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11.ヴィクトリア③

 十五歳になり、兄のエスコートで社交界デビューを果たした私は、前世でギルバート君から聞いていた通り、たくさんの殿方に囲まれることになった。

 うわー、モテモテだよ、モテモテ。

 『千穂』だった時には一度たりとも訪れることのなかったモテ期。向けられる熱い眼差しとダンスに誘おうと差し出される手に、気持ちがフワフワしてどう対処していいか分からない。

 好意を向けられて、悪い気なんかしない。寧ろ、これまで美しくなろうと努力してきた結果が評価されているのだと思うと嬉しい。

 でも、私はギルバート君と結婚すると決めている。だから、彼らの誘いに乗って軽はずみな行動を取って、もしギルバート君に軽い女だと愛想を尽かされてしまったら困る。

 けれど、彼らだって貴族令息だ。中には、私よりも身分の高い人達だっている。あまりに冷たい態度を取ってしまって、気位の高い生意気な女だなどと悪評を立てられてしまったら、これまたギルバート君の心が離れて行ってしまうかも知れない。

 ……悩ましい。

 前世で、ヴィクトリアとギルバート君が結婚すると分かっていても、果たして今の『私』が同じゴールに辿り着けるという保証はどこにもない。そして、前世でギルバート君から聞いた話だけでは、こんな時どういう行動を取ればいいのかという正解なんて分からない。

 分からないから怖い。愛想笑いを浮かべながら、どんどん手足の先から冷えていくのを感じていると。

「失礼するよ」

 不意に声がして、私を取り囲んでいた人垣が割れる。

 ……ギルバート君!?

 助けにきてくれたんだ、と歓喜に震える心で振り向いた私の目の前に現れたのは、ギルバート君ではない、煌びやかな衣装を身に付けた優男だった。


 その優男は、第二王子フェリクス殿下だった。前世の記憶によれば、浅い池で溺れそうになり、その醜態を晒したからと『ヴィクトリア』を諦めた情けない男だ。

 けれど、その話から受けた印象とは違い、彼は非常に紳士で、王族たるに相応しい自信に満ちたオーラを身に纏っていた。非常にスマートで、とてもそんな情けないドジをやらかすようには見えない。

 フェリクス殿下が出席される夜会では、他の貴族令息達は私に近づいてこなくなった。それどころか、本人の知らないところで、私が第二王子妃候補の筆頭だという噂まで流れ始めていたのだ。

 ……ああ。そうそう、確か前世でギルバート君もそう言っていたよね。

 フェリクス殿下が私に気があるのは、見ていてよく分かった。夜会では常にダンスを申し込んでくるし、話をしている間も周囲の男性達を牽制するような態度を取る。

 優男風に見えながら、実は肉食系で押しの強いフェリクス殿下に、本当に捕まらなくて済むのだろうかと日々不安が募ってくる。

 そんな私の内心とは裏腹に、両親は大喜びで、お前ならきっと殿下の目に留まるだろうと思っていたと褒めそやされた。私がギルバート君のことを好きだと知っていながら、殿下と結婚すればどれほど幸せになれるかと切々と説いてくる両親に、第二反抗期と重なったのか反発心が芽生え、彼らを冷ややかな目で見るようになっていた。


 そして、とうとうその日はやってきた。

 それまでも、フェリクス殿下に誘われて庭園を散歩することはあった。その度に、ついにその日が来た! と思っては肩透かしを食らい続けていた私は、少し油断していたのかも知れない。

 今日の夜会が開かれているお屋敷の庭園は、伸びた樹木のせいでお屋敷から届く明かりが遮られて暗かった。それでも、最初は遠くまで見通せるほど月が明るく、そこかしこで散歩を楽しむ男女の姿があった。

「ヴィクトリア」

 雑談が途切れ、沈黙に少し居心地の悪さを覚えた時、不意に熱の籠った声で呼ばれた。

 樹木の陰でお屋敷の光が全く届かず、人目の付かない場所。しかも、月が雲に隠れたせいで一気に周囲が暗くなり、見えるのは息が掛かるほど近くに立っている殿下の顔しかない。

「どうか、私の妻になってくれないか?」

 一瞬、息が詰まった。

 これまで殿下の人となりに触れ、彼の素晴らしさも十分に分かっていた。身分云々ではなく、私には勿体無い人だ。……もしかしたら、頷いていたかも知れない。ギルバート君と出会っていなければ。転生する前の、彼に恋した記憶を持って生まれて来なければ。

 首を横に振り、申し訳ございませんと蚊の鳴くような声で答えると、殿下は愕然とした表情を浮かべた。それでも、気を取り直したように、王族に嫁ぐことに不安があるとしても私が守るから大丈夫だ、と縋るように説得してきたが、私はただひたすら俯きながら首を横に振り続けた。

 すると、殿下が衝撃を受けたように大袈裟に額に手を当てながら、一歩、二歩と後ずさった。そして、三歩目の後、驚きの声と共に殿下の姿が消えたかと思うと、突然水音が響き渡った。

「殿下!?」

 丁度その時、雲が切れて月明かりが周囲を照らした。それまで暗くて見えなかったけれど、そこには池があったのだ。

 ……そして、前世でギルバート君の言った通り、彼は溺れていた。

「落ち着いてください、フェリクス殿下。そこは足が届くはずです!」

 そう声を掛けても、彼は水しぶきを上げてもがきながら、短い悲鳴を上げ続けている。もしかしたら、過去に溺れたことがあって、トラウマのせいで錯乱しているのかも知れない。そんな印象を受けた。

 私も必死に助けを呼ぶけれど、その声に気付いて駆け寄ってくる人の気配はない。しかも、殿下はそのうちにぶくぶくと沈み始めた。

 ――きみはドレスが台無しになるのも構わず、自分から池に入って混乱する殿下を助けようとしていた。

 前世の、ギルバート君の言葉を思い出して、ぎゅっと拳を握り締める。

 大丈夫。この池は深さが腰までしかないのだから。

 覚悟を決め、思い切って池に飛び込む。案の定、足は池の底についた。けれど計算外だったことが二つ。水に濡れたドレスの重さと、池の深さだった。ギルバート君の背の高さなら腰ぐらいの深さでも、私の胸の辺りまで水に浸かってしまう。

 しかも、健康で若い男性がもがきながら溺れかけているのを取り押さえ、池から引き揚げることなんて不可能だった。逆に、振り回される腕で何度も殴られ、縋られては水の中に沈められる。

 ……いや。この人、振られた腹いせに、私を殺そうとしているのかも知れない。

 本気で、そんな危機感を覚えて、恐怖のあまり泣きべそをかいていると。。

「ヴィクトリア!」

 突然、力強い腕に抱えられ、支えられる。気付けば、いつの間にか池に腰までつかったギルバート君が傍にいた。

「大丈夫か? 先に池から上がって」

 濡れて、人一人に抱きつかれているような重さになったドレスを引きずりながら、ギルバート君に押し上げられて池から上がる。ゼイゼイと荒い息を吐きながら、今度は背後から殿下の襟首を掴んでこちらに引き寄せてきたギルバート君と、上と下から協力して殿下を引き上げた。

 季節は夏に近いとはいえ、この国は夏でもそう暑くはない。しかも、夜とあって全身ずぶ濡れ状態の私は寒さで震えあがった。

 けれど、震えていた理由はそれだけじゃない。もし、ギルバート君が来てくれなかったらどうなっていたか。フェリクス殿下が溺れ死ぬのを目の前で見ていて助けられなかったなんてことになったら、私もただではすまない。かと言って、あのまま池の中で格闘していたら、明らかに私の方が先に沈められていた。

 歯の根が合わないほど震えている私を、ギルバート君がしっかりと抱きかかえてくれる。その温もりに私は必死でしがみ付いた。死ぬかも知れなかった、という自覚が今になって湧き上がり、己の不用意な行動を後悔する。

 そうして、三人がほぼ無言で荒い息を吐いていると、ようやく異変に気付いた人たちがこちらへ駆け寄ってくる気配がした。

 そのまま、ずぶ濡れで座り込んでいたフェリクス殿下は、駆け付けた夜会の主催者達によって抱えられていった。

 私達も、このお屋敷の使用人達の手配でそれぞれ別の部屋に案内され、手当てを受け着替えることになった。

 池の中でいつの間にか靴を両方失くしていた私を、ギルバート君が軽々と抱き上げる。濡れたドレスの重さも加わり、結構な重量になっているのに、彼は重そうな素振りなど全く見せない。

 カッコいいなぁ……。

 斜め下から、あれだけのことがあったのに全く動じた様子もない彼の顔を見つめながら、改めて惚れ直してしまう。

 ギルバート君は整った顔立ちをしていて、背が高く、すらりとしているのに実は鍛え上げられた身体の持ち主だ。華やかさではフェリクス殿下に一歩も二歩も遅れを取っているけれど、逆にそれが誠実で実直そうな魅力となっている。

 間近にあるギルバート君の顔をじっと見つめていると、濡れた金髪を顔に貼りつかせた彼は、びっくりするほど色気のある表情を浮かべて私を見つめ返してきた。

「きみは、何という無茶をするんだ。……全く、ヒヤヒヤさせてくれる」

 怒られているはずなのに、その強い眼光に私はハートを撃ち抜かれてしまった。

「……ごめんなさい。その、ありがとうございました」

 冷えた身体とは対照的に、顔に全ての熱が集まってくるようだった。

 ああいうときは、自分で何とかしようとせずに周囲に助けを求めなさいと怒られ、そうしたのだけれど誰も来てくれなかったから、と言い訳をしつつ、彼の温かい腕に包まれて幸せな気持ちに浸っていた。


 主催者の屋敷で温かい湯に浸かり、用意された服に着替えると、待ち構えていたように両親や兄が部屋に雪崩れ込んでくる。同じ夜会に参加していた彼らは、私がずぶ濡れで運ばれてきた時から、ずっとやきもきしながら私の身支度が整うのを部屋の外で待ってくれていたのだ。

 兄は、ただ私の事を純粋に心配していたようだったけれど、両親は私が殿下に何か失礼を働いたのではないかと疑っているのか、何があったのかしつこく何度も訊ねてきた。両親の思惑を知っていた私は、疲弊しきっているこの状況で、殿下の求婚を断ったとは言いだせなかった。

 翌日、王家から迷惑を掛けたという断りの手紙が届き、それで両親はようやく私が殿下に無礼を働いたのではない、と納得してくれた。

 それから一週間後。参加した別の夜会でフェリクス殿下と顔を合わせたけれど、殿下は私に当たり障りのない挨拶をしてきたのみで、それ以上近づいて来ようとしなかった。その後の夜会でも、殿下は同様に私から距離を取るようになった。

 社交界は、二人の間に一体何があったのだと詮索し、無責任な噂が立ち始めたけれど、それから間もなくフェリクス殿下と隣国の王女との縁談の噂が流れ始め、いつの間にか私とのことは話に上らなくなった。

 私としては、あの事件がきっかけで殿下が私を諦めたのだとしたら万々歳だ、やっぱり前世でギルバート君に聞いた通りになったと喜んでいた。

 ある日、兄が両親に知られないよう、密かにフェリクス殿下からの手紙を届けてくれた。

『あなたを妻にと望んだ舌の根も乾かぬうちに隣国の王女との縁談を進めている私を、不誠実だと思うだろう。けれど、無責任な噂からあなたを守るのに、他に方法を思いつかなかった。あんな無様な醜態を晒しておいて、これ以上あなたを求めることはできない。あなたが、愛する人と結ばれることを願っている』

 最後の一文を読んだ時、ふと、殿下は私がギルバート君を好きなことに気付いたのかも知れないと思った。まぁ、そうだろうなぁ。池から上がった後、私はずっとギルバート君に抱きついたまま離れなかったからなぁ……。

 こうして、フェリクス殿下と結婚させられる危機は完全に去った。



 けれど、まだギルバート君は侯爵家の三男とはいえど、一介の騎士でしかない。殿下が私から離れた後、寄ってくる男性の中にはすでに親から爵位を継承している人や、跡取り息子として確定している人も幾人もいた。

 でも、これまでと違うのは、ギルバート君が私の傍にいてくれることだ。

「君は、目を離すと何をするか分からないから」

 そんな、兄みたいなことを言いながら、常に寄ってくる殿方に目を光らせつつ、時にダンスに誘ってくれた。

 ――池に落ちたところを助けてもらい、フェリクス殿下に捨てられた痛手を慰めて貰っているうちに、サーフレア伯爵令嬢はアルフィリア侯爵子息と恋仲になったようだ。

 そんな噂が流れるようになっていたけれど、それは違う。だって私は、この世に産まれる前からギルバート君のことを好きだったのだから。

 ただ、それを誰にも話すことはできない。例え、ギルバート君本人にだって。

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