参拾 学校の鬼談
1
もうすぐ、夏休みだ。
担任の神谷先生が紅葉と咲良に声をかけ、
「自由研究、進んでますか?」
と、聞いた。
色々あり過ぎたせいか、先生の顔がやつれて、眼の下に隈が出来ているように見える。
「はい。少しずつ…進んでます」
紅葉と咲良が頷いた。
彼女達のクラスの数人死んで、何人か行方不明になったままだ。
それに、近くで麻疹の集団感染や、原因不明の伝染病らしき騒ぎがあった。
「パワスポマップ…か。鬼に気を付けて…ね」
先生が沈んだ声で言った。
夕刻、学校の塔のカリヨンが鳴り、夏制服の生徒達が下校していく。
「紅葉ー、咲良ちゃーん」
コマチが取り巻き女子を引き連れ、追いかけてきた。
「一緒に帰ろー」
コマチは紅葉をライバル意識することをすっかりやめた。
近頃、とても仲がいい。
「図書室寄ってもいい? 返却したい本があるの」
コマチが本を取り出した。
京都のパワースポットについて書かれた本だった。
コマチの取り巻きの一人、煌星がくすくす笑った。
「最近、コマチちゃん、紅葉に影響受け過ぎやねん」
咲良は本を受け取って、興味津々で中を覗いた。
リアルな妖怪の挿絵が本から飛び出し、咲良がのけ反った。
ページのあちこちで、絵の鬼が踊っていた。
「そう言えば、最近、図書室に出るらしいよ」
コマチが額に人差し指を当てた。
「鬼が!?」
紅葉が怪訝そうに聞き返した。
「見に行こう。ほんまに出るかな?」
コマチはワクワクして言った。
咲良は嫌な予感がした。
大体、学校に出るのは幽霊と決まっている。
鬼や妖怪が出るとは、余り聞かない。
コマチの話によると、こうだ。
ある女子生徒が図書室で自習していた時、視界の端を他の女の子のスカートが通り過ぎた。
そのスカートのプリーツが、昔の制服のデザインみたいに思ったので、何気なく振り返った。
そしたら、誰もいなかった。
しばらくして、書架と書架の間を歩いている時、本越しに誰かいるのを感じて、そっちを見たけれど、また誰もいなかった。
何度か、視界の端ぎりぎりを誰かがスーッと歩いていく。
その相手は、赤いリボンに紺色の旧セーラー服を着ているように思う。
でも、直視するといない。
その時点で、気持ち悪い話なのだが。
目撃した女子生徒は怖くなって、その日は早めに帰った。
翌日、今度は教室の後ろに例の女の子が立っているような気がして、全身に鳥肌が立った。
今度は怖くて振り返れなかった。
教室で一番薄暗い、窓の光が届きにくい場所に、その女の子の気配があったと言う。
「最初は幽霊かと思ったんやて」
コマチが楽しそうに話した。
目撃した女子生徒は、なるべく一人きりにならないようにして、常に友達と行動した。
そうすると、旧制服の女の子の気配は近付いて来なかった。
何日か経ち、女の子の気配が次第に薄れたように感じた頃。
その日は朝から小雨がずっと降り続き、午後も薄暗かった。
女子生徒は友達と廊下を歩いていた。
そして、廊下の後方から近付いてくる、不快な音を耳にした。
ぽちゃん、ぽちゃん、ぽちゃん…。
水の入った袋を引き摺るような音、時折、その水が跳ねるような音だった…。
ぽちゃん、ぽちゃん…。
女子生徒は気味悪く思って、思わず友達の腕を握り、絶対に振り返らなかった。
でも、音の方が速く近付いてきて、歩いている彼女の隣に並んだ…。
女子生徒は横目でそっと、見てしまった。
般若の面を付けた女の子が旧制服を着て、雨に全身びしょぬれで、何かビニル袋を引き摺って歩いていた。
そのビニル袋から水が漏れて、背後の廊下はずっと水浸しだった。
擦れ違う瞬間、般若の面がこっちを振り返って、女子生徒を見てにんまりと嗤った…。
般若の面ではなく、鬼だったのだ…。
鬼のビニル袋から、人間の腕が一本、はみ出ていた。
ビニル袋は人間が全身入りきるような大きさではない。
ということは、人間の一部しか入っていない…。
水だと思っていたものは、血だった。
おびただしい血がビニル袋から零れ、廊下に流れていた。
ビニル袋の中で血が跳ねる。
ぽちゃん、ぽちゃん…。
「…めくって…」
鬼が何か、女子生徒に訴えてきた。
女子生徒は固まってしまい、友達の腕にしがみついている。
友達は前を向き、鬼に何も反応していない。
廊下にいる誰も悲鳴を上げず、騒がず、こちらに気付かない様子だ。
「めくって…、早くめくって……」
鬼が急かしてきた。
「な…何を…?」
女子生徒は無意識のうちに返事してしまった。
それが間違いだった。
突然、目の前の景色が写真のように固まった。
時間が停止し、友達もマネキンのように動かない。
「めくって…、向こう側へ…」
鬼が写真のようになった廊下の先を、長く尖った爪で擦った。
廊下の先が、一枚の白黒写真のようにぺらっと、めくれていった。
その向こう側から、真っ黒の闇が垣間見えた。
「イヤ!! めくらんといて…」
女子生徒は泣きそうになりながら、鬼の手を押さえ、めくらせまいとした。
間近で鬼の金色の眸と向き合った。
長い牙が生え、唇が裏返って、鬼の歯並びが全部目に入った。
鬼の歯は血で汚れ、肉のようなものが一部の歯に挟まっていた。
鬼は静かに女子生徒の腕を掴み、
「これ、食べる…?」
と、聞きながらビニル袋を開いた。
中には、血塗れの一本の腕と、友達の首から上が入っていた。
「えっ!?」
女子生徒はびっくりして、さっきまで腕にしがみついていた友達の方を振り返った。
友達の首から上が失われていて、制服の袖の片方が、空っぽでぶらぶら揺れていた。
女子生徒は悲鳴を上げ、失神してしまった。
目を覚ましたら、幸い、自宅のベッドにいた。
全ては夢。
しかし、そこに電話がかかってきて、友達が交通事故で死んだことを知らされたのだと言う。
友達は片腕と頭を轢かれたらしい。
「…って、話やねん」
コマチが話し終わったら、紅葉も咲良も、コマチの取り巻き女子も全員引いてしまい、図書室に入ろうとしなかった。
「コマチ。その話あかん…。笑えへんわ…」
紅葉はドン引きしていた。
「なんで? 確認しよう、鬼がいるかどうか。ほんまの話かどうか?」
コマチは咲良から本を取り返し、返却する為に、一人図書室に入った。
すぐには出て来ないで、広い図書室を歩き回っている。
図書室には、数人の生徒と先生がいた。
咲良は妖気を感じ、冷や汗をかいた。
「ダメだ…。コマチちゃんを早く呼び戻した方がいいよ。本当に何かいる…」
咲良は気分が悪くなり、廊下に座り込んだ。
すると、紅葉が先頭切って、図書館につかつか踏み込んだ。
「あっ、紅葉…」
コマチの取り巻き女子の煌星が追いかけた。
残る取り巻き女子は、
「スミレも行ってきてよー。コマチ連れ戻してぇー」
「ええっ、茉莉が行けばー!?」
と、図書室の入り口で押し合った。
コマチはカウンターで本を返却し、わざと奥側の一番暗い通路をゆっくり歩いた。
そして、挑発するように、
「鬼さん、こちら…。手の鳴る方へ…」
と、二度三度、小さく手を打った。
2
コマチは左右の様子を窺った。
本当は気持ち悪かったけれど、ぐっと堪えた。
書架が迷路のように図書室の視界を区切っている。
本の隙間から向こう側が見える場所や、背の低い書棚、ワゴンなどが置かれていて、時々遮られた中にも見渡せるスペースがあり、図書室は独特の世界になっている。
足音がはっきり聞こえるほど静かで、光は書架に分散され、カビ臭い匂いがする。
「どこにも、鬼なんていいひんやん…。旧制服の女の子なんて…噓臭い…」
コマチは自分に言い聞かせ、ホッとした。
コマチは鼻唄を唄いながら、引き返していく。
視界の両側に書架がある。
誰かが本に手を伸ばし、一冊抜いて開く。
通り過ぎる時、薄暗い通路の突き当りの踏み台に、誰かが座っていた。
一瞬視界に入った相手が、夏服ではなくて、紺の旧制服のような気がした。
「…ん?」
コマチが振り返った時には、通り過ぎて、踏み台が書架の影に隠れていた。
コマチは特に戻らず、そのまま前を向いて歩いた。
「コマチちゃーん…!」
煌星はコマチを捜して、奥の書架の間を覗いて回った。
隣りの通路に、人の気配があった。
本の間から見ると、踏み台に誰かが座っている。
髪が長い女の子だ。
「あっ、コマチちゃん!?」
煌星が走って、その通路に回り込んだ。
曲がってすぐ、女の子が立ち上がって、煌星とぶつかりかけた。
その相手は背が高く、紺の旧制服を着て、煌星を見下ろした。
華奢で小柄な煌星は、びくっと身を震わせて相手を見上げた。
ロウで出来ているみたいに、その女の子の顔は白く、血の気が無かった。
顔立ちは整っていたが、それが逆に薄気味悪かった。
何より、制服がびしょ濡れで、水がポタポタ滴っていた…。
自分でも知らない間に、煌星は気絶した。
一方、紅葉がコマチを捕まえ、
「もう、心配させんといてー。はよ帰ろうー」
と、彼女の肩を叩いた。
「ごめん。何もいいひんかったわー」
コマチが舌を出した。
「あれぇー、星野さんが倒れてるでー。星野さん、どうしたん!?」
同じクラスのイケメン男子の新見が、星野煌星を抱き起した。
煌星は目を覚まし、まず、悲鳴を上げた。
「出たぁ…、鬼がっ…!! そこに…!!」
煌星が指差した踏み台には、誰もいない。
ただ、僅かに濡れているだけ。
「煌星!」
声を聞きつけ、コマチが駆け寄った。
煌星はよっぽど怖かったらしくて、コマチに抱き着いて、わんわん泣き出してしまった。
「何かあったん?」
新見が紅葉に聞く。
「…大したこととちゃうし、大丈夫」
紅葉は溜息をつき、返事をごまかした。
3
咲良の家。
お寺の庫裏の座敷で、子供達が欅の座卓を囲んだ。
咲良の祖母が冷えたお茶を盆に載せ、運んできた。
中庭に面した軒先で、風鈴が二つ揺れ、夫々の涼しげな音色を奏でている。
「おばあちゃんか叔父さん、お祓いって出来る?」
咲良が祖母に問う。
返事を待つ間、紅葉とコマチと取り巻き女子三人、それから成り行きでついてきた新見が真剣な表情をしている。
祖母は皺いっぱいの顔でにこやかに宇治茶を配りながら、
「そやなぁー。お祖父さんが生きてはったらなぁー。そやけど、もう心配せんとき。ちゃんと、仏様とみんなの御先祖様が護ってくれはるやろ」
と、答えた。
「あの鬼、何なのかな? 霊とどう違うの?」
咲良が尊敬する祖母に質問を続ける。
「何やろな? 学校やったら、大丈夫なんちゃうか? その鬼見た子も死なへんかったんやろ? お友達は気の毒やけど、交通事故やし。偶然や」
祖母は子供達を安心させようとした。
子供達は怯えきっていた。
「寝るのが怖い…。この中の誰かが死ぬんちゃうかって気ぃする…。あの鬼の目、怖かった…」
煌星が肩を抱き、ぶるっと身震いした。
「誰かが死ぬ? そんなわけないし。煌星は怖がり過ぎ。きっと、ただの目の錯覚やわ…」
コマチが無理やり笑おうとして、少し引き攣った。
「前と同じことが起こるとしたら、煌星ちゃんは死なんと、私かコマチちゃんか、スミレちゃんが死ぬんやろ? ちょっと、やめてほしいなぁー」
茉莉が文句を言い、脹れた。
「ほんまに鬼が生徒を襲ってるとしたら、何とかせなあかん…」
紅葉が独り言を言った。
友達が帰るのを門まで見送ってきた咲良に、祖母は、
「咲良。ようけ友達出来てよかったなぁー。中三から転校して、最初はすんなり馴染めへんのちゃうかと心配したけど…」
と、嬉しそうに言った。
「おばあちゃん、あの中に鬼に憑かれてる人、いた?」
咲良が暗い顔で聞いた。
「…そやな、いはったかも知れへん。一人、肩に吸盤の跡があったな…。どっちみち、あんたと紅葉ちゃんは鬼族の指名手配中みたいなもんやしな。…他の子のことは、あんたが護ったげて。咲良」
祖母が咲良に言う。
「うん…」
咲良が俯いた。
4
コマチは帰り道、何かが後ろについて来ているような気配を感じた。
でも、気が強い彼女は、決して振り返らなかった。
同じく帰り道、煌星は何度も振り返った。
でも、何もいなかった。
茉莉とスミレはそんなこと忘れて、夏休みのプールの話題で盛り上がった。
二人は水着を買いに行く約束をして、分かれ道で別れた。
新見は鬼の話を興味津々で聞いていたけれど、自分には関係ないと思った。
咲良のことを前から気に入っていたので、住所がわかってラッキーだと思った。
彼は咲良達と仲良くなって、夏休み、大勢で遊びたいと考えていた。
鬼のことなんて、頭からすっかり飛んでいた。
紅葉はずっと鬼のことを考えた。
自分の霊感は咲良より劣るので、話の間、ずっと咲良の方を見ていた。
咲良はわかりやすい子で、ずっとコマチの心配をしていた。
「たぶん、コマチに…憑いていったと思う…」
紅葉は道を振り返り、コマチのことを心配した。
彼女達は何事もなく数日過ごした。
一学期の終業式が、講堂で行われた。
朝からじめじめと湿気があって、校長先生の挨拶が始まる頃には雨が降っていた。
窓の外は薄暗い。
屋根に当たる雨音が講堂に響いていた。
校長先生の脇の方、舞台の袖の幕がある辺り、特に黒々として異様だった。
紅葉はコマチと咲良を見た。
咲良はコマチの隣りの席に座っている。
コマチの視線は、校長先生に向けられている。
紅葉の横で、新見が欠伸をしていた。
舞台に、合唱で使うグランドピアノがある。
ピアノが一音、ポロンと鳴った気がした。
全校生徒がピアノの方を見た。
「誰かいるの?」
校長先生が言った。
幕が勝手に降りてきた。
「うわ…、誰か止めて下さい。誰だ、悪戯しているのは!?」
校長先生が言い、紅葉達の担任の神谷先生が急いで操作盤に向かった。
しかし、操作盤の周囲には誰もいない。
幕は半分降り、まだ降り続けていく状態。
舞台は暗くなった。
「誰かいるの…!?」
神谷先生は暗がりに引き込まれるように進んだ。
紅葉は何となく、嫌な気配を背後に感じた。
ぽちゃん、ぽちゃん…。
ビニル袋の中で、水が跳ねるような音が近付いて来る。
咲良と煌星も音を聞いた。
ぽちゃん、ぽちゃん…。
講堂の横の洗面所側から、何かが来る…。
煌星は脱力感で動けなくなった。
神谷先生が厚い遮光カーテンの間に、女の子の後ろ姿を見つけた。
紺の旧制服の女の子が壁を向いて立っている。
「君ですか? 幕を下ろしたのは…。ダメじやないですか…」
神谷先生が女の子の肩に手を掛けようとしたら、彼の手はすっと宙に突き抜け、女の子が消えた。
咲良は振り返らなくても、歩いて来る鬼の姿を捉えていた。
旧制服の女の子が洗面所で、水と死体の一部をビニル袋に入れ、揺さ振った。
タイルの床に赤い水が零れた。
鬼は講堂の中に入り、標的の位置を確認した。
鬼はわざとビニル袋を引き摺って、水を零しながら歩いた。
ぽちゃん、ぽちゃん…、ぽちゃん…。
紅葉達以外に、その音は聞こえない。
みんなざわついて、舞台を眺めている。
紅葉達の背後から、鬼の荒い息が聞こえた。
「はぁ…、はぁ…、めくって……」
女の子が喘ぎ、低く呟く。
「早くめくって…」
鬼の息が、紅葉の耳元にかかった。
列を割り、彼女達のすぐ近くに来た。
煌星が恐怖で、椅子から崩れ落ちた。
コマチは何故か、急に立ち上がった。
「神谷先生ー!! 危ないー!!」
と、舞台に向かって駆け出した。
「コマチ、来るなぁー!!」
舞台から神谷先生が叫び返した。
神谷先生の絶叫につられて、鬼が一気に前へ出た。
紅葉達の目の前へ…。
濡れた髪から、水飛沫が飛ぶ。
鬼の狂ったような目つきと、紅葉達の目が合う。
「うわぁー!! 出たぁー!!」
新見が滑稽な悲鳴を上げ、紅葉の横から飛びずさった。
「夜守!」
咲良がはっきりした大声で、鬼を呼んだ。
名付けられた相手が、咲良を睨み付ける。
鬼の手指に吸盤があった。
両生類のヤモリのような手だった。
紺の旧制服の女の子は、醜悪な鬼の顔に変わった。
鬼が紅葉の首に手を掛けた。
「へっ、私!?」
予想外で、紅葉は戸惑った。
鬼の形相が迫り、紅葉の首をぐいぐい絞めた。
「早くめくって…。そこから…あの世へ…逝く……」
講堂の世界が、一枚の白黒写真に変わる。
時間が停止し、先生も他の生徒達も固まって動かなくなる。
静寂、そして写真の端っこが、少しずつめくれてくる。
めくれた側の空間は、真っ暗闇。
闇が拡大していく。
「紅葉ちゃん…! 肩に吸盤の跡が付いてたんだよ!」
咲良が鬼に体当たりして、ビニル袋を奪った。
彼女はそのまま、講堂の外廊下へ走り出した。
「ぐはぁ…」
鬼は慌てて紅葉を突き飛ばし、ヨダレを垂らして、咲良とビニル袋を追いかけた。
咲良は洗面所の排水口めがけ、ビニル袋の中身をぶちまけた。
血と、人間の内臓らしきものと、頭が転がり出た。
「あっ、この人は…!!」
咲良は死体の生首を見て、驚いた。




