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二、汝は覚者。無垢なる楊朱は岐に泣く

 春雨晶は妖怪である。

 けれども、その家族は人間である。

 ならば、春雨晶も人間であるべきではないのか。


 人間から妖怪は生まれるものなのだろうか。

 生まれるはずがないのならば、やはり僕が狂人なのだろうか。

 それとも、実は僕が気付かないだけで家族も妖怪なのだろうか。


 そんなことを考えたりもするが、実際にはそれは些細なことだった。

 なぜなら春雨晶は――僕は家族のことが大好きだからだ。

 例え家族がなんであろうとかまわない。

 ただ、僕が妖怪であると知ったならば、あるいは狂人であると知ったのならば家族はどう思うのだろうか。


 それだけが、いつも僕の心の中で深くわだかまっていた。




 ■




 暗くなった帰り道を歩きながら、僕は彼女――原井珠恵の貼ったお札を眺めていた。

 僕はそれをまじまじとひどく驚いた心境で見ていた。

 なぜならそのお札は、どう見てもノートの切れ端であり、そこにはでかでかと小学生のような下手くそな文字で悪霊退散! と書かれているだけだった。

 これで、どうやって妖怪が退治できるのか。そして、のりやテープもつけずにどうやって僕の体に貼り付けたのか。

 色々と疑問は尽きないが、考えてもわかりそうにないので鞄に突っ込んでおいた。明日彼女に会った時に返せばいいだろう。

 捨てたほうがいいのかもしれないが、これをきっかけにすれば話やすくなるかもしれない。そんな考えもあってか僕はこのわけのわからないお札を持ち帰っていた。


 明日になれば嫌でも彼女に会うことになる。

 なぜなら、僕と彼女は同じクラスだからだ。

 だが、普段は教室で話しかけられたことはない。そもそも入学してから数日は、彼女との接点など出席番号の関係で席が近かったぐらいで、言葉すら交わしていない。


 彼女と会話したのは確か……そう、僕が先生の許可をもらって“妖怪研究同好会”を発足して、部室に行くようになってから三日目だっただろうか。

 今日と同じ調子で、乱暴に扉を開け放った彼女の第一声は今でも覚えている。


『見つけたわ、妖怪』

 なんとも不思議な一言だ。見つけたも何も同じクラスなのに。

 何かきっかけがあって僕が妖怪だと気付いたのか。それとも、ただの勘違いなのか。


 あの邂逅を果たした時の僕の心中はけして穏やかなものではなかった。

 やっと、とか、ついに、という思い。そして、来てしまった。そんな複雑な感情を想起させるほど印象的なファーストコンタクトだった。

 僕は初めてその時に原井珠恵という人間を認識したのだと思う。

 それまでは僕にとって彼女は絶対に関わることのない、遠い存在だと思っていた。

 彼女は注目を集める存在だ。原因はその容姿だけでなく、中身にもある。

 彼女はその容姿から初めのころはクールな女性だと思われていたようだが、時間が経つにつれて化けの皮――いや彼女が意図的に隠しているわけではないのでこの表現は不適切だが、それが剥がれたのだ。

 正しく言うならば、皆が抱いていた勝手なイメージが、ガラガラと音を立てて崩れ去っただけのことだ。


 実は彼女は勉強が苦手だ。

 先生に当てられても大抵は答えることができない。たまに聞こえないふりや、寝たふりをしてやりすごそうとするのだが、あまりに挙動不審な演技なので周囲にはバレバレである。

 しかも板書をしているかと思いきや、通りかかったときにちらっと見えたノートには、下手くそな絵で猫のような豚のような謎の生き物の落書きが描いてあった。

 更に運動も苦手だ。

 以前走るところを見たが、異様に遅かった。一応体力だけはあるのか涼しい顔はしていたものの、何故か何もないところで二回ほど転んでいた。

 そんなことがあってか、皆の中の原井珠恵のクールなイメージは崩壊したのだが、本人はクールキャラをきどっているのか、やたらと尊大で余裕有り気な態度ばかりとっている。

 普通なら、どん臭いのに偉そうな奴がいたらいじめられてもおかしくなさそうなものだが、男子曰くそこがいいらしい。また女子もなんだか放っておけない危なっかしさがあると言って、無駄に世話を焼こうとしている。女子はどちらかと言えばマスコット的な扱いで、時折お菓子を与えたり、近寄ろうとする男子生徒を牽制している。

 クラスメイトの原井珠恵への評価は、美少女だがどこか抜けていて憎めないキャラ、といったものだろうか。


 けれど、クラスメイトすら知らない、原井珠恵の裏の姿を僕は知っている。

 彼女は皆が思っているよりもアレな人だ。ぶっちゃけアホだ。

 彼女が僕に対して取る行動、つまり妖怪退治は、真剣そのものなのだが、どうにも間が抜けている。

 やっていることと言えば、変な念仏を唱える、棒を持って不思議な踊りを舞る、変な液体をぶっかける、なぜか消臭スプレーまでかけられる、と理解に苦しむ行動ばかりだ。

 しかも、彼女はこちらの言葉に一切耳を貸さず、ひたすら突っ走る。

 妖怪を――といっても僕のことだが、それを目の前にしても、危機感や焦燥感といったものはまったく感じられない。

 だから僕は、彼女が本物なのか、電波なだけなのかを判断しかねている。


 いっそ彼女が見た目のイメージ通りの、神秘的な万能人間だったのなら、素直に彼女が本物だと信じていたのかもしれない。

 まあ、本物だったら今ごろ僕は彼女に殺されているのかもしれないが――


 そんな考えに至り、体がぶるりと震えた。

 たしかに自分の正体は知りたいが、死ぬなどまっぴらごめんだ。

 だから、これからも彼女にはゆるいままのへっぽこでいてもらったほうがいいかもしれない。僕はそんなへたれたことを本気で考えながら、家までの道のりを歩いた。


 学校から約十分。近さで学校を選んだので、非常に重宝している。


 もうすぐ家に着く。そう考えると、さきほどまでのこんがらがったような複雑な思いは晴れ

、すっきりとした気持ちになる。

 僕にとって家族のいる家がいちばん心休まる場所だ。

 あの角を曲がれば我が家はすぐそこだ。

 わずかに速まった足で意気揚々と角を曲がると、玄関の灯りにともされた、小さなシルエットが目に入った。


 あれは――


雪姫ゆき……?」

「あっ! おかえりぃ、おにぃちゃん」

「うん、ただいま。ひょっとして僕を待ってたの?」

「うん! おにぃちゃんのおでむかえっ」

 子供らしい無邪気な笑顔で、えへへと嬉しそうに笑うのは僕の妹の雪姫だった。

 雪姫はいきなり僕の手を握ると、急かすようにぐいぐいと家にひっぱる。といっても小学五年生にしては小さな雪姫に引きずられるほど僕はひ弱ではない。

 僕は一生懸命引っ張る妹の愛らしい姿にますます頬が緩む。


「ほら、雪姫。そんなに急がなくても僕は逃げないから」

「むぅ、でもおにぃちゃんのことずっと待ってたんだもん。いっぱい遊ぶんだもん」

 頬を可愛く膨らませる妹のいじらしい言葉に胸が熱くなる。

 僕はなんて可愛い妹をもったのだろうか!


「……雪姫は僕のこと好き?」

「うん!」

「僕のどこがいちばん好き?」

 僕はわくわくしながら雪姫に問う。


「なんか死んだ魚みたいな目してるところ!」


 ……。

 なんだろう、聞き間違いだろうか。えらくひどいことを言われたような気がする。


「……雪姫は僕のこと嫌い?」

「ううん、だいすきだよっ! なんかね、おにぃちゃんの変な笑顔もおもしろくてだぁいすき! あと、嫌いなピーマンを食べてる時の顔もおもしろいし、ゴキブリが出た時の泣きそうな顔もおもしろいよね! あとあと間違えて洗顔クリームで歯磨きしたときとか――」

「も、もういいから……」

「えー、まだまだいっぱいあるのにぃ」

 そんな僕の駄目エピソードを嬉々として話されてもまったく嬉しくない。

 なんだろう。僕の良いところは目とリアクションしかないのだろうか。どこに好かれる要素があるのかさっぱり理解できないので微塵も嬉しくない。

 そもそも死んだ魚のような目って、いままでそんな目で見られていたのか、というか妹を死んだ魚のような目で見ていたと思われていたのか。あと変な笑顔って、僕の笑顔は笑われるほどおかしいというのだろうか。たしかに、笑顔が不気味だと初対面の女性に言われたことはあるが妹にまでそう思われているのか。


 なんだか混乱してきた。

 僕がショックで唸っていると、妹が心配そうに下から覗き込んできた。切りそろえられた黒い前髪から覗く大きな瞳はどこか不安そうに揺れている。

 しかし、なにかを決意したのかこちらを見据える瞳に強く鮮やかな光が灯る。


「おにぃちゃん」

「……うん?」

「ほんとはね、ほんとはねっ!」

「……うん」


「……ほんとはぜんぶだいすきだから! 世界でいちばんだいすきだよっ、おにぃちゃん!」


 !!


「――ゆ、雪姫……!」

「おにぃちゃん……!」

「ゆきいいいいいい!」

「おにぃちゃあああああん!」

「ゆぅぅきぃぃいいいいいい!!」

「おぬぃいちゅぁぁぁああああ――」


「玄関でなにやっとんのじゃ、ゴルァアアアアアッ!!」


「「ぎゃあああああああああ」」

 って。


「か、母さん」

 背後からの突然の怒声は母さんだった。母さんの頬は怒りのせいかほんのり赤く染まっていた。


「あんたたち玄関でなにイチャコラしてんのよ。恥かしいったらありゃしないわ!」

「す、すいません」

「ご、ごめんなさい」

 どうやら怒りというよりは恥ずかしかったらしい。

 たしかに玄関で名前を呼びながら抱き合ってる兄妹は、傍から見ると相当恥ずかしいだろう。

 つい妹の嬉しい告白に舞い上がってしまったが、もし近所に見られていたらそうとう恥ずかしい。

 僕は恥かしさを誤魔化すようにさっさと家に入ろうと歩き出すと、後ろから服を引っ張られた。

 振り向くと雪姫が、んっ、と言いながら手を差し出している。

 妹の可愛らしい要求に、しっかりと手を握って答えてあげると、嬉しそうに抱き着いてきた。


「えへへ~。おにぃちゃんすきぃ」

 そのまま抱きかかえ頭を撫でると、嬉しそうに目を細めた。

 そんな僕らを母さんが呆れたように見ている。


「……晶、あんまり甘やかしすぎると、雪姫が兄離れ出来なくなるわよ」

「いやぁ、可愛い妹に優しくするのは兄の本能だから」

「うへへへ」

「……このブラコンシスコン兄妹め」

 舌打ちが聞こえた気がしたが、兄妹仲良く笑いながら家に退避する。

 母さんを怒らせると怖いが、なんだかんだといって雪姫に甘いのは母さんも同じだ。

 後ろを振り向けばきっと仕方のない子供達に苦笑しながらも、優しく見守っている母さんの姿が見られるだろう。

 見なくともわかる程に僕も母さんが大好きで、そして母さんも僕らを愛している。


 なんて臭いことを考える。

 なんだか泣いてしまいそうだった。




 ■




「おにぃちゃん」

 夜遅く僕の部屋に入ってきたのは、眠たそうに目をこする雪姫だった。とっくの前に寝たはずだが、なにか怖い夢でも見たのだろうか。


「どうしたんだ雪姫。ああ、あまり目をこすっては駄目だよ」

「……いっしょに」

 雪姫の言葉は短かったけれど、意味を察した僕が頷きベットに促すと、もぞもぞと布団に入っていく。

 しかし、布団からぴょこりと顔を出して僕をじっと見つめたまま寝ようとはしない。


「雪姫、はやく寝ないと明日起きられないよ?」

「おにぃちゃんもいっしょ……」

「僕はまだ宿題があるから」

「うう……」

 僕の言葉に雪姫の顔が悲しそうに歪む。

 しかし、兄としてそれを見て突き放せるはずがない。


 ……仕方がないか。宿題は忘れてもいいけど、雪姫を悲しませたら駄目だよね。

 明日怒られることを覚悟し僕が布団に入ると、雪姫は安心したのかゆっくりと目を閉じていく。僕は雪姫がよく眠れるように優しく頭を撫でる。

 ほとんど眠りかけているようだが、雪姫の手が僕に触れた瞬間、僕が逃げないようにぎゅっと服をつかんで離さなくなった。

 雪姫は夢うつつのぼんやりとした声で僕につぶやく。


「おにぃちゃ……」

「ん?」

「いなくなっちゃやだよ……」

「……うん」

「おに……ぃ……だい……すき……」


「僕も、僕も雪姫が大好きだよ」

 本当に泣いてしまいそうだった。

 あどけない表情で、小さく寝息を立て始めた妹からそっと手を離す。

 大好きな妹。きっとこれからも愛し続けるだろう。たとえ僕が妖怪でも狂人でも、変わらずに。

 けれど、全てを雪姫に知られた時。僕はきっと傍にいられない。


 僕が妖怪か、狂人なのか、それがはっきりしたとき。全てを包み隠さず伝えようと考えていた。

 自分でも馬鹿げていると思う。それを話したとして何の意味があるというのか。

 けれど、それは僕が生まれてからずっと抱えてきたもので、僕の根幹に関わることだった。

 だから、家族には知ってもらいたかった。知ってもらったうえで受け入れて欲しかった。


 でも、受け入れられなかったら?

 もうここにはいられない。ほんの少しでも家族から負の感情を向けられれば、僕はきっと耐えることができない。

 不器用で脆弱な僕は、おそらく逃げ出してしまう。


 知らせないほうがいい。それがわかっていながらも、今の幸せを犠牲にしてまで自身が何者であるかということにこだわる必要がはたしてあるのだろうか。


 けれど、妖怪であるという自覚だけは確固としてあり、それを証明できないという現状は、いつ崩れるともわからない地面の上に立っているようなもので、それの崩壊とはすなわち自己の崩壊であった。

 自我がなければ、他者との境界さえもはっきりしない。そうなれば精神を保つことすら難しいだろう。


 僕にあるのは途方もない衝動だった。

 知りたいという欲求と、知らなければならないという焦燥感が僕を突き動かしている。

 それに抗えば苦しく、従えば不安が募る。


 僕はどうしようもない本能と、予期される結末に精神を押しつぶされそうになりながら、ひたすら流されるまま、なされるがまま生きてきた。

 その怠惰のツケはいつか支払わなければならない。


 けど、今だけは。

 未来のことなんて考えず、この無償の愛に浸ったまま眠りにつきたかった。

 いつか来るであろう別離の時のために。


「おやすみ、雪姫。いい夢が見れますように――」

 そっとささやき、目を閉じる。

 僕は途方もない暗闇の中で、小さなおやすみの声を聞いた気がした。








あとがき


妹の登場です。


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