ささやかな嫉妬
話を聞けば、男女の旅人も領主の居城があるネギールを目的地としているというので、これもなにかの縁であろうと(そう言い張ったのはアートヒー一人であったが)、一行は旅の道連れとなった。地方都市ネギールまで、残るは徒歩で約一日の道程である。
「へえー、お二人は王都からわざわざこんな田舎くんだりまで来たんスかあ」
「まあ、田舎だなんて……」
「やー、俺の身びいきでも、ここはド田舎っすよ。ロシャーンバイソンのほうが、人間の数より多いって噂も、案外間違っちゃねえって」
「うふふ」
などと、一行の先頭に立ってほのぼのした会話を交わしているのは、アートヒーと、女旅人ことヒーリー・フラウロウである。砂色のフードをはねのけたヒーリーは、美しい妙齢の女であった。風にプラチナブロンドをたなびかせ、穏やかな手つきで馬の手綱を引く姿はどこぞの貴族のお嬢さんといった風情で、隣を歩くアートヒーは終始しまりのない顔を見せている。
「あれ? でも王都から来たのなら、ネギールを通り過ぎちゃっているんじゃないですか? なんでわざわざこんな北の僻地まで?」
地理的な位置関係を並べると、北からアサダ村、北の街道、三叉路、南の街道、地方都市ネギール、さらに南の大街道をたどって王都が見えてくる。旅人たちが王都を発って地方都市を目指していたならば、明らかに目的地を行き過ぎてしまっている。アートヒーの疑問ももっともなものであった。
「それは……」
一瞬、女の眼が臥せらせる。
「私が、道を間違えてしまったの。昔から方向音痴で」
先ほども述べたが、地方都市ネギールは遥か南の地、三叉路から徒歩でおよそ一日かかる位置にある。ハッキリ言って、方向音痴なの☆ とかいうレベルではすまされない迷走ぶりなのだが、憂い顔の美女は七難隠す。アートヒーにとってはむしろチャームポイントでは? と受け止められた。ドジっ子かわいい、というやつである。
「そっかー、方向音痴だったらしょうがないですよねー」
「あら、ありがとう。優しいのね、あなたって」
「いっやー、自分なんて、全然! 全然ですから! 優しくなんて……へへっ。だいたい、従者さんが気づかないのが悪いんスよ。ヒーリーさんは悪くないッス!」
「まあ」
会話の流れで悪人にされたのが、もう一人の旅人ことクザーフである。護衛役の男は、ごくごく平和的なおしゃべりに興じる二人のやや後ろを歩き、馬を引きながら、周囲に眼を光らせている。彼はヒーリーの従者である。朗らかな主人とは真逆の、寡黙な性質らしく、彼のお嬢さまにたかるチャラ男(言うまでもないがアートヒーのことである)にときおりしかめ面を見せつつも、周囲の草むらにひそんでいる野生動物の気配に気を配りながら歩みを進めている。見上げるほど高い背丈、頑丈そうな広い肩。真一文字に引き結ばれた厳しい口元からは、いかにも真面目そうな男という様子が伝わってくる。これほどまでに隙の無い姿を見せているのは、あるいは二度と獣に遅れは取らぬ、という気概の表れなのかもしれない。
そして一行の最後尾を歩いているのが――
「なによあれ、なによあれっ! なんでポッと出のあの女が、私よりチヤホヤされてるのよ!……イテッ」
怒りにうち震えて道ばたの石を拾いおもむろに投石の姿勢になるリリエンシャールと、その白く華奢な脛を容赦なく蹴りつけ暴挙を止めるレブトライト・ロゴーニュであった。
なお蹴られてバランスを崩したリリエンシャールの手を離れた石は明後日の方向に飛んでいき、落下点の地面付近にいたロシャーンフンコロガシに多大なる恐怖を与えていた。罪作りな美少女である。ちなみに、このロシャーンフンコロガシは、ロシャーン国北部にしか生息しない、ごく珍しいフンコロガシである。大きさはおよそ成人男性の握りこぶしほどであろうか。草原の雄であるロシャーンバイソンの足で踏まれても平気な虫だが、特筆すべき珍しさは、その頑丈な甲殻はもとより、前腕の常識離れした頑健さにあった。既に繰り返し説明してきたことであるが、ロシャーンは大陸の北方に領土を構える大国である。北国は寒い。どれくらい寒いかというと、冬季にはフンコロガシの餌となる動物のフンが、寒さで凍りつくほどである。通常のフンコロガシならば、とても切り出して巣に持ち帰れないほどの硬度に達するのである。ロシャーンフンコロガシの祖先はそこに目をつけた――かどうかはさておき、たくましく進化した前腕により、彼らは凍りついた餌をものともせず切り出し、成形し、愛の巣へとコロコロ持ち帰ることが可能になっているのであった。実はこの前腕が非常に固く鋭いという点に眼をつけた学者が、ロシャーンフンコロガシの甲殻を利用した刃物を開発するという革新的な出来事が現在時制よりおよそ五十年後に起きるのだが、それは此度の話になんら関係がない。関係ないのだ。関係ないので、ここまでおよそ原稿用紙一枚をかけて説明したロシャーンフンコロガシの豆知識はきれいさっぱり忘れて、旅の一行が野営の一幕を迎えた場面に戻るとしよう。