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線路脇で男と話す

 その男が現れたのは日も暮れて間もない頃だった。片付けもだいたい終わり、俺は鞄に纏めた道具を詰める。


 俺達の会話を、その男は一歩下がった場所で閲覧していた。

「シーンー!」

「落ち着けよ………」

 キャンバスが立て掛けてあった鞄を失い、ユウヤは仰向けに倒れた。俺は軽く笑いながらユウヤを持ち上げてやる。そのまま脇に抱えたのはもう帰るからだ。つまり、道中俺の左脇はこいつの指定席という事になる。自分の足で歩かなくて良いというのはどれだけ楽なのだろうか。もっとも、絵になるのはごめんだが。

 そう思うとこいつが不便に思えなくも無い、か。

「さて」

「うん。行こうか」


 こんばんはよく眠れそうだ。何しろいい宿を見つけたのだから。俺は地べたに置きっぱなしにしていた、今日描いた風景画へ手を伸ばす。

「素晴らしい絵だ」

 突拍子もなく、突然後ろから声が投げかけられた。

 俺は自分の肩越しに背後の男を見る。

「どうも」

 ありがとうございます、の意を込め、俺は絵を持ち上げる。ユウヤの絵の後ろにこの絵を重ねて二枚のキャンパスを一緒に抱えた。荷物はとっくに右肩にぶら下げていた。

 置き忘れももうない。あとは帰るだけだ。

 俺は後ろへと向きなおり、180度方向転換した。ざっ、と靴が砂を踏みじる。正面には声をかけてきた男がいた。だが、俺にはそいつへ、特にかける言葉もない。だから、軽く会釈し通り過ぎるに済まそうと思っていた。

「あの、」

 男は通り過ぎかけた俺へ、肩に手を置くような言葉をかける。どうやら会釈だけでは物足りなかったようだ。

 実際に方にてをおかれたわけではないが、何か重荷を乗せたような圧力をそこに感じた。

 男の視線。そうとしか思えなかった。

 俺は相手にもユウヤにも悟られないよう小さく溜め息を吐く。

 「あの、」という言葉に、俺は「何か?」と答えて首を向けた。

 どうやら俺は、多かれ少なかれこの男に付き合ってやらなければ行けないらしい。

「あの、こちらに女性が訪れませんでしたか?」

「帰りました」

 即答だった。

 たぶんそう来るだろうと、俺の中で質問の予想がついていたからだ。

「帰っ、た?」

「はい。帰りました」

 男は俺の言葉に頬を掻く。表情は………暗くてよくわからない。

「えっと。その女性は探し物をしてませんでしたか?」

「ええ、してました」

 そう答えたはいいが、そういえばあの女、実際には探してはいない。結局、俺に手伝いがもらえないと解ると肩を落として帰っていったのだった。

 この場合「探し物をしていた」と答えるより、「探し物があった」と答えたほうが適切だったのだろう。

「彼女、一人でしたか?」

 男はなおも俺に質問を持ちかける。

「一人でした」

 その問いに、俺はとりあえず正直に答える。

「探し物も?」

「一人でした」

(というより、むしろ探してないだろ)

 余計な事は頭の中だけにしておき、相手の質問だけに言葉を返す。早く帰りたいという心の現れだろう。というより、俺自身、明らかにそっけなさを意識していた。

 ここでこの男と仲良く喋りあかすつもりはない。何より、俺はこの相手が嫌いだった。

 昔からの知り合いではないが、初めて会った瞬間から、あの女も、この男も、「好きでない」という漠然とした言葉が頭の中によぎった。

「彼女、」

 まだあるのか。

 俺は内心表情を濁らせ、視線を上げる。この行動とは逆に、男は丁度視線を下げた。

 残念そうにうつむいた、という言葉が適切だろう。

 それを見た俺も首こそ動かさないが、目だけで軽く視線を下げる。怪訝そうに眉を潜めるユウヤが視線に入り、俺はニヤリと笑う。勿論表には出さない。

(お前もか)

 胸中で呟くと、ユウヤがこちらに目をやって来た。視線が会いそうになり、何気ない動作で俺はそれを避けた。

「彼女、………したか?」

 男の口から小さな声が漏れた。

 意識が他に向いていたこともあり、俺はその言葉を掴みかねる。風に掻き消されてしまうくらいの音量だったというせいも否めない。

 俺は眉をひそめもせず男がもう一度セリフを繰り返すのを待つ。うれしい事に、待つ時間はあまりなかった。待たされるのも待つのも嫌いな俺にとって、男へ感謝すべき事だろう。

 男はそっと顔をあげ、俺に問う。

「彼女、貴方に手伝いを求めませんでしたか?」

 俺は素直に答える。

「求められました」

 何しろ正直者だから。

「貴方は手伝わなかったんですか?」

 俺に嘘を吐くつもりなどさらさら無い。

「手伝いませんでした」

 何しろ正直者だから。

「そう、ですか………」

 そう。俺は正直者。だから、嫌いな相手への態度にも、嘘は無い。

 もう質問してくる様子のない相手を見切って、俺はさっさとその場を後にしようとした。

 そうですか…そうですか………、と、悲しそうな男の声が後ろから紡がれる。湿っ気のある風が後ろから流れ来る。

 俺はその薄気味わるい風に軽く首を後ろへと向ける。

 男が視界の端にはいった瞬間、俺に向かいのばされている腕も一緒に見えた。

 俺はそれを、鞄のひもを握った右手で払いのけた。パシリ、という高い音が上がる。

 そうですか…そうですか…、と繰り返しながら、男はもう片方の手も俺へ伸ばす。生温い風を感じながら、俺はそれも払う。

 男は沈黙に影を落とし、音も立てずに一歩踏み出した。


「………お前のせいだ」


 その口から出たのは、先程までとは全く違う低く固い声だった。

「お前のせいだ」

 暗い線路沿い。分厚い雲が空に浮かぶ灯を覆ってしまい、辺りも男も決して細部まで見えはしない。だが、この体に刺さる視線から、今男の目は血走っている事だろうと想像する。

「お前のせ―――」

 俺は上半身を捻り、肩の荷物を大きく振った。

 荷物は大きな弧を描きながら、向かい合う相手の顔面へ入る………筈だった。

 いや、入ったのだ。

 だがなんだろうか、この感覚。俺は顔面に入ったにしては軽すぎる手応えに、物足りなさを覚える。まるで、霧か何かを手で切ったかのような感覚だった。

 更に、俺は男を遠ざけるように腹へと蹴りを入れる。

 蹴られた男は数歩後退った。向かい合う俺達の間に距離が開く。

 男の表情に変化はない。

「面白く無いな」

 俺は自分の放った蹴りに、相手が全く反応しない事へ舌を打った。

 顔くらい歪めてくれらば良いものを、と内心で呟く。

 男は狂った瞳を泣きはらしたように赤く染め、ひたひたと、一歩一歩、向き合い立つシンジへと近付いて行く。

「彼、どうしたのかな?」

「知るか」

 人事さながらのユウヤに、俺は手短に答えた。

「お前が………」

 男はもう誰とも言葉を交わしてはいない。

「お前のせいで………」

 録音されたテープを再生するように、繰り返すのは同じ言葉ばかり。これには俺だけではなく、普段気の長い筈のユウヤまでがうんざりしたような表情を見せた。

「帰ろう」

 ユウヤは言う。

「あの宿のご主人、とても優しそうだったね」

「そうだったか?」

 どう思い出しても、俺には熊のようにしか見えないがたいのよい男の姿しか浮かばなかった。きっと子供に訳もなく泣かれてしまうタイプだ。

「お前のせい………」

 男は重たそうな歩みを俺へと向ける。

「きっと、温かい夕飯を皿に盛って待ってる」

「そりゃ楽しみだ」

 どこかいつもより早いユウヤの口調。俺は絵の中のこいつに、腕を引かれているような気がした。

 だが残念なことに、俺の脚はその場に縫い付けられたように動かなかった。

 男はだんだん俺へと近づきつつある。

 その片手がのばされ、俺の顔へと距離を縮める。

 意識が軽く遠のくような気がした。

 ふらりと力の抜けそうになった体。

 いや、だめだ。まだ俺はここにいる。

 俺はこぶしを強く握りしめ、歯を食いしばった。顔のまん前にある手のひらをにらみつける。

 そのまま、男の手が首を締め付け、宙にぶらりと持ち上げられる自分の姿が頭に浮かんだ。

 なんて情けない姿だ。

 俺は自分自身が生み出したビジョンをかき消す。

「お前の、セ、イ………みんな、ミンナ、なぜ彼女を助ケない………」

 迫ってくる手。

 まるで金縛りにあっているかのように動かない体。

「くそっ………」

 額の汗が滑り落ちる。

 男の指先が俺の首に触れた。



 *



「―――シン!!!」

 風船が割れたかの様だった。

 ガタン、と音を立て、俺の左側からキャンバスが滑り落ちる。

「………っ?!」

 男は眼をむいて動きを止めた。

 落ちたのは今日書き終えた線路の絵だった。

「シン!」

 ユウヤのキャンバスはちゃんと俺に抱えられたまま。画面は見えないが俺の名前を呼ぶ声は聞こえる。

「走ろう! 夕食に遅れちゃう!」

「どんな理由だよ」

 硬くなっていた体中の筋肉が、一気に柔らかさを取り戻していた。息詰まる感じも、眩暈ももうない。

 俺は落ちた絵を拾うと、ユウヤの言葉通り、暗い道を一気に走りきった。

 道中振り向きもせずに駆けながら、俺はユウヤに大きめな声で話しかける。

「逃げるのは気が乗らないだろ」

「逃げるんじゃなくて帰るんだよ。お腹空いたろ?」

 ………そうだな。

 俺は「なるほど」と頷いた。だが、首筋に伝った冷たい汗を、こいつに見抜かれた気がして気が気じゃ無かった。

 絶対後でネタにされるな。

 苦笑いを浮かべる俺の視線。何気なく視界に入ったユウヤ。だが、目を引いたのはこんな見慣れた男の顔ではなく、そいつのこめかみに浮いた冷や汗だった。それは、いつから顔を出したのか知れない月明りを反射して、小さなビーズのように光っていた。

 なんだ。お前もか。

 キャンバスの中、必死に道の先を見つめるそいつを、俺は腹の中で笑っていた。


 絵のくせに汗かくのかよ、と。



 


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