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13.ヴィクトリア⑤

 その後、大小様々な障害を乗り越えて、遂に私はギルバート君と結婚することができた。


 彼と過ごす日々は、思っていた以上に幸せだった。

 小さなハプニングや、彼の企んだサプライズや、思いがけない偶然。それらは前世でギルバート君から聞かされていたことがほとんどで、心からの驚きはなかったものの、ああ、あの時彼はこのことを話してくれたんだ、と懐かしく思い出しながら、その一つ一つを楽しんだ。

 でも、その時は確実に近づいていた。

 ギルバート君と離れるのは嫌だから、怖いから、といって、避けては通れない道だ。もし、私が事件を回避したら、今の私を形作っている『千穂』は存在しなくなってしまう。

 いっそ、ギルバート君に全てを話してしまうかと、何度思ったかしれない。けれど、その度に、未来が変わってしまうかもしれないという恐怖で、私は何も言えなかった。

 けれど、ある夜、とうとう我慢ができなくなって、ベッドの中で私を抱きしめ愛おしそうに髪を何度も撫でるギルバート君にこう言った。

「ねぇ、ギル」

「……ん?」

「もし、私がいなくなったら、一生懸命探してね」

「何を言っているんだ。そんな恐ろしい事言わないでくれ」

 彼の逞しい腕が、どこへも行かせないとばかりに強く私を抱きしめる。その苦しいほどの拘束の中で、尚も私は続けた。

「それから、……もし、私があなたのことを忘れてしまったとしても、思い出すまで待っていてね。私は、絶対に、あなたの元へ戻ってみせるから」

「ヴィー……」

 揶揄っている、もしくは挑発していると思ったのだろう。ギルバート君は叱るように低く私の名を呼ぶと、これまでにないほど荒々しいキスの雨を降らせた。



 それから間もなく、王都の外れにある孤児院を慰問した帰り、私は襲撃を受けた。

 いきなり馬車が停まり、御者の悲鳴が聞こえた。何事かと蒼白になる侍女が、いきなりドアを開けた覆面の男に馬車から引きずり出される。

 ……ああ、遂にこの時が来た。

 ほのかに甘い匂いのするハンカチを顔に押し当てられた瞬間、目の前が真っ白になった。



 目を開けると、古びた小汚いベッドの上に寝かされ、動けないように手足をベッドに固定されていた。

「フフ、ついにこの身体が手に入るのね。そして、ギルバート様も……」

 私の顔を覗き込み、指先で私の頬を撫で上げる令嬢の顔を睨み返す。

 モントル伯爵令嬢キャサリン。滅多に夜会にも出て来ない、気が弱く大人しい女性だった。

 ミーアの身体に入っていた数日間で、私は彼女の元主人であり事件の犯人である令嬢の名を知ることができた。けれど、今生で会った彼女は控えめで無欲に見え、そんな大それたことを仕出かすようには見えなかった。

 ギルバート君が好き過ぎたのか。それとも、何でも持っているヴィクトリアが羨ましかったのか。

 けれど、だからといってやって良い事と悪い事がある。無駄だと分かっていても、私は言わずにはいられなかった。

「私が、何の努力も無しに今の幸せを手に入れたと思ってもらっては困るわ。隣国との戦争の間はともかく、子供の時からずっと食事に気を付け、運動を続け、髪や肌の手入れも怠らず、流行に合ったセンスのいいものを身に付けるよう努力してきた。勉学や礼儀作法、ダンスだって懸命に頑張ったわ。ギルと結婚できたのだって、半ば親の反対を押し切ってのことよ。そうやってようやく掴んだ幸せを、こんな怪しげな魔術師を使って奪おうだなんてどうかしているわ。他人の幸せを奪ったところで、あなたが私の様に幸せになれるわけではないのよ!」

 けれど、やっぱりどんなに説得しようとも、もうキャサリン嬢の決心は揺るがなかった。感情の削げ落ちた顔で私を見つめる彼女の目は暗く、口元だけが不自然に笑っている。

 むせ返るような香の匂いが室内に充満し、唸り声のような魔術師の途切れない呪文を聞いていると、次第に身体の感覚がなくなっていく。

 ……怖い。

 もし、何の邪魔も入らずに、本当に私とキャサリン嬢が入れ替わってしまったら。

 私は彼女になって、彼女がギルバート君に愛を注がれる姿を、指を咥えて見ていなければいけないというの?

 ううん、彼ならきっと、気付いてくれる。それに、前世の通りになるのなら、そんな未来なんてくるはずがない……。

 けれど、ハッと気付いた時、私は天井近くに漂っていて、ベッドに横たわった自分を見下ろしていた。

 そして眼下では、自分の身体に覆いかぶさるように倒れたキャスリン嬢の身体から出てきた半透明に透けた彼女が、頭から私の身体に入り込もうとしている。

 ――いやーーーっ!!

 必死でそれを阻止しようともがくけれど、私はその場から一ミリも動くことはできなかった。

 その時……。

「お嬢様、なりません!!」

 バン!! と音がして、突然部屋のドアが開き、ミーアがオレンジ色の髪を振り乱して駆けこんできた。

 灰色の肌をした魔術師が、こぼれんばかりに大きく目を見開く。

「……馬鹿な。貴様、邪魔をすればどうなるか分かっておるのか」

「術を中止して! お嬢様に、これ以上馬鹿な真似はさせないで!!」

 ミーアは魔術師に取り縋る。すぐに、どこにそんな力があるのかと思えるほど骨と皮だけの魔術師に突き飛ばされて床に這うものの、彼女はまたすぐに起き上がって取り縋る。

「……くぅっ。これ以上、邪魔をされてはこちらの身が……」

 ミーアが乱入してから、魔術師の唱える呪文は中断していて、眼下ではキャサリン嬢の魂が動きを止めていた。けれど、動けないのは私も同じで、ただ天井付近に漂ったまま事態を見守ることしかできない。

 何度目かに突き飛ばされた時、ミーアの手が、組まれた簡単な祭壇に置かれた水晶に触れた。

 その瞬間、黒い稲妻のような光が水晶から飛び出し、それが魔術師とミーア、それにキャスリン嬢の魂を貫いた。

「……ァァアアああっ!!」

 絶叫が幾重にも室内に響き渡った。

 魂になっていた私には、本来見えるはずのないその光景が見えた。黒い稲妻に貫かれた三人の魂が、まるで壁にぶつけられたゼリーのように飛び散り、消えていく様が。

 と同時に、水晶玉が音を立てて割れ、その後で渦を巻いた光の中から一つの光が飛び出して、ベッドに横たわる私の身体の中に吸い込まれていくのが見えた。

 ……えっ。

 慌ててもがくように自分の身体に戻ろうとしたけれど、身体に触れる寸前、何か見えない壁に弾かれてしまった。

 よく見れば、私の身体は息をしている。中身である私の魂が、まだ宙を漂っているというのに。

 今のが、『千穂』の魂だったというの?

 すでに他の魂を迎え入れたせいか、その後どんなに体当たりをしてみても、やっぱり私は自分の身体に戻ることはできず、見えない壁に弾かれ続けた。

 そのうちに、香の匂いが薄らいできて、それと共に見えない力で上へ上へと引っ張りあげられる感覚があった。それは、前世でミーアの身体から拒絶された私が、死ぬ直前に感じた力と同じだった。

 まずい。このままでは、本当に死んでしまう。

 背に腹は変えられない。私は周囲を見回し、もがくようにミーアの身体に取り縋った。

 私は、これまでずっと、術によって無理矢理ミーアの身体に入れられたのだと思っていたけれど、そうではなかった。元の自分に戻れる可能性を残すには、この部屋に倒れている三人の肉体の中で、彼女のものを選ぶしかなかったのだ。



 一体、どのくらい時間が経ったのだろうか。気が付けば、見知らぬベッドに横になっていた。呆然と天井を見上げながら、ここはどこだろうと考える。

 ふと、自分の身に何が起きたのかを思い出して跳ね起きると、いかつい顔をした体格のいいご婦人がドアに近い位置にある椅子から立ち上がり、鉄格子付きの小窓から外へ何か一言二言告げた。それからこちらに近づいてくると、蔑むようにこちらを見下ろしてくる。

「気分はどう」

「……あまり、よくありません。ここはどこでしょうか」

 少し掠れた声が自分の口から出てくる。けれどそれは、前世で数日聞いた覚えのある、懐かしいミーアの声だった。

 ご婦人は、わざとらしいと思えるほど大袈裟に眉を顰めると、語気を強めた。

「あなたは、自分が何をしたのかわかっているの?」

「……え?」

「え? ではないわ。ジェローム子爵夫人の誘拐、そして殺人未遂事件の容疑者なのよ、あなたは」

 そう言われて、慌てて首を横に振る。

「私は、そんなことはしていません」

「なんですって? しらばっくれたって無駄よ」

 女性とは思えない岩のような顔で睨みつけてくるご婦人に恐怖を覚えて俯いた。けれど、ここでやってもいない罪を認める訳にはいかない。

 私はおずおずと伏せた顔を上げて、わざと不安そうに肩を震わせながらご婦人を見上げた。

「……そもそも、私は誰なんでしょうか」

 その言葉に、ご婦人は呆気に取られて目と口をポカンと開いた後、更に激昂して私を口汚く罵り、これは騎士様方に厳しい取り調べをしていただかねば、と脅すような台詞を残して部屋を出て行った。


 一人部屋に残された後、私はベッドの上で不安な自分を抱き締める様に膝を抱えた。

 前世で、何故ヴィクトリアが私に、ミーアとして捕まった後、どういう経緯を辿ってジェローム伯爵家に忍び込むまでの話を詳しく語ってくれたのか。

 彼女は、今の私だった。生まれ変わった私が同じ事態をどう乗り越えていけば元の身体に戻れるのか、そのヒントをくれていたのだ。

 そして、私は前世で彼女から聞いた通り、記憶喪失と錯乱状態を演じることにした。

 きっと、私が本物のヴィクトリアだと言ったところで、誰も信じてはくれない。それどころか、保身の為に下手な嘘を吐いていると余計に危険視され、修道院への護送中に脱走することなんて不可能になってしまうだろう。

 けれど、私の看護の為についてくれていたらしい先程のご婦人の反応からして、本当にこれで大丈夫なのかと不安で堪らない。けれどもう、一度記憶喪失を装ってしまったからには、今更方針転換なんてできない。

 その後、ご婦人の代わりに数人の騎士がやってきて、厳しい取り調べが始まった。

 私は何を言われても何も覚えていないと言い張り、声を荒げられたら怯えたように泣き喚いてみせた。

 取り調べが終わった頃には心身ともに疲弊していたけれど、これで本当に大丈夫なのだろうかと思うと不安でなかなか眠れなかった。

 ……ああ、今頃『千穂』は、ギルバート君にデコチューされている頃だろうか。

 そう思うと、途端に激しい怒りが込み上げてきて、薄っぺらな布団を思いっ切りもみくちゃにしながら無理矢理目を閉じたのだった。

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