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慈悲の系譜/続  作者: しおなか
慈悲の在処
14/24

嘆願そして楽観

 領主の遣いが宿に現れたのは翌朝のことだった。

「ご多忙な領主さまですが、あなたたちの話に興味を持ったようです」

 階下の食堂スペースで朝食をとっていたリリエンシャール、レブトライト、アートヒーの三名を前に、中年の役人は沙汰が即行だった理由を端的に述べると、すぐに背を向け、宿の扉から出て行った。

「ついてこいってことか? なあ、おっさん、役人って皆ああなの?」

 いつの間にかリリエンシャールに倣っておっさん呼びを始めたアートヒーだが、実は彼とレブトライトの歳の差は十も離れていない。だが本人も特に気にしていないようなので、そのままその呼称がまかり通っている。

「いいさ、俺は、長いモノには巻かれる主義だからね。ほら、リリエンシャール、はやく食べないとおいていかれるぞ」

「ふぁいふぁい」

 テーブルの上に並んでいたランチを美少女にあるまじき大口と速度で飲み込むと、リリエンシャールはげふぅ、と息をついて立ち上がった。そろそろ大通りの角を曲がろうかという、先行する役人の背中を見やる。

「あの役人について行って、領主さまに会って、盗賊のことを言えばいいの?」

「ああ。証拠品としてナイフも持ってきてるだろ? 忘れずに持っていくんだぞ」

「わかってるわよ。そうすりゃ、ソン・ジーンがくれた報酬は私のものになるのよね?」

「そう、そう。前金だけじゃなく全額ね。ちゃんと二人で山分けしろよ?」

 言いながら、アートヒーは起きぬけの娘の寝癖を直した。手櫛でちょっと整えるだけで見れたものになるのだから、美少女ってお得だなあ、などと若者は考えている。

「はいはい、山分けね、山分け……」

 なおこのとき彼女の脳裏に浮かんでいた山は、トングランカ山である。兄弟山とも称されるその山は、大きな峰と小さな峰が寄り添う山形をしているのだが……。

 行きましょ、と言ってリリエンシャールはナイフをくるんだ布の塊を手に取って、ぽかぽかした日差しの射す屋外へと出て行った。陽光が金髪に跳ねて、きらりと光る。なおこの宿は宿泊代と朝食代は別で、しかも後払いである。ナチュラルに飲食代を支払わないその見上げた根性にアートヒーが苦笑いをこぼす一方、宿の主人に金を渡した退役軍人がのそりと華奢な背中を追っていく。こぶしは固く握られている。

 それはアサダ村を出てからこっち見慣れた光景だ。

 またぶん殴るんだろうな、とアートヒーは思った。


 ☆


 ネギール領主の館は、館と呼ぶよりは砦と評した方がふさわしいたたずまいである。敷地の周囲は広い水堀で囲われており、石を積み上げて築いた外壁へたどり着くには、跳ね上げ式の橋を渡らなくてはならない。よくよく見ると、外壁には無数のやぶすまも設けられている。実のところ、遥か昔、まだロシャーン建国よりも古い時代に、この地方を支配していた王国があった。その国の国境付近にあった砦を歴代の地主が間借りしているのである。平和な時代においては砦も水堀も無用の長物だが、代々この土地を受け継いできた者たちの用心深さが、それらの施設を昔日の姿のまま保持させたのだ。

 過去の血なまぐさそうな歴史を知らぬ者たちは、何食わぬ顔で物騒な土地を踏みつけて歩いてゆく。

「こちらでございます」

 一行を先導する領主の遣いは、今は下ろされている跳ね上げ橋の中央をゆうゆうと渡り、館の門衛に声をかけると、そのまま中へと進んでゆく。アートヒーはおとなしく、リリエンシャールは物珍しさによそ見をし、そしてレブトライトは遅れがちになった娘を小突きつつ、男の背中を追った。

 やがて右に左にぐるぐると薄暗い通路をうろついた末、彼らは一枚の大きな扉の前にたどり着いた。領主の使いが扉をノックすると、中から声が返ってくる。

「入れ」

 横柄な感じの男の声である。

 領主の使いが扉を開く。

 中は、領主が謁見するための部屋だ。領主の使いと、村から来た三人と、壁際に立つ護衛のような鎧姿の男が二人と、奥にある机の向こうに座る領主と、傍らに立つ側近とで、八人もの人間を迎え入れても、やや余裕の残る広さの部屋だった。足元は、それまでの通路が石畳だったのに、毛織物が敷いており、部屋の主の権力をうかがわせる。

「北方の夜盗騒ぎの証人を連れてまいりました」

 ほれ、前へ、と促されて、アートヒーは領主が腕組みしたままふんぞり返っている机の前に歩み出た。ちらと振り返ると、当の証人であるはずのリリエンシャールと退役軍人は、それぞれあくびをしていたり、どんよりした暗い眼を部屋の隅に向けていたりと、この場で当てにできないことは明白だった。仕方なく、正しい礼儀も分からぬまま、口を開く。

「あー、えっと、北のアサダ村よりまいりました、水車番を勤めておりますアートヒーです。此度は、七日前にアサダ村と、隣村のヨルダ村を襲撃した盗賊たちとその被害について、ご領主さまに報告とお願いがありまして……」

「ふん、減税の話だろう。前置きはいい、既に聞いている」

「はあ」

 ぞんざいな口調でぴしゃりとさえぎる声は威圧的だ。反射的に頭を下げて、またおずおずと顔を上げたところで、アートヒーはふと気がついた。声の感じから、そういう気はしていたのだが、実際にその姿を目の当たりにすると、ますますそう思う。

 領主は若かった。

 下手をすると、まだ三十を迎えていない、年若い男だったのだ。だが見た目の若々しさに不釣り合いな、意地の悪そうな狡猾な眼をしている。

(ちょうど退役軍人のおっさんぐらいの年か?)

 なぜそう思ったのか、彼自身うまく説明できそうになかったが、彼がそのぼんやりとした推量を確かめようとするまえに、領主の言葉が降ってくる。

「ふむ、ヨルダ村は殲滅、アサダ村は半壊。死者数と被害額の概算は、数字が額面通りならば、このとおりだろうな。しかし全滅……全滅、ねえ」

 年若い領主は、執務机の上に広げていた報告書を指ではじいた。つまらなさそうな口調で命の金額を計量する姿は、アートヒーの顔をまた青褪めさせるようなものだったが、この場で動揺をあらわにしたのは彼だけだった。話を飲みこめないリリエンシャールはぼーっと部屋の中を眺めていたし、領主の匂わせた疑いを嗅ぎ取ったはずのレブトライトは、敢えて無視するつもりなのか、素知らぬ顔をしているのである。アートヒーの不安を共感してくれる仲間は、悲しいかな、この場にはいなかった。

 この場にはいないが、賄賂を贈ったあの役人がいたではないか。

(話が違うじゃねえか! あのオヤジ、疑り深い領主さまに、便宜を図ってくれるって……!)

 どうやら、かの出張所の徴税官は、賄賂を懐に納めたとたん、交わした約束を忘れてしまったらしい。約束は嘘だったが、被害は本物なのだ。それを伝えなければ、残されたアサダ村に重税が課せられてしまう。アートヒーは慌てて顔を上げ、領主の目を正面から見つめて――そのぞっとするほど冷たい紺色の瞳に、射すくめられてしまう。

「領主殿。そう民草を脅かすものではありませぬよ」

 その様子に助け船を出したのは、傍らに立つ側近の男である。初老に差し掛かった五十がらみのこの男、名をナールファーンという。彼はともすれば暴走しがちな若年領主の手綱をつとめたり、周囲との軋轢の緩衝材となったりしており、領主と二人合わせて世に言う「良い警官、悪い警官」効果で、上手く内政をまわしているのであるが、そんなこと初対面のアートヒーには知る由もない。

「そのほうら。領主さまは、貴公らが虚偽の申請をしているのではないかとお疑いである。申し開きは良いのか?」

「良い……良くないです!」

 というわけで、アートヒーはまた一から説明を繰り返し、執務机の向こう側では領主が先ほどの報告書を眺めながら話を耳に入れている。タネを明かしてしまえば何のことはない、複数回の証言を取って、前後で矛盾がないか確認をしているのである。

「……であるからして、私はアサダ村の被害の証人として参ったのです。こちらの二人も証人で、全滅したヨルダ村の唯一の生き残りで。なあ、リリエンシャール? 盗賊たちが村に来たときのこと、領主さまにお話しするんだ。できるよな?」

 立ったまま舟をこいでいた娘を肘でどついて、正気付かせる。眠たげに細められたエメラルドの瞳はうすぼんやりしており、贔屓目に見てもリリエンシャールが状況を理解しているとは思えなかったアートヒーは、もう一度小声で囁いた。

「ほら、来る途中に言ってた、証言だよ。兄さんのナイフも証拠品として持ってきただろ? あれを領主さまにお見せするんだ」

 ヒソヒソ声で告げられて、リリエンシャールもようやく目が覚めてきたのか、焦点をアートヒーに合わせて、ぱちぱちまばたきする。あ、そっかそっかそうだった、と場違いに間延びした独白のあと、おもむろに抱えていた布包みを手にして一歩前に進み出た。ワンピースのはしをつまんで領主他その場に居合わせた人々に一礼する。

「こんにちは、領主さま。ヨルダ村でヤギ飼いをしてたリリエンシャールです。今日は私たちの村の税金を安くしてねってお願いしにきたの。安くしてくれない? あ、あとこれが、盗賊たちが持ってたナイフなんだけどさ」

 と言って、抱えていた布の包みをくるくるとほどいて――

「あら?」

 ほどいた先には、何もなかった。アートヒーはおのれの口がぽかんと開いたことを自覚したが、どうしようもなかった。

「おっかしいわねえ。この中に包んでたはずなんだけど」リリエンシャールはてへっと笑って舌を出した。「どっかで落っことしちゃったのかも?」

 もしかしてそれは面白いと思ってやっているのか――?

 絶望的な気持ちで、アートヒーは目の前の華奢な背中を眺めた。こいつ、最悪だ。この一幕に村の命運がかかってるなんて、これっぽっちも考えちゃいない。あるいは、考えてなお、この行動なのかもしれない。良かれと思ってやった結果が、これなのかも。アホすぎて理解できないんだ。俺も身の振り方を考えた方が良いのかもしれない。減税が通らなきゃ、来年の税収の時に、村は破滅だ。ソン・ジーンはこの二人を厄介払いするなんて言ってたが、俺だって素知らぬ顔でこのままネギールに住みついて、村に戻らない方がよほど先があるかもしれない。どうせ両親の面倒は兄弟が見るだろうし。まあそもそも、この館を無事に出られりゃって話なんだけど。領主さまへの不敬罪って、あるのかね?……などと現在の不遇にかこつけて、アートヒーが自らの家庭問題を棚上げしようとしていた、その時だ。

「なるほど。おまえらの言い分は分かった。もう帰って良いぞ」

「へ?」

 ここまで彼らの案内を買って出た領主の使いが、すいと進み出てアートヒーとリリエンシャールの腕をとる。文官然とした立ち姿とはうらはらに、存外に強い力で、二人を扉の外へひっ立ててゆく。

「あの、ちょっと……」

「詮議の結果は後ほど村に使いを遣る。村に帰って返事を待つがよかろう」

 抗議の暇もなく、ほとんど押されるような格好で廊下に出されたかと思うと、勢いよく扉を閉められる。後ろ手に扉を閉めた領主の使いは、底の見えない笑みを浮かべて言った。

「お帰りの道は分かりますか?」

「いや、分かんないっすけど」

「では門までご案内いたします。ついてきてください」

 有無を言わさぬ口調で言いきると、領主の使いはきびすを返して歩きはじめた。アートヒーは、反射的にその後ろ姿について行きそうになり、慌てて足を止め、彼と同じく不思議そうな顔をしているリリエンシャールを見た。二人で、閉ざされた扉を振り返る。

 この場には、アートヒーとリリエンシャールだけしかいない。

 レブトライト・ロゴーニュは、まだ扉の内側にいる。

「何をしているのです」

 通路の前方で、領主の使いが咎めるような目線を扉の前の二人に向けている。アートヒーは閉ざされた扉と領主の使いをしばし交互に見やった。

「あ、いえ、なんかもう一人のツレがついてきていないみたいなんですけど……」

「領主さまがあの男に用があるそうです」

「はあ」

「何か問題でも?」

「いえ、なんでも……ないです」

 だが、アートヒーは長いものに巻かれる主義だったので、迷ったのはごくごくわずかな時間だった。

「いいじゃん、先に帰っていいんでしょ?」

 リリエンシャールは、ただただ喜んでいる様子であった。

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