キャプテンは変体紳士?
翌日の放課後、航は机の上の教科書を鞄に入れ教室を出る準備をする。
昨日桐谷と話し合った結果、放課後に桐谷が航の教室まで迎えに来るという話でまとまったので、こうして早めに帰る準備をしていた。
「珍しい。航がこんなに早く帰る準備をしている所見たことないよ」
「俺にだってたまには用事くらいあるわ」
「用事ね‥‥」
幸成は航の顔を覗き込むように見ると、何か怪しむような視線を向けてくる。
その表情は妙ににやついていて非常にきみが悪い。
「もしかして航‥‥‥‥彼女でもできたとか?」
「馬鹿なことを言うな。俺に彼女なんかできるわけないだろう」
「それもそうだね」
幸成は航の苦い表情を見るとくすくすと笑っていた。
このようなやり取りを幸成とはよくするのだが航は不思議と不快感を感じることはない。
幸成の爽やかイケメン顔が不快感を取り除いているんだろうと航は勝手に推測した。
「今日は部活の見学に行くんだよ」
「へぇ~~、それってどこの部活?」
興味深そうな目線で幸成は航のことを見るが、航は返答に窮していた。
陸上部とは別の部活である、駅伝部。
桐谷の話を聞いて察するに、この2つの部活は仲が悪いように感じた。
その敵対する部活について、陸上部に所属する幸成に言ってもいいのだろうか航は困っていた。
「航、どこかの部活に入るの?」
おずおずと2人の会話に入ってきたのは佳奈である。
航のことを覗きみるその表情は不安に染まっていた。
「まだ入るって決まったわけではないけどな。今日は見学だ」
「じゃあさ、それが終わったら私達の部活も見学に来ない?」
「見学?」
「そう、他の部活も行くんだからついでに寄ってきなさいよ」
この時教室で航を陸上部に勧誘する佳奈はどこか必死な様子に見えた。
幸成はそんな佳奈をほほえましく見守っている。
「でも‥‥‥‥遅くなるかもしれないし今日はいいよ」
「じゃあ、明日。明日ならいいでしょ」
「まぁ、それなら別に」
航から了承をもらえたのがうれしかったのか佳奈はどこか浮かれていた。
普段から航と佳奈は口喧嘩してばかりなので機嫌が戻ってくれて航はほっとしている。
「やった。約束だからね」
「佳奈、そろそろ僕達も行かないと‥‥」
催促するのは幸成である。
時刻も部活を始めるには丁度いい時間になっており、このまま教室にいると陸上部の練習に遅刻してしまう。
航が部活に向かう2人に向かって簡単に挨拶をすると、2人は教室を出て行った。
それから教室で待つこと10分、やっとのことで桐谷が教室に現れる。
その額には汗が滲んでいることから、急いでここにきたことが伺えた。
「ごめん。先輩達を説得するのに時間がかかって‥‥」
「いや、全然待ってないから大丈夫だ」
航は桐谷の"説得"という言葉を不気味に思いながらもそのことを流すことにした。
「じゃあ、案内するからついてきて」
前を歩く桐谷に航は何も言わずついていくことにした。
そして歩くこと2分、桐谷は駅伝部の部室に航を案内する。
駅伝部の部室は校舎の2階端の教室が使われており、部室の辺りには誰もいない。
校舎の2階は基本的に職員室や理科室等の多目的教室の配置がメインなので、その中に部室が割り当てられているのは異質であった。
「先輩、入りますよ」
目の前の扉を桐谷がノックし、扉をあけると部屋の中はさらに異質な光景が広がっていた。
まず航の目に入ったのは壁一面に配置した本棚である。
そしてその本棚の中には各レーベルごとにライトノベルがびっしりと並べられていた。
さらに航が部屋の内装で驚いたことは窓の所に引かれているカーテンである。
2人のメイド服を着た高校生ぐらいと思われる少女が、仲良く寄り添っている姿が描かれているものであった。
「よく来てくれたね。我が駅伝部は君の事を歓迎するよ」
「先輩、カーテンはずすって言ったじゃないですか。何ではずしてないんですか!!」
「悪い。タペストリーやポスターはがすのに時間がかかって、カーテンまで手が回らなかったんだよ」
桐谷の目の前には爽やかな顔でさらさらな髪をなびかせる美少年とも取れる人がいる。
多分他の所で航は出会っていたら確実にただのイケメンとしか思わなかっただろう。
「ごめんね、航君。こんな見苦しい部室を見せて」
「いや‥‥‥‥‥‥大丈夫」
さすがの航も部室の異質な状況に驚きを隠せない。
逆にこの校内にあっていいのかと思うほどの光景を見て、驚かない人がいればその人を軽蔑する自信がある。
「航君、紹介するね。この人が駅伝部のキャプテンの木津正一郎先輩」
「初めまして、この部活の変体紳士、木津正一郎です」
爽やかスマイルで自己紹介をする木津に対し、航はどこから突っ込んでいいのか全く分からなかった。
部屋につっこめばいいのか、それとも彼の自己紹介に突っ込めばいいのか。
せいぜいぽかんと口を開けたままこの状況を見守るのが今の航には精一杯だった。
「先輩、自己紹介ぐらいはちゃんとしてください」
「これが精一杯の自己紹介だよ」
「先輩は常識が不足しています」
必死に先輩を説得する桐谷だったが、どうやら彼にとってはこの光景が普通らしい。
早くも部活に入るのをやめようか悩む航であった。
「今日見学させてもらう、穂積航です。宜しくお願いします」
「穂積君のことは桐谷から聞いているよ。君は小学生のことはどう思う? やっぱり最高だと思うよね」
「先輩、本題からそれています」
「あぁ、すまん。桐谷からロリ少女ものをよく見ると聞いたからな」
航はライトノベル全般が好きなのであって特に幼女については何も思わないのだが、あえてそのことについては言及しないようにする。
航は直感で木津に対しツッコミを入れたら負けな様な気がしていた。
「じゃあ、これから軽く3人でランニングでもしようか。今日の練習は40分のジョギングだから一緒にやろう」
「はぁ」
「じゃあそれぞれ着替えたら校門に集合で」
「先輩はその前に少しお話があるのでこっちに来てください」
桐谷は木津の襟首を掴み、部室の外へ出て行った。
1人室内に取り残された航は本棚の方に歩みよる。
本棚には様々なレーベルのライトノベルが並んでおり、きちんと整頓がされている。
その内の1冊を手に取りパラパラと中を見る。
手に取ったのは近未来のSFラブコメディーだった。
内容はロボットと人間の成長を描いたもので、航自身もこの小説を書いている作家のことはよく知っている。
「これ、結構面白いな」
部室で1人ごとをいい、帰りにこの小説を買おうと決心して航は制服から体操服に着替え始めた。
着替えて校門の前で待つこと10分弱、そこには学校指定のジャージではなく黒の練習着用のジャージ姿に身を包んだ桐谷と木津が航のほうへと向かってくる。
木津の表情がさっきより元気がないように見えるのは航の気のせいかもしれない。
「じゃあ走り始めようか」
木津は手首に巻いてある腕時計のスイッチを入れると、校門の外に出て走り始めた。
それに航と桐谷の2人もついていく。
航の体感スピードとしては木津のペースはそこまで速くないと感じていた。
それは春休みに幸成と佳奈に連れられて一緒に走りこみをしていたおかげであるがこの時の航は知るよしもない。
「さっきは悪いね。急にへんなことを言ってしまって」
「いや、大丈夫です。特に問題はないですから」
「それはよかった。引かれたらどうしようかと思った」
内心引いていたが、航はそのことをおくびにも出さないようにする。
「先輩、少しは自重してください」
「ははは、なるべくそうするよ」
笑顔で頭を掻きながらも木津は走りのスピードを緩めることはない。
むしろ徐々にペースが上がっているように航は感じていた。
「そういえば、桐谷の時はどうだったんだ? まさか俺の時みたいなことはないだろうとは思うけど」
「ははは‥‥‥‥思い出させないで」
うつろな目をする桐谷はきっと入部時に何かよからぬ事情があったことを察して、航はこの話は打ち切ることにする。
事実、桐谷は航以上に盛大なおもてなしを受けたのだったが、そのことにはここでは触れないでおこう。
「でも、桐谷君が入部してくれてよかったよ。今年は新入部員がいないことも覚悟したからね」
「先輩達の勧誘がひどすぎるんです」
「それはすまん」
「お前の勧誘方法も間違ってるからな」と航は指摘したかったが、喉まで出掛かった言葉を胸のうちにとどめておいた。
「でも、航君もライトノベルが好きだなんて驚いたよ。どんな作品が好きなんだい?」
「えっと俺の場合は日常ものをよく見ています。後、スポーツものですかね」
「じゃあファンタジーものはどうだい?」
「それもよく読んでいます。ああいうのを見ていると現実を忘れられてちょうどいいんですよ」
「そうか、そうか。ファンタジーもので小学生が主人公の面白い作品があるんだが読んでみるかい?」
「いいんですか?」
「僕はかまわないよ。ちょうど今日持ってきてるから後で渡すよ」
その後も航と木津によるライトノベルトークは弾んでいった。
航が聞いた所によると、先輩はロリコン系の作品が好きらしい。
キャラクターの話を聞いていても、出てくるのは小学生とか合法ロリのキャラクターばかりである。
「あぁ、かわいいよ、ひ○、○な。僕がおいた○の変わりに君を育ててあげるよ」
ちょっと、いやかなり変態めいた発言に航は若干引いていたが木津とは話が合い面白かった。
気づけばランニングを始めて35分になる。
「それじゃあ、最後は少しスピード上げるからついてきて」
そういうと木津のスピードがいきなり上がる。
この時始めて桐谷の姿が見えないことに気づくがとき既に遅し。
おそらくはどこかの道で脱落したのだろう。
航は気持ちを切り替えて木津のペースについていく。
「その調子だ。後少し」
木津についていく航は必死である。
両足はパンパンに張っており、足が棒のようになっていて動かない。
しかしここまで来たからには航も引き下がることはできない。
何よりこんな変人に負けたくないという思いで航は走っていた。
「はい、ゴール。お疲れ様」
ゴールである校門を抜けると、航はその場で立ち止まり膝に手をつき息を整える。
その呼吸は荒く、ジョギングをしていたとは思えないほどの汗の量である。
「穂積君、辛いと思うけど歩こう。急に止まると体に負荷がかかるから」
「分かりました」
航は歩き出すが、その足取りはおぼつかなかった。
大して木津はまだ元気が有り余っているようである。
どこからその体力が沸いてくるのかと航は感心していた。
それから軽いダッシュを2本こなし、キャプテンとストレッチをしている頃、桐谷が校門の前に姿を現す。
航達が帰ってきてから実に13分後のことである。
「桐谷君、お疲れ」
「先輩‥‥はやい‥‥航‥‥くんすごい」
目の前にいる桐谷は先程の航と同じくらい、もしくはそれ以上に汗をかいていた。
呼吸は荒く、膝に手をついている状況からその疲弊具合は容易に伝わった。
「桐谷、大丈夫か?」
「大丈夫‥‥それよりも航君すごいよ‥‥いきなり木津先輩のジョギングついていけるなんて‥‥」
「そうか?」
幸成と佳奈とトレーニングを積んでいたから走れたことなのだが、航はそのことを知る由はない。
桐谷が校庭でダッシュを始めたので、航は木津のところに戻りストレッチを再開した。
「穂積君はうちの部活に入る気はないかい? 今ならライトノベルが読み放題だよ」
「俺ですか?」
木津が見つめる中、航は決断を迫られていた。
校庭では桐谷が50mダッシュをしているのを横目に航は考える。
「すいません。もう少し考えさせてくれませんか?」
航にとっては幸成と佳奈のこともあるのでここで即決することはできない。
少なくとも明日の陸上部の見学を終えてからどの部活に入るのかを決断したかった。
「わかった。君の決断をゆっくりと待つことにするよ。さっきの約束通りライトノベルは貸すから後で俺のところへ来てくれないか?」
そういうと木津はストレッチが終わらせ、校舎の中へと入ってしまう。
ダッシュをしている桐谷のことを見つめながら航はどの部活に入ろうか改めて悩むこととなった。