恐怖! 夜の墓場の怪
夢のハーレム計画の出鼻をくじかれた格好になったリリエンシャールだったが、意気消沈してばかりもいられない。一の矢がダメなら、二の矢、三の矢。くよくよするよりも、より良い生活を手に入れるための計画をまた練るのだ。
とはいえ、彼女は自分で思うよりも落ち込んでいたのかもしれなかった。逗留する宿を目指していたつもりが、うつむき加減でトボトボと歩いているうちに、街はずれの共同墓地にたどり着いていたのだ。
「あれ? 宿ってこっち側じゃなかったっけ?」
墓地の外側を囲む木の柵と、内側に立ち並ぶ石碑には、無数のカラスたちが止まっている。訪れた闖入者を監視するかのように黒光りする数多の瞳がリリエンシャールの動きを追っていた。時刻は日没を過ぎている。暗く人気のない墓地にカラスの鳴き声だけがこだまする。
「なんなのよ、カラス多すぎでしょ……」
不気味な雰囲気の場所から立ち去るべく、リリエンシャールがきびすを返しかけたそのとき、小さな光が視界の端を掠めていった。
「ん?」
反射的に眼で追って振り返ったあと、リリエンシャールの眉はいぶかしげにひそめられた。石碑の群れの間を横切っていったのは、ぼんやりとした薄明りだった。暮れなずむ墓場にさまよい出る不可思議な光……もしかして、怪奇現象? 突然のオカルトめいた遭遇に一瞬躊躇したリリエンシャールだったが、迷子になりかけている現状を思い出してかぶりをふる。相手が何者かは分からないが、美少女さまがウインクでも一発ぶちかませば、大通りに戻るための道くらい教えてくれるはずだ。まあ万が一変質者だったりしたら、遠慮会釈なくぶん殴って恐喝して金品をせしめたっていいワケだし……などと若干物騒なことを考えながら、リリエンシャールは墓地の中に足を踏み入れた。
墓地の中は人が歩きやすいように石畳の小道が整備されていた。リリエンシャールがブーツの底を鳴らしながら歩いてゆくと、行く手のカラスたちが一斉に空に舞い上がり、そして通り過ぎたそばからまた舞い戻ってくる。視界の前方でゆらゆら揺れる灯りを追ううちに、リリエンシャールは気がついた。彼女の前をゆくそれは、オカルトでもなんでもなく、ただの人間の男であったのだ。背を丸め、足を引きずるように歩く男が、ランタンを揺らして墓場を進んでいる。その足取りが、やがて一基の墓の前で立ち止まった。
「私に何か用かね?」
「ひゃっ」
隠れていたつもりはなかったのだが、男に振り向きざまに声をかけられて、反射的にリリエンシャールは飛びあがっていた。掲げた角灯の火が男の顔面を照らし出す。五十近いほどの歳だろうか。しわだらけの顔面にはかぎ裂きのような酷い傷が縦横に走っており、その傷の交点にある片眼は潰れて、桃色の肉が盛り上がっていた。世にも恐ろし気な顔つきだが、彼は彼で、この場に不釣り合いな娘の登場に多少驚いているようである。
「用っていうかなんていうかまあ用ってほどでもないんだけどちょっと道に迷っちゃったみたいで大通りに戻るにはどっちに行ったらいいのかしら、なんつって」
微妙な焦りの気持ちが早口となって飛び出した。内心の動揺を隠すように、リリエンシャールがタハハと頭を掻きかき告白すると、隻眼の男の表情がふっとゆるんだ。
「なるほど。きみはこの街の外から来たのかな?」
問いかける声は優しげですらある。
「慣れない者には分かりにくい道だからね……。いいかい、宿が集まっている大通りに戻るには、墓地の入り口を出てまっすぐ歩いて、右手に赤い屋根の二階建てがある通りを左折して、三つ目の通りを右折したあとリンゴの看板の屋台が見えるまで直進して、左手に用水路を見ながら四ツ辻を二つ過ぎたら右に曲がるんだ。そこから用水路をひとつまたぐと大通りにたどり着ける」
これはもしかして親切めかしたいやがらせでは? 反射的に疑心がわいてでたリリエンシャールだったが、隻眼の男は強面をのほほんと和ませており、なんとはなしに悪意はなさそうな様子である。
「えあ? うんうん……あ、ありがとう」
表面上は頷いてみせたが、リリエンシャールは赤い屋根の建物までたどり着いた後はまた別の人に道を聞こうと決めた。
「おじさん、こんなとこで何してたの?」
「変なことを聞くね。ここは墓場だよ。昔の友だちにあいさつしていたんだ」
見知らぬ少女からの突然のオジさん呼ばわりに目くじら立てることもなく、男は角灯で足元を照らした。ぼんやりとした灯りに浮かび上がったのは、ほかよりも小さな三つの墓石だ。リリエンシャールの膝よりも低い小さな石柱が三つきれいに並んでいる。
「本当は、この子たちの家はここじゃないんだけどね……」
男の声は哀切な響きを帯びていた。しゃがみこみ、小さな墓石にそっと触れる。まるで愛しい子の頭をなでる父親のような手つきだ。
「勇敢な子たちだった。その勇敢さが、彼らの命を縮めてしまったのだけれど」
角灯の灯りが石の表面に刻まれた墓標を浮かび上がらせる。ミミズがのたくったような篆刻を見て、リリエンシャールは眉を寄せた。これが現代アートではないことはもう知っていたというのもあるし、なにより苔むした石の表面に刻まれている名前には、見覚えがあった。だが、こんなところで出会うはずのない文字だった。彼女の知るその人は死んでいないし、しかも、隻眼の男が偲んでいる墓は三つある。
奇妙な震えがリリエンシャールの背筋を這いのぼった。オカルトみたいな展開は終ったと思っていたが、実はそうではなかったのかもしれない。隻眼の男は無言で墓標に目を落としている。
「レブト、ライト、ロゴーニュ」
三つの墓標の名をリリエンシャールが読みあげると、男が目を見開いた。
「きみ、字が読めるんだね」
「まあね」
それは故郷のヨルダ村でさんざん見慣れた文字綴りだったからだ。この宛名が記された手紙を村はずれの家に運んでいくと、ソン・レテは小遣いをくれていた……もうずっと遠い昔の出来事のように感じてしまうけれど。
気がつくと、リリエンシャールは操られるように問いかけていた。
「その下には誰が埋まってるの?」
男が片眼を上げた。暗い瞳の中で熾きのように炎が瞬いていた。
「昔飼っていた猫と犬さ。もうずいぶん昔に死んでしまったんだ」