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慈悲の系譜/続  作者: しおなか
慈悲の在処
15/24

野望いっぱい夢いっぱい

 領主の館からほとんど放り出される体で暇を告げるかたちになった彼らだが、残してきた退役軍人のことを気にしていたのも、わずかな時間だった。道すがら肉の串焼きの屋台を見つけたリリエンシャールが香ばしい匂いの元に突撃アンド恐喝をかまそうとしてのけたのをアートヒーがなだめすかしたりしているうちに、男の存在はすっかり忘れ去られてしまったのである。

「おいしーい!」

 ねだり倒してなんとかアートヒーの財布の紐を緩めることに成功した美少女は、串焼き片手に舌鼓を打ちつつ、いまは逗留している宿への帰路にあった。食べ物さえ手にしていれば、上機嫌でいられるらしい。銅貨一枚の串焼きで、五百歩くらいはもつとすると、下手なキャバクラよりもコストパフォーマンスに秀でているかもしれない。安い娘である。

「それにしても、さすがというか、やっぱり領主さまのいる街は大きいなあ」

 アートヒーが思わず故郷のアサダ村と比較してしまうのも、無理はない。二人がいま歩いているのは、地方都市ネギールの領主館と街一番の繁華街を結ぶ大通りなのである。馬車が余裕をもってすれ違えるくらいの道幅を、多数の人々が行き交い、また道の両脇では露店を広げた店主が客引きの声を張り上げている。喧々囂々とした活気のある街並みは、まずもって最北の寒村ではお目にかかれない光景である。

「ねえ、そういえば、もう私のお使いは終ったのよね? 約束の謝礼、ちょうだい! さあ、早く!」

 歯に挟まった肉片を串でほじり出したあと、リリエンシャールはアートヒーに詰め寄った。よく見ると彼女の口元はいまだモグモグと動いており、そのまま食べかすを咀嚼しているであろうことは明らかだ。アートヒーはなんだか悲しい気持ちになったが、この娘に対する幻想はそもそも風前のともしびであったので、つとめて気にしないことにした。

「どうかねえ。領主さまのあの様子じゃあ、用は果たしたって言えるかどうか……」

 領主の言葉を額面通り受け取るならば、減税の嘆願は当初の目的の通り、審議にかけられたと言っていいだろう。だがあの疑り深い男の目を思うと、そうやすやすと彼らの村の要求が通るようには見えないのもまた事実。だいたい、リリエンシャールのポカのせいで、盗賊たちが凶行のさいに所持していた証拠品すら提示できていないありさまなのだ。

 だがアートヒーの心痛その他の感情は隣を歩く美少女にはまったく伝わっていないらしい。

「ちょーだいちょーだいちょーだいちょーだい」

 以下、袖引っ張りつつのチョーダイ攻撃ループである。アートヒーはたまらず叫んだ。

「分かった分かった、渡すって! だから暴れないでくれ!」

 掴みかかるついでに指についた肉の脂をアートヒーの袖で拭ったリリエンシャールは、にっこり笑うと、きれいになった手のひらを、ふたつ並べて差し出した。

「ほら。失くすなよ」

 アートヒーの懐から取り出されたのは、小さな布袋だ。アサダ村でもらった銅貨の前金よりもかさの少ないそれを見て、リリエンシャールの眉が寄る。

「なにこれ。少なくない? まさか、ちょろまかしたんじゃ……?」

「中を見てみなよ」

「……十枚しか入ってないように見えるんだけど。あんた、そんなに私刑がお望みなワケ?」

「銀貨だよ!」

 思わず出した大声に、しまったと口をつぐんだアートヒーだったが、幸い、彼の叫びを聞きとめた通行人はいないようだった。人通りは緩やかな川のように、一続きに流れてゆく。都会では、銀貨十枚ポッチじゃあ、人の足を止めることもかなわない……のかもしれない。

「村を出るときにも教えたけどさ、銅貨一枚で、だいたい串焼き一本分の価値なんだ。そんで、銀貨一枚は、銅貨二十枚に相当するの。……分かった?」

「言われてみると、串焼き二百本くらいの重みがあるような気がするわ!」

 アートヒーは少し意外だった。

 リリエンシャールが、銀貨十枚の価値を正しく計算できていたからである。ヤギやトナカイを数えるばかりの田舎村では、村人のうち、金勘定に強くない者が大多数を占めている。識字率も決して高くはない。

 アートヒー自身、裕福とは言えない水車小屋の番人である。彼は若い男なりの野心をもって、村長のソン・ジーンについて回って、ようやく簡単な計算くらいはできる知恵を身に付けたのである。

「ついでに言うと、共通金貨一枚が、銀貨二十枚の価値だよ」

「ふーん」

 興味のカケラもない口調である。

 気のない返事を返したリリエンシャール同様に、読者のみなさまも興味がないかもしれないが、ロシャーン国で最も高額な貨幣である王国記念金貨は共通金貨二十五枚分である。

 なぜ、最後の比率のみ、二十倍になっていないのか?

 それは王国「記念」金貨という名称と、ロシャーン王家の見栄坊な体質にヒントがある。

 実は王国記念硬貨は、純粋な金属の質と量だけに着目すると、共通金貨とほぼ同じ組成でできている。ではなにが違うかというと、その表面に彫られた印象にある。表面に彫られているのは、当世の国王の横顔だ。国王が代替わりし、戴冠を行った際に記念として鋳造される。それが王国記念金貨である。これを初めて行ったのが、さかのぼって五代前の国王で、そのときは共通金貨(当時は共通金貨でなく単に金貨と称されていた)二十枚分の価値であると定められていたのだ。

 しかし次代の王に代わったさい、前代よりも自分の方が優れた王である! と主張した当時の国王のゴリ押しで、その価値は共通金貨二十一枚分であると再び定められた。

 あとはもう、お分かりであろう。

 代替わりごとにその価値を高めた記念金貨は、今世では共通金貨二十五枚にまでなったというわけである。贋作師たちはこぞって先代王の顔を削って新王の顔に仕立て直したというが、痩せがたの王からふっくらした王に代替わりしたときは、泣く泣くノミを置いたとか、置かなかったとか。

 余談だが、貨幣マニアに人気があるのは、三代前の髭王ことアルルバッソン・ロシャーンの記念金貨である。玉座に就いた時点で御年五十七であったアルルバッソン王は、顔半分をおおう髭を精緻な印象で再現されており、他の若きうらなりの国王たちとは異彩を放ち、ひときわの人気を得ているのだという。

 それはさておき、大通りの二人のことに話を戻す。

 袋の中身が銀貨と知ったリリエンシャールは、袋の中身の価値を実感してくると、それまでの態度を一変させ、だらしなく相好を崩した。銀貨十枚。使い道を誤りさえしなければ、一月はのんびり暮らせるだけの金である。

 ちなみに此度の報酬は、すべて盗賊たちが落としていった金銭から出てきたものだ。曰くつきの金品を村に留めておくわけにもいかず、いわゆる浄財をリリエンシャールに担わせている。ちょっとした長旅になったが、お使い程度の此度の要件にこれだけの報酬が支払われる理由は、それだった。ソン・ジーンもなかなかの悪人である。

「分かってると思うが……それ、あのおっさんと山分けだぞ。分かってるよな?」

「モチのロンよ」

 ぱちっとウインクを返して、リリエンシャールが軽く応じる。

 ホントにこの娘、花の十七歳なのか? アートヒーは思わず年齢詐称を疑った――だが、あたりマエダのクラッカー、あるいはクリケットと返さなかっただけ、マシなのかもしれない。

 彼の冷めた目を気にせず、リリエンシャールは、銀貨の袋をいそいそと懐に仕舞いこんだ。幸せそうな表情を浮かべている。今からその使い道を、思案しているのだろうか。

「楽しそうだな。何か買うつもりなのか?」

「何って、そんなモン、決ってるじゃない」

 美少女はすうと息を吸って、強い口調で言い切った。

「ヤギよ」


 ☆


 お日さまぽかぽかいい天気。

 石畳の道を、ヤギを引き連れて闊歩する。

 ヤギのひづめがポクポク鳴って、私の行く手には、レンガの屋根のかわいいお家。

 ホーム・マイ・スウィートホーム!

 窓ガラスからは、明るい部屋の中が見えるの。

 辺りにただよういい匂いは、大好物のロシャーンボルシチの香り。

 ただいま~って玄関を開けると、優しい旦那さんがおたまを片手に、おかえりおまえ、っておでこにチューをしてくれる。

 いやーん、なんて素敵な新婚生活……!


 ☆


「と、いうワケよ」

 リリエンシャールはそう言って胸を張った。突然の不意打ちでイタい妄想を聞かされたアートヒーは、若干ヒきながら、とりあえず頷いておいた。どうやら先ほどのポエミーな独白こそが、リリエンシャールの思い描く未来予想図らしいのだ。

「私の計画はこうよ――いい、まず銀貨十枚でヤギを五頭買うの。で、ヤギに子どもをバンバン産ませて、ミルク・チーズ・肉を売りまくる! この時点で元手は回収できるでしょ? で、そのもうけを使って豪邸とは言わないけど、ステキな赤レンガ屋根のお家を建てるの。私は窓辺に頬杖ついて道行く人に笑いかける。そしたらもうあとはイイ男が爆釣! 結婚! 新婚生活らぶらぶ愛してる! カネと男とヤギを手に入れた順風満帆人生! どうよ!」

「うんうん。素晴らしい計画だ」

「でしょでしょ?」

 アートヒーは常識ある二十歳の若者であったので、リリエンシャールの稚拙な絵空事の誤りを指摘することなど、たやすかった。だが、あえて彼は相槌を打つのみにとどめた。そりゃ、こんなアホにまともに取り合ってちゃきりがない……という理由から放置しているのではない。

 いや、実のところそういった本音もあるかもしれなかったが――このときアートヒーの脳裏には、アサダ村の村長ソン・ジーンのことがよぎっていたのである。

「この天才的な計画……真似してもいいけど、発案者は私なんだから、プライオリティー代金は当然払ってもらうわよ。そこんとこは、譲らないからね!」

 真似するわけないだろ! とは言わず、彼は、端的に自分の聞きたいことだけを訊いた。

「で、そのバラ色の計画なんだけど……リリエンシャールは、どこを拠点にするつもり?」

「へ?」

「窓辺でイイ男を引っ掛けるには、アサダ村は狭すぎる……そう思わないか? たとえばホラ、ここなんか、新生活を始めるのに向いた街だと思わない?」

 指摘されて、リリエンシャールはしばし沈思黙考した。

 たしかに、そうかもしれない。相変わらず、大通りはたくさんの人が賑やかに行き交っている。地方都市ネギール。領主の住む、北方領で一番大きな街。

 それに比べてアサダ村はどうか。彼女の出身であるヨルダ村の隣村で、盗賊に村を焼かれるまでは、それほど――というよりまったく、個人的な交流はなかった。なのでまだ手をつけていない年頃の良い男が残っているんじゃなかろうか、と見当をつけていたリリエンシャールである。

 しかし、アートヒーの言い分も、もっともだ。この世界に愛されるために生まれてきた絶世の美少女さまが、そんじょそこらの田舎村で生涯の伴侶とめぐり逢って良いものか? そんなスケールの小さな出逢い……果たして、自分は満足できるだろうか。うしなわれた故郷にほど近い田舎村と、夢と人と希望があふれる都会の街。自分の野望を遂げるには、どちらがより良い選択なのだろうか――?

「ていうか、そもそもアサダ村には若い男なんてほとんどいないし、いたとしても既婚者ばっかりなんだよね」

「それを先に言いなさいよ!」

 もうちょっとで人生の舵取りを間違えるとこだったじゃない、とリリエンシャールが憤慨する横で、アートヒーはぐすりと笑みをこぼした。ソン・ジーンのもう一つの依頼、つまりアサダ村からリリエンシャールを放逐する企てが、ほぼ上手くいったからである。

 先ほどの話からすると、リリエンシャールは報酬の銀貨はすぐにでも使い込むつもりらしいし、村に戻ってくることもないだろう。レブトライトに至っては、リリエンシャールに報酬をまるまる取られそうな雰囲気すらあった(リリエンシャールは銀貨十枚でヤギ五頭を買うと言っていた)。

 人生の指針を決めたリリエンシャールは、上機嫌で、道を大股で歩いていく。

 その少し後ろを、アートヒーは肩をすくめて、ついていった。

 もうこの旅も、宿に戻って、翌朝になれば終わりだろう。ふらふら揺れる金髪を眺めながら、少しだけ、ほんの少しだけ、アートヒーは寂寥を感じた。彼自身、村を出てこんな遠くまでくることは、初めてだったのだ。リリエンシャールは、あのずさんな計画を頭から盲信しているようではすぐに破滅するだろうが、とにもかくにも、この街に残る。アートヒーは、また十日ほどかけて最北のアサダ村まで引き返し、これまでと変わらぬ日々を過ごすことになるだろう。そういった行く末の対比が、彼をセンチな気持ちにさせるよう作用していたのかもしれない。

「なあ、リリエンシャール!」

 少し走って、前を行く背中に追いつく。

「ヤギを買って、金持ちになって、家と旦那さんを手に入れて、……おまえの目指してる幸せって、そういうもの?」

「は? なにゆってんの? そんなの当たり前じゃない。ってゆーか、それ以外になにがあるっていうのよ」

「ああ、うん、そうだよな……」

 たしかに、リリエンシャールの言うことは、正しい。アートヒーも、自分が何を言いたかったのか、自身で分からず混乱した。リリエンシャールの未来図は、若い娘が思い描く幸福として少々生臭い欲望が前面に出すぎている気がしないでもないが、理解できる願望である。それの、なにが不満なのか。

 リリエンシャールはおのれの幸せを追い求めている。

 彼女によく似た面差しの、気弱な男の記憶が、アートヒーの胸のうちに淀んだ。

 彼は、いなくなった人のことを、少しだけ折り込んで欲しかったのかもしれない。

(でもそれは、わざわざ俺が言うことでもないよな)

 かぶりをふって、なんでもない、とかたわらの娘に伝えようとしたそのとき、リリエンシャールがぽつりと言った。

「でも、そうね。それでもまだ欲しいものがあるかって言われると……あるわ」

 秘密を打ち明けるような、小さな声だ。つられるように、アートヒーもまた問う声をひそめた。

「それは?」

「慈悲の心ってヤツよ。私、優しくなりたいの」

 嘘こけ、と言って小娘の頭をはったおさなかっただけ、まだアートヒーに理性は残っていたらしい。慈悲の心。優しくなりたい? それは、このネギールにたどり着くまでにさんざん欲望のままに暴走して起こした騒ぎを認識してなおのたまっているのだろうか。

「あと、もうちょっと胸も大きくならないかしら。新しい斧も欲しいし。好きなときにいつでもババロアを食べたいし……あとどっかに一妻多夫制度の治安の良い国ってないものかしら。そこでハーレムを作って、髪結いから爪切りまで小動物系男子に世話をされたい! 私にべた惚れの男が十人二十人いりゃ、すぐにでもハーレムを作ってやるのに! ああもう、こんなささやかな願い一つ叶わないなんて、なんて世界は私に対して狭量なのかしら!」

 まあ、こいつにまともに取り合った俺が馬鹿だったよな……アートヒーは遠景を眺める体でリリエンシャールから目を逸らし、遠く靄に霞む急峻なトングランカ山脈の稜線を見やった。

 その大自然パワーが、アートヒーに悪戯心を起こさせた……かどうかは定かではないが、彼はまだ口角泡を飛ばして欲望を想いの丈に綴り続ける娘の袖を引いて、演説を止めさせた。

「残念ながら、俺はハーレム形成の手伝いをしてやれない。が、もう一つのほうの……慈悲の在処は知ってるよ」

「へっ? 慈悲って、そんな、どっかの場所にあるようなモンなの? どこどこ?」

 アートヒーの口上は、リリエンシャールの気を引くことに成功したらしい。精神修養そのほかをこなさねば慈悲は得られないと思っていたリリエンシャールにとって、慈悲の在処を知っているという男の言葉は、実に、実に甘美な響きを有していた。あまりの甘さに目がくらみ、怪しげな悪徳商人めいた笑みを見逃してしまうくらいに。

 机の上? 棚の中? 興奮して思いついた場所を次々に上げるリリエンシャールを制して、アートヒーは内緒話をするかのように、顔を近づけて、声をよりひそめた。そのまま、にっこり笑って言う。

「慈悲の在処は……女の子のスカートの中さ」

 いわゆる男性にとっての慰めを指す、よくある言い回しである。

 アートヒーとしては赤面したリリエンシャールがぷりぷり怒る姿を期待していたのだが、彼女はうつむき加減で、そしていつになく生真面目な表情で、そう、と返しただけだった。このやりとりが後にまた面倒くさい事態を引き起こし、アートヒーは後々熱烈な報復を食らう羽目になるのだが、そのくだりは後の段落に譲るとして、この節は肩すかしを食ったアートヒーの「そ、そうなんだよねー」という乾いた声を最後に〆させていただこう。

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