参漆 鬼になった酒井
1
五十嵐巡査は廃屋に上がり込み、手当り次第、戸を開けてみた。
どの部屋も壊れた家具が散乱し、埃が積もって汚らしい。
家の中なのに、草が生えている有様だ。
「どうなってんだ!? 酒井さんは!?」
以前から、彼は酒井のことを不思議な人だと思っていた。
同僚は酒井を変人呼ばわりしていたが、彼だけは酒井に人間的な温かみを感じていた。
度々、同僚が酒井と関わることをやめるように、忠告して来た。
「あんな奴と居ると、いつか、面倒臭いトラブルに巻き込まれるぞ…」
「そうですかねぇー」
五十嵐は近頃、酒井の魅力がわかってきた。
今では絶滅しかけているタイプの人間だと思う。
よく言えば、わかる人にしかわからない骨董品みたいなもの。
五十嵐は黒いカーテンを捲り、占い師の小部屋のような、暗がりのテーブルと椅子を見つけた。
そのテーブルの周囲には、埃がなかった。
隣室はパイプ椅子が三脚並んでいた。
屋根が穴開いて、畳に草が生え、柱にキノコが生えている。
ここが鬼の面接会場なのだろうか。
彼は必死に、行き止まりの壁をドンドン叩いた。
「酒井さーん!!」
一発、どこかで銃声が響いた。
五十嵐は音の方へ走った。
二発目の銃声が聞こえた。
鏡が粉々に割れる音がした。
五十嵐はその場に辿り着いた。
鏡が砕け散り、鏡の奥に異界が口を開いていた。
腰が抜けて、ひっくり返った熊井。
熊井の前には、拳銃を投げ捨て、頭痛に苦しむ警官が一人。
警官は頭を抱え、床に伏せている。
その制服がパンパンに張り、熊のように逞しい肩の筋肉、厚い胸板が盛り上がっていく。
体が一回り、二回りと大きくなってゆく。
「酒井さん…? 酒井…さん…ですか…?」
五十嵐は自分の中で否定しながら、問いかける。
警官がゆっくりと振り返る。
暗がりに鬼火が飛んで、振り向いた警官の顔を照らし出す。
黒ずんだ顔、いかつい眼。
閉じた上唇からはみ出た、四本の牙。
膨らんだ鼻孔から荒い息を吐き出した。
「酒井さん!!」
五十嵐が叫んだ。
「んごごごご…ごご…」
酒井が低く唸った。
熊井は失禁して、垂れ流しながら、五十嵐に両手を振った。
「助けてぇ…。助けてくれぇ…。鬼にころ…される…ぅ…」
熊井の方へ、酒井が動いた。
五十嵐が咄嗟に割り込み、熊井を庇うように立った。
彼は拳銃を抜いた。
「酒井さん、市民に手を出さないで下さい…」
彼は拳銃を抜いてしまったことに、自分で慌てていた。
酒井は歯を軋ませて唸った。
「んごごごご…、ぎがごごごご…」
「許して下さい、酒井さん。僕もこんなこと、したくありません。…でも、酒井さんはもう…、鬼になってしまいました…!!」
五十嵐が照準を酒井に合わせ、涙ぐんだ。
酒井は鏡のかけらに映った、自分の顔を見た。
彼はぶるぶる震え、頭を抱えた。
そして、嘆くように一声発した。
「ぐぉおおん…」
五十嵐は銃口を逸らさず、
「教えて下さい、酒井さん。僕…、あなたを撃つべきでしょうか…!?」
と、尋ねた。
数秒、酒井と五十嵐は見詰め合った。
酒井が人間の言葉で、
「ええよ。…五十嵐。俺を…撃て…」
と、言った。
五十嵐は震えながら、トリガーを引いた。
弾丸は完全に逸れてしまい、
「五十嵐…。ちゃんと撃たんか」
鬼は思えない、温かな声で酒井が言った。
2
「何から話したええかな、五十嵐…」
酒井は頭痛を払おうとするように、頭を振った。
「俺は絵を描く趣味があって、昔から、鬼の絵を描いてみたいと思ってた。あくまで、絵の題材として鬼に興味があった…。悪の化身、死と狂気、あらゆる負のファクター。危険で暗い、哀しく孤独なイメージに…」
酒井の話を、五十嵐は拳銃を構えたままで聞いた。
「五十嵐。鬼は強さと残忍さを象徴する存在でありながら、人間にいつも退治されてしまう。けど、鬼には鬼のプライドがあり、鬼としての生き様があり、終焉を潔く受け入れる。そんな風に憧れてた…。実際のことは、知らん」
酒井は髪を掻き毟った。
「俺はひょんなことから、本物の鬼を見てしまった。それまでも、怪異を目撃したことはあったし、魑魅魍魎の類は見て来た。でも、生まれて初めて…本物の鬼を見た時の感動…。それが…マナブ。片目の鬼。ここの建物に漂ってる気配のヌシやけど」
酒井が周囲を見回した。
「片目の鬼…」
五十嵐は裏口で見た、スーツ姿の怪しい男を思い出した。
「俺はそれ以来、憑りつかれたようにマナブの絵を描き続けた。マナブこそ、俺のイメージに合う題材やった…。夜空に昇っていく青い旋風。闇を切り裂く稲妻…」
酒井は吐息を漏らし、自分の両手を見た。
「俺は最高の絵を描いた。何度か鬼に接するうちにイメージが鮮明になって、人から鬼へ変貌していく姿をリアルに描いた。鬼は醜くなんかない。あの青い光は…ほんまに美しかった…」
酒井は昨日のことのように生々しく思い出した。
「俺は人を食う鬼になりたいんとちゃう。人を殺そうという気は、微塵もない。でも、…気付いたら、俺の胸の芯から青く染まり始めたんや…」
酒井が左胸を押さえた。
酒井の胸から全身へ、空洞が広がっていた。
心の隙間を、得体の知れない青い炎が埋めていった。
「俺は人の心を揺さぶる絵を描きたかった。俺の魂を筆と絵具に込めて、丁寧に描いた。人間の内なる面を、美しさと残酷さを、復讐心と切なさを、人間のか弱さを描きたい…。俺は仕事の間を縫って描き続け、最後は徹夜をして、ありったけの念を込めて描いた…。…そしたら、絵の鬼が…、左甚五郎の猫の彫刻みたいに、突然動き出した」
酒井は自分で情けなくなって、吹き出した。
「五十嵐も笑ってええんやで。鬼が絵から出て来て、俺を襲った。熊みたいな爪で俺の腹を抉り、窓から夜空に逃げ出した。俺は慌てて追いかけた…。追う途中、眠くて堪らなくなって、俺は道端で寝てしもた…。朝、目が覚めて家に帰ったら、絵の中に鬼がおる。鬼が先に帰宅しとった…」
「まさか…、そんな…」
五十嵐は信じられなかった。
「俺が描いた鬼は、ピカッと稲妻が光る瞬間の雷神。毎晩、その雷神が絵から抜け出して、俺は捜し回ってる途中で必ず眠くなってしまう…。三日目の朝、気付いたら、絵の中の雷神の口に血が付いてた…。俺が絵具で描き込んだ色とちゃう…。まるで辰砂で塗ったような、血色の赤やった…」
酒井はその時のことを思いだし、ぞっとした。
絵の中の美しい雷神は、数日で醜く変化していった。
熊のように筋骨盛り上がった、別の鬼が生まれた。
「俺は鬼を封ずるつもりで、絵に縄を描き足した。鬼を絵に閉じ込めようとしたんや。それも無駄やった。俺は睡魔に襲われて寝てしまう。次の日の朝、鬼が縄を引きちぎっている絵に変わってた…。俺は今度は鬼の体に炎をまとわせ、焼け死ぬ場面に描き直した…。そしたら、俺は恐ろしい夢を見た…。火事の夢。これやねん」
酒井が制服の胸元をはだけた。
警官の制服の青いシャツから、黒い獣毛だらけの胸が露わになった。
そこに、火傷の跡が残っていた。
「これは事実か、夢の中か? 絵から夜な夜な抜け出したのは、鬼のはずや。鬼が焼ける絵を描いたのに、なんで俺が火傷を負う? 俺は…自分自身の心に巣食う、鬼の姿を描いたんか? あの鬼は、解き放たれた俺自身の邪悪な一面なのか…!?」
酒井は吐き気を催し、唾を吐いた。
藍色の小鬼がボトボトと吐き出された。
五十嵐は呆然と酒井を見詰めた。
「俺の内側が空洞になっていく…。そして、目から鼻から口から、青い炎が溢れ出す…。何が起こってる? 絵から抜け出し、口に血を付けて戻ってくる鬼の意味は!? 俺はなんで、鬼を追いかける途中で寝てしまう…!?」
酒井は荒い息を吐き、熊のような爪を五十嵐に向けた。
「この爪に残った、血みたいなものは何やろ? 五十嵐…。最近、俺らの管轄で増えた深夜の殺人事件は、鋭い刃で滅多切りにされてる…。事件の目撃者もない、防犯カメラにも誰も映ってへん…」
酒井は泣きそうになって、表情を崩した。
「俺には人殺しの記憶は無い…。これは何かの間違いやな?」
五十嵐は懸命に考えた。
「鬼の面を被ると、顔に面が張り付いて、鬼になるって言うじゃないですか…。あれですよ。酒井さんは鬼の絵を描くうちに、知らない間に鬼になってしまってたんですよ…」
「ぐうぅぅ…」
酒井は畳を爪で裂き、けばだったところを毟った。
「ぎぅおおお…、きごご……!!」
酒井が猛獣の咆哮を響かせた。
ヒグマのように、酒井が立ち上がった。
酒井の眼が血走り、咆哮する口からヨダレが滴った。
「うう、う…」
五十嵐は目を瞑り、泣きながらトリガーを引いた。
パンパンと音がした。
二発目、三発目、四発目…と、酒井に命中した。
だが、銃弾は弾かれ、酒井の皮膚を傷付けられなかった。
「ぐうぅぅ…」
酒井は自分の毛むくじゃらの胸を見た。
銃弾の掠った跡すら無い。
「嫌や。鬼になりたくない…。俺が鬼になってしまったら…、山上さんに申し訳ない。何て言い訳したらええの。旭、雨音…、助けてくれ…」
酒井は戸惑い、動きが停止した。
その刹那。
熊井が酒井の拳銃を拾い、息を深く吸った。
緊張でガチガチに動きが硬い熊井。
酒井と五十嵐に向け、拳銃を構える。
熊井の中に、殺意と凶悪なエネルギーが沸き立つ。
鬼志願。一度、誰でもいいから殺してみたい。
理由なんかない…、そう言っていた熊井。
「死ねっ!! 警官ども。おまえら、殺してやる!!」
熊井は照準も見ずに、全弾撃ち尽くした。
「へっへぇ、へぇ…。警官を殺してみたかったんだ! 第一目標クリアだぜー!!」
熊井は調子に乗って喚き散らした。
弾丸の一発は五十嵐の足に当たり、残りは全て酒井が体で受けた。
酒井が五十嵐を庇ったのだ。
五十嵐が撃った弾丸は酒井の皮膚に弾かれたが、熊井が撃った凶弾は、酒井を至近距離から撃ち抜いた。
酒井は深手を負い、顔をしかめた。
藍色の血が滴り、血から青い小鬼が零れた。
「はっはぁ、ざまぁみろ!! 警官ども!!」
熊井が哄笑した。
「あなたを助けに来たんですよ!!」
五十嵐が憤った。
酒井は藍色の血を吐血し、床に倒れた。
「俺は…助けようとした相手に、自分の銃で撃たれたのか…」
情けなくて、腹も立たなかった。
「ふはは。最高だぜー!! その怪我じゃ、もう助からないよ。俺が鬼になってやるー!!」
熊井は哄笑して跳ね回り、愉快で仕方なかった。
人間としての酒井は、こんなつまらない男の為に死ぬ。
警官として真面目に生きてきたのに…。
酒井は血を吐き、ぜいぜい息を鳴らしながら、
「五十嵐…。東雲神社…、しゅとーん部ってのを捜してくれ…。たぶん、あいつらしか、俺を救えへん…。もし、俺が鬼になって人を襲うなら…、しゅとーん部がきっと…、俺を片付けてくれる…」
と、頼んだ。
「何言ってるんですか、酒井さん…。僕はどうしたらいいんですか…?」
五十嵐は片足を引き摺り、酒井の側へ寄った。
「そいつはもう助からないって。燃えて、塵になるんだ」
熊井は廃屋から逃げ出した。
酒井は最後の力を振り絞って、
「五十嵐、泣くな…。俺はマナブを追いかける。…おまえは俺を見失った…と署に報告しろ…」
と、鏡の向こう側、鬼の異界に身を投じた。
「酒井さーん!!」
五十嵐は泣きながら、鏡の向こうを覗き込んだ。
そこにはただ、日没後の暗闇が映り込んでいた。
3
数日後、しゅとーん部。
山上と旭、雨音がひそひそと話し込んでいる。
「酒井…、まだ戻って来うへんのか…」
山上が低く呟く。
咲良と紅葉は離れた場所でストレッチしながら、何かよくない状況を感じ取っている。
道場に運び込まれた、一枚の絵。
大きさは縦1メートル、横2メートルぐらいある。
「これが酒井さんの絵…?」
咲良と紅葉とコマチは、不思議そうに空白部分を見た。
鬼が描かれていたはずの場所は、今もすっぽりと白く抜けていた。
「紅葉ちゃん、蘇芳さんはどう?」
「ありがとう、咲良ちゃん。おにぃは退院したけど、部屋に引き籠ってはる。ちょっとヤバい…」
紅葉と咲良が久しぶりに話した。
コマチは雨音の横で菓子パンを食べている雲林院を眺め、
「あの高校生、雨音くんの剣道部の友達やったっけ? なんか、ひょろひょろで弱そうやん?」
と、失礼なことを言った。
雲林院がタブレットを鞄から出し、ネット通販で木刀を見ていた。
彼は旭に、
「この樋が入った木刀って、普通の木刀とどう違うんですか?」
と、質問した。
「ああ、雑魚木刀ね。軽量化の為に溝が彫り込んである刀があって、模擬刀でも樋入りがある。樋が入ってると、音がヒュンヒュン鳴るの。それで質の高い素振りをしようとして、音ばっかり気を取られてると、変に力み癖が付いちゃう」
旭が質問に答えた。
「刃筋をきちんと通して振ると、実はそんなにブンブン鳴らないもんなんだけど。音をより大きく鳴らそうとする人は、前半溜めを作って、後半腕の力で振ってブンブン鳴らす癖が付く。腕の力で振っちゃいけないんだけどね。演武の大会だと、音が大きい方が迫力あって見えるし。でも、見えるだけ。音が大きいのと、振りが速いのは別」
旭が腕の力みを抜いて、全身のバランスを使って刀を振ると、きれいな澄んだ音がした。
「腕を力ませると遅くなるし。腕が力んだ時は、筋肉がぶわっと膨らんで、見た目にも敵がタイミング読みやすくなるし。何よりも、前半から加速して切先を飛ばして、相手の頭の高さで最速に達しなきゃならない。それを忘れて、音にこだわってると最速に達するのが胸の高さになって、相手の面を斬り下ろすことに適さない。居合の素振りは音を聞かず、鏡を見ず、自分の刀を見ずに振ること。見たら遅くなる」
「へぇー」
雲林院は感心して唸った。
彼は蘇芳が抜けた剣道部の次期エースで、速さには自信がある。
「今度、闇討ちの稽古をしよか。実戦ではブンブン鳴らす奴が、ドン臭いとわかる…」
山上が笑いながら、道場の古流木刀を雲林院に渡した。
誰かが、しゅとーん部の戸を叩いた。
「はーい…」
雨音が戸を開けに行った。
訪問者は特徴のない、ごく普通の男。
ありきたりなシャツを着て、センスも何もない組み合わせで、素足にスポーツサンダルを履いていた。
男は雨音達の黒の道着を見て、
「へぇ、かっこいーですね。サムライみたいだ。居合か。これはやってみたくなりますね…。君、強そうだね…」
と、言った。
けれど、入門希望者には見えない。
「居合の道場は表の建物です。こっちは勝手に集まって稽古してるだけの…。何か御用ですか?」
旭が雨音の後ろから尋ねた。
男は恐縮し、やたらペコペコして名乗った。
「申し遅れました。私、熊井と申します。…酒井さんと言う方に、随分お世話になった者でして…」
道場に一瞬、緊張が走った。
胡散臭い熊井を見て、山上が雨音に目配せした。
「あいつ、鬼の匂いが付着してる…。気を付けろ」
雨音は声で聴かなくても、山上の言いたいことを察して頷いた。
熊井はスポーツサンダルを脱ぎ、板間に上がり込んできた。
そして、中学生の女の子達を見てニヤニヤした後、山上の前であぐらをかいた。
「あなたがこの道場の師範の方ですか?」
「いや。しゅとーん部に師範はいません。私は山上主税と申します」
山上は顎に髭を生やし、最年長で貫録がある。
「暑いですねぇ…。ここ、冷房ないんですか…」
熊井は汗を拭き、窓全開のボロ道場を眺め回した。
熊井は事件のあらましを話した。
鬼志願者の面接があり、興味本位で行ってみたこと。
警官二人と、空き家に踏み込んだこと。
そこで酒井が奇怪な鬼になった。
「五十嵐という若い警官が、酒井さんを撃ったんです」
酒井が鬼になったと聞き、しゅとーん部のメンバーは沈黙した。
熊井は空気も読まずに、ベラベラ話し続けた。
「私は若い警官を説得しようとしたんですけど、彼は撃つのをやめませんでした…。だって、酒井さんは完全に醜い鬼になってしまって…、とても恐ろしかった…。それで、私は必死で逃げました。…事件は報道されませんでした。あの若い警官がどうなったかも、知りません…」
熊井の話では、彼がヒーローだった。
「私、鬼になる前の酒井さんに伝言を頼まれたんですよ。しゅとーん部の人に伝えてくれ、俺はマナブを追いかける…って。だから、懸命にここを捜して、約束を守る為に来たんです。酒井さんは…いい人でしたよね……」
酒井のことを何も知らないくせに、熊井は目頭を押さえ、わざとらしくハンカチで涙を拭く真似をした。
「マナブを…追いかけてった…!?」
旭と山上が視線を合わせた。
山上は熊井の手を両手で握り、一応、礼を言った。
「わざわざ、酒井の最後を伝えに来て下さって、ありがとうございます。私達がこの話を知らなかったら、酒井が突然行方不明になったと思い込んだでしょう…」
熊井は大袈裟に手を振り、
「いえいえ、とんでもない。私は何の役にも立たなくて…、関係ない方を事件に巻き込んで死なせてしまって、申し訳なく思っております…」
と、酒井が死んだと決めつけていた。
「酒井さんが死んだ…!?」
雨音は納得出来なくて、黒ずんだ床板を睨んでいた。
咲良も違和感を感じた。
「ピンと来うへんよね…」
紅葉がボソッと言った。
そこで、その日は珍しく、二人目の訪問者があった。
戸が叩かれ、今度も雨音が開けた。
五十嵐巡査が私服で立っていた。
「僕は酒井さんと同じ勤務先の…五十嵐と言います」
礼儀正しく、深くお辞儀をして入って来た彼は、熊井を見て愕然とした。
「なんで、あなたがここに居るんですか!?」
熊井は平然と問いかけに答えた。
「おや、五十嵐さんもいらしたんですね。今、事件について全部話してたとこですよ」
「はぁ…、そうですか…」
五十嵐は不満そうに、熊井の隣に座った。
「酒井さんは瀕死の重傷で、鏡の中の世界へ落ちていきました。どうなったかわかりません…」
五十嵐は苦々しく呟き、その時の光景を思い出して熊井を睨んだ。
熊井は手で制止するように、
「まぁまぁ、そう感情的にならないで、落ち着いて。ああいうことも、全部運命だったと思って受け入れるしかない…」
と、言った。
「何を言ってるんですか! 皆さん、聞いて下さい。この人、僕と酒井さんを撃ったんですよ!!」
五十嵐が叫び、山上達は内心、やっぱりと思った。
熊井は言い訳をした。
「いや、それは…、誰だって撃つでしょ。目の前に鬼が現れたらね。私は五十嵐さんを撃とうとしたんじゃないですよ。鬼になった酒井さんを撃ったら、たまたま、五十嵐さんにも当たっちゃったんです…」
「死ね、殺してやるとか言ってましたよね!?」
「そんなこと、言うはずがないじゃないですかー。あれですよ、私はもうパニックだったんで、何を言ったか全然記憶にないですねぇー」
熊井が開き直り、五十嵐はむっとした。
「そうやと思ったわ。酒井さんはあっさり撃たれる人とちゃう。何かあったんでしょ!?」
紅葉が熊井に詰め寄った。
「え、え…。ちょっと、待って…」
熊井はあたふたした。
「酒井さんが…鬼になった…」
咲良は胸が苦しくなった。
酒井は以前、自分が鬼になる可能性について、咲良に話したことがあった。
誰でも鬼になりうる、と。
「酒井さんと…私達、戦うんですか?」
咲良がしゅとーん部のメンバーに問い掛けた。
「嫌なんでしょ、咲良ちゃんは」
雨音が言った。
「ええっ! 酒井さん、死んでないんですか!? そんなぁ…」
熊井は、鬼としてよみがえる酒井が報復に来るんじゃないか、と怖れた。
「私もここにいて、皆さんに協力します。鬼を何とかしましょうよ!!」
熊井が居残り、
「酷過ぎる。やってられない。酒井さんを救ってあげるんじゃないのか!?」
激昂した五十嵐は早々に立ち去った。




