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慈悲の系譜/続  作者: しおなか
慈悲の在処
7/24

肉が焼けるのを待つ

 夜のとばりが辺りに落ちはじめた頃、地方都市ネギールを目指す旅人たちは本日の道程をここまでと定め、そそくさと野営の準備にとりかかった。街道から少し離れた場所に、ひらけた空間があり、これはロシャーンバイソンたちが逗留してそこらの下草を胃に納めた結果であるのだが、とかく足場の安全が保障されている場所であるので、そこで野営をしようという話に落ち着いたのだった。

「お腹すいた……」

 急ごしらえのたき火を囲む男女が五人。離れたところにお行儀のよい馬二頭。はかない声で口火を切ったのは、リリエンシャールである。

「おいおい、よだれがたれてるぞ。そんながっつかなくても、すぐ焼けるだろ?」

 半笑いのアートヒーの声を無視して、リリエンシャールはぼそぼそつぶやく。

「最初に焼けた肉は、絶対、ゼッタイ、私のモンよ。手を出したら、タダじゃおかないんだから」

 リリエンシャールがつぶらな瞳で見つめる先にあるのは、たき火の炎と、炎の周りに配置された五本の串である。地面に突き立った五本の串には、肉汁したたる生肉の塊が突き刺さっている。

 昼間にリリエンシャールが狩ったロシャーンバイソンの肉である。

 あの後、護衛役の男が食せる部位を切り取り、こうして夜食として供するまで、旅人たちが所持していたワインに漬けこんでいたのだ。挙句に彼らは香辛料まで所持していたというのだから、もうリリエンシャールの胃袋は切なくなってきゅんきゅんしてしまうのであった。

 そういうわけでリリエンシャールは肉の焼け具合に全神経を集中させていた。そのころ、たき火の反対側に陣取っていた旅人の女は、別の事柄に頭を集中させていた。女旅人ヒーリー・フラウロウの頭を悩ませていたのは三つの問題である。

 一つ、自分たちの危機をいちおう救ってくれたこの怪しい三人組が本当にただの通りすがりなのか否か。……これは、主にアートヒーとかいう口の軽い男が道中にべらべらしゃべってくれたおかげで、どうやら本当に減税嘆願の旅路に偶然行き当たったらしいと確信を持てている。

 もう一つ、これから彼女が取りかからねばならない大事に際して、予定になかったこの不意の遭遇を最大限に利用する最も有効な手立ては何か。……否、彼女の中ですでに結論は出ていた。この邂逅は彼女にとって突然に降ってわいた幸運だ。残酷な遣り口には違いないが、天の采配は自分の側に付いている。やり遂げるしかないのだ。ヒーリーは己の胸に手を当て、息をついた。炎に照らされた頬の影がゆらめく。ひそめられた形の良い眉は一種はかなげな風情を醸し出し、それに見とれたアートヒーがにやにやし、護衛のクザーフに睨まれて、気配だけを察したリリエンシャールが「私のほうが、若いし、かわいいっつーの」とブーたれる……という一連の連鎖には意識も留めず、ヒーリーは残る最後の懸念に気をやった。

 最後の一つ。それは、怪しい三人組のうち、最も影の薄い人物――レブトライト・ロゴーニュだとかいう名前の男に、なにやら見覚えがあるような気がするのだった。

(そんなはずがないわ。彼らは、この地方の出身のようだし、わたくしは、この地方を訪れたのは、此度の件が初めてなのだから……)

 件の男は、たき火の反対側で肉を焼いている娘のやや後方、荷車の隣に腰を下ろし、炎の明かりが作り出す明るい輪の外側に身をおいている。フード付きのぼろぼろの外套を身につけており、ひらめく裾からのぞくのは、くたびれた野良着にしか見えない。令嬢として育ったヒーリー・フラウロウの過去の知り合いに、顔の詳細が見えないとはいえ、このような身なりの男がいたとは、とうてい思えない。思えないのだが……。

(なにかしら。どこかで、見たような気がする)

 ヒーリーがここまで固執するのは、彼女がある奇妙な事実に気がついたからである。その男は、ヒーリーを避けているふしがあった。道中、常に彼女から最も遠い立ち位置を選んでいたようであるし、凶暴小娘を打擲していたときも一言も声を発さなかった。夜が更けてフードを一度も脱がないというのも妙な話だし、現にいまだってヒーリーの視界に入らない位置にいる。

 ヒーリーは今年の春節に二十七歳を迎えた、独身の女である。両親が結婚セイとうるさかったのも既に過去の話……とはいえ、十二分に女ざかりの身空である。しかも、彼女は自分の美貌を良く自覚していた。大抵の男は、彼女がひとたび微笑みを向けると、例えは悪いがアートヒーのように骨抜きにされるのが定石なのだ。それをばこのレブトライトとかいう男はまったくもって彼女に尻尾を振らないどころか、避けていくとは何事か? ヒーリー・フラウロウは自身の抱いている疑念の正体が、おのれの矜持を守るためのものなのか、それとも真実見落としているものに対しての第六感の警告なのか、見極めようと眼をすがめるのだった……。

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