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その場所の眠り

 ―――燃やそう


 燃えたぎる怒り。

 ゆるぎない決意。


 風は静かに流れゆく。



 *



 シンの目覚めに、僕はおはよう、と声をかけた。

「とうとう、だったね」

 とうとう、あの施設は崩れてしまった。

「ああ」

 シンは「そうだな」とうなずく。

 僕らにしても、あそこに住んでいた彼らにしても、あの建物が崩れ落ちることは前もってわかっていたことだ。何の不思議もなかった。

 だけどやっぱり、このシンの返答を僕じゃない誰かがきいたら、とても簡素で興味なさげなものに聞こえただろう。

「けが人はいないかな」

「どうだかな」

 またもや気のない返事。

 もしかしたら本当に興味がないのかもしれない。そんな事を考えていると、いつのまにか僕の視界にある風景が変わっていた。

 シンがいつも通に着替えを済ませ、荷物を抱え、僕を抱えていたのだ。

 彼はもう、あの建物にはなんの未練もないのだろう。あの絵は完成したのだし、彼はもう次のモチーフへと気分も乗っている。

「今日と明日だ」

 シンは部屋の戸を開けながら言った。

「二日で完成させる気かい?」

 ずいぶん急ぐんだね、と意を込める。

「ここには長いしすぎたからな」

 彼は軽々と階段を駆け降りる。

 下には朝食をテーブルへと運ぶこの家の主の姿があった。

 「あら絵描きさん、おやようございます」と優しげな彼女の挨拶に、シンは軽く会釈をして「おはようございます」とかえした。そのまま席に座りもせず、まっすぐ食卓を通り過ぎ玄関へ。

 ドアノブがかちゃりと音をならす。

「今日は朝食も夜食もいりませんから、どうぞお気遣いないく」

「あらあら、そうですか。ではいってらっしゃいませ…」

 その言葉が終わるか否か、扉は早々と閉められた。

 女はドアが閉まると、自分の手元に視線を移す。

 朝食であるにもかかわらず、なんとも色とりどりの皿が並ぶ。とても一人で食べきれる量ではなかった。

 彼女は一瞬途方にくれたような顔をするが、すぐに一人席につきナイフとフォークを手に持った。

「残ったら捨てればいいわね」

 昼食はまた違うもの食べましょう。と、思う存分、自分の食べたいものを皿へと盛る。


 灰色の残骸のそばでは、腹の空き方も忘れた子供たちが身を寄せ合ってそれぞれの思想に暮れたいた。


 聖堂では子供たちが絵描きを待っていた。

 絵描きは描く。

 いつかの記憶にあった、そこに微笑む聖母を。



 *



 月が照らす窓辺の風景。

 今日の作業を終えた絵描きがそこに眠っていた。

 今夜の月は明るい。なのにカーテンは束ねられたままだ。

 多分、面倒くさがりのシンの事だ。後回しにしているうちにおっくうになってしまったのだろう。

 彼は月の明かりの入り込む窓の下、淡い光を気にした様子もなく静かに眠っている。

(良く眠れるなぁ)

 自然と僕の口元にあきれたような苦笑いが浮かんだ。

 今日、あの絵描きと来たら、絵の大まかな形を半日で完成させてしまったのだ。午後に入り、全体のバランスをまとめて、後は明日だけ。

 彼は本当に二日であの絵を完成させる気なのだ。

 あれだけ集中すれば誰だってぐっすり眠るよな、とユウヤは呆れた笑みを漏らす。


 がさり

 緑の踏まれる音がした。

 うっすらと開かれたのは、色素の薄い灰色の瞳。

 寝起きのせいもあり、彼の目付きはいつもよりさらに悪いものとなっていた。きっと、今の顔をあの絵が見たとすれば、腹を抱えて大笑いすることだろう。

 だが、今寝がえりをうち、絵の方へと顔を向けてやることは、絵の性格をよく知る彼がしようはずもなかった。

 彼はただ、色素の薄い灰色の瞳を正面にある壁へと漂わせるだけ。

(…外)

 彼はうっすらと瞼を持ち上げたまま、夢の残像に浸る。


 ―――だめだよ

 誰かがそう言っていた。

 ―――だめだよ

 邪魔された絵。

 ほほ笑む聖母。

 苛つく少年。

 ―――だめだよ

 ―――だめだよ

 ―――だめだよ

 ―――だめだよ

 ―――………

 真っ赤な熱が、瞼を通して瞳に広がる。


 苛つく子供。

 それは自分だった。

 そしてもう一人、自分の作業を邪魔する子供がいた。

 あれは誰だろう。

 シンジは外に感じる人の気配を追いながら、夢の中の風景に記憶を巡らせる。

 


 *



 一人の絵描きと一枚の絵が宿とする家。その裏庭に、小さな影が一つあった。

 夜出歩くにしては少々肌寒そうな格好をした少年。

 彼は、足もとへ軽く視線を走らせ、豆粒ほどの小石拾い上げた。そして、ゆるぎない瞳を静かに二階の窓へと向ける。


 ―――*****


「………?」

 なにか聞こえた。

 少なくとも、少年にはそう感じたのだ。

 誰かいるのだろうか?

 少年はあたりを見回す。

 月明かりが照らす庭は、夜目になれた彼の瞳には、昼間同然に良く見渡せた。

 短く刈られた芝生。

 あたりを囲む背の低い木。

 更にそのまわりを囲む、庭の外に生きる雑木の群れ。

「………!」

 その中に何かを見つけた。

 自分の視線に入りそうになり、それを咄嗟に回避するように、その何かは気の影へと隠れた。

 少年には、木の影へと消えた“何か”は、そうしたように見えた。

 誰か、いる…?

 短い芝生をいっぽいっぽ足の裏に感じ、彼は“何か”が消えた木へとゆっくり近づいて行った。


 ―――*****


 木の幹に手をかけ、その裏を覗く。

 その瞬間、誰かが自分の耳元で囁いた。だがそれは本当にかすかなもので、風の音にも似ていた。

 少年はブルりと身を震わす。

 気のせいだ。

 口には出さずして、自分に呟き、彼はまたあの庭へと戻って行った。



 *



「…シン」

 まだ眠気の残る頭。

 もう一眠りしようか、という考えに行き当たっていた俺へ、あいつが一声呼びかけてきた。

 なんだか起きるのがおっくうだ。

「シン、誰か来たよ」

「あぁ、そうだな」

 俺はそう答えておきながら、うっすらと開けていた瞼をゆっくりと閉じた。

「行こう」

 あいつは静かにそう言った。

「あぁ」

 眠たげな俺の返事。やはり眠いものは眠いのだ。

 なかなか頭までは起こそうとしない俺へ、あいつは焦りも怒りも呆れも感じさせない声音でもう一言こういった。

「行こう」


 ユウヤの少ししつこいともいえる呼びかけにより、俺は夜の庭へと足を踏み入れた。

 さわさわとそよぐ短い芝生が、夜の光の中で濃い緑色をなびかせている。

 その庭の中心に、小さな影が直立していた。

 小石を手に握り、この家の二階の窓をじっと眺める子供。

 月明かりは、煌々と、その表情の無い子供を上から下まで照らしだす。

 俺はその横顔に見覚えがあった。というか、最近は妙にこの子供が俺の日常の中に介入してきている気がした。

 どうやら、今夜もそうらしい。

 あの子供は俺に、―――俺たちに、と言うべきか。どちらにしろ、あの窓の内側で眠っていた人間に用があった。


 くしゃっという草を踏む音に、少年はびくりと肩を震わせる。

 ユウヤは、その少年が小さく震えているのを感じた。

「…あの子」

 その言葉に続きはない。ただのつぶやきだ。シンジもそれを分かってか、言葉を返すことはしなかった。

 灰色の絵描きはいつも通りの歩みで、その庭の中心へと歩いて行った。

 子供から一歩分の間をとった前に立ち、無言でその子供を見下ろす。その瞳には、深夜に呼び出されたことへの怒りなどはない。ただ子供の様子を見て、本人から何かを言いだすのを待っている様子だった。

 灰色の視線のさきで、子供はじっとうつむいていた。

 何もない無音の時間の中、その小さな手の中から、ぽとりと握られていた小石が地面にk炉がった。

「………ソレは?」

 なかなか話しだそうとしない少年を見切ってか、シンジはこの静寂の中で見つけたあるものについて尋ねてみた。

 それはなんだ、と視線で指さす。

 少年はやはり顔を上げようとしなかった。

 ユウヤはシンジの視線を追って、少年のズボンのポケットにある、四角いふくらみを見つけた。

 なぜだろう。

 ユウヤは自分に問う。

 あの中身が自分には分かってしまう。

 そう。それはきっとシンジも同じなのだろう。

 だからあえて尋ねた。もう何が入っていて、それをどうするつもりなのか読めていた。

 だから、その上で、少年の口から聞きたかった。

 ユウヤはじっと少年を見つめる。

 シンジはじっと、少年の言葉を待つ。


「…もや、したかったんだ………。だから、…危ないから………」

 危ないから、関係のない絵描きには先に知らせ、逃げて貰おうかと思った。

 少年はそう思っていたのだろう。

 だが、言葉は途切れたきり、続きを紡ぎだされる事はなかった。

 絵描きは一つ、小さく息をついた。

 この言葉を聞くのに、随分と時間がかかった。

 子供はなかなか口を開こうとしなかったし、こちらを見ようともしない。相手が話しださないのなら、こちらからいろいろと言葉をくれてやってもいいものを、この絵描きも、その絵も、なんとも頑固なもので、どちらも子供が口を開かない限り何もしてやろうとは思わなかったのだ。

 いや、彼等は何もしてなくはなかった。

 ただただじっと、子供が口を開くまで、その場でじっと待っていた。

 そして今、絵描きは静かにその場にしゃがんだ。

「何で燃やす」

 生まれつき鋭い目つきが子供を見つめる。

 だが、そこに“睨んでいる”という言葉は適切ではなかった。

「…聞いたんだ」


 少年と一緒にここを出て行った子供たち。

 そして、彼らとはともに行かず、ここにとどまる事を選んだ子供たち。

 ここにとどまった彼等は、前よりも生活状況がひどくなっているらしい。

 女の扱いも、まるで汚い野良犬や野良猫を卑下するようなものへと悪化していた。十何人はいるであろう子供に与えるのは、毎朝二〜三個のカチカチに乾いて固くなったパンだけ。

 避難用のテントもあるだろに、それを出してやろうともしない。

 子供たちは希望を失い、日々無気力になって行く。


「聞いたんだ」


 女の暴力は昔から堪えないものだった。

 毎日ではなかったが、たまに癇癪などを起こした日は子供たちがはきだめの対象となっていた。

 施設が崩れ、子供が減って、更には残った子供たちの衰弱した様子。

 町の人間に、今のこの場の状況を見られてしまったらしい。

 知られてしまったらしい。

 ここは後数日で施設ではなくなる。

 子供たちは隣町の施設へとうつされる。

 施設に―――本来なら子供たちのために使われるべきであった金銭の支給もなくなる。それはつまり、女に支給されていた金銭がなくなるという事。



 *



「来て」

 少年は話し終えると、絵描きと絵の中の男にそう言った。

 向かったのは庭から外れた林の中。

 夜という事もあって、やはりそこは暗かった。

 その奥、良く見ると周りよりも草や苔が密集して生えている地面があった。

 シンジもユウヤも、その場所を見て何も言わない。

「まえに、施設の窓から一人落ちたんだ」

 落ちた。

 子供はそう言った。

「あの人は…それを隠したかった」

 みんなに知られてはいけない。

 この死は運などそういった類ではない。

「だから、隠した」

 その死は意思だった。

 落ちたのは、その子供の意思だった。


 一人の絵描きは、その地面を見つめ、子供を見つめ。

 周りよりいきいきと生えた緑はなにも語ろうとはしなかった。

 与えられただけの養分を、好きなだけほおばり、そして生命を強くしていく。

 根を張り、根を伸ばし。地面の奥へ、そして、空へ。

 自らをただ成長させていく。

 彼等は何も語らない。

 絵描きは歩きだす。

 来た道を。

 ただいつも通に。

 歩き出す。

 今宿にしている家へ。

 歩き出す。



 *



「…どこに行くの?」

 子供は後ろから尋ねた。

「どこって、帰るんだよ」

「帰るってどこ?」

「あの家だ」

「だめだよ」

 子供は足を止めた。

 だが目の前の青年は歩みを止めない。その間にどんどん距離は伸びていく。

 少年はまた急いで足を動かし始める。早歩きで前を行く長身の背に呼びかける。

「燃やさないと、…みんなを守らないと」

「そうだな」

 青年は振り返ろうともしない。

「誰かを守るために誰かを殺すのも。別に、お前が考えて決めた事なら俺は止めないよ」

「―――、」

 子供は息をのんで、また歩みを止めた。

「ちが……――――」

 違う。

 そう言おうと思った。

 だが、それ自体が違った。

 皆を守る。だからあの女を…。

 まったくその通りだった。

 

 とんっ


 小さな背なかを何かが押した。

 少年は目を丸くして後ろを振り返る。

 そこには少年がいた。

 少年は、前を指さし何かを伝える。

「―――*****」

 追いかけろと言っているのだろうか。

 背を押された少年は、ぼうぜんと彼を見つめる。

 彼はくすくすと笑うと、木々の奥へと駆けて行った。

 自分が後にしてきた、あの場所の方へと駆けて行った。


 シンジが木々を抜け庭に戻る頃、少年もその後ろに追い付いていた。

 絵描きはそのまま庭も抜け家へと戻ろうとしたが、それを少年が止める。

 小さな手は、長身の彼の服の裾を握って離さなかった。

「これは、悪い事なの?」

 その瞳はまっすぐとシンジを見上げていた。

 先ほどうつむいていた時とも、少々声色も違う。今はもう、震えてはいなかった。

「さぁな」

 シンジは答える。

 意地悪ではないのだ。

 彼なりに正直な返答だった。

 だが子供は、納得がいかなそうにシャツを握る手に力を入れ、もっと別の答えを待った。

 彼は言ってほしかったのだ。

 それはいけないことなのだと。

 お前は間違っている。そんなこと今すぐ辞めるべきだ。と。

 だが青年は、「さぁな」といったきり何も言ってはくれなかった。

 ただ、服の裾を強く握りしめる少年を見下ろしているだけ。

 その様子に、抱えられていた絵は小さく微笑んで、少年に言ってやった。

「僕は、好きじゃないな」

 少年の、服を握る手から力が抜ける。

「いけない事かどうかをシンに訊いちゃだめだよ。シンは気に入らない人間を平気で殴るから」

 絵はくすくすと笑った。

「ただ、悪い事かどうかは知らないけど、僕は好きじゃない。それだけだよ」

「…わかった」

 少年は小さく頷き、絵描きの服を離した。

 解放された絵描きは、子供の頭に軽く手をのせ「じゃあな」と言った。そのわきで絵の男が「お休み」と手を振る。

 子供は彼らを見送ると、林の中に行き、あの草草が元気に生い茂る場所へと駆けた。

 白いシャツの子供。

 彼の姿がふと脳裏によぎる。

 聖堂で絵描きの足もとにいた。そして今回も、彼は絵描きの眠る家の庭にいた。

 あの時、初めて会ったとき、確かにあったことがあると思ったのだ。なぜか知ってる、どこか見たことのある風貌。

「…あの人だったんだ」

 ***は

 そして、ポケットに入れていたマッチをそこに置くと、「おやすみ」といってあの聖堂へと戻って行った。



 *



 部屋に戻ったシンジは、ユウヤのキャンバスを壁に立て掛けると、まっ先にこう言った。

「俺がいつ人を殴った」

 ユウヤはくすくすと口に手をあてて笑う。

「いつって、いつも繊細な絵を倒したり、落としたり、いろいろやってるじゃないか」

「繊細な絵?そんな絵がどこにある」

「君と今話してるよ」

 いい加減にしろ、とごちり、絵描きはまたベットへと横になる。

 絵の中の男は楽しそうに笑いながら、お休み、と言った。







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