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弐捌 鬼の血飛沫 


 毒ヘビや毒蟲がうじゃうじゃ這い出し、蜂やハエが飛んだ。

 月明かりが仄かに照らす暗い道を、旭が逃げ出した。

「ひゃー!! 雨音、助けてくれ!!」

 旭は手近な木に駆け登った。


「これは妖しだから、落ち着いて下さいよ、旭さん!」

 雨音は両目を閉じ、気を張った。

 彼は敏感になっている自分の感覚を制御した。

 悪臭の毒蟲は勢いよく、彼の左右を土砂のように流れていった。

 無数の毒蟲が、皮膚の上でもぞもぞ動いたような気がする。

 でも、雨音は耐えた。


「実体があろうが無かろうが、気持ち悪い…」

 旭は冷や汗を拭う。

「ひっ…」

 旭の足元まで蟲が流れ、頭上からも落ちてきた。



 酒井は女の子達を守る為、左右から迫る牛鬼を次々と斬った。

 鬼の四肢を斬り飛ばし、胴を真っ二つに斬った。

 店頭に並ぶ、魚の切り身のような断面だ。

 魚を捌くように、酒井が斬り続ける。


 けれど、巨大ムカデや蜘蛛、蜂が来るのを見て、

「さすがに…、これはあかんわ」

 酒井も急いで木に登った。

 動く気力もない松野を、酒井が引っ張り上げた。


 毒蟲の群れは黒い霧となって、どこか一方向へ流れていく。



 ようやく毒蟲が通り過ぎ、

「どのみち、旭さんは刀が折れたから、戦線離脱ですよね。一撃でダメでしたね…」

 雨音が旭を木の下から見上げた。

「うるせぇ! 俺は鬼切みたいな妖刀を持ってねーんだよ。おまえはズルいんだよ。北野天満宮から、鬼切を勝手に持ち出しやがって…!」

 旭が雨音に対して、毒づいた。


「あの蟲、どこに行くんだ!?」

 旭と雨音が黒い霧の行方を見詰めた。



 いつの間にか、暗闇に浮かぶように、黒塗りの楼門が建っていた。

 普通の朱塗りの楼門ではなく、どこか形もいびつだ。

 あちこちに鬼が棲みついている。

 柱に、人面のヘビが巻き付いている。

 鬼火が灯りのように点っている。


 楼門の木製扉がギィギィ鳴って開き、毒蟲を迎えた。

 毒蟲は楼門を通り抜けて、結界の外へ流出した。


「ヤバい。あの門の外って、人間の世界じゃないか!?」

 旭が雨音と顔を見合わせた。

「あの門を出たら…元の世界に還れる…!?」

 松野はくしゃくしゃの泣き顔で呟いた。


「うわわ、毒蟲が出ていってしまう!! 何とか、油かけて燃やすとか出来ひんのー!?」

 酒井が悲鳴を上げた。

 紅葉と咲良は御守りに守られながら、彼等の言葉を聞いていた。



 酒井に駆け寄ろうとして、雨音が何かに足を取られた。

 赤い蔓がわさわさと伸びてきて、彼等の手足に絡み付く。

 旭は蔓を手で払い、雨音は鬼切で蔓を切り払った。

 鬼の異界全体が、悪意を持って動いていた。


「首無しの鬼は死んでません。あいつの霊体は、空気中を漂ってます…。気を付けて…」

 雨音が呼びかけた。

 酒井はポケットからタバコを取り出し、口にくわえた。

「わぁってるよ、んなことは…」



 旭の前で、落ち葉と地面を割り、土から何かが立ち上がる。

 どのぐらいの時間を経たものか、殆ど白骨が露出した死骸だ。

 片側の眼孔からムカデが身をくねらせ、半分出てきた。

 歩く度に、ウジが落ちる。

 ハエがたかっているし、吐き気を催す悪臭が漂ってくる。


 牛鬼が見えない旭にも、この人間の屍が鬼と化して迫りくるのは、はっきりと見えた。


「うわ…、また来た…」

 旭は泣きたくなった。

 彼は松野が持っていた刀を取り上げた。

「松野、これ貸せよ。山上さんのだろ?」

「だっ、駄目です…!!」

 松野は異常な力を発揮して、刀を奪い返した。


「おまえの腕じゃ、殺られてしまうだろーが!!」

 旭が鞘を掴んだ。

「だって…、じゃ、僕はどうやって身を守ったらいいんですか!?」

 松野が目を血走らせ、喚いた。

 松野は思わず鯉口を切り、刀を半分抜いた。


 旭はぽかんとした。

「俺を斬る気かよ? 松野は酒井さんの後ろに下がって、女の子達と早く逃げろよ。あの門から…」

 旭は屍の群れを振り返った。


「うぉ…、うぁ…、うぉ…ぉ…」

 屍が両手を突き出し、のろのろと歩いてくる。



 雨音は枝垂桜を振り向いた。

 静かに桜が散っていた。

 幻想的なまでに美しく、花吹雪が舞う。

「百足の大臣(おとど)はどこに!?」


 百足の大臣は全身がムカデになり、さっきよりも更に巨大化していた。

 異界の黒い岩山に巻き付き、とぐろを巻いて首を持ち上げていた。

「大臣…」


 鬼面のムカデが裂けた口で言う。

「源次…、我が身を斬るがいい…。我等は都に疫病を蔓延させる…」


「都って…、もう平安時代じゃないですから。憎い相手は全員死んだんです。あなたの呪い、終わりにしませんか!?」

 雨音が岩山に近付いた。


「源次…、全て今宵で終わる…」

 鬼の声が鍋の底で鳴るように、ぐわーんと響いた。

 鬼の目から水色の滴が雨となって降り、滴全部が小鬼になって駆け出した。

 小鬼が異界の出口、楼門を目指す。


「鬼が泣いてる…」

 雨音は驚いて、百足の大臣を見た。


 ひゅう…うう…、岩山から風が吹き下ろす。


 百足の大臣は枝垂桜を見下ろし、呟いた。

「千年経ったとおぬしは言うが、我等にそんな年月の感覚は無い。あの桜の根元で、ただただ長く、悲しみを抱いて来た。この報われぬ思い…。ああ…、口惜しい…。時間が経つほど、憎しみが募った。おぬしにはわかるまい…」

 彼の吐息に枝が揺れ、桜が殆ど散ってしまう。


「わからないわけじゃないですが…、僕も、死んでも守りたいものがあります…」

 雨音は鬼切を握る手に、力が吸い取られるのを感じた。

 この妖刀は、使い手の寿命を削っていく。


 百足の大臣は腹を捩り、嗤った。

「ガキが、何を言う。孤児のおぬし、死んでも泣いてくれる者すらおらぬ…」

「…かも知れません」

 雨音が認めた。


 百足の大臣が尾を持ち上げ、岩を砕く。

 岩が崩れ、転がり落ちた。


 雨音が山上に、

「僕が引き付けます。山上さんはその小烏丸みたいな剣で、あいつの頭を串刺しにして下さい…」

 と、頼んだ。

 山上は顎髭を撫で、渋い表情で百足の大臣を眺めていた。


「無茶言うな。危な過ぎる。…それと、この剣は小烏丸とちゃう。東雲(しののめ)と言う」

 山上が訂正した。

 東雲の剣は首無しの鬼の髑髏を粉砕し、威力は明らかだ。



「じゃ、お願いします」

 雨音は一礼した後、鬼が湧き出て来る岩山を一気に駆け上った。

 湧いてくる牛鬼を斬りまくり、雨音が進む。

 百足の大臣は鎌首もたげたオロチのように、シャーッと息を吐いた。


「雨音!! おまえはなんで、そんなに死に急いでるんや!?」

 山上が慌てて、雨音を追いかけた。


 雨音と山上が、牛鬼をひたすら斬りまくる。

 千の斬風が吹き、鬼の血飛沫が飛んだ。


 彼等の戦う足場で、公園に倒れていた人間達が踏み付けられ、

「痛い…、痛い…」

 と、呻き声を発した。


「ずっと遠い昔に…、同じようなことがあった気がする…」

 山上は鬼を斬る感覚を噛み締めた。

 彼等は何度か、皮膚を鬼の爪で切り裂かれ、血を噴いた。





「始まったな…」

 酒井が面白そうに言った。


「そうですね…」

 松野の目が泳いだ。

 彼は青い小鬼達が楼門を抜けていくのを見て、

「早く、こんなところ出てしまいたい…」

 と、機会を窺った。



 雨音は百足の大臣の尾を、スパッと鬼切で切り捨てた。

「ああっ、待たんか!! 雨音!! 疫病の小鬼が出るぞ!?」

 山上が血相変えて叫ぶ。


 山上の予感は的中し、飛んだ体液と血飛沫が全て、小鬼に変化した。

 小鬼は猛スピードで、迷わず楼門の方向へ向かう。


 百足の大臣は、切られた尾の残りで雨音を吹っ飛ばした。

 雨音は回転しながら、崖を転がり落ちた。




 一方、酒井は夜桜に魅入られていた。

「異界の枝垂桜、ほんまに見事やなぁー。絵に描きたいわー」

 酒井は目に焼き付けようと、桜に近寄った。

 百足の大臣の息が揺らし、花が散っていくのが残念だった。


「こんな美しい桜、さぞかしべっぴんの鬼が宿ってるんやろな…」

 酒井が呟くのを待っていたように、少女が桜の木の裏側から現れた。


 それは桜色のリボンを結び、どこかの学校の可愛らしい制服で、長い髪を無造作に垂らしている。

 一目見たら一生忘れることが出来ないほどの美少女だった。

 桜の花より美しく、しかも清楚で儚げだった。


「なんで今風のカッコなん? それ、俺の好みを考慮してんの?」

 酒井が話しかけた。


「不動明王の守護を受けた方…」

 桜の少女が酒井に微笑みかけた。

「誰も大臣には適いません…。命があるうちに、お引き取りを…」

 か細い声で話す。


 酒井は不動明王が彫られた刀を見せつけ、

「いやいや、そうも行かへん。これも成り行き。縁起というもんやろね。君とこんな悲しい出会いも、宿命(さだめ)でしょ…」

 と、上段に構えた。

 行平(ゆきひら)に似た作風の打ち刀だ。


「待って…」

 桜の少女が甘い香りを漂わせ、すっと酒井に寄り添った。


「…そんな冷たいことを言わないで…。私はこの桜の木。あなたは私を見て、美しいと思ってくれた。もし私を受け入れてくれるなら、私もあなたに心を捧げます…」

 桜の少女が酒井の首に手を回し、華奢な体を摺り寄せた。

 甘ったるい匂いに、酒井は頭からシビれそうになった。


「はぁ…、この匂いね。どうにかならへんの? みんなバタバタ倒れて、気が付いたら牛鬼の餌食やんか…。甘ったる過ぎるわ…」

 酒井が少女の髪を左手で掴み、刃をその額の中央へ向けた。


「何をするの? やめてよ、あなたは特別。私は好きな人だけは、殺したりしないから…!」

 少女が刃を逃れようとして、片手を酒井の肩にかけた。


 少女の手は痩せて骨ばって、青白い爪が長く尖っていた。

 魔性の美しさが通じなかったので、とうとう鬼も正体を現した。


 桜の少女は、醜い老婆となった。

 破れた着物から、垂れた乳が片方出て、老婆の顔は歯がなくて、アバタだらけだった。


「うわ、カンベンしてくれー。いくら何でも、変わり過ぎや!」

 酒井が慌てて斬ろうとしたが、鬼の爪が掴んだ肩を放さなかった。

 鬼は酒井の首に、綱引きに使えるほどの太い縄を掛け、桜の木に吊り上げた。


「はぅっ!!」

 酒井は首が締まって、息が出来なくなった。

 油断したら、取り返しのつかない事態になった。

 彼は不動明王の刀を落とした。


 足をばたつかせ、酒井が痙攣する。

 老婆の鬼は嬉しそうに高笑いした。



 酒井は気を失った。

 あの世に到着しかけた頃、彼の耳に紅葉の叫びが届いた。


「酒井さん! しっかりしてー!」

 紅葉が異界の片隅から走り出て、不動明王の刀を拾い、老婆の鬼を一突きした。

 彼女は子供の剣道しかやってないから、打突は習ってないのだが、その時は今まで見て来たままに、鬼の喉を完全に捉えた。


「こふっ」

 と鬼が咳き込んで、血を噴いた。

 紅葉は恐怖で固まりながら、無我夢中で刀を引き、両目を閉じて、

「えいっ!!」

 再び、両手突きを繰り出した。


 その突きは老婆の片目に深く刺さり、脳まで達した。

 不動明王の火が赤々と燃え上がり、刃を走り込んで、鬼の顔面に達した。

「ふがぁっ!!」

 鬼が絶叫した。



 酒井の首を絞めていた綱が消えた。

 酒井は地面に投げ出され、枝が折れた、枯れ木の桜を見た。


 紅葉が涙を流しながら、肩で荒い息をしていた。

「鬼の…好きにはさせへん。うちらの町は、うちらで護る」

 紅葉が吐き捨てた。




 咲良は心配で震えながら、戦う仲間を見ていた。

 誰かが咲良に話しかけた。

「咲良ちゃん…、雨音くんに短刀借りてたよね…。それ、貸してよ」

 松野がへらへら笑い、背後から手を回してきた。


 旭が屍と死闘を繰り広げている。

 松野は今、丸腰だ。


 咲良は驚き、

「え、ダメです。神泉を抜くと、自分が鬼化しちゃったりするの。それに、鬼がたくさん引き寄せられるから、魔除けなんだけど、危険と隣り合わせって言うか…」

 と、説明した。


「貸せよ、こら!!」

 松野が苛立ち、目尻を吊り上げて叫んだ。

 彼の手が神泉を引っ張り、咲良は突き飛ばされて転倒した。

 彼は大急ぎで神泉を引き抜き、楼門の方へ一人で駆け出した。


 神泉は雷神を呼ぶ護り刀。

 暗かった空に稲妻が閃き、松野を照らし出す。




 雨音と山上は、百足の大臣と戦っていた。

 荒れ狂う波のようにうねる、ムカデの胴体。

 朱い足が蠢き、毒の体液を撒き散らす。

 雨音と山上は負傷し、崖を転がり落ちて、またムカデの尾と格闘する。


 雨音は青白い雷光を見て、

「咲良ちゃんが神泉を抜いた!?」

 と、一瞬視線を注いだ。

 けれど、じっくり見る暇もなかった。


 彼は必死にムカデの胴体を斬り付け、水色の血飛沫を浴びた。

 疫病の小鬼が、雨音の喉や傷口に飛び込んだ。


「こんなん、あかんー。京都中に疫病が…」

 山上も言いながら、他に自分を守る方法が無く、東雲の剣でムカデを切り刻んだ。

 いや、山上は自分の為と言うよりは、雨音を守ろうとしてやっている。

 もし自分一人だったら、山上は百足の大臣を斬らなかったに違いない。




 松野は楼門に辿り着き、柱に手を掛けて、外の景色を見た。

「わぁ、八坂神社の前の交差点だ」

 彼は外の景色にホッとして、境界を跨ごうとした。


「待ちなされ、鬼の通行手形は?」

 人面のヘビが、柱からぬっと顔を突き出した。

 松野は反射的に神泉を振り回し、

「くたばれ、妖怪!!」

 と、叫んだ。



 ドーン、どこかで祭りの太鼓が鳴った。


 祇園囃子の笛の音が、楼門の外から流れてきた。

 カンカラ、小太鼓が打ち叩かれた。


 松野は楼門の内側に倒れ、木製扉がギィギィ閉まっていくのを眺めた。

「あっ、待って…」

 松野は慌てて神泉を放り出し、扉を両手で押し止めた。

 彼の力では、扉が完全に止まり切らず、ゆるゆる動いていく。

 松野は必死に、隙間から外へ出ようとした。


 祇園囃子がコンコンチキチキ鳴っている。

 彼の頭の中は真っ白になって、その賑やかで楽しげな調べだけが響く。


 彼の首が扉と扉の間に挟まり、抜けなくなった。

「うぁぁ、助けて!! 雨音くん、旭さん、酒井さん!! 山上さーん!!」

 松野が泣き叫んだ。


 彼はわかっている、雨音と山上はムカデの化け物と戦って、旭は腐乱死体と戦っていた。

 酒井は老婆の鬼に首を絞められていた。

 松野だけがその隙に逃げたのだから、誰も助けに来れるはずがない。


 彼の首が扉の間で、きつく締まってゆく。

 彼の顔はみるみる真っ赤になり、血が逆流して、頭が膨らむようだ。


「その首、私の慰みにさせていただく…」

 楼門の上から、首無しの鬼の声が降った。

 錆びた鉄刀が、閉まりかけの扉と扉の間をギロチンのように滑り落ちた。



 松野の首は楼門の外側に落ち、石段を転がり落ちた。

 八坂神社の外側に、突然落ちてきた人間の生首。

 胴体は見当たらない。

 観光客の悲鳴が、鬼の異界側まで聞こえた。



 松野の首無し遺体が立ち上がった。

 胸一面、鮮血に染まっている。


 松野の片手に、首無しの鬼の錆びた鉄刀があった。

 雷鳴が轟き、稲妻が空中を鉤状に激しく切り裂いた。





「松野さんが死にました。松野さんが立ち上がって…。いや、あれは…首無しの鬼だ」

 雨音が山上に伝えた。


「はぁ、意味がわからん!」

 山上は混乱し、激しい戦いに疲労困憊して、息切れした。



 百足の大臣は全身傷だらけで、既に岩山にぐったりと寄りかかっていた。

 その体から、滝のように青い汁が流れ出していた。

 もう小鬼は生まれず、鬼が弱っていくのがわかった。


 雨音は怪我をした片足を引き摺って、岩山の頂上の、鬼の首を取りに行った。

 百足の大臣は抵抗せず、首を落とされるのを待った。

「我が首を切れ、源次…。我が呪いの全てが都を覆い尽くす時が来た…。大きな犠牲を出した後、この祟りは終焉する…」

 血をドクドク流しつつ、鬼は満足そうだった。


「…出世なんて、そんな大事なもんですか? 全てをかけて呪わなきゃならないほど…」

 雨音はふらふらしながら、ムカデの頭の側に立った。


「一族の命運の為に…、死力を尽くした……。陰謀に巻き込まれ…、何もかも失った…。名誉も地位も、財産も、家族すらも…。あの時代はそれが生きる全てだった……」

 鬼が涙を流した。


「僕は…仲間がいれば、充分です…。後は何とでもなる。大臣、あの世で一族の皆さんが待ってますよ。もうよみがえらないで下さい…。僕らの祭りが、永久にあなたに勝ちます」

 雨音が片膝を着いて中腰になり、百足の大臣の首を落とした。


 その瞬間、百足の大臣の目がカッと開き、落ちた首が雨音に食らいついた。

 酒呑童子の首のように。



「山上さん!!」

 雨音が呼んだ。

 山上が鬼の死角から跳び出し、東雲の剣で、鬼目がけて突く。

 雨音の右腕に、鬼の牙が食い込む。


 小烏丸に似て打突に適した、刀身の先三分の一が両刃になっている東雲。

 辺りには、首のない巨大ムカデの胴体が転がっている。


 東雲が鬼の頭を下から串刺しにする。

 雨音にムカデの毒が回って、彼の顔色が紫に変わっていく。



 鬼の首に火が付いた。

 鬼は憑りつかれていた人間の男の姿に戻り、やがてメラメラと焼けて消失した。

 焼け落ちた跡に、鬼が宿っていた一本の大刀が残った。


 山上は落ち着いて、その大刀を拾い上げた。

「雨音、立てるか? この鬼の形見を、しゅとーん部の裏庭に埋める。しゅとーん部の東雲神社でお祀りする。穢れを清め、祟り神を鎮める。…それが俺の仕事やな」


 岩山が静まり返った。

 もう牛鬼も一匹もいない。


 雨音の傷が治り、ムカデの毒が引いていくが、痺れは残った。

「大丈夫です。最後までお手伝いします…」

 雨音はよろめきながら、山上と共に岩山を降りた。


「山上さん。結界の外に出てしまった小鬼は…」

 雨音は青い汁で汚れた顔を、道着の袖で拭った。

「祈るしかない。神様を信じて祈り続けること、それが神職の仕事」

 山上は枯れた桜の根元に向かった。

 山上はそこで、哀れな百足の大臣の為に祈った。



 旭と酒井も粗方の鬼を斬り終えて、地面に倒れていた人達を起こしにかかっていた。

 牛鬼に喰われずにすんだ人達は、起きても未だ夢の中にあった。

「熊でも出たことになるんかな。とにかく、助かった人が少しでもいてよかった…」

「咲良ちゃんは?」

 紅葉が酒井に尋ねた。



 彼等は楼門の前に立つ咲良に気付いた。

 松野の死体に憑りついた首無しの鬼と、一対一で向かい合っている。

 身長が全然違う、二つの影絵。

 首無しの鬼は錆びた大刀を振り上げ、咲良の右手にも、抜き身の神泉がある。


 咲良と首無しの鬼の背後で、雷が眩しく閃いた。





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