テイクアウト@墓場 2
「ソン・レテ」
「ん?」
いきなり背後からかけられた声に、リリエンシャールが不審げに振り返る。こちらを見下ろすように立っていたのは、陰気な顔つきの男だった。風が煤けた褐色の短髪をぞんざいに吹き流す。灰色の双眸は陽のもとでも薄暗い光を放っている。
村外れに住んでいた退役軍人ことレブトライト・ロゴーニュその人であった。かつてリリエンシャールが村でお使いまがいのまねをしていたときに、よく見かけていた野良着姿だ。片手には土のついたスコップを持ち、もう片方の手は、リリエンシャールがつんつんしていた木の杭の溝を指している。
「墓の下に埋まっている人間の名が書いてある。そこに眠る者は、ソン・レテだ」
「……あら。まあ。ホホホ。そ、そのくらい、知ってたわ」
現代アートじゃなかったらしい。内心焦りながらも、彼女はなんとなしに上品に見えそうな笑みを浮かべた。知識をひけらかすとはなんて嫌な奴! と言わずに済んだのは、男が手にしていたスコップと、男の背後にあった荷車に気を取られたからだ。
スコップには土がついていた。使ったばかりなのだろう。スコップの用途といえば、穴を掘ることにほかならない。荷車には、ずた袋がいくつか積みあげられているようだ。
突然現れた男。
墓標が立ち並ぶ丘陵地。
土にまみれたスコップと、運搬用途らしい荷車。
――リリエンシャールは、ピンと閃いた。
「埋蔵金ねっ!」
満面の欲望を前面に押し出した笑顔を浮かべて、立ち上がる。
「ついに隠し財産を掘り出す気になったってわけね! そんなことなら、声かけてくれればいくらでもお手伝いしたのにぃ、みずくさいんだからっ」
甘えた声で男にすり寄り、すばやくスコップを取り上げる。
「で、どこ掘りゃいいの?」
男はしばらく考えこむ仕草を見せたあと、美少女の推理を特に否定しないまま、あっち、と丘陵地の端を指した。ちょうど立ち並ぶ墓標が途切れる辺りである。リリエンシャールはフリスビーを投げられた犬のように指示された場所にすっ飛んで行き、ロシャーンモグラもびっくりの勢いでガンガン穴を掘りはじめる……「取り分は、三・七でどう?」……「当然私が七だから!」……あっという間に縦横およそ大人一人分くらいの穴を掘ったところで、穴の上から男の冷静な声がかかる。
「少し場所がずれていた」
「なんですってえ? 馬鹿! 失敗一回につき、一ペナルティよ! 取り分は、二・八だからね!」
穴から泥だらけで這い出した美少女に向けて、次に男が指示した場所は、同じく墓標の列の端だ。さきほどリリエンシャールが掘った穴のすぐ隣りである。そしてまた大人一人を詰め込めそうな穴が開いたタイミングを見計らって、声がかけられる。
「もっと北のほうだった」
「なんですってえ? この間抜け! 取り分、一・九よ!」
勘の良い方ならば(そうでない方も)、気がついたかもしれない。彼女は墓穴掘りを代行させられているのである。せっせと財宝目指して穴を掘っているリリエンシャールの横では、掘られたばかりの穴に、男が荷車に積んできたずた袋を安置している。巻き戻しのように土をかけて、荷台に乗せていた木の杭を立て、懐から取り出したナイフで名を刻み、仕上げに足元の草を引き抜いて輪の形に束ねる。一連の流れが、リリエンシャールが穴を一つ掘る速度とちょうど同じくらいなので、作業は実に効率的に進んだ。
「ちょっとちょっと! 全然、なんにも出てこないんだけど!」
頭上の陽が傾き、荷車に積まれたずた袋が最後の一つとなった頃、宝くじを引くような気持ちで穴を掘っていたリリエンシャールも、ようやく何かがおかしいということに気がついたようである。埋蔵金の欲で曇らされていた瞳に、理性の光を灯して、穴の中から地上の男を睨み上げる。
「まさか、この期に及んでありませんでした、じゃ済まされないわよ」
唸り声を上げながら地上に上がらんと穴のふちに手をかけたとき、男がつと手を伸ばして空の一端を指した。リリエンシャールは指の先を目で追い、空の高い位置を舞うロシャーントンビの姿を確認した。ロシャーントンビは、翼を水平に広げて、優雅に空中を旋回している。そういえば、兄エンリケの趣味はバードウォッチングだったな、とぼんやり思い出す。ついでに、反故にされたババロアの約束のことまで思いだしてしまう。若干イラつきながら視線を地上に戻すと、男は今度はリリエンシャールの足元を指しているようである。
「もう、なんなのよ、さっきから!」
「なにか埋まっているように見えるが」
「なーんですってえ!」
がば、と下を見ると……確かに、さっきまでは見当たらなかった小さな箱のようなものが、リリエンシャールの足元に埋まっているようである。冷静に見れば、それは土もかぶっておらず、埋まっているというよりも単にその場に落ちているように見えるし、もっとはっきり言えば、それはリリエンシャールがロシャーントンビを眺めてぼーっとしている隙を見計らって男が上から投げ入れたものである。だがリリエンシャールは頓着しなかった。こぶし大の大きさの箱を拾い上げ、繰り返し頬ずりする。
「お宝! 埋蔵金! 私のもの!」
ちなみに取り分の割合は、一・九を越えたあたりでリリエンシャールの頭脳が細かい計算の限界に達したので、とりあえず「全部私のもの!」扱いになっている。
興奮状態のまま地上に這いあがり、なおもおさまらず辺りを喜びのまま跳ねまわっているリリエンシャールを後目に、男は最後の墓を作りはじめた。遺体を埋葬して土をかける。木の杭を刺す。名前を彫る――「エンリケ」。もともとレブトライト・ロゴーニュは村長のソン・レテについて便利屋まがいの仕事をしているうちに、村人の名前はすべて把握していたのだ。とはいえ、顔と名前が一致しているだけの関係。その中で、たった最後の一日の間に印象を残していった名前だった。草の冠を作って、木の杭に引っ掛ける。リリエンシャールは、兄の墓が横で作られているとも知らず、閉ざされた箱をこじ開けようと歯を食いしばって力を込めているところだった。
そういえば、鍵は渡してなかった。そう男が内心でこぼしたその箱の正体は、もともとはエンリケの墓の中に入れるつもりだった埋葬品だ。中身は男の個人的な持ち物が入っているのだが、兄の側に埋めようが、妹の方に渡そうが、どちらも大差ない気がしたので、駄賃代わりに差し出すことにしたのだ。うっかり、鍵の存在を忘れていたのだが。
「なにこれ、全然開かないじゃない……でも、鍵付きってことは、中にはよっぽど高価な品が……んぎぎぎぎ」
ついには箱に歯を立てはじめた小娘を見て、……レブトライト・ロゴーニュはふと気がついた。こいつ、なんでここにいるんだ。
「隣村の世話になっているんじゃなかったのか」
「ほふぁいはふぁるひはいふぁへほ、……もう!」噛むのをやめた。「誤解があるみたいだけど、私が世話を焼かせてあげてんのよ。それはそうと、今日はこっちに斧を取りにきたの。どっかに落としてきちゃったみたいで」
と、涎まみれの箱から目を離して、リリエンシャールが顔を上げた。
「でもおかしいわね。私くらいに精霊や天地乾坤から祝福されし霊験あらたかな美少女だったらいまごろ『貴女が落としたのは金の斧ですか、それとも銀の斧ですか?』なんて森の妖精からうやうやしく語りかけられてもいいはずなのに」
だが現実が思い悩む美少女に遣わしたのはおとぎ話の妖精でなく、スコップ片手に丘陵地をぶらついていた退役軍人であった。その男が、荷車から無造作に片手斧を取りだす。
「ほらよ」
軽く放物線を描いた斧を、リリエンシャールは危なげなくキャッチして、あら、と目を見開いた。投げ渡されたそれはまばゆいばかりに輝く金の斧!――なんてことはなく、そのものずばり、彼女が愛用していた手斧だったのである。持ち手のさわりを確かめるように柄を掴んだままくるくると回して、久方ぶりに戻ってきた相棒の重みを味わう。刃こぼれはなく、血糊もついていない。あの惨劇の夜そのままの姿でないのは、誰かが洗ったり、磨いたりしたためなのだが、それを誰がやったかなんていうのは、リリエンシャールの頭に疑問として去来することはなかった。
「ついでだ。こっちも持っていけ」
荷車の積み荷がまだ残っていたようだ。男がまたも何かを放り投げてきたので、リリエンシャールは手斧と財宝が入っているかもしれない箱を片手にまとめて、飛来物を手に取った。てのひらを少しはみ出るくらいの、細長い棒状のもの。それが布にくるまれている。布をほどくと、中からは薄汚れた一本のナイフが現れた。皮の鞘と木の柄はどす黒い血の跡で彩られている。このぶんでは、鞘に収まった刃の部分も恐らく血にまみれているのだろう。
汚れたナイフをしばし凝視したのち、リリエンシャールは顔を上げて男を睨みつけた。この悪趣味な贈り物の正体に勘づいたのだ。見覚えはあった。燃え盛る炎の中で見た。兄の背中に突き立っていた。
「これ、エンリケのナイフじゃない。こんなもん、どーすんのよ。まとめてお墓に入れちゃえばいいのに……そういえば、エンリケのお墓はどこなわけ?」
「あいつの墓は、そこだ」
男が指したのは、つい先ほどまでリリエンシャールがガンガン掘っていた穴だった。穴はすでに男の手によって埋められ、墓標と草冠まで作られている。
「ん? つまり私が掘ってた穴が墓穴になったってこと?」
よくも騙しやがってこの男! といきり立つかと思いきや、リリエンシャールはのほほんと笑んでいるのである。
「墓を堀りつつ埋蔵品を発掘するなんて、ゴッドハンドもびっくりの運の良さじゃない。自分で自分が恐ろしいわ……やっぱり私には精霊の加護がついてるのね!」
ついているといえば、そういえば靴の裏についてたロシャーンカモシカの糞はどうなったのか? 当然、拭いていないのだから、まだこびりついている。それが臭ったのかどうかは定かではないが、男が短く鼻を鳴らした(単に呆れているだけかもしれない)。
「アサダ村の村長から減税嘆願の話がきているだろう」
「そうだけど……なんであんたが知ってるの?」
もしやストーカー行為? リリエンシャールがおのれの身をかき抱いてぶるっと震えてみせると、男は嫌そうな顔で一歩身を引いた。
「すぐわかることだ。おまえ、自分が村の厄介者だっていう自覚はないんだな」
「私が厄介者? なんで? むしろ、こんな若くてピチピチの美少女が村の一員に加わるなんて、普通は名誉に感じて貢物をささげまくるもんなんじゃないの?」
リリエンシャールはマジ顔である。男は早くも解説を放棄して、話を本題に戻した。
「そのナイフは盗賊どもが残していった物証だ。おまえが領主のもとに行くならば、持っていくべきだ。たとえ重荷であっても」
「ふーん」
話半分の相槌を打ったあと、リリエンシャールはナイフを腰のベルトにねじこんだ。そのまま男に背を向ける。立ち去るかに思えたが、しばらく考え込む様子を見せたあと、リリエンシャールはもう一度振り返った。
「ちょっとこれ持ってくれる?」
先ほど掘り出した財宝(とリリエンシャールが思い込んでいる)の小箱を男の手に握らせる。
「いや、そういう持ち方じゃなくてね」
ああじゃないこうじゃないと言いながら、最終的に両手で箱の端を支えるような姿勢を男に取らせて、リリエンシャールは満足げに頷いた。頷いた瞬間、手斧を振り上げ、雷光の如き速さで男の手の間を正確な狙いで打ち下ろした。男の手から叩き落とされた小箱が地面と刃の間に挟まれて、ひしゃげた金属の隙間から小さな指輪がこぼれ落ちる。それをまた電撃的な早さでしゃがみこみ拾い上げると、リリエンシャールは指輪を陽のもとにかざした。貴石はくもった輝きを示して、リリエンシャールは眉をひそめた。
「うーん、あと一歩ってとこかしら」
指輪をゴソゴソとワンピースのポケットにしまい込むと、リリエンシャールは唖然とした顔で突っ立っていた男の腕を取った。男の反応も待たずに、つかんだ腕ごと男を引きずりはじめる。
「おい」
「なあに?」
「どこへ行く気だ」
「証拠品、持って行かなきゃいけないんでしょ? あんたも証拠品じゃない。正直重荷だし、メンドクサイし陰気クサイし空気は重いけど、持ってくべきなら、持ってってやるわ。ありがたいと思いなさい」
「おまえ……」
「ネギール名物トナカイ饅頭って、どんな味がするのかしら……ボルシチ煮込みも……」
まだ何か言いつのる気配の男を無視して、リリエンシャールはずんずん道を下ってゆく。彼女の頭は既に報酬の使い道でいっぱいだった。……のだが、ふいに引いていた腕の抵抗が強まり、逆に軽く引っ張られる形でリリエンシャールは足を止めさせられた。
振り返る。既にもう高原の出口に差し掛かっている。村と丘陵地帯の中間地点。そろそろ中天を回った太陽が、斜めの光を鋭くしてくる頃合いだった。
「おれを、どこへ連れて行くつもりだって?」
ネギールに行くっつってんじゃん。と一息のもとにあしらおうとして、リリエンシャールは口をつぐんだ。男の表情があまりにも見たことのないものだったから、驚いてしまったのだ。
一言では名状しがたい、奇妙な顔をしていた。例えるなら、エンリケが良く見せていたあの顔に似ている、とリリエンシャールは考えた。二人がケンカをしたとき――それはたいていリリエンシャールが一方的に相手を詰るだけの展開となることが常だったが――エンリケは、諦めのにじんだ悲しそうな、それでいてどこか期待をかけるような、そういう顔をよく見せていた。彼ら兄妹のことをよく知る者の目には、それが妹に慈悲の心を教授したかった兄の、諦念と希望が互い違いにせめぎあう内心が表出したものだとうかがい知ることができたろう。だが二人の事情を知る者はすでにあらかたこの世を去っているし、リリエンシャールがいま目の当たりにしているのは兄ではなく、村外れの退役軍人の男である。場面もケンカではない。
どこへ連れて行くのか、と男は言っていた。
連れていかれる先に、なにかがあることを期待しているのだろうか。なかばないと思って諦めながらも、捨てきれない期待をかけているのか。
――でも、なにかって、何よ?
自問したその瞬間、リリエンシャールにはピコーンと閃くものがあった。
「オーケイ。分かったわ。おっさんもトナカイ饅頭が食べたいってわけね。ほほほ。このリリエンシャールさまも、鬼ッてわけじゃあないもの。成功報酬の一割。一割くらいは、駄賃代わりに呉れてやってもいいわ。それで饅頭でもなんでも買えばいいのよ」
そう言って笑いかけると、男の腕から力が抜けた。
あとは特に障害もなく、リリエンシャールは証人の男をアサダ村に連れ帰ったのであった。
☆
とかいう経緯を振り返ってみると、やはり男が変心したのはリリエンシャールに手を取られたそのときだったのだろう。
だが、そんなことは考え疲れてベッドで眠りに就いてしまったリリエンシャールにとってはもはや関係のないことだった。