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線路について亭主と話す

「おぉ、お帰り」

 宿から溢れる黄色を帯びた温かい光のなか、姿よりも先にやけに軽快で低音な主人の声が出迎えてくれた。

 俺は少々乱れた呼吸で、水を一杯頼む。主人は「あいよ!」と威勢の良い返事をし、台所があるであろう奥へ、のしのしと歩いて行った。

 俺は大きく息を吐く。

 宿に入ると、カウンターの前に木製の簡素なテーブルと一組の椅子がある。俺はそこに腰掛け、正面にユウヤを置いてやった。

「シンってさ、以外と怖がりなんだね」

 キャンバスの中で悪戯っ子のような笑顔。どうやら俺をからかいたいらしい。

 だから俺は「それがどおした」と言わんばかりに腕を組んだ。

「自慢じゃないが俺ほどああいう類いの冗談が嫌いな奴は居ない」

「自慢にならないよ」

 ユウヤは更に笑った。

 肩を揺らして笑う事か? 俺は顔をしかめてキャンバスを見つめる。

 お前だって結構焦って居たくせに。俺の目は誤魔化せない。

 楽しそうに笑うユウヤを前に、あの時目に入ったこいつの冷や汗を思いだす。

 わかって居たくせに。あの女の時から。

 俺はこいつの揚げ足をとってやらんと口を開けた。

「あいよ」

 これはこの宿の亭主の声。それとともに水の入った一杯のコップがテーブルの上に置かれた。

 俺はユウヤに一言いってやらんとばかりに開いた口を、小さく息をついて閉じた。そして亭主が持ってきてくれた水を一気に飲み干す。

 亭主に一杯食わされた気分だ。

「絵描きさん。どうだい。良い絵は描けたかい?」

 人当たりのいい陽気な笑顔が俺とユウヤに向けられる。

 まさか自分がこのつまらない絵描きに一杯食わせていたなどと、この亭主は思っても無いだろう。

「はい。お陰様で」

 自分が描いたわけでは無いのに、ユウヤは自信満々といった様子で胸を張った。

「そうかいそうかい。そりゃあ良かった。良ければ絵を買ってくれそうな所を紹介するよ? おっとその前に、どんな絵を描いたのか見物させちゃくれないかい?」

 跳ねるようにテンポの良い口調。俺はこの亭主が嫌いじゃ無い。なぜかと聞かれても知った事でないし、理由を探そうとも思わない。

 ただ嫌いじゃないと思ったのだ。この屈託のない笑顔も空気を撫でるような低音も。

「どうぞ」

 断りを入れると、亭主は急ぐ思いを隠すようにそっと下に置かれた絵へ手を伸ばした。その瞳がプレゼントの蓋を開ける子供のように、未知の物を前にする楽しさで輝く。

「………これは」

 亭主は言葉を切った。

 ユウヤはその言葉の切り方に、疑問を感じたらしい。俺に視線を送ってきて、どうしたのかと首をかしぐ。俺も知る筈もなく、「さあな」と首をかしぎ返すくらいしか見つからなかった。

 俺達しか客のいない宿は、亭主が黙っただけで随分と静かになった。その場に居る3人の誰も音を立てようとはせず、静かに空気は固まり始める。このまま誰も動かなければ、気体である空気は次第に固体へと変化してしまうのではないか、とさえ思えた。

 静けさのなか、この建物の柱がみしりと鳴った。

「絵描きさん」

 やがて口を開いた亭主は、信じられない物でも見るように、俺へと視線を送り、絵へとまた戻す。

 俺にはこの亭主が何を言いたいのか全く理解出来なかった。

 ユウヤも静かに亭主を見て居る。多分亭主が説明し出すのを待ってるのだ。俺もそれに乗じさせてもらう。

 二つの視線がF10号のキャンバスを持つこの宿の亭主へと、重圧を与えることなく注がれる。

 亭主の口は声を出さずに小さく口ぱくで動く。それはあふれ出る言葉のどれから音にしてこうか、と迷う動作にも見えた。

 俺とユウヤは言葉に迷う亭主に、じっくりと時間を与えた。

 わけのわからないまま話出されても困るし。ある程度落ち着いて貰いたいとも思った。

 だからユウヤも亭主へ何かと急かしたりはしない。というより、こいつは元々人を急かすような質ではないらしいが。

 静かになりすぎるあまり、自分の体が空気に溶けてしまったのではないかと思い出して来た頃。

「絵描きさん、」

 やっと見つかったのだろうか。亭主はゆっくりと選び抜いた言葉を口にする。

「この絵。………ええ、…ええ。とても素晴らしいです」

 彼の綻ぶ笑顔に、俺は「どうも」と口にする。

「とても素晴らしい場所だったので」

 こうつけたしたのはユウヤだ。そしてこう言ったのもユウヤだ。

「重ねざまに女性と男性が訪れて来たんです。面白いでしょう?」

 面白いだろうか?

 もしこの場に何も知らない誰かがいたら、そいつはこう首をかしげるはずだ。

 だが俺は知っている。だから含んでこう続ける。

「あれは、こちらの名物か何かですか?」

 俺の言葉に、亭主は顔を濁らせた。

 名物。間違えではないだろう。

 朝から日の暮れるまで。訪れて来たのは女が一人に男が一人。他には道を通り過ぎる人影も無かった。

 近くには町もある。村もある。なのにその道を使ったのは自分以外に二人だけ。使ったかは分からないか。何しろこの二人は、どちらも気付いた頃には後ろに居たのだから。


 不自然だった。誰も通らないあの道が。

 不自然だった。夕刻頃に、毎日訪れるあの女が。

 不自然だった。女の行動を全て知りながら、日の沈んだ後に訪れたあの男が。


 俺は、あの場所の不自然さに惹かれ、絵を描いたのだろうか。



*** *** ***



 ある小さな村に、二人の幸せな男女がいた。

 男女はある日、隣りの町へ買い物に出かける。

 買って来たのは一つの指輪。随分前に、そこらの街の細工師よりずば抜けて巧いと評判の匠に注文していた物だ。

 匠は結構な年齢だった。

 匠は死んだ。この二人の指輪を最後に。

 二人はその匠への感謝の気持ちをぎゅっと抱きながら、帰りの道を静かに辿った。その先には温かな幸せが待っている筈だった。

 私達はあと7日で結婚する。

 女は待ち望んでいた日を、指折り数える事無く、短い人生の終わりを告げた。

 列車との衝突事故を最後に。



*** *** ***



「指輪を無くしたんだ。大切な大切な指輪を。買ったその日に」

 亭主は話す。

「指輪を無くした事に気付くと、女は隣りの町まで来た道を戻った」

 語り部に耳を傾けるのは一人の男と一枚の絵。

「二人はその日の帰り、線路の上を歩いてたらしい。男は知ってたんだ。帰る時間帯が、丁度列車の通らない時間だと。だけどなぁ。可哀相な事に、」

 女は知らなかった。知らなかったのだ。

 だから探す時も同じ様に線路の上を歩いた。

「そして………―――」

「………そうですか」

 ユウヤは俯く。正直な奴だ。嬉しさを嬉しさと受け取り。悲しみを悲しみと受け取る。

「男は女を追ったよ。他の人間を恨みながな。近づいてくる列車の揺れを感じていただろうに、まるでそんなもの見えてもいないように、線路の上に這いつくばっていたらしい」

 なぜ線路の上を一人歩く彼女に教えてやらなかったのか。なぜ線路の上を歩く一人の女性を、こうも他人事で眺めていれたのか。なぜこうも、皆が皆無情でいられるのか。

 男は全てを恨んだ。


 それからだ。

 線路に一人の女性が現れるようになった。それは決まって夕刻。女の死んだ時間帯。

 女は探し続ける。

 死んでしまった自分では見つけられない指輪を、それでも探し続ける。

 そして、誰かが近くにいるとこう言うのだ。

『一緒に、探していただけませんか』


「手伝ったらどうなります?」

 どうなります? と尋ねる事は、どうにかなってしまう事をわかっているからだ。

 シンジはユウヤの問いに胸の中でぼやく。わかってくせに、と。

 亭主は人差し指を立て、諭すような口調で答えた。

「跳ねられて終わりさ。女と同じ様に」

 じゃあ。

「じゃあ次の男は?」

 俺も尋ねた。

 自身の中に答えを出しながらも。

 亭主はユウヤと同じ様に、俺にも諭す。

「男は、首を締める。恨みがましい目で睨みながら『お前のせいだ、お前のせいだ』と呟きながらな」

 以前、一人の男が線路脇で見つかったらしい。泡を吹き倒れていた彼を、発見した近くの農夫はすぐに病院へ連れて行った。

 意識を取り戻した彼は医者に話した。

『線路の枕木が腐っていると言われて、換えに来たんだ。………女を断った。その後、男が現れた。そいつは、いくつか俺に言葉を投げかけてきたかと思うと、突然恨めしそうに呟きながら、俺の首を締めてきた………』

 誰もあそこを通らなくなった理由がこれだ。

「女はべっぴんさんだったろ?」

「そりゃあもう」

 俺は場にそぐわない亭主の言葉が面白く、冗談に乗る口調で正直に答えた。

 亭主は深く頷き、腕を前に組む。

「だろう。だからだいたいは女で引っ掛かるんだ」

 『引っ掛かる』を示す意味は、説明されなくとも察した。

「だから絵を見て驚いたんですね」

「俺がこうして、生きてた事が」

 亭主は笑む。

「生きてて良かったよ」

「そりゃどうも」

 俺も軽く笑う。



*** *** ***



 指輪を探そうと言う者は、前から何人か出ていた。それと対照的に、絶対にダメだと言う者も勿論いた。


『指輪を見つければ、女は報われる筈だ。そうすれば男も女を追って逝くだろう』


『素晴らしい物には狂気が潜む。匠の作った最後の品だ。きっとあの指輪には人ならぬモノが宿って居たんだ。だから女は逝けなかった。指輪に囚われ今も彷徨う。それどころか男は狂気そのものになってしまった。あれは人が触れてはいけない品だ。見つけたりすれば、また新たに彷徨う魂が生まれてしまう』


 双方の意見はどちらもあり得る話で、ありえない話でもあった。結局人々は選択を決めかね、何もせずに保留のまま。

 指輪は探さずじまい。



*** *** ***



 誰もが恐れる夕刻の線路。

 赤が空に浮き、赤が地をはり、赤が空気に馴染む。

 青も緑も白も黒も。全てが赤を馴染ませて、誰かを誘おうと手を招く。

 そんな赤が初めて美しく見えた。


 亭主は一人、客である絵描きの新作を、自室でじっくり眺めていた。

 明日売りに出すらしいが、出すのは前の町で描いた絵らしい。今日描いたばかりの絵が明日に乾く筈もなく、速乾剤を一切使って居ない彼の絵は、一週間立たねば完璧に乾かないらしい。

 絵の事には詳しくない自分ではあるが、この絵はわかる。

 ―――素晴らしい。

 この世界の陰影。

 目の前に広がる空気。

 そこに生きる風景。

 線路のざらついた錆も、赤い日の光に呼吸する雑草も、これから眠りつこうとする太陽も。

 全てが美しく絵の中で輝く。

 亭主はまだ油のてかる画面を触らないよう気をつけながら、そっと丁寧に絵を持ち上げた。

「………おや?」

 絵の中に何かを見つけ、つい声を漏らす。

 彼は、画面に顔を近づけ、見つけたものをよく見ようと目を凝らした。

 そんの目が偶然にも見つけたのは、線路の下に輝く、小さな小さな―――。



*** *** ***



 別室。ランプの、古めかしくも落ち着く明かりが溢れていた。

「わかってたんだろ。彼女の事。だからあんな態度をとった」

 黒い髪はランプを柔らかに反射し黄色く光る。

 きっと絵の男は、絵描きのそっけない対応に対して言っているのだ。

「知ってるか? ああゆう類いの存在は、優しくされると付け上がるんだと」

 灰色の髪は色素の薄さからかランプの明かりの色をそのまま吸収し、オレンジ色に光る。

「僕は君が表面から優しさを出した所を見た事ないよ」

 絵は呆れ気味だった。

「俺ほど優しい人間はいないよ」

 絵描きは自慢げだった。

 結局二人ともわかっていたのだ。それで良いではないか、と。

「シン、」

「なんだ」

「君は相当意地悪だよ」

「なんの事だかサッパリだな」



*** *** ***



 いつしか指輪は見つかり、供養された。

 男女は現れなくなり、その道はまた、次第に人が通るようになった。

 それを見つけたのはある宿の亭主。

 彼は朝早くにその場所へと走り、迷うことなくその場所に指輪があるのを見つけたとか。

 手掛かりになったのは一枚の絵。

 それを描いたのは、生きた絵と共に旅をしている、一人の絵描き。

 

 その場所に、二人の男女はもう現れない。



 

2話目終了です。ここまで読んで頂きありがとうございました。

乗馬マシーンが欲しいななんて思いました。

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