第5話 奏でる音に誘われて
今回は神奈視線です。
昼間の河原に、Saxの音が響き渡る。その河原の近くには、アルトサックスを抱える私だけが存在していた。
この日は久々にとれた、たった一日のお休み。昼夜問わずに働く芸能人マネージャーにとってこのように休みの日は、河川敷で思いっきり音を出そうと楽器を担ぎ出している事が多い。このような事をするのは、仕事によるストレス発散もある。しかし、それだけではない。父親探しに進展が現れない事について感じる苛立ちも上乗せされているからである。
チューナーを使えば、少し高低のあっていない音。人間の声に一番近しいとも言われるSAXの音色を、息継ぎやタンギングを駆使して吹き上げる。
ABYSSの曲をSAXで吹くと、すごい楽しくなってくるなぁ…
それから数十分後、そんな事を考えながら私は河川敷にこしかけてペットボトルのお水を飲んでいた。芸能マネージャーは日々、アーティストの曲を生で耳にしているから、本来なら飽きてしまうのが普通かもしれない。しかし、ABYSSの曲は何度聴いても飽きる事がない。それは悪魔だからというのもあるかもしれないが、彼らの声や楽器から発する音は、多くの若者を虜にする「何か」を秘めている。故に、こうやって楽器でメロディーラインだけを吹いても楽しいのである。
「さて!今日は他にも寄りたい所があるし…そろそろ移動しようかな!」
水分補給をした私は身体を伸ばして背伸びをし、その場を去ろうと楽器の片づけを始めた。その時…
「ねぇ。そこの君…!」
「?」
後ろから軽快な雰囲気の声が響いてくる。
何だろうと思った私は、スワブを片手にその声がした方に振り向く。すると、そこには帽子をかぶり、伊達眼鏡のようなおしゃれ眼鏡をかけた青年がいた。その帽子の中からはわずかだがオレンジっぽい茶髪の前髪が見え隠れしている。
「悪いんだけど、携帯電話を一瞬貸してくれない?…僕の携帯、さっき充電が切れちゃったんだよ…」
「…嘘じゃないですよね?」
突然携帯を貸してほしいという青年に対し、私はうたぐりの眼差しで答える。
「こんな事に嘘はつかないよ!だって、その証拠に…ほら!」
そう口にしながら、帽子をかぶった青年は自身の携帯電話を取り出して、こちらに見せつけてくる。
「…わかりました。でも、私の携帯をパクらないでくださいね?」
「もちろん!」
私が渋々貸し出すと、彼は満面の笑みを浮かべながら私の携帯電話を受け取る。
手慣れた手つきで携帯のボタンを操作し始めた青年は、受話部分を耳にあてて電話を始める。
「…あ!オッキー?俺…木戸だけど。うん…?ああ、実は携帯の充電が切れちゃって…。スタッフの携帯借りているんだ…」
電話主に対して、この木戸という青年は話し始める。
木戸…?
その名前を聞いた途端、私はそれが聞き覚えのある名前だと自覚する。
帽子に眼鏡…。この背格好、もしかして変装…?
私の携帯で通話をする彼をまじまじと見つめる神奈。この木戸という青年が通話を終えた頃には、彼が何者だという事を理解していた。
「携帯、ありがとうね」
「もしかして…貴方、モデルの木戸海人?」
「!!」
彼は携帯を返してくれたが、私の台詞を聞いて表情を強張らせる。
「…もしかして、僕のファンか何か?」
「あ…いえ!」
変装に気付かれた事に不服なのか、ものすごく嫌な表情で私を睨みつける木戸。
そっか…。私の事、ファンと勘違いしているかも…?
粘着なファンと勘違いされたくない私は、咄嗟にカバンに入っていた名刺入れを取り出す。
「すみません…。私、猪俣神奈と申します」
「“ルスティークワイア株式会社芸能マネージャー、猪俣神奈”…」
私は取り出した名刺を渡し、彼はそれに書かれた内容を読み上げる。
その不快そうな表情は、何かゾッとさせるような…一種の殺気を感じていた。しかし、名刺の内容を読み、それを着ているジャケットのポケットにしまい込むと、そんな殺気は綺麗になくなっていた。
「なーる!業界の人間って事かぁ…!あれ…?ルスティークワイアって事は…」
「はい。今現在は、ABYSSを主に担当しています」
「へぇ…!」
先ほどの殺気だった雰囲気と一変した態度で、私を見下ろす木戸さん。
彼――――――――木戸海人は、大手芸能事務所「ギルティーグライド」に所属する人気ファッションモデル。スタイルはもちろんの事、子犬みたいな顔と、甘え上手な性格で多くの女性から支持されているらしい。年齢は、公式プロフィイールだと21歳。私と大して変わらないこの青年は、モデルという事もあって身長が高く背丈は178cmくらいだと思われる。150cmしかない私にとっては見上げなくてはならない長身さであった。
…でも、いくら相手が業界の人でも、ABYSSの事をあまり話しすぎるのは良くないよね…
そう思った私は、何気ない会話を切り出し始める。
「今日は、オフ…というわけでもないですよね?」
「あー…うん!まぁ、夕方までは暇人な訳なんだけど…」
私の問いかけに、少しお茶を濁したような口調で彼は答える。
その後、何気ない会話を数分間交わした私達。そして、彼と別れようとした時、私の肩を不意に木戸さんが掴む。
「ねぇ…。ちょっとつきあってくれない…?」
「…はい…?」
満面の笑み――――――まさに「営業スマイル」をした彼に声をかけられ、私はきょとんとしてしまう。それと同時に嫌な予感がしてきたのである。
「いやー、悪いねぇー!!つきあってもらっちゃって!!」
「いえ…」
その後、私は半分強制的なかんじで、郊外にあるカラオケボックスに連れてこられた。どうやら彼は、夕方から入る仕事まで時間を持て余しているらしい。そのため、マネージャーが迎えにくるまでの時間つぶしにつきあってほしいとの事だった。正直な所、久々の休日なので一人でのんびりしたいという気持ちがなかったわけではない。
…まぁ、こうやって他の事務所のタレントと仲良くしておけば、今後仕事で役に立つかもしれないし…
「これも仕事の一種」と考えながら、私は彼の熱唱につきあう事に。
…ここ、駅から離れたカラオケボックスだからいいけど…。駅前の人気店とかだったら、パニックになっていただろうなぁ…
私は外をチラリと見つめながら、そんな事を考えていた。
「…でも、ドリンクを持ってきた店員さんは流石に気が付いているのかもね…」
「ん?何か言った…?」
「いえ…」
木戸さんが楽しく歌っている中、私は独り言を呟いていた。
というのも、ワンドリンク制のこの場所で注文品を持ってきてくれた時、店員さんが頬を赤らめながら出て行ったのを目撃していたからである。流石に店の中では変装をほぼ解いていたので、気が付かれるのも無理はない。
カラオケに対しては、それ自体は嫌いじゃないし、私も時々カラオケボックスに来ては、SAXを室内で吹いたり…で、利用する頻度は結構高い。ただ、唯一不服だったのは…彼が、やけに近いからである。
「…神奈ちゃん、歌わないの?」
「んー…何を歌おうか、悩んでいます」
室内のソファは、二人で座るには大きくて広々としていたが…なぜか彼は、私と脚が密着するくらい近くに座っている。
最も、彼はファッションに限らずヌードもやったりするから、他人に触れるのは慣れているんだろう。しかし、一般人の私としては、少しドキドキしていた。
肩に手をまわしてくるし…。やっぱり、「女ったらし」という噂は本当なのかも…
私は口をプクリと膨らませながら、そんな事を考えていた。
「ところで、神奈ちゃん」
「…何ですか?」
カラオケを初めてから2時間後―――――――――――木戸さんは私の肩に回していた手を離し、普通に私の顔を見つめながら話しかけてくる。
軽快なリズムを刻むように明るくしゃべる彼。そんな彼が少し遠くを見つめながら、再び口を開く。
「…君、天使と悪魔って存在すると思う…?」
「何を突然…」
私は“悪魔”という言葉にドキッとしながらも、平然を装うふりをして彼の話を聞く。
「彼らは、正と負…相反する2つの属性を持つ生き物同士。一般的に天使が“正義”で悪魔が“悪”なんて言われているけど…君はそれについて、どう思う?」
「どう思うか…ですか?」
「そう」
私の問いかけに、彼は首を縦に頷く。
なぜ、この男性がこんな話をし始めたのかわからないけど…
私は夜次郎の“契約書”が刻まれている左腕を掴みながら思う。天使はともかく、“悪魔”という者達が実在し、行動を共にしている神奈にとっては、この話はくだらない話とは言い難い。
「“相容れない存在”…じゃないかと…」
「“相容れない”…?」
「…はい。確かに、一般的なイメージとしては天使の方が良い印象かもしれないです。ただし、その人たちの行動全てが正しいわけではない…。それに…悪魔とて、所構わず悪さをしているわけでないと思うんです。彼らにも彼らなりの考えや想いがあって…。それを互いに認め合う事は到底できないし、仮に悪魔の持つ考えが正しかったとしても、天使はそれを認めない…。多分、考え方が根本的に違うから…何度でも争うし、考えが交わらない…。つまり、相容れない存在なんだ…そう思います」
私はゆっくりと彼に対して話す。
それを木戸さんは黙って聞いていた。
「だから、“あれ”が行方不明になっても、未だ見つけることができない…か」
「木戸さん?」
突然、木戸さんが呟いたので、ふと私は聞き返す。
ただし、その呟きが私には聞こえていなかったのである。きょとんとしている私に気が付いた彼は、フッと柔らかい笑顔を見せる。
「!?」
それに対して私は愛想笑いをするが…突然、周囲の空気が変わったような感覚を覚え、愛想笑いもひきつったものになってしまう。
「きゃっ…」
突然、何かがおおいかぶさってきたのに気付いた私は、小さな悲鳴をあげる。
気が付くと、私はソファの上に押し倒され、頭上には木戸さんの顔があった。
「何を…!?」
私を見下ろす彼の表情は、笑顔というより、不気味な笑みに変貌していた。
その表情を見た瞬間、私は背筋が凍ったかのような感覚に陥る。
「君、面白い娘だね…」
そう呟く彼の瞳がひどくギラツいていて、とても怖い。
もしや、この男性…悪魔…!?
急に増した殺気から、私は彼が戒流達と同じ悪魔ではないかと疑い始める。
「何…別に、レイプしたりとかはしないから安心して。ただ、お近づきの印として…」
そう口にしながら、彼は私が着ているシャツワンピのボタンを一つずつ開いていく。
「…っ!!」
木戸さんはボタンを全部ではなく、胸元までしか開かなかった。
そのかわり、ボタンを開いた時に現れる刻印―――――――戒流の“契約書”にソッと口づけをする。キス自体は軽い物なのに、“契約書”に口づけをされたせいか…心臓が一瞬強く脈打ったのである。
「…それは、単なる“ご挨拶”だよ。君があの“5人の悪魔”の主だったみたいだし…」
胸元に口づけをした後、彼は身を起こしてそんな事を不意に呟く。
肩近くにあった彼の腕が離れ、起き上った私は突然の出来事に動揺を隠せなかった。
「貴方も…悪魔…?」
「そう」
私は、肩を震わせながら必死で彼の正体を聞き出そうとする。
ただし、彼は呆気もなく自分が悪魔である事を認めた。
「…でも、僕は他の悪魔の餌を盗み食いする趣味はないから、安心して!今日、神奈ちゃんに出会えたのも、本当に偶然だし」
「…」
ひょうひょうとした態度で話す彼に対し、私はただ黙っている事しかできなかった。
「…私がなぜ、彼らと契約を結んでいるのか…とか、そういう事は訊かないのね?」
「まぁ、僕はあまりそういうのには興味ないからね!…さて」
おちゃらけた表情が一変し、彼は壁際にあるコンセントに差してある携帯電話の充電器に視線を向ける。
「携帯の充電も結構できたし…。そろそろ、マネージャーと落ち合う時間が近づきつつあるから、行くね!」
「はぁ…」
木戸さんは数秒だけ考え事をしていたが、その後、何事もなかったかのようにして部屋から立ち去る。
私だけがその場に取り残され、開いたボタンを閉めながら、ボンヤリと考え事をしていたのであった。
「オッキー、おまたせ!」
私がカラオケボックスで呆気に取られていた頃、当の木戸さんは彼のマネージャーであるオッキーこと沖田八郎太と合流し、車で移動していた。
「…また、人間の女と遊んでいたんですか?」
「…バレてたんだね、やっぱり」
ため息交じりで言う沖田に対し、舌を出しながら苦笑いをする木戸。
「マイペースな貴方が、仕事以外でスタッフと一緒にいるなんてありえませんしね…」
「…もう!オッキーはいじわるなんだから…。でも、ただ遊んでいたわけではないよ!」
「…?」
突然、ニマニマしながら話し出した木戸さんに対し、沖田は不可思議そうな表情をする。
「…偶然だけど、“ABYSS”のマネージャーをやっている女の子に会ったんだ…!」
「その方って、確か…」
「そう。モテット久光…あの“地獄の侯爵”と呼ばれた悪魔に仕える5人…。彼らと契約したという人間の娘…」
「…海人、貴方は何を考えているのですか…?」
得意げに話す木戸さんに対し、深刻な表情を浮かべながらマネージャーは彼を見つめる。
「んーそうだねぇ…。“あの人”に話せば、面白い事になるんじゃないかなーとか思って!」
「“あの方”に…か。成程…」
最初は納得いかないような口調をしていたが、木戸さんが“あの人”という言葉を口にした途端、納得したような表情に変わっていた。
「さーて!どうなるのかなぁー♪」
木戸さんは、窓から見える景色を眺めながら一人、不気味な笑みを浮かべていた。
いかがでしたか。
今回は、少し一休み的な回となりました!
そして、神奈が河原でSAXを吹いていた事について…。
登場人物紹介でも趣味として書きましたが、これは作者自身が現在、SAXをやっているという事実から取り入れてみた次第です。
今でもですが、普通に演奏している場面を文として書くのはとても不思議なかんじがしました。
ただ、これまでの作品では自分が経験したことのある楽器について書いたことなかったので、楽しくもあったりします!
さて…今回初登場となった木戸海人と沖田八郎太ですが、もちろん一発キャラとかではありません。一つ補足しますと、海人はもちろんのこと、八郎太も戒流達のような悪魔です。
彼らが口にしていた”あの人”とは一体?
そして、父親探しの進展はいかに??
…次回もお楽しみに★
ご意見・ご感想があればよろしくお願いします!