美少女の来歴と悪だくみ 1
天は運命をして初春を迎えたばかりの寒村をむごたらしい殺戮の災禍に放り込んだのだ。ロシャーンバイソンを一瞬にして葬り去った超絶美少女ことリリエンシャールは、故郷の村を襲撃した盗賊の魔の手によって、生まれ育った家と、たった一人の家族であった兄エンリケを、一夜にして失った。南から流れてきたという盗賊たちは、村を狂乱の炎に放り込み、血と煙にまかれた村人たちは、お返しとばかりに地獄の道ぞえに盗賊を巻き込み果てた。翌朝の村には何も残らなかった。白々しい北の太陽が照らし出したのは物言わぬ躯ばかり……それが、旅人たちと美少女との遭遇からさかのぼること五日ほど前の出来事である。
何の因果か殺戮の一夜を生き延びたリリエンシャールは(気になる人は、前作「慈悲の系譜」を読んでね☆)、ヨルダ村の外れに居着いていた退役軍人によって屍の海から引き上げられ、丸一日の間高熱にうなされて、目覚めたときは隣村の村長の家のベッドにいたのである。
「目が覚めたようだね。おはよう、リリエンシャール」
初老の男に声をかけられたとき、リリエンシャールはまだ夢見心地の中にいた。半開きのまぶたを両手でこすって、ベッドから体を起こして、自分の枕元に立ってにこにこしている男を見ながら、見覚えのないじーさんだけど誰かしら、なんてことをぼんやり考えていたのである。
「ん、オハヨ……あんた誰?」
失礼そのもののリリエンシャールの言葉を、しかし、初老の男は気にするふうでもなく、鷹揚な笑顔で受け止める。その飄々とした態度と、歳格好に、何か記憶をくすぐられたような心地を覚えて、リリエンシャールは首をかしげた。ひょっとしたら、この老人にどこかで会ったことがあるのかもしれない、と考えたのである。
「私の顔に見覚えがあるのかな? 実は、兄はきみの村で村長をしていた。弟の私は、隣の村で同じ職を務めさせてもらっている。ここの村長ソン・ジーンだ。よろしくね」
むべなるかな、初老の男はリリエンシャールの村の村長と兄弟であったのだ。立ち居振る舞いに既視感を覚えたのも無理はなかった。どーもどーもと頭をかきながら挨拶をして、ハタとリリエンシャールは気がついた。頭をガシガシやるために持ち上げた右腕に、白い包帯がきつく巻かれていたのだ。自分の体を見下ろしてみると、見慣れない白いワンピースを身につけており、短い袖や、襟元からのぞく白い肌は、包帯やら軟膏やらで覆われていて、地肌を探すことの方が難しそうだ。まるでとんでもない大怪我から生還した人みたいに……。
「きみの村のことは、残念だった」
ソン・ジーンの言葉には沈痛な響きがある。リリエンシャールは反射的に歯を食いしばっていた。思い出したのだ。あの夜、何が起こって、誰が死んだのか。変わり映えのない生活が明日も続くと信じて疑わなかったのに、それら全部を覆していった盗賊たちのこと。炎に巻かれて踊っていた村人たちのこと。……それから、兄エンリケのこと。
「きみの村の生き残りは、きみだけだと、あの退役軍人……名は何だったか……、きみをこの村まで連れてきた男がそう言っていた。とはいえ、こちらも盗賊の襲撃を受けて間もない。ヨルダ村が実際のところ今どうなっているのか、まだ確かめに遣るだけの人手がないのだが。明日あたりには、まだ元気のある者にでも、様子を見に行かせられるはずだ」
ソン・ジーンは柔らかい口調で、リリエンシャールが寝ていた間のことを淡々と語り続けた。曰く、隣村のアサダ村は、ヨルダ村が襲撃を受ける前日に同じく略奪の憂き目に遭っていたこと、アサダ村は全滅こそ免れたが多くの村人が大なり小なり傷を負ったということ、ヨルダ村から火の手が上がった夜の明くる朝、血まみれのリリエンシャールを背負った退役軍人と自称する男がヨルダ村のほうからやってきて、村がたどった末路を語って聞かせたこと、それから直ぐに姿を消したこと。
エメラルドの瞳を伏せてうつむいたリリエンシャールは、両腕を抱いて震えた。それを見たソン・ジーンは彼の兄の言葉を思い出していた。ときおり隣村から足を運んできては、ヨルダ村を担う彼の手を煩わせてやまない小娘のことを、愚痴めいた口調でこぼしていた。ソン・ジーンの屋敷の小部屋で安いワインを飲み交わしていたとき、兄ソン・レテは何と言っていたのだったか……。
――あのクソ餓鬼、また結婚式を一つ台無しにしおって――。
舌打ちしながら牛糞をぶつけられた花嫁の慰め方を仔細に説明してくる兄は、そうだ、この娘のことを言っていたのだ。こうして降りかかった不幸に震える姿だけを見ていると、噂に聞いていた暴虐と奇行とは無縁の、うら若き、ただのか弱い娘に見える。思わず慰めのために手を伸ばしかけたところで、ソン・ジーンは小さな、聞き落してしまいそうな小さな囁き声を耳にする。
「許さない」
ベッドから半身を起こしていた少女の声は、真っ白なシャツに落ちた一点の染みのようにどす黒い響きを帯びていた。打ち震えるこぶしは固く握られている。ソン・ジーンは驚いた。なぜなら、リリエンシャールの顔に浮かんでいたのは悲哀ではなく、はっきりとした怒りの色だったからである。
「許さない!」
言うなり、いきり立ってベッドから飛び降りる。一晩高熱にうなされ、水以外ほとんど喉を通っていないはずなのに、リリエンシャールの細い足はしっかりと床板を踏みしめ、地面に立っていた。燃え立つ碧の瞳に尋常でない怒りを認めて、ソン・ジーンは合点した。この娘は復讐の道に走ろうとしている――。
「落ちつきなさい、リリエンシャール。きみの憎しみはよく分かる。だがきみが憎しみを向けるべき相手はもういないんだ……盗賊は皆死んだ」
ソン・ジーンの脳裏に浮かんでいたのは、くたびれた退役軍人の顔だ。いかにも田舎な野良着と、腰に下げていた長剣が、どうにも不釣り合いであったあの男。だが、柄に指をかける慣れた手つきを見れば、どちらが真実の姿なのかは明白だ。あの男が言うには、生き残りはリリエンシャールただ一人。皆殺しだった。村人も、盗賊たちでさえも。だが掃討を行ったのはその男なのではないかと、ソン・ジーンは秘かに疑っている。
とはいえ、今それを口にして、けなげな娘に疑念を抱かせることもなかろう。行き場を失くした復讐の念が巡り巡ってあの退役軍人に向かわないよう、憎しみに駆られているであろう娘をソン・ジーンはなだめにかかった。たとえ、あの退役軍人が火事場のどさくさにまぎれて血剣をふるった狂人なのだとしても、それを悟らせるのは今後の娘のためにはなるまいとの、ソン・ジーンなりの気遣いである。復讐は何も生まない。リリエンシャールはまだうら若き娘なのだ。未来を憎しみで閉ざすには、あまりに哀れだ。
普通ならば、これは美談として終わっていたかもしれない。過去の復讐を捨てるよう説得された娘が、新たな土地でまた少しずつ元の生活を取り戻してゆく――ソン・ジーンの脳裏にそういったストーリーが描かれてしまったのも、致し方なかろう。なにせリリエンシャールは、外見は可憐そのものなのだ。
ただ、事実としてリリエンシャールはそういったいたいけな娘ではなかったのである。
「は? 盗賊? あんた、なにゆってんの?」
あくび交じりにそういってのけた後、リリエンシャールはブスッと鼻息を吐いた。
「わたしゃー、ババロアの話をしてんのよ。バ・バ・ロ・ア」
そっくりそのまま「あんた、なにゆってんの」状態に陥ったソン・ジーンを後目に、リリエンシャールは当然の顔で続ける。
「エンリケはババロアを作るって言ったのよ」
エンリケ……亡き兄の名を出したかと思えば、それはどうやら襲撃の前に交わした約束のことらしい。もう守られることのない約束の話は、ソン・ジーンをたじろがせた。
「あいつ、あの夜にババロアを作ってやるって……。作るって言ったら、言ったのよ。それをば何よ、エンリケのやつ、勝手に約束破って死んじゃったわけ。これってちょっと酷くない? 私の期待で鳴るお腹をどうしてくれんのよっ!……許せない。ただじゃおかないわ」
ただじゃおかないって、そのエンリケとやらはもう亡くなっているのではなかったか。この娘、ふざけているのか――? ソン・ジーンがためらううちに、リリエンシャールはずいと距離を詰めると、ソン・ジーンの肩に気安く手を置いて、言った。
「そういうわけだから、ババロア作って。出来が良かったら許してやってもいいわ」
さまざまに渦巻く疑問を口に出すよりも速く、ソン・ジーンは生意気な小娘の頭を思いっきりはたいていたのだった。