されてただけさ」
アタシの言葉が終わらないうちに、すんなりと白状して洞窟を指差す。
「儀式?」
男の指につられてアタシ達が洞窟を振り向いた瞬間だった。
タンッ、と地を蹴る音。
しまった!殺気が無いから油断した!
振り向くと、後方へのステップでアタシ達の間合いの外に出た男の姿があった。
「チッ!すまない、ミカ!」
慌てて剣を構え直すラルフだったが、男は依然として殺気を出すことなく、意外な言葉を口にした。
「おっと、今回はここまでだ。
このままやりあっても疲れそうなんでな。中にあるものはアンタらに預けておくさ」
「な…!?ちょ、ちょっと待ちなさいよ!アンタ、コイツらそのままにして逃げるつもり!?」
そこかしこに転がったままの野盗達。
だが、男の行動は速かった。
「そいつらはこちらが勝手に利用しただけ、好きにするといいさ。
では、な」
言うが早いか男は踵を返し、ひらりと森の奥へと消えて行ってしまった。
「ミカ、追うか?それとも…」
「ん…」
ラルフの声に少しだけ考え込む。
どうする?
何とも煮え切らない幕切れではある。
でも…
「いいわ、アイツを追ってもメリットないし…
それより、ソイツらが伸びてるうちに、頂くもの頂いて、アタシたちも行きましょ」
「ま、それもそうだな…」
なんとも浮かない顔のラルフが剣を納める。きっと、アタシも同じ顔をしてるんだろうな…
これは、何かの始まりなのだろうか。
漠然とした、何とも言いようの無い不安とも不快感とも取れる暗いものが心の奥に生まれたことを感じながら、アタシたちは洞窟に向かっていった。
夜の帳が下りる頃、アタシとラルフは森の街道を抜け、山間に開かれた宿場町、カーマに辿り着いた。
アタシ達が来た街道は、先程の森の中のように所々は細く人気のない街道ではあるが、昔は王都から山を抜け、海辺まで貫ぬく唯一の街道だったことから、海産物を運ぶ行商隊やその護衛の冒険者の往来が盛んな通りだったという。
今では他にも街道が整備された事などから、行商隊などの大型の荷馬車を使う人の足は離れたが、アタシやラルフのような歩き旅をする人間は多少は残っていた。
このカーマ町は、そんな旅人の宿場としていまもそこそこの賑わいを見せている街だ。
アタシ達はいま、海から王都へ向かう上り方面を旅しているのだが、海から森を抜け、この町の向こうにある山を越えれば2日程で王都が見えてくる。
旅人が山を越える前に足を休めるには打って付けの町だった。
なんだかんだあったが、とりあえず野盗からお宝を巻き上げる事が出来たアタシ達は、町に着いた時には辺りが暗くなってきていたこともあり、今夜はゆっくり休み、明日から行動することに決めた。
そこで今夜はこういった宿場町にはつきものの、公営の冒険者向け宿小屋をシェアして借り、適当に買い込んできた食べ物で食事を始めていた。
「乾杯!」
ラルフが掲げた木製のジョッキにコンっと器を合わせ、アタシは自分のグラスに口をつける。
「ん〜〜〜っ、美味しっ!」
甘酸っぱい香りと爽やかな甘みが舌の上に広がり、擦り下ろされた果肉がサラサラと喉を流れていく。
アタシが飲んでいるのはこの町の特産、山桃と山葡萄の潰し汁にガス入りの水を注いだもの。
酸味の効いた果実の甘さと心地よい炭酸が、日中の戦闘と旅の疲れを癒してくれる。
「うむ、うまい!これがあるから旅はやめられんなぁ!」
一息に飲み干したジョッキをドンッとテーブルに叩きつけるラルフ。彼が飲んでいるのはこの町で唯一の醸造所が作っているという地元の麦酒。
『旅の夜は土地の酒だ!』などと言いつつ、町に着くやいなや、いきなり樽で買い込んだのを見た時は驚いたものだが、どうやら彼は相当な酒呑みだったようだ。
ちなみに、アタシはお酒は基本的には飲まないタチ。飲めなくはないが、魔術師たるもの、酩酊して魔力を暴走させるなどもってのほか、普段から節制しているのだ。
…こどもだからではない、決して。
「あ、ラルフ。アンタの麦酒の冷やし料、ツケておくからね♪」
机に並べられた店屋物から、鶏肉の串焼きに胡桃のソースをかけたものをとって頬張りながら言う。あはっ、これ美味しい!あっさりした鶏の旨味を胡桃のコクが補ってるのね。
「なっ…!?金とるつもりか!?」
樽から二杯目の麦酒を注ぎながら非難するラルフ。
「あったりまえ、でしょ」
氷なんて庶民にとっては贅沢品。どこでも飲み物を冷やせるのは冷気を生み出せる魔術師の特権とも言えるのだ。
アタシはちまちました小遣い稼ぎは普段はしないが、昔っから旅の魔術師はこれで宿代を稼いだという話を聞いたことがある。
「お前さんな、昼間あれだけ稼いだんだから、このくらいはいいだろ?」
ラルフが指差したのは隣の机に置いてあるいくつかの革袋。
これらは本日の戦利品だ。
いやー、実はアイツらが結構溜め込んでてくれたのでホックホクなのだ。
お金のないときはボロい宿屋や、最悪の場合は野営場で他の旅人と混ざって雑魚寝、なんてこともあるのだが、お陰様で今夜はこうして貸切の宿小屋でくつろげるのだ。
ちなみにこのロッジ、アタシ達が今いるリビングに入り口があり、この奥に個室の寝室が4つ、シャワーにおトイレ、炊事場もついた町で1番高価なタイプなのだ!いやーん、リッチ♪
「ま、アンタが手伝ってくれて楽できたし、仕方ないからお礼代わりに無理にしておくわ。
んで、お宝の分配の話なんだけどさ…」
町までの道すがらに2人で決めたことを確認する。
金貨や銀貨、綺麗な宝石など、きっちり分けられるものは等分。
傷がついたり割れたりしている宝石はアタシが相応の額で引き取ることにした。コレは魔術師にとっては宝魔石の素材にできるのだ。
その他、値打ちものっぽい美術品は明日、鑑定屋で値をつけてもらうとして、困ったのは残る2つの品だった。
「コレが、奴の言ってたモノだと思うんだけどね…」
革袋から出してラルフに見せる。
彼は頬張った腸詰めとポテトのマッシュを麦酒で流し込んでからこちらに向き直る。
「像、だよな。何か言われがあるものなのか?」
アタシの握る石像。
それは、怪しく光る紅の眼をした邪神の像だった。