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参壱 女郎塚、産女鬼


 咲良はビニル袋から転がり出た生首を凝視した。

 恐怖に凍りついた顔、それは知っている人間だった。


 鬼が追いつき、洗面所の入り口に立ち塞がった。

 旧セーラー服がそぐわない、般若の顔。

 荒い鼻息で、髪を振り乱し、

「おまえ…、なんでここにいる…?」

 鬼が咲良に尋ねた。


 咲良は落ち着いて、鬼を睨み返した。

「そうだよ。ここは紅葉ちゃんの夢の中…」


 鬼が吸盤の付いた指で、咲良に襲いかかった。

 咲良は一歩下がって腕を振り切り、目を開いた…。



 咲良は汗をかき、ベッドから起き上がった。

 自宅の、お寺の庫裏二階。

 部屋の電灯を点け、枕元にあったスマホを手に取った。

 深夜二時。

 彼女は紅葉に電話した。


「紅葉ちゃん、起きて…!!」

 咲良は祈った。




 紅葉は悪夢の続きにいた。


 咲良を追いかけて講堂を出た鬼が、咲良を見失い、戻ってきた。

 世界はじわじわと、写真がめくれるように平面になってめくれていく。

 広がる闇。


 新見が取り乱して逃げていく。

 時間が停止した生徒達を踏み越え、なりふり構わず逃げる新見。

 紅葉は彼をかっこいいと思っていたのに、少し幻滅した。


 鬼は濡れた制服から水を滴らせ、紅葉に近寄ってきた。

「一緒に逝く…、暗くて静かな場所…」


「嫌や!!」

 紅葉は並んだ椅子を盾にして、鬼から逃げた。

 鬼は空宙を滑るように、スーッと動いた。

 あっと言う間に紅葉に追いつき、髪を引っ掴んで、上に伸し掛かってきた。


「誰か…、助けて…!!」

 紅葉は絶望して、迫りくる鬼の異様な目つきを眺めた。

「こんなとこで鬼に殺されてしまうの? 私、これで終わりなん!?」

 もがいても、鬼の吸盤の指が喉に吸い付いて、離れない。


「くふ、ふふ、ふふ…」

 鬼が地獄の底から響いてくる声で嗤った。

 紅葉の意識が遠のいていく。



 プルルル…、空気が震動した。

 紅葉は無意識にポケットに手を入れ、スマホを取って電話に出た。


 咲良は紅葉の寝ぼけた声を聞いた。

「もしもし…?」

「紅葉ちゃん、起きて!! そこは夢の中だよ、憑りつかれても殺されない!! しっかり目を覚まして!!」

 咲良が大声で叫んだ。


「…夢!?」

 紅葉は本物の息苦しさの中で、鬼をぼんやりと眺めていた。

 鬼の姿が掠れていった。



「わかった…。起きたよ…」

 紅葉はベッドの中で頭を振り、眠気を振り払った。

 紅葉は窮地を脱した。


 咲良はホッとして、祈りが届いたことに感謝した。

「紅葉ちゃん、もう大丈夫だよ。私、ビニル袋に入ってた生首を見たんだ。紅葉ちゃんじゃなかった。…コマチちゃんに電話して。コマチちゃんも夢の中で、鬼に襲われてる…。たぶん、コマチちゃんは神谷先生の連絡先を知ってる…」

 咲良はコマチが神谷先生を追いかけて、舞台に上がり込んだことからそう思った。


「…神谷先生の生首やったん!?」

 紅葉はベッドに座り、大至急、コマチに電話した。





 コマチは悪夢の続きにいた。


 舞台の幕の影に、旧制服の女の子がいたように思った。

 神谷先生が舞台に上がって行き、なかなか降りて来なかったので、心配になった。

「神谷先生ー!!」

 コマチは列を飛び出し、舞台に駆け上がった。


 舞台は幕が降りて、暗かった。

「先生、どこですかー?」

 コマチは先生を捜して回り、遮光カーテンの側で、倒れている人影を見つけた。

「先生!!」

 コマチが神谷先生の側にしゃがみ込んだ。


「ああ!?」

 コマチは思わず悲鳴を上げ、尻餅着いて後ろにこけた。

 神谷先生の頭部がない。

 白いワイシャツがズタズタに裂けている。

 体の一部が抜かれたように、変形して歪んでいる。


「…なんで!? どういうこと!?」

 コマチは恐ろしくなって、手で顔を覆い、神谷先生から目を背けた。

 そこで、ポケットの中のスマホが鳴った。

 プルルル…、コマチは震動を感じ、無意識に電話に出た。



「コマチ、目を覚まして!! それ、全部夢やねん!!」

 紅葉の声がした。

 コマチは焦って、状況を説明しようとした。

「紅葉ー!! 鬼にやられた!! 神谷先生の頭が無いー!!」

 電話の向こうで、紅葉が一生懸命に、

「そやから、それ、夢やねん!! まだ夜中で、終業式始まってないねん!!」

 と、説明した。


「何を言うてるん?」

 コマチは意味がわからなくて、混乱した。


 コマチは数メートル先の、幕の操作盤のところに、旧制服を着た女の子が立っていることに気付いた。

 戦慄が走った。

「紅葉、あの女の子がいる…。今、私の目の前に…」

 コマチは恐怖をたっぷり味わった。


「紅葉…。これ、本当に夢なん…? どうやったら、今スグ目が覚めるの…?」

 コマチが震えながら話す。

 旧制服の女の子が近付いてくる。

 ぽちゃん、ぽちゃん、ぽちゃん…。

 ビニル袋を引き摺っている。


「目をギュッとつぶって、開けてみよし!」

 紅葉が言った。


 鬼がコマチに向かって、囁いた。彼女が聞いた話の通りに。

「めくって…」

 

 鬼が囁き、

「めくって…。早くめくって…。あの世に逝く…」

 コマチの前の景色が平面の白黒写真になった。

 鬼が指で端を擦ると、じわじわ剥がれてきた。

 景色がめくれあがり、暗闇が滲み出す。


 鬼がコマチの側に辿り着き、ビニル袋の中身を見せようとする。

「見て…。おまえも今から…こんな風に…なるんだよ…」

 中の赤い水が跳ね、床に零れた。

 ズタズタに裂けた内臓らしきものと、男の人の血塗れの頭部が入っている。


 コマチは反射的に、ギュッと目を閉じた。

 見たくない。夢なら、もう終わりにしたい。


 目を開けた。



 暗闇が待っていた。

 時計がカチコチ鳴って、時を刻んでいた。

 エアコンが効いた快適な部屋で、柔らかでヒンヤリした羽毛布団の感触。

 コマチは長い息を吐いた。


「聞いてる? コマチ」

 紅葉の声が耳元から聞こえた。

「コマチ、神谷先生の連絡先知ってる? ちょっと心配やから、電話して」

「わかった」

 コマチは大至急、先生に電話をしたが、寝ているのか、電話に出ない。


 コマチの不安が募った。

 朝五時まで待って、また電話した。

 先生は電話に出なかった。



 コマチは思い切ってベッドから出て、カーディガンをパジャマに羽織った。

 自転車で自宅を飛び出し、早朝のアスファルトの道を走った。

 神谷先生の家はコマチの家から近い。

 でも、コマチが向かったのは、神谷先生の家じゃない。


「鬼の話で聞いた、女の子が交通事故で死んだのはこの交差点…」

 コマチはコンビニの前の交差点をうろうろした。

 夜明け前、未だ薄暗い。





 明け方。

 神谷先生はコンビニにいた。

 彼はふと気付いて、

「オレ、何しに来たんだっけ?」

 と、思った。


 深夜、下の子供が夜泣きして、奥さんが母乳を与えていた。

 そのまま、なかなか寝付かれなかった。

 家でタバコを吸うわけにも行かなくて、何となく、散歩ついでにコンビニに来た…。

 …だった気がするが、よく覚えていない。


 先生はタバコと缶コーヒーを買い、コンビニを出た。

 車は余り通っておらず、街は静かだ。

 湿気があり、雨が降りそうな空模様だ。



 先生は踏切のうるさい音に振り向いた。

 既に始発が走っているらしかった。

 遮断機が下がっていく。


 その時、線路の内側に人影が見えた。

 中学生ぐらいのセーラー服の女の子が、線路の真ん中に突っ立っている。

 神谷先生と目が合うと、とても寂しそうに笑った。


「おい、これは…自殺か!?」

 神谷先生は慌てて走り、間もなく電車が来ると言うのに、遮断機の下を潜ろうとした。

 女の子を助けようと思った。

 中学の教師として、見て見ぬ振りがどうしても出来なかった。

 殆ど何も考えずに、線路の方へ…



「神谷先生、危ないー!!」

 コマチが遮断機の上から手を伸ばし、神谷先生のシャツを掴んだ。

「コマチ!! 女の子が線路の中に…」

 先生はコマチを振り解こうとした。


「先生、誰もいません。よく見てー!!」

 コマチは必死に引っ張った。

 怖くて涙が零れた。

 本当は、コマチにも線路の内側で微笑む鬼の姿が見えていた。


 鬼はコマチに気付き、血走った眼で睨んだ。

 手を差し出し、

「おまえもおいで…」

 と、手招きした。



 神谷先生はもう一度、線路の方を見た。

 コマチは彼のシャツを握る手を緩めなかった。

 警笛が鳴り、電車の大型の車輪が轟音で通過して行った。


 ぎりぎり、神谷先生は轢かれずに済んだ。


 コマチは夢の中の、先生のズタズタに裂けていたワイシャツを思った。

「先生…。よかった…」


 神谷先生はしばらく呆然としていた。




 コマチが自転車を押し、神谷先生が歩いて彼女を家まで送った。

 途中、先生はこんな話をした。

「昔、女郎塚って言うのがあってね。自殺した可哀相な女郎を弔った塚らしいけど、僕が赴任してきた頃、校庭にその石碑だけが残ってた…。いつしか石碑もなくなって、あの図書室や講堂がその場所に建てられてね…。あの旧制服の女の子は…、女郎塚の女郎なんかなぁ…」


 コマチは納得し、

「鬼になるぐらい、辛いことがあって亡くなったんですね。先生、その場所調べて、今度クラスのみんなでお花でもお供えしませんか。少しでも、あの女の子の冥福を祈りたいです…」

 と、言った。


「そう。いいかも知れへんねー」

 神谷先生が手を振り、コマチは家に入った。





 夏休み、初日。


 咲良と紅葉はしゅとーん部へ稽古に行った。

 何故かコマチがついて来て、とてもはしゃいでいる。

 散らかり放題のしゅとーん部の掃除をしたり、酒井や山上にお茶を出したりした。


「紅葉ちゃん。ここ、本来は女人禁制だから、困るんですけど」

 女嫌いの旭が文句を言ってきた。

 ただし、酒井や山上はまんざらでもなさそうで、少しデレデレしているように見えた。


「コマチ、何しに来たん?」

 紅葉が睨む。

 コマチはしれっと言い返した。

「サッカーでもバスケットでも、マネージャーいてるやん。細かいこと言わんといて」

 コマチは雨音の世話を焼きに行って、紅葉は何だかすごく苛々した。



「紅葉ちゃん。そう言えば、蘇芳くんはどうでしたか? 高校最後の剣道部の大会…」

 旭が聞いた。


 七月、祇園祭の少し前に近畿大会があった。

 紅葉の兄・蘇芳は個人戦で、準決勝で敗退した。

 R高は団体戦で、初戦敗退。

 副将の隆一の死が大きいのか、R高剣道部は精彩を欠いた。


「そっか…。蘇芳くん、去年は全国大会まで行ったのになー」

 旭は残念そうに呟いた。



 雨音は先日の、蘇芳の試合の応援に行っていた。


 近畿大会、彼は二階デッキの手摺に凭れて会場を見渡し、R高剣道部を目で追った。

 蘇芳は防具と面を付け、中央にいた。

 声援と掛け合いの声が響き、会場に熱気が渦巻く中、一人冷めた感じが伝わった。

「あ、蘇芳さん…。調子よくないな…」

 雨音はすぐ察した。



 雨音は紅葉と組太刀をしながら、

「蘇芳さんが元気出るように、僕に何か出来ることがあればいいんだけど」

 と、言った。

「うん、ありがと…」

 紅葉は胸がきゅんと鳴ったけれど、とにかく稽古に集中した。



 咲良はしゅとーん部の山上の本棚に、祝詞(のりと)の本を見つけた。


集侍(うこなわれ)神主(かんぬし)、はふり部等(べども)諸々(もろもろ)聞こし()せと()る…。高天原(たかまのはら)神留(かむづま)ります皇睦(すめらがむつ)神漏伎命(かむろぎのみこと)神漏彌命(かむろみのみこと)…」

 咲良が声に出し、冒頭を読み上げた。


 声に出して読むと、祝詞は不思議なほど心地よい響き。

 咲良の頭の中に、高天原の神話のイメージが広がった。



「…四方(よも)御門(みかど)に湯津磐村の如、(さや)りまして、(あした)には御門を開き奉り、(ゆうべ)には御門を()て奉りて、(うと)ぶる物の下よりゆかば下を守り、上よりゆかば上を守り、夜の守り、日の守りに守り奉るが故に…」

 読めば読むほど、不思議な世界だ。

 門を守る…、咲良は十二の鬼が封じられた門を思い出し、自分達と重ね合わせて思う。



「…生嶋(いくしま)御巫(みかむのこ)のことをへ奉る、皇神等(すめかみたち)の前に(まお)さく、生國足國(いくくにたるくに)御名(みな)(まお)して、ことをへ奉らくは、皇神(すめかみ)の敷きます嶋の八十嶋(やそしま)は、(たに)グクのさ渡る(きわ)み、鹽沫(しおなわ)の留まる限り、()き國は(ひろ)く、(さか)しき國は平らけく、嶋の八十嶋(やそしま)堕つる事無く…」


 谷グクはヒキガエル、生國、足國と八十嶋は古代日本の国土を意味している。

 ヒキガエルの渡る山奥の細い谷間、次に波打ち際、そこまでのイメージは湧く。

 その次の部分は不思議過ぎる。

 狭い国が広く、険しい地形の国が平らに、島が堕ちる事も無い…?


 山上が咲良に気付き、笑顔で話しかけた。

「祝詞の世界はなかなか、アリス・イン・ワンダーランドやで」

「読んでて、響きがすごく気持ちいいです」

「そうやろ。それ、稲の豊穣を願う祝詞やからね」


 山上が祝詞を読んでくれた。

 音を一つ一つ伸ばすだけで、抑揚は付けない。

 とても新鮮で、咲良はずっと聞き入った。





 夜。

 咲良は風呂から上がり、自分の部屋に入った。

 京都の夏は蒸し暑い。

 西日に燃えたような猛暑の部屋で、エアコンを点け、カーテンを閉める。


 窓の外は、墓地。

 今宵はどこか、様子が違う。

「なんか、イヤだな…」

 咲良は鬼の気配を感じた。



 咲良は夢の中で、目が覚めた。

 豆電球一つの暗い部屋で、カーテンが揺れている。

 窓が開いてる?

 咲良は寝ぼけたままで起き上がり、窓を閉めに行った。


 窓の外で、鬼火が一つ流れていた。

「うわっ…」

 彼女は慌てて窓を閉め、鍵を掛け、布団に潜った。



 一階の中庭で風鈴が鳴った。

 チリ…ン…、チリ…ン…。

 咲良の部屋まで聞こえた。

 また窓が開いて、カーテンが揺れている。


「何か、居る…」

 咲良は背筋が寒くなるのを感じた。

 彼女はベッドに寝転んだまま、目だけ左右に動かして、部屋の中の気配を窺った。



 部屋の中の一際黒い片隅に、誰だか(うずくま)る人影があった。

 妖気がめらめら青く燃えて、徐々に女の輪郭を浮かび上がらせていく。


「これは…夢? 私、寝てるの?」

 咲良はほっぺたを抓ってみた。


「ここは…おまえの夢の中だよ…」

 部屋の片隅から、蹲る女が囁いた。

 鬼火が一つ浮かび上がり、鬼の顔を照らした。

 鬼はこちらを向かずに、暗い表情で俯いている。


「今度は私の夢の中に、鬼が入って来た…」

 咲良はパジャマの胸元を握り締め、緊張した。



 蒸し暑い風に揺れるカーテンの向こう、墓地に無数の鬼火が浮かぶ。

 白い着物を着た死人達が、墓地から窓を見上げている。

 彼等の顏は夜にぼやけ、一層気味悪い。



「誰…?」

 咲良が恐々、鬼に聞いた。


 蹲っていた鬼は頭を抱え、啜り泣いた。

「お忘れかい、私を…? 咲良、おまえのやろうとしていることを止めに来た…。おまえは何だって、私達が出ようとしている門を塞ぐ…?」


「鬼が人間に危害を加えなければ、私は何もしない…」

 咲良はもごもごと言い訳をした。

「人間を喰らうのは…やめられない…」

 鬼女がひひひ、と泣き笑いした。


 次の瞬間、鬼女が立ち上がった。

 血だらけになった白無地の着物が目に入った。

 腹が大きく、出産間近に死んだ女らしい。


 鬼女の髪は長くバサバサで、異様に膨らんで部屋中に広がっている。

 髪から滲み出す妖気に、小さな雷がパチパチ鳴っていた。

 真っ白の足指までくっきりと見え、幽霊よりも現実感があった。


 手には、分厚く大きい包丁があった。

 包丁から赤黒い血が滴っていた。



 鬼女がベッドの前に立ち、咲良に向けて包丁を振り下ろした。

「死ねっ!!」


 咲良は寸前にベッドの中で身を捩り、包丁を避けた。

「死ね、忌々しい…!!」

 鬼女が再び包丁を振り上げ、今度は片手で咲良を押さえ付けた。


「やめてよ!」

 咲良が叫んで、ベッドから滑り落ちた。


 墓地に潜んでいた鬼達が長く手を伸ばし、彼女を壁際で羽交い絞めにした。

 鬼の一匹が首を伸ばし、咲良の耳を長い舌でべろりと舐めた。

 鬼達の爪が咲良の柔らかい肌に食い込み、血が垂れた。


 咲良は急いで夢から覚めようとして、ギュッと目を瞑った。


 そして、目を開いたら、景色は変わってなかった。

 自分の夢なのに、うまく起きることが出来ない。



「あいつらが来た…」

 咲良は鬼の長い腕を振り切って、部屋を飛び出し、階段を駆け降りた。

 勝手口から、庫裏を出た。

 墓地の方向とは反対の、お寺の門の方を目指す。


 鬼が追ってくる気配がした。

 背後の闇は妖気で満ちている。


 雲がかかった月の薄明りの道を、裸足で走った。

 夢の中の咲良は、古い記憶を手繰り寄せた。



 あれはいつのことやら。

 真っ暗の都大路、黒い河のように妖気の霧が流れ、魑魅魍魎(ちみもうりょう)がゆく。

 大なる鬼も小なる鬼も、無秩序に集って目的も理由もなく、ただ唄い踊り、騒ぎながらゆく。

 百鬼夜行。


「見てはならぬ…。それは死期が近くなった人間が、あの世に渡る日を前にして、迎えが来るのを待つうちに、夢の狭間に見てしまうものだから…。口を聞いてはならぬ。あれはあの世の穢れを背負い、いずれ死ぬ人を今から見定めて、その生にただひとかけらでも罪があろうものなら、死体を棺から引き出し、骨まで喰おうとしているのだから…。その為に姿を見せて、死期迫る罪人を脅かし、穢れを与えようとしているのだ」


「晴明様…」

 咲良は夢中で呟いた。


「口を聞いてしまった…」

 咲良は走りながら後悔した。



 お寺の門が閉ざされていた。

 咲良は門を叩き、かんぬきを外そうとした。

 門は開かない。

「叔父さん!! 開けて、叔父さん!!」

 咲良が叫んだ。

 このままでは、鬼に捕まってしまう。


 咲良は頭の中が真っ白になった。

「どうして、夢から起きれないの? 学校の鬼の時は、起きようと思った時に起きれたのに」



 鬼女が鬼火と鬼を引き連れ、咲良に追い付いた。

 鬼女の足元に、点々と血が落ちている。

 鬼女の血まみれの着物の腹に、刃物による裂け目があった。

 腹の中は、深く(えぐ)られて空洞だった。


 鬼女は空っぽの腹を大事そうに抱えた。

「咲良、教えて…。私のお腹の赤ん坊は…どこ……?」

 咲良は鬼女の口がピキピキと、耳まで裂けていくのを見た。


 鬼女が咲良の手を掴んだ。

 その感触は生々しく、とても夢と思われなかった。


「赤ん坊を返して…」

 鬼女が顔を歪ませ、咲良の腹を包丁で突いた。


 咲良の腹から血が噴き出し、足元に筋になって流れ、すぐに血溜まりを作った。

「痛い…」

 凄まじい激痛に、咲良は声も出なかった。


 こんな痛いのは夢じゃない、と思った。

 ここまで痛かったら、目が覚めるはずだ。

 こんな痛さでは、死んでしまう。


 鬼女が包丁を咲良の腹に刺したまま、ぐっと捻った。

 咲良の腹の中で傷が広がり、更に血が勢いよく噴き出した。

 咲良は膝を着き、倒れた。


 道路工事でアスファルトを砕く機械に、腹を突かれているみたいな痛さ。

 痛過ぎて、気が狂いそうだ。



 咲良は産まれて間もないような赤ん坊の泣き声を聞いた。

 オンギャア、オンギャア…、でも少しおかしい。


 咲良に、血で汚れた胎児が登ってきた。

 臍の尾と胎盤らしきものがぶら下がっている。

 皺だらけの真っ赤な顔で泣き喚く胎児、目も全く開かないのにしがみ付き、よじ登ってくる。


 胎児の口の中が見えた。

 ギザギザの鬼の歯がびっしりと生え、特に犬歯が長かった。

 胎児の牙が噛み付いてきた。





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