参玖 鬼界旅行記
1
酒井は鏡を突き抜けて、暗闇を落ちていった。
果てなく続く世界を落下して、途中、体が引っかかってどこかに掴まった。
霞む視界に、鬼になりたくない一心で、光を探し求めた。
一筋の光明を求めたが、一筋どころか、髪一本の細さの光すら見つけられない。
彼は自分の顏にそっと触れた。
頭痛は収まっていた。
顔を撫でると、ごつごつと皮膚が硬かった。
「これが…人間の顏か…!? 俺の顔…!?」
彼は違和感しか持てなかった。
長い毛が項と顎の下まで、たてがみのようにふさふさと生えていた。
「俺はどうなった? 俺の末路は…あの百足の鬼みたいに…?」
酒井は心細くて震えた。
何とか人間に戻る方法はないか?
自分の中に入り込んだ鬼を、追い出せるだろうか?
「がうるるる…」
酒井が溜息とともに唸った。
自分の声変わりにびっくりした。
紛れもない獣の声だ。
彼の脳裏に女のイメージが湧いた。
必死に抵抗している、血塗れの女の姿。
女は悲鳴を上げた。
「助けて!! お願い!!」
女が叫んでいるのに、誰かの爪で八つ裂きにされていく。
白い腕がズタズタに裂け、血飛沫が飛んだ。
酒井は自分の手を見た。
「やめて!!」
「殺さないで!!」
女達の悲鳴が耳に蘇る。
酒井は死にたくなった。
彼は自己嫌悪しながら、人を殺した時の興奮と快楽を思い出した。
「あかん、思い出したくない!!」
酒井は鬼の気配を否定し、何とか人間として思考しようと努めた。
彼はもう一度、光を探した。
彷徨い続けるうち、温かな光を見い出した。
細い光が天上から差し込み、地面に咲く一輪の野の花を照らしていた。
そうだ、あの光の下に行けば、自分は人間に戻れるかも知れない。
酒井は足を速めた。
けれど、光に照らされた場所に近付くと、分かれ道が見えてきた。
片側の道には、雑草の小さな花が一輪咲く。
もう片側には花はないけれど、遥か先に青白い炎が見える。
その青白い炎を見た時、酒井の胸がきゅっと締めつけられた。
酒井は岐路に立ち、選択に悩んだ。
間違えたら、永久に取り返しが付かない気がする。
花が咲く道の先は、暗闇に沈んでいる。
何もない道の彼方には、酒井を切なくさせる青白い炎が待つ。
酒井は青白い炎の誘惑に堪えられなくなった。
口の中が乾き、本能が青白い炎を狂おしく求めていた。
彼はふらふらと、花の咲かない道へ引き込まれていった。
その道こそが転落だと、薄々気付きながら…。
2
紅葉と咲良達を乗せたバスは、砂利だらけの地道を走り続けている。
坂が多く、ボンボン跳ねる。
一時間ほどして、最初の休憩があった。
バスは山麓の、寂れた一軒家に着いた。
豪雪地帯にある、急勾配の藁葺屋根の民家。
かつては京都も雪がたくさん積もった。
この周辺に集落は見当たらない。
電柱も電線も、信号もアスファルトの道路もない、コンクリートの橋もない。
まるで、一昔前の田舎に迷い込んだみたいな景色。
小雨の降る中、ツアー客は景色を見る余裕もなく、土間へ駆け込んだ。
囲炉裏に赤々と暖かな火が燃えていた。
囲炉裏を囲み、鬼達が座る。
火に照らし出された鬼、鬼、鬼。
「古民家を改修した食事処・鬼屋です。ここで、創作鬼料理の昼食をいただきます…。地鶏と無農薬の京野菜がふんだんに使われているそうです。見た目は鬼の料理を意識して盛り付けられていますが、材料は人間じゃありません。ご心配なく…」
熊井が説明した。
「腹減ったなぁ…。早く人間を食いてぇなぁ…、熊男…」
鬼達がツアー客を見詰め、自分の唇を舐め回す。
ツアー客は奥に続く板間に通された。
床に並べられた、藁を編んだ敷物。
これが座布団の代わり。
百歳ぐらいに見える小柄な老婆が、料理を盛ったお膳を運び込む。
土間では、竃で炊いた飯から湯気が立つ。
配膳とは別の老婆が、まな板に載せた首無し鶏を解体している。
ゆでられた首無し鶏は、ごつい肉切り包丁でバラバラになっていく。
ごつん、ごつんと、骨の切断される音が聞こえてきた。
咲良と紅葉は創作鬼料理をじっと見詰めた。
「うっ…」
紅葉は食欲が減退するのを感じた。
鶏肉じゃない骨つき肉と、黒いどろどろのスープが、お椀に入って出て来た。
「ミナ、見て。これ、本当に鬼のご飯みたいだね…」
「ミカ、写真撮ってから食べよう。ブログにアップしなきゃ…」
隣りに座った着物の女子大生二人が呟いた。
彼女達は東京の大学に行っている。
「私、無理。この匂い、腐ってるみたいやん…。咲良ちゃんは?」
紅葉が聞いた。
「私、お菓子持って来たよ。それに、おばあちゃんに非常食持たされてて…。後でみんなで分けよう」
咲良が提案し、しゅとーん部のメンバーはホッとした。
「なんで? 思ったより美味しいよ!? 一口食べてみたら?」
ミカが紅葉に言った。
ミナもスープを口に運び、
「美味しい!! なんか、口の中でとろけるー!」
と、絶賛した。
噛むと、プチプチと軟骨みたいなものが弾けた。
ミカとミナは熊井のМCが面白いらしく、ずっと笑っていた。
鬼達は座敷を歩き回り、
「せっかく鬼が作ったんだ。食わねぇと、おまえらを食っちまうぞ!!」
と、ツアー客を脅して回った。
コマチは向い側に座った、病気の母親と来た娘に話しかけられた。
「食べないの? 意外と美味しいですよ。私はユキエ、看護師をやってます。うちの母は喘息があって、心臓も悪いんで、久しぶりの旅行です」
ユキエは母親に気晴らしをさせてあげたくて、ちょっと変わった旅行もいいかと考えた。
コマチは彼女を、優しくていい人だなぁと思った。
「昔から、妖怪とか鬼とかが好きなんですよ。どこか愛嬌があって、可愛いじゃないですか…」
「可愛いですか? 鬼が? …気を付けた方がいいと思いますよ。鬼って、人の心の弱いところに付け込んでくるんです」
コマチは囲炉裏端の鬼を、ちらっと見た。
母娘は大笑いした。
「まるで、本当に鬼を知ってるみたいな言い方ですね!! そこの鬼さん達は着ぐるみですよ!!」
「鬼をよく知ってますよ。鬼は全然可愛くなくて、気持ち悪いと思います」
コマチは本気で言った。
女子大生のミカ、ミナは、食事が進むほど酔っ払ったような口調になっていった。
着物が少し着崩れてきても、気にならないみたいだ。
ユキエも少しずつ様子がおかしくなっていった。
紅葉と咲良は食べるふりだけ続け、箸を持て余していた。
雨音と雲林院は美少女姉妹・キラとノアに話しかけられていた。
雲林院がはにかみながら受け答えしていた。
「その荷物、何ですか?」
キラが雨音の刀ケースを指差した。
「…刀です。護身用です。鬼に襲われた時、斬る為に…」
雲林院がとぼけずに答えたら、
「ああ!? こいつら、何言ってやがる…」
聞きつけた鬼が睨んできた。
「えー!? どうしてですかー。あの鬼さん達は友達ですよー。みんな優しい鬼なんだから」
キラとノアが鬼の味方をした。
「へっ、そう? 雨音、あの鬼、危険な鬼なんやろ!?」
雲林院が反対側を振り向いた。
「うん。そうだよ。雲林院も気を付けて」
マイペースの雨音は、イヤホンをして音楽を聞き始めた。
姉妹の母親が雲林院に警戒感を示し、
「ちょっと。うちの娘達に、気安く話しかけないでもらえます?」
と、言った。
「雨音、どのタイミングで鬼を斬るつもりなの!?」
雲林院が次第に不安になって聞く。
「斬る、だとぉ…!?」
彼等の会話を聞き、また鬼が睨んできた。
旭と山上の隣は、一人旅の二十代後半の女・ナツミだった。
左手に呪いの藁人形を握り締め、殆ど無言だった。
バスでは、熊井のパフォーマンスに対して甲高く喚いていた。
今は、鬼料理を味わいながら食べている。
「旭、見てみ。怖ぇー。この人、藁人形持ってるぞ…」
「鬼よりも怖いです…」
山上と旭は震え上がった。
熊井がしゅとーん部の座っている一画に来て、胡坐をかいた。
「盛り上がってるやんか」
山上が熊井に言った。
「はぁ、一応、順調です…。このツアーに参加してる人達、楽しそうに見えますけど、実は心の奥には相当の闇を抱えてる…。ストレスとその腹黒いものを今、吐き出してる最中なんですよ…。私はそれを引き出す役…。ああ、私も疲れました。喉が枯れてきました…」
熊井は熊の面を脱ぎ、老婆から受け取った飲み物をゴクゴク飲んだ。
赤い汁が熊井の口の端から垂れた。
「紅シソジュースです。疲れが取れますよ」
少し粘りがあって、赤黒く見えた。
「血みたいだ…」
旭は思った。
紅葉と咲良は、料理の匂いに気分が悪くなった。
それなのに、ツアー客の一人、若い主婦は、
「こんな美味しい料理、久しぶりに食べました! レシピを教えて下さい!」
と、鬼屋の老婆に頼んだ。
すると、鬼屋の老婆はあっさりと答えた。
「人間をコトコト炊いたんですわ」
「あはは…。面白いですねー。鬼の役になりきってるんですね!」
夫婦は料理を平らげ、おかわりした。
老婆は茶碗を受け取り、お櫃の飯を大盛りでよそった。
鬼コスプレの双子の弟が、
「これ、里芋かと思ったのに、里芋じゃない。どろっとして、すごくうまい…」
箸で丸いものを摘んだ。
双子の姉が、弟の摘んだものを見た。
「うわー、凝ってるねー。人間の目玉にそっくり!」
双子が料理を食べている途中から、微妙な変化が始まった。
コスプレの鬼の角が、すこしずつ膨らんで大きくなっていく。
どんどん尖り、捻じれていくのだ。
咲良はそのことに気付き、双子の角に目が釘付けになった。
「紅葉ちゃん、見て…。あの角。なんか、ヤバいよ…」
「ほんまや…」
紅葉も青くなった。
昼食後、老婆がお茶を淹れた。
そして、鬼饅頭が配られた。
雲林院が鬼饅頭を二つに割ってみた。
中には、赤黒い血のようなソースと、正体不明の肉が入っていた。
人間の鼻を刻んだようにも見えるし、耳たぶに似た肉もある。
酸っぱい匂いがして、全体に薄紫がかっている。
ツアー客はうまそうにムシャムシャと食べ始めた。
「食べるな、雲林院」
雨音が雲林院の手を止めた。
山上も試しに鬼饅頭を割った。
中には、人間の親指が入っていた。
紫色の爪が、明らかな原型を留めていた。
「こんなん、食えるか!」
山上はそっと鬼饅頭を皿に戻した。
「オエーッ!!」
旭は吐き気を催し、鬼饅頭を投げた。
山上は紅葉と咲良に言った。
「イザナミノ命はあの世の物を食べてしまった為に穢れて、元の世界に戻れんようになったんや。何も食べん方がええかもな」
3
彼等は再びバスに乗り込んだ。
雨はまだ降り続き、窓の景色をけぶらせた。
「満腹になったとこで、お昼寝して下さって結構でーす。音楽は少し止めますね…。目が覚める頃には、鬼の温泉旅館です…」
熊井がマイクのスイッチを切る。
あちこちから、すやすやと寝息が漏れ始めた。
バスはうねるカーブを跳ねつつ走り、山奥へ進む。
紅葉と咲良はお菓子と非常食を分け合い、しゅとーん部の仲間に配った。
「熊男さん。大江山に行くには、もっとちゃんとした道あったでしょ。こんな地道、通る必要ありますか?」
紅葉が熊井に聞いた。
「そんな通常の道通ったら、風情がないでしょ。だから、鬼ツアーらしい道を選んで走ってます。残念ながら、雨のせいで景色がわからないけど。…ほら、もうすぐです。あれ、由良川だと思いますよ」
熊井がカーテンを捲り、外を指差した。
紅葉は納得できないものを感じた。
「紅葉ちゃん、ここはもう、現代の京都じゃないよ。いつの時代かわからないけど…、時差がある感じ」
咲良は首を傾げながら話した。
「やっぱり…」
紅葉は頭を抱えた。
「念の為に、シートベルトはしておこう…」
山上が言い、しゅとーん部は全員シートベルトを締めた。
雨のせいか、肌寒くなってきた。
紅葉と咲良は毛布を被り、くっついて眠った。
バスの中に静かな眠りが訪れていた時。
突然、大きな衝突音が響いた。
後はもう、何が起こったか、わからない。
バスが横転して滑り、回転して停まった。
何人かのツアー客はシートから投げ出された。
頭を打ったり、網棚から落ちてきた荷物を、体にぶつけたりした。
悲鳴が飛び交い、大騒ぎになった。
「事故だ!! 岩にぶつかった!!」
「そんな馬鹿な!!」
鬼達が予定外のハプニングで、バスの外へ飛び出して行く。
添乗員の熊井と猿男、控え運転手の蛇男も外へすっ飛んでいった。
運転していた青鬼は、運転席で伸びている。
フロントガラスはひびが入っていた。
咲良はリュックを背負い、手荷物を持った。
散乱した物を乗り越え、横転したバスを降りた。
雨はようやく止んでいた。
彼女は暗闇に目を凝らした。
山あいの集落の灯りも、バスのヘッドライトもない。
完全なる闇。
バスのバンパーが折れ曲がり、前面がぐしゃっと潰れた。
立ち尽くす鬼。
「土砂崩れだ。雨のせいだ…」
細い沢が泥流になっている。
土砂崩れのあった場所は、木が根こそぎ抜けて流されていた。
咲良の心臓が激しく鳴っている。
自然災害を前にして、恐ろしさで言葉も出なかった。
紅葉もバスから出てきた。
熊井が状況を話した。
「バスが岩にぶつかって、この先の道も土砂で埋まってます…」
「このバス、もうあかんやん。こんなとこで一体、どうなるの!?」
紅葉が嘆く。
「温泉まで後少しの距離だったのに…。バスなら十五分でした。仕方ない、歩きますか…?」
交代の運転手の蛇男が、鬼のリーダーに言った。
鬼のリーダーはキツネ耳の鬼女。
「いいでしょう。予定を早めて、ここで鬼の研修をやりましょう…」
キツネ耳の鬼女が決断を下した。
バスの周りに、無数の鬼火が流れてきた。
バスごと、百鬼夜行に混じったみたいに、鬼がうようよと溢れ出す。
「ヒヒヒ、パンクした。電気系統もぶっ壊れた…。帰りのバスは無い…」
添乗員の猿男が独り言を漏らした。
紅葉と咲良は聞いてしまった。
「御前、始めますか?」
亀の鬼、亀右衛門が唐傘お化けのふっくらした足をふん掴み、傘を広げた。
この唐傘は穴だらけでぼろぼろだ。
雨風はしのげない。
「熊男。ツアー参加者に、ルールを説明しなさい」
キツネ耳の鬼女が熊井に命令した。
「大変やわ。コマチがまだバスの中に…。私、見てくる。咲良ちゃんは隠れてて」
紅葉は岩陰に咲良を押し込み、バスへ戻った。
紅葉はバスから脱出してきた大勢と擦れ違った。
最後にしゅとーん部の男達が、衝突のショックで動けなくなった人を担いで出て来た。
「山上さん、コマチは!?」
紅葉が叫んだ。
「口喧嘩ばっかりしてても、仲ええんやな。コマチちゃんは旭が背負ってる…」
山上は家族連れの子供を両肩に担いでいた。
「コマチ…!!」
紅葉が怪我をしたコマチに駆け寄った。
コマチは旭の背中で、文句を言っていた。
「ちょっと、旭さん。胸がくっつくんで、向きを変えて下さいよ!」
「担がれてて、文句言うんじゃねーの、この気取り返ったブス!! ちょっと可愛いとか思って、自惚れてんじゃねぇー!!」
旭はいつもの丁寧な口調ではなく、荒っぽく怒鳴り返していた。
雨音と雲林院は、美少女姉妹ノアとキラを背負っていた。
彼等は往復し、ユキエと母親を連れ出した。
ユキエの母親は喘息の発作を起こし、ゼイゼイ、ピューと喉を鳴らしていた。
旭とコマチがまだ揉めているので、雨音が、
「旭さん、変わりましょうか。コマチちゃん、僕がおんぶしましょうか?」
と、手を差し出した。
「イヤ…」
あれほど好きだった雨音の手を、コマチが払い除けた。
「あれっ!? コマチ?」
紅葉は不思議そうに、コマチを見た。
コマチは頬を膨らませて怒りながら、旭の背中から降りようとしなかった。
しかも、コマチは足を挫いただけの軽傷らしい。
「紅葉ちゃん、咲良ちゃんはどこ?」
雨音が早口に喋った。
「咲良ちゃんはあの岩場の陰に隠してきた…」
紅葉が指差した。
雨音は安堵の表情を浮かべた。
熊井が鬼火の群れの中で、大声を張り上げた。
「それじゃー、鬼の研修のルールを説明しまーす。最初に鬼のカードを引いた方、手を上げて下さーいー!」
鬼コスプレの双子、女子大生のミカ・ミナ、呪いの藁人形のナツミ、若い夫婦らが手を上げた。
鬼役の彼女達に、添乗員の猿男が武器を持っていった。
「選んで下さい。コレって、重要だから。あんた達の命を左右するぐらいに…」
金属バット、金棒、出刃包丁、サバイバルナイフ、日本刀、斧、手榴弾、拳銃などから、自由に複数選べる。
双子の姉は日本刀を選んで、はしゃいだ。
人間役を殺す気満々だ。
双子の弟は金棒を選び、鬼のイメージになりきることに酔い痴れた。
女子大生ミカは金属バットを選んだ。
彼女には一番振りやすそうだった。
「ふふふ、何人殺っちゃおうかな…」
先刻までと別人のように話す。
おとなしい方の女子大生・ミナは、ギラギラ光るサバイバルナイフを選んだ。
「私だって、負けないから…」
意外に、刃に魅せられた感じだった。
藁人形の女・ナツミは出刃包丁を選んで、早速、使う練習を開始した。
若い夫婦のうち、妻は拳銃と手榴弾、夫はチェインソーを選んだ。
残る鬼役は各自、斧や鉈などを手に取った。
「ルールは簡単。単なる鬼ごっこです。鬼は武器を使用していいし、人間は武器を奪って、抵抗してもいい。日頃のストレスを発散し、命がけで鬼ごっこして下さい。勿論、鬼が人間を捕まえたら……殺して…食べてもいい…」
熊井は最後のフレーズを、うっとり繰り返した。
「捕まえたら…殺して、食べてもいい…です。…簡単なゲームです。まさに、鬼体験ツアー。誰が鬼になっても構わない。あなたが鬼になってもいい。あなたでも、あなたでも…、そこのあなたも…、鬼になっちゃっていいんですよー!!」
熊井は紺のジャケットを脱ぎ捨てた。
「うぉおおぅ…!!」
熊井の雄叫びが、沢沿いに響き渡った。
鬼役が叫び返し、凶器を振りかざした。
紅葉は絶句していた。
急に雨音が手を上げ、
「巫女姫のカードを引いた人は?」
と、質問した。
「巫女姫は基本的に、人間役と同じ。鬼から逃げ回ってもらう。そして、人間でも鬼でも、巫女姫を捕まえて鬼の温泉まで連れて来た者を、ゲームの勝者とする。人間が巫女姫を捕まえて連れて来た場合は、命を保障して、元の世界へ返す。鬼役が捕まえた場合は、我等の正式なメンバーとして迎える。…熊男、猿男、蛇男も、この研修に新入りの鬼として参加する。当然だが、ここにいる鬼も参加を許可する…!!」
キツネ耳の鬼女が答えた。
「巫女姫は最終的にどうなるんですか?」
雨音は質問を重ねた。
「鬼の生贄になる。命が惜しくば、捕まえて連れて来い。源次…」
鬼女が口の片端を曲げ、ニヤッと嗤った。
咲良は岩陰で聞いていて、震えた。
巫女姫のカードを引いたのは、咲良だ。
ツアー客全員と、多くの鬼に追いかけられる。
その時、ユキエの母親がぬかるみに膝を着き、胸を押さえて呻いた。
「し、心臓の発作が…」
顏が真っ青になった。
恐怖が引き金となり、心臓発作を引き起こした。
「お母さん、しっかりして…!!」
ユキエが母の体を支え、悲痛な叫びを上げた。




