マエストロと輪舞曲を
※拙作「悪魔と円舞曲を」続編
十六歳になった。これでようやく、代理人ではなくわたし自身が商談に臨める。
女の戦装束はドレスだと女学校の教師が言っていたが、それもあながち間違いではない。社交界デビューよりも先に実家であるソルト商会の幹部として世間にお目見えしたわたしは、スーツを着た兄の隣で豪奢なドレスを着て微笑んでいた。
「これは、ソルト家の」
「美術部門統括、フェリス・ソルトです」
「おやおや、あのソルト家が芸術方面にも手を広げ始めたというのは本当でしたか!」
「良い芸術家の方とご縁がありまして。彼らの作品が世に出るお手伝いをしたいと思いましたの」
そう言って緊張しながらもにっこりと笑ってやれば、あら不思議。腹に一物も二物も抱えた海千山千の狐狸妖怪――失礼。巷で話題の大商人たちは孫か娘を見るような瞳で「ほう、お若いのに感心ですなあ」と朗らかに笑い返してくる。
もちろん、ここでわざわざ「お若い」などと言ってくる辺り善意二割興味五割、試してみようかという気持ちが二割くらいだろう。
(ふふん。望むところよ)
兄のラグラは先ほどからにこにこ微笑んでいるだけで、わたしと他商人達の会話には加わってこない。如何にも「妹の我がままを聞いて商売の真似ごとをさせているんです」とでも言うような、はっきり言えばわたし率いる美術部門がロクな利益を上げられなくてもそれも「想定内」だという態度で傍観者を気取っているのだ。
「それで、その芸術家とはどのような?」
「当方専属の彫刻家がひとりに、画家がひとりですわ」
「専属ですか。これはまた、思い切りましたなあ」
それはわたしも思う。
芸術家との専属契約は、よほど売れっ子の相手と結ばない限りリスクの高い商売だ。相手の製作するすべての作品に対して独占的な売買権を有する代わりに、材料費その他必要経費を賄い、作品が売れても売れなくても芸術家に一定水準の庇護を確約するもの。大抵、これはと見込んだ芸術家と契約を交わして、文字通り売れっ子に育て上げることで莫大な利益を得るものである。
間違っても、昨日今日美術商になったと思しき小娘が結ぶような契約ではない。あるいは、新人らしい無謀とも言える思い切りの良さと取るか。
「彫刻家はミゲル、画家はニコルと言いますの。次の商談会には我が家も参加致しますので、是非一度ご覧になってくださいな」
大衆本の普及に伴い、砂糖塗れのロマンスがいたるところで吐き散らされるようになった昨今、政略結婚を嫌がる令嬢は特に珍しくもない。通っていた女学校でも、許婚に嫌気がさして余所にロマンスを求める学友達を幾人も目にしてきた。
けれど、敢えて言おう。彼女らの大半は、ただの世間知らずの我がまま娘であると。
提示された政略結婚に文句があり、それを取り消して欲しいのならば、まずは代替案を準備せねばなるまい。親またはそれに準ずる人間に対して、自身の結婚に替わる利益を提案するのだ。ただ嫌だと言うだけならば子どもにも劣る。交渉のテーブルにつくどころか、門前払いで即終了だろう。
結局のところ、意に染まぬ結婚を強制されるということは、そうする以上の利用価値がその娘にないということなのである。他家との婚姻なんて、自分と相手の性別が異なればそれで事足りる。当人の能力や性格、容姿に至っては、極端な話単なる付加価値に過ぎないのだ。
王侯貴族ならばいざ知らず、ただの市民に過ぎない商人の家に生まれたわたしは幸いにして逃げ道がないわけではない。つまり、あの悪魔、もとい、エドワード・ヴァレりーとの結婚話を回避するためにわたしが提示した条件が、「ソルト商会に美術部門を設立し、そのトップとして一定以上の利益を継続的に上げる」ことだったのだ。
「お兄ちゃんとしては、大人しくエドと結婚してくれるのが一番平和なんだけどなあ」
「お黙んなさい、この愚兄」
困ったような表情で眉を下げる兄に騙されてはいけない。
結婚契約書(半分記入済み)を手渡されエドワード・ヴァレリーの家まで拉致されかかるという最悪な誕生日から三日。まだわたしの怒りはとけていないのである。
夜会という名の商人達の腹芸場から離れ、帰宅途中の馬車の中。首元のタイを緩めながら、ラグラは深いため息を吐いた。
「エドはああ見えてびっくりするぐらい執念深いしちょっとどうかと思うほど性格が悪いよ? そりゃあ、我が家の利益を考えればフェリスが成功してくれた方がありがたいと言えばありがたいけど」
「長い目で見れば、我が家みたいに生活用品と東方からの輸入品だけに頼った商売じゃいつまでも木端商人止まり、先細りするのは目に見えてるって父さんも母さんも納得してたじゃないの。それに、そういう『びっくりするぐらい執念深くてちょっとどうかと思うほど性格が悪い』男を妹の結婚相手として奨めるのは人間として終わってると思うわ」
「だって、僕はこれでもエドの友人だからねえ」
ああ、類友ってやつか。
わたしの蔑むような視線に気がついたんだろう。ラグラは唇を尖らせて――四捨五入すれば三十歳にもなる男がやっても気持ち悪いだけである――「そういうことじゃなくて」と反論を試みた。
「アイツがいつからフェリスのことを狙っていて、暗躍していた諸々とか色々を知ってる身としては、流石にここまで来て破談になるのは可哀相というか哀れというか面白いけど後が怖いっていうか」
「覚悟はよろしくて、お兄サマ」
にっこり笑顔で拳を握る。答えはもちろん聞いてない。
これはまったくの余談だが、わたしの通う女学校では、もしもの時の護身術を選択して受講することができるのである。
「『アスガルド戦役』?」
「っ!? う、わあ!」
がたん、ごとごと。盛大に椅子から転がり落ちた青年に、わたしの方が驚いて目をぱちくりと見開いた。
「ふぇ、フェリスさん!? いつからそこに……」
「今来たところ。ごめんなさい、驚かせちゃったわね」
本音を言えば、ちょっと驚かせようと思ってわざと後ろから声をかけたのだが、これほど驚かせてしまうとは思っていなかった。
アトリエには絵の具やその他画材特有の臭気が満ちていて、間違っても深呼吸などしたい場所ではない。心臓を落ち着かせるように胸に手を置いて深呼吸を繰り返す目の前の青年は、まったく気にした様子はないけれど。
でもまあ、それもそうか。わたしは思いなおす。なんと言っても、このアトリエは彼の「城」なのだから。
「それより、珍しいのね。ニコルが題材を神話や英雄譚からじゃなくて史実から取るなんて」
アスガルド戦役とは、今から三百年ほど前に実際に起こったカルゴア帝国を含む三カ国の三つ巴戦だ。
荒野に陣を張る二軍。左手にはカルゴア帝国軍を示す蒼の旗印がはためき、右手には魔術師のローブを羽織った一団が軍勢に紛れている。今は存在しない魔法王国マハルの軍勢だろう。さらに地平線の彼方から、その両軍の間を割るように攻めよせる一軍がある。それが、今や大陸南方を統べる大国の前身、トゥグイ共和国。先頭で馬を駆る人物は、金色の光を纏うように描かれている。
大陸史上に残る大戦と言われる所以は、このトゥグイ共和国初代国主、金獅子の異名を取ったラウル王の活躍が大きい。歴史物と呼ばれる絵画の中では、特に人気の高い題材のひとつだ。
「その、これはミゲルさんからの課題で」
「課題?」
「僕の描く人間には『生々しさ』が足りないから、まずは歴史物から人物画の練習をしろって言われたんです」
言って、青年は困ったように笑う。
「ニコルの売りは、寂寥感を誘う夕陽の風景画と神秘的な神話物なのにね」
肩を落とし悄然と歩いていた青年がわたしの目の前で盛大に転んだことと、彼が脇に抱えていた布に包まれた板状のものがガッタンゴットンと回転しながらわたしの方に転がってきたことは、今思い出してもいったい何の喜劇だと思う。
布に包まれていたのは、ニコルが画商に売り込もうとしていた自作の風景画だった。そしてそれが、大げさに言うならば、ニコルの、引いてはわたしの運命を変えたのである。
「そのミゲルはまだ起きてきてないみたいね」
「ミゲルさんは太陽が苦手ですから」
「あの超絶虚弱体質が」
どこの吸血鬼だとか思ってない。思ってないけれど、常に青白い肌で目の下に隈を作った猫背の中年は如何に昔馴染みだからと言ってもフォローのしようがない。
「それなら、ミゲルにも伝えておいて。今度の商談会に出席するから、今の内に幾つか見繕っておいてって」
「今度の商談会、ですか?」
「二十日後にあるわ」
「二十日後!? 随分急ですね……」
「代理人を立てていた頃に根回しは済ませていたのよ。この前の夜会は駄目押しみたいなものね。個人的な取引は今まで通りするとしても、新規顧客の獲得には商談会は願ってもない機会だわ」
美術商としては駆け出しだけれど、商家としてソルト家は中堅に当たる。次の商談会では、大口の契約は無理だとしても、最低ふたつは新しい契約を取りたいところだ。
「ニコルの絵はもうわたしが選んでおいたから、心配しなくて大丈夫よ。後で目録を送るから、確認しておいて」
「ぼ、僕の絵も出品するんですか?」
「うちの目玉商品よ」
困り顔がスタンダードになりつつあるニコルはもう言葉もないようで、ぱくぱくと意味もなく口を開閉している。
わたしは安心させるよう、意識して柔らかい表情を作った。
「ニコル、わたしは貴方の作品にほれ込んで美術部門を立ち上げたのよ。貴方の作品を目玉商品にするなんて、当たり前のことじゃない」
もちろん、ヤツとの結婚話を蹴っ飛ばすためでもあるけれどね、と。
一石二鳥のこの作戦。失敗するつもりは毛頭ないのである。