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その場所の決意

 暗い室内。

 ぐらりと揺れる灯。

 握りしめられた小さな拳。


「…やす、」

 声は、暗闇に溶けて消えた。

「……やす、…ぁしてやる」

 溶けては現れ溶けては現れする声は、最後に一言、その輪郭をあらわにし、やはり闇に溶かされる。

「燃やしてやる」


 彼は今、小さな決意を胸に抱く。


 *


「どうしたんだい?」

 部屋の隅に置かれた絵が、気軽な感じで男に問うた。

 もちろんのこと、絵はユウヤ、男はシンジだ。

 シンジはベッドにあおむけになり、天井へと視線を向けていた。だがその瞳は決して天井を映し出していない。どこか遠くを見つめ、記憶の波に体を預け漂っているかの様子だった。

 ユウヤは目を細める。口を小さく開き、ためらうように閉じ、そして開く。

「僕さ、前にもいったけど、絵になる前の記憶もあるんだ」

「………」

 シンジは静かに天井から視線を外すと、ユウヤの方へと顔を向けた。そして、一拍の沈黙を置いて「そうか」と言った。

「あぁ。だから、小さい頃の記憶もある。思い出って言うのかな」

 よく分からないや、と絵の中の男は頭を掻いた。

「たまにわからなくなるんだ。この、昔の記憶が本当に僕のものなのか。それどことか、僕事態の存在も。こうして絵になって、シンと旅して。絵でいる間の僕は、確かに絵として存在している」

「あぁ」

「けど、…けど、たまに不安になるんだ」

 ユウヤの声がわずかに震えた。いつも能天気というか、何事にもリラックスして構えていた男の声が、不安げに曇ったのだ。

「僕が、人だったって記憶は正しいのか。もしかしたら、僕と、シンが描いた人物とはまったくの他人なんじゃないかって。こうして、シンがキャンバスに男を描いたように、この記憶は、その時君が新しく作りだし描いたものなんじゃないかって。…そう、思うことがあるんだ」

「そうか」

 シンジの視線はいまだ天井を見つめていた。

 だが、その瞳は先ほどと違い、今は確かに『今』を見つめていた。

 ユウヤはそれを眺めて苦笑する。

 多分笑い飛ばされるだろう。こんな話、彼にはどうでもいい事だから。と。

 だが、シンジはそのまま、先ほどからの相槌を続けるような調子でこういった。

「お前は、確かに存在してたよ」

 黒い瞳は大きく見開かれた。時計の秒針の音が、少しの間大きくなった。

「な、んで」

 なんで、そんな事を平然と、迷いもなく云えるのだろう。

 茫然とする絵を見向きもせず、男はまたも、ただ答えて見せた。

「一人の絵描きの勘だ。何となくってやつさ。……ただ、この勘には変に自信がある」

 「だからお前が人間だった事には間違いは無いさ」と、その言葉は深刻さの微塵もなく空気を震わせた。道端で出会った人間に挨拶するかのように、普通で当たり前のことを口にするように、その言葉は『当然』を装って彼の口から発せられた。

 いや、彼にしたらそれは装ったものでなく、当然そのものなのだ。

 彼は、また、流すような動作で絵へと視線を向けた。そして、また天井へと視線を戻すつもりだった。が、その視線は絵に向けられたままぴたりと止まる。

 灰色の瞳が呆れと驚きをまぜこぜにしたような微妙な色を浮かべた。

「何だい?僕の顔に何かついてるとか?」

 まるで、古い恋愛ドラマでヒロインが口にするような台詞。

 シンはその冗談に半分乗るような調子で答えた。

「あぁ、たっぷりな」

 何が?と思い、自らの頬を撫でてユウヤは笑った。初めてソレを目にするように、訝しげな表情を作って。

「久しぶりに泣いたよ」

 彼は恥ずかしげもなく、あふれてきた涙を手の甲で拭った。

「初めて見たな。絵も泣くのか」

 という、どうでもよさそうな言葉に、ユウヤは「そうだね」と目を細めた。

 小さく開けられた窓の外には、雲から月が顔を出そうとしている。風はなく、穏やかな夜だ。この部屋に比べると、外は随分と暗い。月が出れば、また少しは変わるだろう。

 室内の明かりというのは温かいものだが、月の明かりも負けてはいない。穏やかでやわらかな明かりは、誰の目にも美しく雅に映るものだ。

 外では今、その明かりを失い闇に制されているが、この家は違う。十分の電気が通っており、外の環境など関係なしに快適な生活場所を提供してくれている。あの、正面に鎮座する建物とは正反対に、丈夫で温かい寝床を持ち揃えてくれている。

 ユウヤは、懐かしそうに口を開いた。

「確か、僕にも家族がいたな」

「それはお前の言う思い出ってやつか?」

「そうかもしれない」

「懐かしい、か」

「ああ、不思議とそう思うよ」

「フィーリングほど確定しずらいものはないな」

「全く」

「けど、フィーリングほど信用できるものはない。たまにそう思う」

 その言葉の意を察し、ユウヤの胸に温かいものが溢れだす。その感情を受け入れるように微笑むと、絵は、「なんとも絵描きらしい言葉だね」と、いつもの調子で笑って返した。

 なぜ突然、自分がこんな会話を持ち出したのか。なぜ突然、自分も知らぬ間に涙が流れたのか。なぜ突然、こんな気持ちになったのか。

 分からないふりをして、心の奥の方では分かっていたのだ。

 一人の絵描きの言葉のおかげで、くだらない不安は一掃させた。

 『ありがとう』

 ユウヤは、あの頃の記憶の中に、幼い声を聞いた。

「は?」

 何か言ったか?とシンジの視線。

 ユウヤは少々驚きながら彼に返した。

「いや、何も…?」

「そうか」

 シンジはわしゃわしゃと灰色の髪を軽く荒らす。

 シンジの瞳は窓の外だ。その姿はまるで、ふてくされる子供のようにユウヤの目には映った。

「…本当に小さい頃の記憶だよ。古すぎて、家族の顔なんかはぼやけ放題さ」

「そうか」

「シンにはいたかい」

 この絵は随分とおかしな質問をする。誰でも家族がいるのが当たり前だというのに。

「さあな。もしかしたらいなかったかもしれない。もしかしたらいたかもしれない」

 どちらにしろどうでも良い。何となくだがそう聞こえる。

「覚えてないのかい?」

「そうだな。けど、母親は確実にいて、一度は必ず会ってる」

「生まれた時に、とか言わないでくれよ」

「それ以外に何がある」

「君ってば」

 ユウヤは呆れたように笑った。

 その顔を見て、シンジは『彼女』を思い出す。

 その懐かしい記憶は、彼の表情をわずかに動かした。

 やわらかい風が彼の灰色の髪を揺らす。


「それ以外何がある」

「君ってば」

 憮然としたシンの言葉には、いつもながら楽しまされる。

 僕は呆れるあまりつい笑ってしまった。

 わずかに開けられた窓から、ふっと風が入り込み僕の前髪を揺らす。それにつられて、自然と僕は顔をあげた。

 すると、そこにはあの目付きの悪い絵描き。

 その唇が、僕の視線の行きついく一瞬まで、やわらかくなだらかな弧を描いていた気がした。見間違いかもしれないが、でも、そう見えたのだ。

 まるでそれは、あの頃にあった『彼女』とダブって…

 

 僕はただ、懐かしさにまた笑った。


 *


「どうしたの?」

 小さな少女がそう訪ねた相手は、暗い聖堂の中、一番後ろの、中央の通路側の席に座っていた。そこから、ゆらゆらと揺れる小さな灯を見て、身動き一つせず鎮座していた。

 夜もふけた空気は冷たい。

 少女はまだ、今日の出来事を先ほど起きたことのように、鮮明に覚えている。

 変わった男が来たのだ。

 変わった絵を持って。

 そして、この少年が珍しくも外部の人間に口をきいたのだ。この施設の人間でもなければ、町の人間でもない彼等と。

 しかも、自分たちのために。

 少女は嬉しかった。

 この少年の変化を感じ、なぜか未来に希望を持てた。

 あの人達が来た事で、何かが動き始めているように思えた。

 少年は少女を見て、また聖母の足もとを埋める灯の群れへと視線をもどす。

「寝れないの?」

 その質問にも、少年は答えない、かのように思われた。

 だが、少女がいつもの事だと視線を彼から外そうとする前に、一度、小さくこくりと頭を振った。

 その反応に、少女の表情が朗らかにほどける。

 少年の脳裏で、その笑顔が目の前の聖母像と重なった。

 そして、なぜかあの絵描きと、絵の男の微笑みが脳裏に浮かんで消えた。絵の男はいつも優しげだ。だからその微笑みが聖母と重なってもまだ納得ができる。だが、なぜあの絵描きまでこの頭に浮かんだのかわからなかった。

「じゃあ、羊を数えよう」

 こくり、と少年は思想にふけたままの頭を動かす。

 感情のこもらない頷きは、なぜだか分らないが少女をさらに笑顔にさせる。

 彼の横に腰を下ろし、少女は無邪気に羊を数えた。

 いもしない羊の数をとなりに聞いて、少年は小さく呟いた。その声は羊を数える声にかき消され、誰の耳にも届かない。

「…もや、そう」


 燃やすんだ。

 あの女の家を。

 ここを守るために。


 次の日の朝早く、あの灰色は崩れ落ちた。



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