新月の夜に
2016/1/21:本文加筆訂正しました。
2016/3/30:本文修正しました。
2016/10/21:本文修正しました。
満天の星空に月はない。星たちの煌めきに照らされた木々が、恥じらうように葉をカサカサと揺らしている。
夜の帳の下に広がる広大な森林は、黒く波うつ天鵞絨のように静かにそこにあった。ときおり吹き抜ける微風は、森から届けられる鳥や虫たちの曲に合わせ、その上で円舞曲を踊る。
その心地良い微風の舞踏会を突然終わらせるかのように、山麓から数羽の鳥がバサバサと慌ただしく飛び去っていく。なにかから逃げるように。
そこに注意を向けると、茂みをかき分けて歩を進める一組の旅人の姿があった。
子ども連れの旅人だろうか。一人は160cmくらいの細身、もう一人は130cmくらいの小太りの輪郭だ。
というのも、二人は袖のない外套を身に着けており、フードをすっぽり被ってるのだ。しかし、その推測を否定するかのように背負っている不釣り合いの荷がガチャガチャと存在を主張してくる。
130cmほどの小太りの旅人の背負ってる荷は、明らかに子どもが背負える重さを超えているのだ。自分の背と頭辺りまである大人用のバックパックに、めいいっぱい詰め込まれており、ブランケットも丸められて円筒形になったものが、バックパックの上部のベルトで固定されている。
これだけでも細身の旅人が背負っているバックパックの1.5倍はあるだろう。さらに戦斧がバックパックの背に付いてるフックに掛けられている。子どもでは背負いきれない荷だ。そんな考察を一蹴するかのように、小太りの旅人が目の前に現れた横枝をパキリと折りながら隣りの旅人に声をかける。
「ふぅ~。大丈夫か、テレジア?」
「えぇ、大丈夫よ、あなた」
二人は夫婦だったのだ。しかし、成人男子にしてはあまりに背が低い。やや後ろを歩く妻の顔を見るためか、男は振り返りながら軽くフードのを右側を持ち上げる。そこ見みえたのは、豊かに蓄えられた髭だった。彼はドワーフ族であろう。
この世界には人間、妖精族、幻獣族、妖魔族、竜族と大まかに分類されている。妖精族にはエルフ族、ドワーフ族、ホビット族など、人間が済む物理的な世界と接点を持つ空間に源を発する種族の総称だ。
幻獣族は獣と人が合わさった獣人という種のことをいう。というもの獣人という枠は一種類ではなく、動物の種と同じまではいかないが多くの種があるのだ。
代表的なものといえば、犬人、猫人、虎人、熊人、狼人などであろう。しかし、蛇人、蜥蜴人などいわゆる爬虫類に属する獣人種は竜族に分類されている。理由は定かではないが、成長すると竜になるということだろうか?そして、竜人族がそれに含まれるのは誰も否定すまい。
妖魔族と聞くと首をかしげるかもしれないが、ゴブリン族やオーク族、鬼族などがそれに当たる。それらに加え家畜になる動物や、幻獣や魔獣、魔物、竜といった人より遥かに強力な力をもつ生き物もこの世界には存在している。命を失った存在もあるがそのような存在に出会うことは稀だ。
「そうか。歩きづめだからな、も少し上に登ったら休もう」
「ふふ そうね」
夫の気遣いにテレジアと呼ばれた妻は嬉しそうに笑みをこぼしながら応える。彼女の右手には一本の杖が握られていた。樫の木のような硬い木感を漂わせる意匠を凝らした品のよい杖だ。飾り気はないが、テレジアの足元から顔の辺りまである杖の上部には卵大の紫水晶が1つ嵌め込まれている。
「しかし、ここまで入ってくればもう追ってこないだろう」
「えぇ、逆にわたしたちも出れなくなりましたが」
「そうともう言うが、今はそれがありがたいな」
「そうですね。ふふ」
男はさらに妻の背後の闇を目を細めてみながら、安堵の声を出す。それに答える妻のお腹に手をやりながら、さらに言葉を続けるのだった。男の優しく笑った目が妻の目に映る。テレジアは自分のお腹に当てられたゴツゴツした夫の右手に自分の左手を優しく重ねて、微笑むのだった。
ふと気付いたことがある。それは月のない夜に、しかも森の中を彼らは明かりも灯さずに歩いていたということだ。どこかに酷く体をぶつけることもなく。そう言えば、男は目の前に現れた枝をさも当たり前のように折っていた。
これがドワーフ族の特徴の一つ。つまり、暗視能力という妖精族特有の特殊能力だ。鮮明に暗闇のものが見えるというものでなく、月の光に照らされたくらいの明るさで周囲が見えるという程度だ。それでも全く見えないことに比べると雲泥の差であり、生死の差になることもある。
他の特徴としてドワーフは平均120-140cmほどの身丈があり男は早くから髭を蓄えることで知られている。女性は髭は生えずに、年と共に部分的な体毛や毛髪が濃くなると言われているが、個人差があるので一般的にという説明で良いだろう。
寿命は200歳前後と言われている。70歳前後の寿命をもつ人間のおよそ3倍だ。したがって、ドワーフの年齢は本人の口にする年齢を3で割れば人間に合わせた年齢を算定できることになる。
すんすん
テレジアが顎を反らせて、鼻腔から空気を吸い込む。森の中を漂う何かを感じ取ったのだろうか。テレジアのその行動に男は右手を背中に回す。視線には先程の優しはなく、鋭さをまとわせていた。
「大丈夫、これは生活臭、というか、料理の匂いだわ。風上に家があるのかも」
料理?家?ここは山麓に広がる闇深い森林であり、人を拒絶するような地域といっても過言ではない。現に森に入って五日経つがそのような狩りをしたあとも、かつて人だ住んでいたであろう形跡もなかったのだ。それなのにテレジアは誰かが生活しているという。
「そうか。テレジアがそう言うなら安心だな。でも念の為に調べてもらえるかい?」
テレジアの言葉に男は戦斧の柄から手を離し、軽く息を吐き出すのだった。
「ふふ ダンテは心配性ね。わかったわ」
「俺はべつに」
「はいはい」
夫の言葉にテレジアは口元に軽く握った手を持っていき、クスクスと笑いながらダンテを制する。右手に持った紫水晶入の杖を軽く持ち上げて、自分の正面に杖を構え、ゆっくり目を瞑っていく。
「我は探し求める我に敵意を抱く者を。暗闇に潜み、水の深みで身構え、樹海の墓場で息を殺す者たちを捜し求める。疾く捜せ」
と同時にその口から紡ぎだされる言葉に合わせて青色の光がテレジアの足元から放たれ始め円形の幾何学模様が浮かび上がってくるではないか。青い光はやがてテレジアを中心としてその足元に三重円形の幾何学模様を描ききる。
「【索敵】」
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