虚飾の罪科
平素より日本最大級ネット小説サイト「小説家こたろう」をご利用いただき誠にありがとうございます。
さて、このたび夏期恒例のホラー企画「真夏の怪談2014~瞑篭怪境~」を開催するにあたりまして読者様に対し追加の提案をいたしたく、特別に厳選された方にだけこのメールをお送りしております。
わたくしどもが新たに提案させていただく要件は、簡単な5つのルールを守って今回の企画に参加していただくというものです。以下に5つのルールを記載いたしますので、読者様におかれましては是非ふるって御参加をお願いいたします。
ルール1
投稿された小説はできれば0時から3時の間に読むこと。
ルール2
小説を読む際は必ず部屋の明かりを落とすこと。
ルール3
小説を読む際は絶対に一人で読むこと。
ルール4
小説を読み終わるまで決して振り返らないこと。
ルール5
小説を読み終わるまで例え腸を抉られようとも声を発さないこと。
このメールをご覧になられたにも拘わらずルールを守れなかったヲ繧ィな読者様に朧、ルー縺ッ破っ繝�罰とし羅ぅ繧ソ縺ヰ絶望の溘j縲にォ恐怖縺死が√ユ繧ケ繝□こと蝣嬲ょう。
皆様の安寧と益々のご健勝をお祈りしております。
小説家こたろう事務局
「何これ! つまんないし。最後ら辺なんて文字化けで読めないじゃん。大手のくせにしっかりしてよね」
ネット小説掲載サイトからの告知メールを受け取った香純は毒を吐きながら独りごちた。彼女には運営からのメールよりも気になる事があるのだ。
『美咲大丈夫だよね……。大丈夫ならそろそろ投稿があるはずなんだけど』
幼稚園からの親友である美咲は、細々と連載している小説を毎日20時半に手動で投稿しているのだ。手動投稿ならその他大勢の小説の中に埋もれるのを、少しでも防げるかもという狙いがあるのだそうだ。
香純は美咲の投稿する小説の読者の一人でよく感想を送っている。美咲には分からない名前で……。
二人が同じ高校に進学してしばらくすると、大人しい美咲は学校カーストの上位に位置する生徒に嫌われ始めた。最初のうちは香純もその事に心を痛めてどうにか打開策を探っていたのだが、香純自身がカースト最上位に君臨するお金持ちのお嬢様に気に入られて、学校カーストの特権を手に入れてしまったのだ。それはとても楽しい毎日であった。他校のイケメンな男子生徒とカラオケに行ったり、お嬢様の家でおしゃれなお茶会をしたり、東京で流行りのファッションアイテムを見て回ったり、援交なんかしなくてもお金に困る事はなかった。毎日が楽しくてしかたなかったが、幼稚園から親友であったはずの美咲とは全く接点がなくなってしまったのだ。
「かずみー! お風呂入りなさーい。でないとお父さんが先に入るわよー」
階下から母の催促が聞こえる。毎日毎日風呂風呂フロフロうっさいなーと思いつつ、しぶしぶ勉強机から腰をあげる。時刻は21時になろうとしていた。美咲の小説はまだ投稿されていない。
『美咲……。絶対無事だよね……』
心の中でそう呟きながら狭く薄暗い階段を階下に降りていく。
築30年のこの家は父が香純の誕生を期に購入したもので香純の年と同じく17年住んでいる家であった。そのせいもあってか見えない所の老朽化も激しく階段を照らす照明も切れたままになって久しい。薄暗い階段を降りる香純の足元には小さな水たまりが点々とあるが香純が気付く事はなかった。
「お母さん庭に飛んでいきそうな物は出てないか?」
1階のリビングでテレビを見ていた父が強くなってきた風を心配しているようだ。
「えぇ、昼の間に全部物置に入れといたから大丈夫よ」
関東地方を直撃するコースの台風が今夜半に通過する見込みで、父の見ているテレビの中では各地の被害を伝える報道番組のキャスターが殊更大げさに視聴者の恐怖を煽っている。
「かずみー。あんた今日びしょびしょで帰って来たでしょ? 風邪ひいたらいけないから、ゆっくりお風呂に浸かって温まるのよ」
「わかってるよー。(うるさいななー)」
父も母も口うるさいだけで私の事なんか何にも分かってないのに。そう思いながら湯船に肩まで浸かって冷えた身体を温める。
夏休みの真っ最中だと言うのに冷夏の影響か気温が上がらないうえに、降り続ける雨の中で傘を差したまま何時間も外にいたから身体の芯まで冷えていたのだ。
一瞬照明が瞬いた。
老朽化の影響は風呂場にも及んでおり、浴室内を照らす照明は時折瞬くように点滅する事がある。この家全体にいえる事だが照明関係がどうも弱いらしい。いくら最新の照明器具を設置しても何故か明るい解放感のある部屋にはならなかった。リビングも台所も風呂場も自室も……。香純はこの暗く陰気な家が嫌いであった。
『なんか後が気になる……』
頭髪にたっぷりシャンプーをつけ過剰に泡立たせながら、背中に感じる視線のような物に思わず身をすくませ振り向いてみたがそこには何もない。
『なんで頭を洗ってる時ってこんなに背中が気になるんだろう』
父のたっての希望で、シャワーの前に座るとちょうど目の前に来るように鏡がはめ込まれている。銭湯のような雰囲気を出したかったのだそうだ。香純は洗面器にお湯を貯めて、屈みこんで洗面器に髪をつけた。前に屈みこんだ香純からは見えない。香純の後でびしょびしょになった長い黒髪をべったり張り付けた女らしき物が鏡に映り込んでいるのに。
髪に染み込ませたコンディショナーの余分を洗面器で溶かしてから、髪をまとめてバッと上体を起こす。やけに気になる背中を鏡越しに見るが当然異常はない。髪を洗っただけなのに、また冷えてしまった身体を、湯船で温めなおす香純であった。
「夏休みの宿題ちゃんとやりなさいよー」
風呂から出て、すぐに2階に上がろうとする香純に母が声をかけた。
「わかってるよー。(うるさいなー)」
自室に戻った香純はすぐにノートパソコンに向かった。美咲の事が気になって仕方がない。時計はもう22時をまわっている。早速ユーザーページから更新チェック中の小説欄にある美咲の作品をチェックしてみると、最終更新日は昨日の20時半のままになっていた。
『美咲……。どうしよう……』
近くにあった携帯を手に取ってみる。登録された美咲の番号をピックアップしたが発信のボタンがなかなか押せない。履歴によれば1年近く音沙汰なしの状態であった。
香純は不意に過去の事を思い出した。まだ小さい頃に香純の我が儘のせいで喧嘩をした二人は暫く口も聞かない状態であった。しかし美咲の事が大好きだった香純は自分から謝ったのだが、美咲はその事を凄く喜んでくれて一緒に泣いたのだ。
意を決した香純は携帯の発信ボタンを押してみた。
「お客様のお掛けになった番号は現在、霊波が届かない所に居られるか、霊言が入っていないためお繋ぎできません」
通り一遍なアナウンスは逆に憤りを催す。機械音声による自動応答に「チッ」っと短く舌打ちをする香純は電話を掛ける前より焦燥感が増していた。
夜も深まり風雨が一段と激しくなってきたようだ。築30年の家はあちこちがミシミシと不気味な音を立てている。
香純は更新を待ち続けたが結局0時を過ぎても美咲の小説は更新される事はなかった。
『明日は朝一で家に行ってみよう。もう無視なんてできない。美咲は私の本当の友達なんだもん』
そう心に誓いながら妙な気怠さのなか眠りについた。
「ひゃっ!」
香純の眠りを妨げたのは頬に落ちる滴であった。
時計を見てみるとぴったり2時を指している。
「え~。雨漏りなの~?」
腹立たしさも混じってつい独り言を呟いた香純は、天井を見上げてびっくりした。あちこちが濡れており其処此処に滴が落ちていたからだ。
『こんなの初めて。相当強く降ったのね……』
部屋中が濡れている。辺りを見回してある事に気付いた香純は怪訝な表情を浮かべた。
『なんでパソコンがついてるんだろう? 寝る前に電源を落としたはずなのに……』
訝しみながら勉強机に向かうと見慣れぬページが開いている。真っ黒いページには血塗れの手が浮かびあがり、所々に血の滲みのような赤黒い部分もある。そのページは小説家こたろうのホラー企画のページのようであった。
『えっ!? 私こんなの見てないんだけど……』
その画面は奇妙な事にフルスクリーンになっておりESCキーを押してもブラウザ画面に戻らない。
しかたなく部屋の電気をつけて本気で取り組もうとしたが、蛍光灯はつかなかった。
『え? 停電なの?! でもパソコンは…………バッテリーモードになってるのかな?』
電源を落とす為にいろいろ試してみたが強制終了しか手はないようである。
『なんなのこれ! 運営に苦情入れてやる』
そう思った香純は強制終了する寸前で、ページ中央にある新着小説と書かれた欄に目が止まった。その欄には一つだけ小説がアップされているのだが、そこに書かれた作者の名前に驚愕する。
『美咲! やっぱり無事だったんだ!!』
それは待ち続けた親友のペンネームであった。心の中を埋め尽くしていた心配がサラサラと流れて行くような晴れやかな気分を味わう香純。
ちらりと窓の外を見やると台風の目は過ぎ去ったのか、風も雨も弱くなっている。
真っ暗な部屋の中で勉強机に座り直しノートパソコンに向かった。
『私より怖いのが苦手なあの子がホラー小説を書くなんて……』
「虚飾の罪科」と題されたその小説は1時56分に投稿されている。作者名はbtブルーム。美咲を英語にしたビューティーブルームを縮めた物らしい。
香純はそこをクリックして美咲の小説を読み始めた。
美咲の投稿した短編は7000字ほどの手軽な掌握小説であったがその内容は香純にとってこの上無く重いものだった。
主人公サキの一人称で語られる小説の内容は、将来を誓いあった恋人であるカズに裏切られるというもので、香純は読み初めてすぐに自分と美咲のことを題材にして書かれた私小説だと気付いたのだ。
小説の中の季節は冬なのかやたらに寒いや凍えるなどの単語が使われ、読み進める香純の心も身体も何故か同じように冷え切っていく。
夜とはいえ真夏である。寒い事などあろうはずもない部屋のパソコンの前で、香純は唇を青くしてガタガタと震えながら小説を読み耽っていた。
小説のラスト近く、現実世界で今日起こった出来事が人物と場所と設定を変えて再現されようとしている。
『もう、無理……』
震えながら涙を流す香純であったが、どういう訳か椅子から立ち上がる事もパソコンから目を逸らすこともできなくなっていた。
逃げ出したくてしかたのない香純の前で小説を構成する文字が無理やり頭の中に忍び込んでくる。
クライマックスで主人公であるサキが、恋人であったカズに呼び出される。場所は湖畔の公園。サキは白い息を吐きながらカズを待っている。しかしそこに現れたのはカズに新しくできた恋人である社長令嬢であった。
泣きながら小説を読んでいる香純の吐く息もいつの間にか白くなっている。
今日の昼に香純と仲間達は河川敷の公園に美咲を呼び出したのだ。雨も風も大して強くなかったが、上流で降った雨のせいで小さめの川は増水して、茶色い水が結構な速さで流れていた。
小説の中でカズはサキと結婚の約束をしていたが、それを反故にして社長令嬢と婚約してしまったという事実が明かされる。カズの実家は代々造り酒屋を営んでいる設定で、借金がかさみ令嬢との結婚を条件に肩代わりを約束されていたのだ。サキの前に仁王立ちになった社長令嬢は言い争いの末サキをどついてしまう。その結果サキは体勢を崩し冷たい湖に落ちてしまうという場面が詳細に描写されていた。
現実の世界で昼間に出会った美咲も香純たちの仲間の一人と揉みあいになり、増水した川に落ちてしまったのだ。
友達同士の喧嘩を止める勇気が出なかった事を悔いた時には既に遅かった。増水した川の水は見た目以上のパワーがあり、美咲はあっという間に流されていった。
揉みあいをしていた仲間は怖くなったのだろう、走ってその場を逃げ出した。香純たちもその仲間の後を追った為に美咲がどうなったのかは確認できなかったのだ。
香純は美咲が泳ぎが得意な事を知っていた。あの程度の川幅なら何往復でもできるはずだ。何度もそう思った。そして願った、無事でいてと……。
小説の方は主人公のサキが湖に落ちたところから空白になっている。この状態から解放されるのではと期待した香純であったが、マウスもタッチパッドも触っていないのに勝手にページがスクロールされていく。そして現れたのが…………。
カズが怨めしいカズが怨めしいカズが怨めしいカズが怨めしいカズが怨めしいカズが怨めしいカズが怨めしいカズが怨めしいカズが怨めしいカズが怨めしいカズが怨めしいカズが怨めしいカズが怨めしいカズが怨めしいカズが怨めしいカズが怨めしいカズが怨めしいカズが怨めしいカズが怨めしいカズが怨めしいカズが怨めしいカズが怨めしいカズが怨めしいカズが怨めしいカズが怨めしいカズが怨めしいカズが怨めしいカズが怨めしいカズが怨めしいカズが怨めしいカズが怨めしいカズが怨めしいカズが怨めしいカズが怨めしいカズが怨めしいカズが怨めしいカズが怨めしいカズが怨めしいカズミたすけてカズが怨めしいカズが怨めしいカズが怨めしいカズが怨めしいカズが怨めしいカズが怨めしいカズが怨めしいカズが怨めしいカズが怨めしいカズミさむいよカズが怨めしいカズが怨めしいカズが怨めしいカズが怨めしいカズが怨めしいカズが怨めしいカズが怨めしいカズが怨めしいカズが怨めしいカズミどうしてカズが怨めしいカズが怨めしいカズが怨めしいカズが怨めしいカズが怨めしいカズが怨めしいカズが怨めしいカズが怨めしいカズが怨めしいカズが怨めしいカズが怨めしいカズが怨めしいカズが怨めしいカズが怨めしいカズが怨めしいカズが怨めしいカズが怨めしいカズが怨めしいカズが怨めしいカズが怨めしいカズが怨めしいカズミが怨めしい
という言葉の羅列であった。
今や香純の震えは寒さからくる物ではなくなっていた。全身の毛穴を逆立たせて歯の根も合わないほど香純を震えさせる感情の正体は純粋な恐怖であった。
触りもしないのにスクロールは続く。かなりの長さの空白の後にまた文章が再開されていた。香純は必死で目を背けようとするがどうしても画面の文字を追ってしまう。そこにはこう書かれていた。
私は親友の家を訪ねて来ました。
カズに裏切られた心の痛みを彼女ならきっと分かってくれるはずです。
この家には幼い頃に何度もお邪魔したので親友がどこにいるか手に取るように分かります。
久々にしゃべる親友はどんな風に命乞いをするのでしょうか?
私は楽しみでしかたありません。
玄関から階段に向かい、2階にある親友の部屋を目指しました。
階段を一段また一段と上がる度に私の胸は高鳴っていきます。
階段を上がって来る何かが、踏み板を軋ませる音が香純の耳に微かに届くいてくる。もはや恐怖を通り越した感情が、恐慌に移行してゆくさなか小説は無慈悲にその先を綴った。
懐かしい階段。懐かしい廊下。そう、親友の部屋はこの懐かしいドアの向こうです。
このドアは立てつけが悪いのか開ける時に耳障りな音がするはずです。
そのせいか幼い頃の親友はこの家が嫌いだと言っていました。
あまりの恐怖に意識が遠のきそうになる。香純は心の底から失神する事を願ったが神は……否、悪魔は香純の意識が飛ぶのを許さなかった。小説を読了しろという声なき強制と言えるかも知れない。
ギィキィィィィッィ
まるで擦りガラスを爪で引っ掻くような音と共にドアが開いてゆく。
湿った物が床を打つようなペチャという音を伴いながら何かが背後に迫ってくるが、恐怖にがんじがらめにされた香純は振り向くどころか指一本動かす事もできない。
小説はまた長い空白が続き、さも当然かの如く自動スクロールしてゆく画面に、ついに最後の一文が現れた。
香純さんは私になんて言ってくれるのかしら? とても楽しみ、できれば昔のようにまた二人で遊びたいな。
香純がその一文を読み終えた瞬間、触れた部分が凍りつく程の冷たい手が右の肩に置かれた。心臓を鷲掴みにされるような恐怖に襲われながら、口から飛び出しそうになった絶叫を無理やり呑み込んで香純が口を開いた。
「ご、めん……な、さ、い…………」
顎まで震えるせいではっきりと言葉にならないが、どうにか謝罪の言葉をひねりだした香純に対して、命まで凍らせる程の冷たい吐息と共に、水底から聞こえるようなくぐもった声が香純の耳のすぐ横から応えた。
「香純さん、残念だけど読了にチェックを入れないと読み終えた事にならないの。あなたはルールの5番目に違反したわ。でもね、これからずっとあなたと一緒にいられると思うと、私とても嬉しいのよ」
予想を外れて関東地方を舐めるように通過した台風は深夜に太平洋上に遠ざかっていった。夜が明けてみると台風一過の抜けるような青空に覆われ、全ての命が綺麗に洗われたような清々しい朝を迎えていた。
心配されたような台風被害もなさそうで、電線にとまった雀達が賑やかに朝の挨拶を交わしている。
住宅地にひっそりと経つ築30年のその家も外見は特に被害がなさそうに見えた。古びた家の2階にある一室にも、カーテンの隙間から眩い朝日が差し込み部屋の中を照らしている。
夜半の激しい雨のせいで雨漏りでもしたのか、その部屋の床には大きな水溜りができていた。150~160cmもありそうな2つの細長い水溜りは、見方によっては人が二人並んで寝ているようにも見える。そう考えてみると、二つの水溜りから伸びた腕のようにみえる細い部分は仲良く手を繋いでいるように見えなくもなかった。