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10.ヴィクトリア②

「ねえ、お父様。騎士様にはどうやったらなれるの?」

 相変わらず部屋で静かに本を読んでばかりいるインドア系の兄に痺れを切らし、夕食の席でそう切り出した時、私は十歳になっていた。

「騎士? 一体どうしてヴィーがそんなことに興味を持つんだい」

 向かいの席で不思議そうに首を傾げる兄アレクシスに微笑みながら、内心「お前がいつまでも動こうとしないからだよ!」と突っ込みを入れる。

 彼はもう十三歳。背は去年頃からいきなり伸び始めたけれど、そのせいでますますもやしっ子具合が酷くなってしまった。

「最近読んだ物語に、騎士様が出てきたの」

 これは嘘じゃない。騎士の出てくる物語を読んだのをきっかけに、私とギルバート君との出会い話を思い出して、少し焦り始めたのだ。

「騎士になる方法は、貴族と平民では異なる。貴族は適正審査だけだが、平民はそれに加えて選抜試験を受けることになる。騎士に合格しても、貴族は幹部候補として平民とは異なる訓練を受けることになるし、寮も別だ」

「そうなのですか」

 なるほど。その寮で兄とギルバート君は出会い、親友になるのか。

「適正審査というのは、どういうものなんですか?」

「主に体格、体力、運動能力、それに集団行動に耐えうる協調性があるかを審査するらしい。まあ、騎士になろうとする貴族の子弟は、ほとんどがその条件を満たしているからね。申し込んで不合格となれば、本人だけではなく家の面目を潰してしまうから」

 ……なんか、余計なことを訊いてしまったような気がする。これで、もやしっ子の兄が、自分は駄目だなんて最初から諦めちゃったらどうしよう。

 ちらっと兄の方を見てみれば、完全に興味なさそうに黙々と食事を続けている。

 駄目だこりゃ、と内心頭を抱えつつ、気を取り直して父親に再度質問をする。

「……そ、それで、何歳からその審査を受けられるんですの?」

「十五歳からだ」

 十五!! 兄貴ィ! あと二年しかありませんぜぇ!?

 驚きのあまり飛び上がりそうになった私に、母親が可笑しそうに身体を揺らして笑う。

「まあ、ヴィーったら。そんなことを訊くなんて、まさか騎士になりたいなんて言い出すのではないでしょうね?」

「えっ……」

 そんなつもりはない。……ないけれど、確かにこれまでの会話の流れからすれば、そんな風に思われるのだろう。

 というかもう、兄が動かないのなら、自分が騎士になって直接ギルバート君に近づくしかないじゃないの!

「なりたい!」

「なれないよ、ヴィー。女性は騎士にはなれないんだ」

 ああ、やっぱりね。どうせそんなことだろうと思ってはいましたよ。

 父親の言葉に肩を落としながらふと視線を感じて顔を上げると、兄がじっとこっちを見ていた。

「馬鹿だなぁ、ヴィーは」

 はあっ? 一体、誰のせいだと思ってるんだ。


 ところが翌年。

 国王陛下の即位十年を祝って、大規模な祝賀祭が執り行われた。その際、騎士団による勇壮なパレードを見た兄は、あっさりと騎士になることを決断してしまった。

 もやしっ子のイメージが強かったが、意外に意志は物凄く固い人だったらしい。お前は伯爵家の跡取りだと渋る両親に兄は一歩も引かず、体力をつける為のトレーニングを始め、自分で剣や馬術の教師を見つけてきた。

 これまで、男としてはあまりに頼りなさ過ぎる兄に不安感を抱いていたらしく、急にいい方向に変わった兄の決意を、両親も無理矢理握り潰す訳にはいかなかったのだろう。

 そして、一年で見違えるほど立派になった兄は、無事に適正審査に合格して騎士になり、我が家を離れた。


 私の「ギルバート君に一目惚れされるよう綺麗になる」計画も、佳境に入っていた。なにせ、時間はもうあと一年しかない。

 父や母の親類や友人達が我が家を訪ねて来ると、可愛いとか、将来はさぞ美しい女性になるだろう、などといった賞賛の言葉を貰える。時々、彼らにくっついてくる同年代の子供達と比べても、確かに私は可愛いと思う。

 でも、油断は禁物だ。

 何せ、ギルバート君はアルフィリア侯爵子息。上のお二人の兄上様はすでに社交界ではご令嬢方に大人気だそうだ。

 ライバルは多い。気を抜いてはいけないわ、ヴィクトリア。

 勿論、磨くのは見た目だけじゃない。礼儀作法やダンスだけではなく、勉強だって頑張った。いずれは、子爵夫人としてお屋敷を取り仕切らなければならない。知っておかなければならないことは山ほどあった。


 そして、その日はやってきた。

 十六歳になった兄が、寮から友達を連れて戻って来るという連絡があった。

 朝から落ち着かず、お気に入りで一番自分に似合うワンピースを着て、そわそわ動き回っては思いついたように鏡を覗き込んで、結ってもらった髪がおかしくないかチェックする。

「まあ、お嬢様。まるで、新婚の奥様が旦那様を待っているようですね」

 なんてナタリーに言われて、思わず真っ赤になりながら否定する。

 否定はしたけれど、完全に間違いではない。だってギルバート君は、私の将来の夫なのだから。

「冗談ですわ。でも、そんなにアレクシス様がお帰りになるのが待ち遠しいのですね」

 完全に勘違いしているナタリーの言葉を聞いて、ほんの少しだけ兄が不憫になった。

 

 待って待って、ほんの少し待ちくたびれた時、ようやく兄はその人を連れて戻ってきた。

 前世の頃から捻くれたところのある私は、これで兄が連れてきた友人がギルバート君じゃなかった、ってオチだったりして~、なんて考えたこともあった。

 でも、いざその場面になってふとそんな考えが頭を過ると、急に怖くなった。

 ……もし、ギルバート君じゃなかったら。

 そうなったら。この先、どうやってギルバート君に出会うことができるのか、私には分からない。彼と本当に結婚できるのかも怪しくなってくる。

 ドキドキしながら、玄関の前で馬から降りる兄の背後でこちらに背を向け、馬を労わっている少年の後ろ姿を見つめる。ああ、心臓が破裂しそうだ。もうどうにでもなれ。早く振り返って、あなたがギルバート君なのかそうじゃないのか見せて頂戴!

 そんな私の心の声が聞こえたかのように、少年がこちらを振り返った。

「……あ」

 それは、まだ幼さを残しているけれど、確かにギルバート君だった。

 ……か、……可愛い。

 大人になったギルバート君よりも更に柔和で線の細いギルバート君は、想像以上に可愛らしかった。

「紹介するよ。彼はアルフィリア侯爵子息、ギルバートだ。ぼくの友達で、寮では部屋が隣で……」

 兄の声を聞きながら、私はずっと会いたくて会いたくて仕方がなかった彼の顔を、ただひたすら見つめ続けていた。

 ふとこちらを見たギルバート君が、驚いたように目を見張る。

 あ、まずい。まるで飢えた野獣みたいにギラギラした目で凝視してしまった。

 慌てて目を伏せたけれど、胸の動悸は収まらない。

 兄が、父や母に続いて私の事をギルバート君に紹介してくれたけれど、私は胸がいっぱいになり過ぎて、彼に微笑むこともできず、ただ込み上げてきそうになる涙を堪えるだけで精一杯だった。


 失敗した。もう終わりだ。涙ぐんで黙って俯いているだけしかできなかったなんて、きっと彼の中で私のイメージは最悪だったに違いない。

 そう思って落ち込み、悲観していた私だったけれど、ギルバート君は私が初対面の男性を前に緊張していたと思ってくれていたらしい。

 お茶の最中、彼は優しく話しかけてくれて、それから一緒に庭を散歩した。

 まるで、夢のような一日だった。幼さを残したギルバート君の笑顔は、前世で知っている彼の笑顔の数倍甘くて、心がトロトロに溶けてしまいそうなほど幸せだった。

 夕刻になって、彼は一緒に来ていた従者と一緒に帰っていった。兄は、その後も休暇の間、我が家で過ごすことになっている。

 彼の身分と人となりを、両親もすっかり気に入っている様子だった。

 私も兄にこう伝えた。

「ギルバート様って、お優しくて素敵な方ね。是非、また遊びに来ていただきたいわ」

 人伝に、あなたに好意を持っていますと伝える作戦だ。

 前世では、私に好意を持たれても気味が悪いだけだろう、だなんて悲観的に考え過ぎて披露する機会のなかったテクニック。自分が可愛いと実感できるからこそ、こういう思い切ったことも言える。

「ああ。ギルも、ヴィーのことを可愛いと言っていたよ」

「本当?」

 うわーい、やったー! もう、涙が出そうになるくらい嬉しい。

 なにせ、十三年ぶりの悲願だ。何だろう、この幸福感は。



 それからは、休日の度に兄はギルバート君を連れて戻ってきた。会うたびに、私の中でギルバート君を好きだという気持ちはどんどん強くなっていて、もう心は前世で見た彼との結婚生活まですっ飛んで行ってしまっていた。

 確か、前世でギルバート君は、ヴィクトリアに一目惚れしたと言っていた。確かに、我が家を訪れる時には、私にも花やアクセサリーなどの贈り物をくれて、積極的に話しかけてくる。これって、ギルバート君は私に惚れたってことでいいよね? 勿論、私は今世で彼に会う前から惚れていますけど。

 ……でも、油断しちゃ駄目だ。彼ぐらいイケメンでしかも侯爵家子息ともなれば、社交界での競争率は相当高い。彼は、前世で私のことを他の男に先に奪われるのではないかと心配していたみたいだけれど、逆に彼が他の令嬢と婚約してしまうことだって考えられる。

 そうだ。そんなことになる前に、ギルバート君と婚約してしまえばいいんだ!

 そう思い立って、まずは母親に自分の気持ちを伝えた。

 すると、これまで私が何をしようとも「あらあら」と微笑んでいた母親が、困ったように眉を顰めた。

「ヴィー。あなたはまだ、社交界デビューもしていないのよ? もう少し、色々な方とお知り合いになってからでもいいのではなくて?」

 思ってもみない返事に、呆気に取られてしまった。

 やがて、母親の口から私の気持ちを聞いた父親からも、同じことを言われた。

 ……ああ、そうか。

 確か、前世でギルバート君が言っていた。両親は、ギルバート君ではなく、もっと条件のいい人との縁談を望んでいた、と。例えば、それは第二王子だったりするんだろう。

 確かに、侯爵家三男のギルバート君は、男子のいない貴族家に婿入りするか、何か功績を上げて爵位を与えられるかしないと、爵位を得られない。私には兄がいるので、私と彼が結婚しても彼に伯爵家を継がせることはできない。

 私には、ギルバート君が将来武功を挙げて子爵位を手にすることが分かっている。けれど、そんなことが今の時点で両親に分かるはずもないし、逆に何故私にそんなことが分かるのかという話になってくる。まさか、未来から過去へ転生しましたなんて話、信じてくれる訳がない。

 ここは、黙って耐えるしかない。

 ギルバート君も言っていたじゃない。君と俺が結ばれるのは簡単じゃなかった、って。

 それでも、彼は私と結婚する為に命を掛けて努力してくれた。だから、私は彼の準備が整うまで、自分にできることをして待ち続ける。

 そして、前世では話で聞くことしかできなかったこれから起こる出来事を、一つ一つ胸に刻みつけながら生きて行こう。



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