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晴れた雨の日の夢

「なあ、絵って夢見たりすんのか?」

「突発的だね。どうしたのいきなり?」

 絵の中の男は楽しそうにころころと笑った。

「何となくだ。絵になるってのはどんなかと思ってな」

 その絵を脇に抱える男は、何もない道で暇を潰すように口を開く。

 太陽の明かりがさんさんとこの道を照らし、心地よい風が草ぐさの間を泳ぎすぎる。

 気持のいい天気に、いつもは口数の少ない彼が珍しく自ら話題を振ったのだ。いつもは先に絵が話しかけるというのに。

「お前は、絵の外で生きていた時の記憶はあるんだよな」

「ああ、もちろん」

 他愛のない会話。

 ただ、その返答に灰色の絵描きはなぜか頭の隅で「よかった」とつぶやいていた。

 そう思った彼自身、なぜ自分がそう思ったのかはわからない。だが、どこかで「人として、昔の全てを忘れる事はあまりに悲しすぎる」という思いと、何か言い表せない罪悪感のようなものを感じていた。

 絵はそれに気づく。いや、違う。それはこの旅の中で、ゆっくりと、なんとなくだがわかったことだ。

 絵描きが、死んだ人間を「人間」としてではなく、「絵」として生き返らせてしまったということに後ろめたさを抱いているということを。彼のことだから、きっとそうするくらいなら生き返らずに死んでる方が楽だったろにとか何か、つまらない事を考えているのだろうな、と。


 ―――ありがとう


 ユウヤはこの言葉を飲み込んだ。そして微笑む。

「今日はお喋りだね、シン」

「悪いか? ただの気分だよ」

 唇を尖らせる彼に、ユウヤは楽しそうに笑った。

「そういうの、“照れ隠し”って言うんだよ」

「少し黙ってろ」

 鋭い灰色の言葉。

 だが、その鋭い目つきも、細い顎も、絵は怖いと思ったことがない。

 絵描きの全てが、絵にとっての「怖い」からは外れていた。



*** *** ***



 いつからだろう。

 僕は思う。

 もしかしたら、自分にはを怖いと思った時期はないのかもしれない。と。



*** *** ***



 晴れていた。なのに、雨が降っていた。

 先ほどまでゼイゼイと荒かった筈の呼吸も、今ではゆっくりと浅く、音もない。

 いよいよか。

 そう思った。

 聞こえない呼吸。

 近づいてくる死の足音。

 僕は霞む視界の中で、いつかの記憶を夢に見る。



*** *** ***



 焼け落ちる聖堂。赤く赤く燃え上がる炎。赤く明るい夜。

 子供が、小さくしゃがんで泣いていた。

 懐かしい光景に僕はくすりと笑う。


 ―――泣くなよ。


 そっと手を差し延べるが、その手が子供に触れる事は無かった。自分が幻なのか、子供が幻なのか。手はスルリと子供の頭を通り抜ける。

 多分、どっちも幻なんだろうな。そんな言葉が自然と頭に浮かんだ。


『ひっく、ひっく、ひっ………』


 そう。これは僕が初めて大切な人を失った日の記憶だった。優しくて温かい、本当の母親みたいな人。

 僕は自分を責めた。今夜の出来事全てに責任を感じた。この真っ赤な炎に飛び込み、己の全てを溶かしきってしまいたいと思った。


『うっうっ、ひっく、…ひっく………』


 ずっと泣いていた僕の隣りに、一つの影が現れた。

 泣く事にせい一杯だった僕は、それからしばらく、泣き続けているしかできずにいた。

 涙が溢れる視界はぼやけ、全くの赤が世界を占める。目頭が熱いのは、視界の赤を通じて自分の体へ炎が移ってしまったからだろうか。

 違う。

 悲しいからだ。


『ひっ…ひっく、…うっ、うぅ…ぅっ………』


 パチパチとはぜる炎。僕の悲しみなど眼中にもいれず、火の粉は鮮やかに艶やかに派手に踊る。まるで何かを祝うように。何をそんなにも祝うのだろうか。僕はこんなにも悲しいというのに。

 涙は熱く、絶え間なく流れる。


 そんな中、彼はずっと、静かに僕の隣りにいた。

 ようやく顔をあげた時僕が見たのは、黒いTシャツを着た一人の少年だった。黒い髪に炎が映り前髪がオレンジに輝いていた。その反面後頭部は柔らかい月に照らされ銀に。オレンジと銀。一体どちらが彼の本当の色なのだろう。僕は現実に黒い彼の髪を忘れて、ふとそんな事を考えた。

 鋭い彼の瞳は、熱い炎に注がれる。そんな彼の手元には、色鉛筆とスケッチブック。


『…ねぇ、』

 僕は言う。

 彼は答えない。

『ねぇ、なんで絵をかくの』

 僕は尋ねる。

 彼は鉛筆を進める。

『ねぇ、何を描いてるの』

 僕は問う。 

 彼は絵の画面を赤い鉛筆で赤く焼尽くす。

 彼は絵を描いてる間、決してこちらを見なかった。その間、僕は途方にくれ、涙の流れに逆らう事もせず、燃え上がる炎を目に焼き付けているしか無かった。

 火は燃え盛り勢いを増す。ごうごうと燃える火の声に、周りの音が全く聞こえない。彼は絵を描き、僕はそれを見つめる。一体なぜそんな事をするのか、真っ白な頭の中で何も理解できないまま時間は流れて行った。

 いつの間にか、途方のない時間に僕はまたうつむいていた。


『………わかってたんだ』

 ふと、隣りの影が動く。はじめて聞いた声に、僕は顔を上げた。

『俺も、あの人は好きだったって』

 その声は燃え盛る炎の音にかき消されること無く、僕の耳にそっと触れる。

 涙が、温かくなった。

『だから………』

 彼の視線が僕に注がれた。色素の薄い、灰色の瞳。

 熱くは無い、温かい雫が頬を伝った。

『あの人は俺を見てくれた』

 今は亡きあの人の笑顔が見えた気がした。温かい雫は降る事をやめ、軌跡を残すようにゆっくりと最後の一雫を地に逃した。

『だから、俺もあの人を見た。俺から見た本当のあの人を描いた。あの人の一生を描いた。あの人がちゃんとここにいた事を描いた。あの人のいた記憶を他の人間に伝えるためとか、そんなんじゃなく。俺が、俺の見たあの人を忘れないように』

 熱心とはいいようのない、淡々とした彼の口調。本当に気持ちがこもってるとは思えないくらい単調な言葉使い。まるでもともとある台本を読まされているかのようだった。その瞳には涙など一欠けらも見えないし、その瞳は悲しみなど知らないように歪みない。

 棒読みともいえる彼の言葉。だが僕にはそれが温かくてしかたなかった。彼のその言葉が本物としか思えなかった。彼は彼女の姿を見ていてくれたのだとわかった。

 止まったはずの涙がまた溢れだす。幼い僕にはそれがなんの涙か分からなかった。だって、人が泣く時はいつかと聞かれたら『悲しい時』としか答えられなかった頃だ。悲しさ以外の何か。

 その涙が何なのか僕は全くわからなかった。

 胸に広がった温かい気持ちが、そのまま涙腺を通してあふれだしたかのような、優しい涙。

 今なら分かる。あれは喜びの涙だ。

 僕はせきあがる思いを抑える事は出来なかった。立ち上がった彼の横に、並んで立ったかと思うとすぐにまたしゃがみ込んでしまった。


『ぁっり…が…、と、う』


 涙を袖で拭いながら。


『…あり、ぁ、と、う』


 これが、言葉を知らない幼い僕の、精一杯の言葉。

 いや、大人になったってこの時の気持ちを言葉にするのは無理だ。どんなに優秀な大学を出ようが、どんなに沢山の辞書を丸暗記しようが、あの気持ちは言葉なんかにできやしない。

 彼は涙に溺れる僕を見て、こう言った。


『またな』


 「どういたしまして」ではなく、そう言った。

 小さく笑って。

 柔らかく目を細めて。


 見たわけでは無い。なにしろ僕は泣いていたのだから。けど、けれど、彼の声を聞いた時の柔らかいあの感じが、あの人に似てる気がして。あの人の最高のあの笑顔が、見えない彼の表情とダブった気がして。

 僕はコクリと頷いた。声に出ない声を、仕草で表した。


 またね


 しばらくすると火は消された。そして彼は消えた。

 僕が背負う筈だった、あの夜の責任を全て背負って。そんなつもりが彼にあったわけでは無いだろう。彼があの場所を出て行ったのは、きっと周りからの疑いの目が面倒臭かったからだ。

 あの頃の僕はまだ知らなかった。いや、なにかしら問題が起こる度に疑われる対象となっていた黒いシャツの子供の事は知っていた。だが、その悪さをする黒いシャツの子供が彼であることを知らなかった。そして、その度に彼の無罪を証明したのがあの人だったということも知らなかった。

 だが、あの人はもういない。だから、彼を庇う人間ももういない。いや。庇うという言葉はおかしいか。何しろ彼は本当に何もしていないのだから。言い直すなら「信じる」だ。


 彼を信じる人間。


 いるじゃないか。

 ここに、僕という人間が。

 僕は必死に周りへ語りかけた。『あの火事の現況は自分だ』『僕はあの人を見殺しにした』

 ―――だから、どうか彼を責めないで………。

 切なくも、その言葉を真にうけてくれる人間は誰もなかったのだ。

 『お前は優しいな。だが、あんな奴を庇う必要は無いんだよ。お前もあの人を失って、本当は悔しい筈だ』

 悔しかった。

 周りに信じて貰えない事が、とても悔しかった。

 自分の罪を、周りに責めて貰えない事が悔しかった。


 彼は絵を置いて行った。それは赤い絵。あの日を思い出させる真っ赤な絵。画面全体が赤く塗りつぶされており、ところどころオレンジや黄色が馴染ませてあった。

 皆一面赤いだけの絵に首を傾いだ。気味が悪いと言う者もあった。僕も先生に頼み、その絵を見せてもらった。

 僕はその絵を見て、強い衝撃をうけた。突然くずおれ泣き出す僕に、先生は手を添えて『大丈夫か? 大丈夫か?』と言ってくれた。

 僕は突然泣き出してしまった事を先生に謝り、昨晩の現場へ駆けた。


 見えたのだ。

 あの赤に彼が描いたモノが。

 柔らかい甘栗色の髪を風に揺らし、両手を大きく広げて空を仰ぐ姿を。

 あの最高級の、小さく優しい笑顔を。

 彼が見て来た、彼が本物だと思ったあの人の姿を。

 あの人の存在した証明を。

 彼の記憶の証明を。

 僕は確かに見たのだ。


 泣き虫な僕は泣いた。

 泣いて泣いて、笑って、躓きそうになりながらも駆ける空へこう言った。


『………また、またね。 また、…絶対、絶対だ! 絶対また会おう! 君の…、絵、を! 絶対、絶対また、見に行く、から!』


 だから、

 だから、またね。

 次は泣かずに、『ありがとう』を伝えるよ。



*** *** ***



「お、雨か?」

 彼は空を見上げた。

「まさか。気のせいじゃないの?」

 絵もキャンバスの中から空を見上げる。

「見えてんのかよ?」

「んー、なんとなく」

「何だそれ」

 彼は呆れたようにクスリと笑った。


 日が差していた。

 雨なんか降りそうもない快晴で、太陽はやわらかく微笑んでいた。

 空は流れ、風と遊び、緑が踊る。

 今日は快晴。

 雨は降らない。


 やがて彼は足を止め、その場に座り込んで荷物を広げる。

 今まで自分たちが歩いてきた道を振り返り、どこまでも続く軌跡を筆でたどる。

 人通りのないその道は、まるで彼らだけのもののよう。

 道端に遠慮無くばらまかれた絵の具は、やがて本当にこの道を彼らのものにするだろう。キャンバスに描かれた道は、本当に彼らだけのものだから。

 お喋りな絵は楽しそうに彼の作業を眺める。

 風が吹いた。

 それはキャンバスの画面などお構いなしで、中の人物のやわらかい黒髪をそっと持ち上げなびかせた。

 そう。

 今日は晴天。

 今日も晴天。

 雨など降る隙もない。



*** *** ***



 雨が降ってる。温かい、雨。

 優しくて、温かくて。

 霞む視界。


 こんな変わった雨の中。こんな小さな公園。そこに一人の訪問者があった。

 彼はぴしゃりと僕の赤を踏み、そして。



  They are meet,and they go on a journey.



 僕はずっと、君を呼んでいた。

 『ありがとう』を伝えるために。


 

 優しく赤は包み込む。

 夕は沈み夜になる。

 夜は明けて朝になる。

 日はみちを照らし、そこを通って真となる。

 

 彼が通った路は、彼だけの真の路。

 僕が通ったのは、それを追った真っ赤な夕暮れへの路。


 僕は、夕夜。


 真の路を探し赤に溶けた男。

 真の路を見つけ、赤に生まれた男。


 最後に出会ったのは優しい夜。




  ***




なんか話を急ぎすぎた気がします。

この話はもっと後に出すつもりだったんですが。ああ。焦った。


と、いうことでした。

寝ます。

よんでくださった方ありがとうございました。

でわノシ

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