流行りの小説 〜白い結婚
最近買った本を読んで、まさに天啓だと思った。
この本の通りに離縁しよう。いつまでも搾取されている自分とは決別するのだ。そう決意したのは、お気に入りのカフェでその本を読み終わったときだった。
最初に、旦那様に離縁を持ちかけて……。いえ、その前に実家に相談した方がいいかしら……。
これからやるべきことを考えていると、近くのテラス席にかわいらしいご令嬢が二人座った。
「ねぇ、アナ。この本知ってる?」
「どれ? うーんと、『白い結婚からの溺愛生活!! 〜有能令嬢は無自覚にざまぁする〜』。
……何よ、この本」
「叔父様に頂いたの」
「そう……。マルゴの叔父様なら少し納得だわ」
聞き覚えのあり過ぎる本のタイトルに驚いて視線を向けると、先程の二人だった。一人が手にしているのは、わたしが今読んでいるのと同じ装丁の本。つまり、同じ小説……。
「アナは知らない? 叔父様が言うには、少し前に流行ったんですって」
「知らないわ。タイトルからしてくだらなそうだけれど……。どんな話?」
「まずね、とある子爵令嬢が伯爵と、白い結婚をして」
「待ちなさい。白い結婚? 貴族同士の結婚なのに? あり得ないわ。
家と家を繋ぐ契約で、お互いの血が入った子供を持つ為の結婚でしょう? それが何故、白い結婚になるのよ」
「後でわかるんだけど、結婚相手の伯爵に平民の愛人がいるの」
「妻と愛人は別でしょう? 契約違反を犯してまで白い結婚をする理由がないじゃない。
あ、もしかして、結婚相手は種無しなの?」
……うっかり紅茶を吹き出しそうになった。
そうよね。契約違反なんだわ、そもそも。
え、もしかして、旦那様は種無しなのかしら……?
「種無しかどうかは書いてないけど、初夜で『お前を愛することはない!!』って結婚相手が叫ぶの」
「愛し合っていなくても、契約があるなら子作りは必須よね? 馬鹿なのかしら、その男」
「馬鹿なんだと思う。それを主人公も受け入れるの」
「二人とも馬鹿なのね」
「そうねぇ」
ご令嬢方は小説の内容を話しているだけなのに、こちらが恥ずかしくなってきたわ……。
もう帰ろうかしら……。でも何故だろう。聞いておかなければいけない気がして、動けない……。
「で、続きは?」
「主人公は七年耐えるんだけど、偶然、旦那が愛人と子供と一緒にいるところを目撃して」
「待ちなさい」
「また?」
「七年間も何をやっているのよ。仮に白い結婚を強要されたら、救済措置があるでしょう?
ほら、高位貴族に無理強いされた人とか、借金でどうにもならなくて脅された人の為の」
「あるわね。でも、この本の作者がこの国の人かわからないし。
それに、小説だから架空の世界の話でしょう?」
ここに五年間耐えてしまった女がいるわ……。
確かに救済措置はある。三年経って純潔ならば、教会に助けを求めることができるのだ。
旦那様とはお互い同格の伯爵家同士の結婚。どちらかの家に負債があるわけでもない。
わたし、何故耐えていたのかしら……。
「その子供って、お相手と愛人の子供なの? 種無しなら、愛人に托卵されたのかしら?」
「それは書いてなかったわ」
「ダメじゃない! 托卵だったら、お家乗っ取りよ?! 」
「書いてないわ」
「ダメダメね。その小説、多分貴族が書いた話じゃないわ。荒唐無稽すぎるもの」
「確かにそうね」
そうか、貴族として失格だったんだわ……。わたしも旦那様も。
それにしても、わたしが見かけた愛人の子、旦那様に似ていなかったわね。もしかして、本当に托卵されているのかしら……。かなりまずい気がしてきたわ。
「それでね。七年耐えたんだけど、愛人と子供を見て無理だって思って離縁を決意するの」
「離縁するまでの七年間、一体何をやっていたのよ……」
「ずっと仕事してたみたいよ?
離縁したときに、その家の帳簿や会計資料を全部持って、実家に帰っちゃうの」
「待って、婚家の物を?」
「そう。婚家の物を」
「窃盗じゃない!」
「主人公がずっと一人で家計を回してたから、自分の仕事と実績は自分の物なんだって。
あ、でも引き継ぎ書は書いてたわよ?」
「引き継ぎ以前の問題だわ。婚家の家の物は婚家の物よ。帳簿って、家の機密そのものなのよ? 持ち出したりしたら、訴えを起こされるに決まっているわ。
それに、伯爵家の家計をたった一人で回せるわけないでしょう? 使用人だって文官武官だっているし、領地は領地で人がいるでしょうに」
「そうよねぇ」
そう……よね……。
帳簿は機密、訴えられて裁判……。帳簿の重要性をわかっていたはずなのに、小説の通り実家に持ち帰って、有効活用してやろうと思っていたわ……。
旦那様は何もしてくれなかったけれど、使用人達はきちんと手伝ってくれたのに。領地には執政官も税務官も管理人達もいて、皆きちんと働いている。
なんで自分一人でやっていた気になっていたのかしら。居たたまれないわ……。
「実家に帰ってからは、両親と跡継ぎの兄と兄の妻に泣かれて」
「頼れる実家があるなら、もっと早く帰ればよかったのに……。
でも、家族に温かく迎えてもらえたのはよかったわね」
両親とお兄様、お義姉様の顔が思い浮かんだ。
旦那様に拒絶されたのが、悲しくて、恥ずかしくて、悔しくて……。何も言えなかったけど、初夜の後すぐに相談していたら違っていたのかしら……。
「主人公は帳簿と実務経験を生かして、いろんな商会と取り引きを初めて、全てがとんとん拍子に上手くいくんだけど、逆に婚家の方は、元夫を含めて誰にも帳簿も引き継ぎ書も読めなくて」
「……もう一々指摘するのも疲れてきたわ。
誰にも読めない帳簿って何かしら? 暗号で書いてあるの?」
「わからないわ。すごく汚い字……の可能性もないわね」
「貴族の家に生まれたら、誰だって字の練習はするでしょう?
暗号だったことにして、飛ばしましょう」
「うん。えーっと、領地は荒れて収入が減って、使用人はどんどん辞めて、社交界でも爪弾きにされて。初めて元妻の有用性に気がつくの」
「夫人一人抜けただけですぐ落ちぶれる貴族家なんて、存在しないと思うけど……」
「本当にすぐ落ちぶれるのよ。半年で、爵位返上するかしないかの瀬戸際まで追い詰められるの」
「半年って早すぎるし、そんなに簡単に爵位返上なんてできないわよ……。もし返上しようとしても、申請した後、王宮の監査が入るだろうし」
離縁して旦那様が没落したらざまあみろって痛快に感じたかもしれないけれど、やっぱりそんなこと起こらないわよね……。
だって、働いているのはわたしだけじゃない。使用人達も領民も、皆がいるんだから成り立っているのよ。
わたし、本当に貴族に向いていなかったのね……。
「元夫は慌てて主人公を連れ戻そうとするんだけど、もう主人公は辺境伯にプロポーズされてるの。辺境伯が『あなたが有能で素晴らしい女性だと知っていました』って言って、何回も会いに来て、最終的にほだされるの」
「結婚して七年経って離縁した女性と年齢的に合う辺境伯が、たまたま婚約者も妻もいないなんてことあるのかしら?」
「そうよねぇ。辺境伯って国境防衛の要だものね」
「伯爵家よりも高位で、国にとって重要な家門なんだから、絶対ないと思うわ。あっても後妻でしょうね」
「現実ならそうよねぇ」
あっても後妻……。
再婚だってまだ大丈夫、わたしは有能だからきっと受け入れてくれる人がいる、そんなふうに自惚れていたなんて……。本当に愚かだだったわ。
「それに、主人公が離縁する前から、辺境伯が有能さを知っていたっておかしいわよね?」
「物語の世界だからじゃなくて?」
「そうだとしても、よ。辺境伯が一介の伯爵夫人のことを、何故そんなに詳しく知っているの?
逆にその辺境伯が以前から調べさせていたなら、何か陰謀めいたものを感じるわね……」
「あー。国内の伯爵家を一つ潰してから、隣国に離反するとか?」
「ありそうね。例え伯爵家が潰れなくても、国内の貴族家同士に不和を生じさせれば十分、という可能性もあるわ」
「急に怖くなってくるわね。最後は辺境伯に溺愛されて、ハッピーエンドなんだけど」
「国が荒れるエンドの間違いよ」
「あ、確かに」
確かに、離婚して半年もしないうちに寄ってくる男性なんて、ろくな人間ではないわね……。旦那様の浮気を黙って耐えていたわたしでは見極めきれないし、対処できそうにないわ。
いけない。今すぐ実家に帰って、お父様とお兄様とに相談しなくては。わたしだけでは無理だわ。
あぁ、小さなご令嬢方。気づかせてくれて感謝します。
結局わたしは、一人で悲劇のヒロインごっこをしていただけだった。もっと早く人に相談して頼るべきだった。
例えこの先、貴族として生きられなくても、間違えてしまった責任は取らなくては。
◇
半年後、一つの伯爵家の当主が廃され、親戚が後を継いだ。
廃された当主はには平民の愛人がおり、愛人の子供が伯爵の実子ではなかったことが発覚したのが決め手となった。
妻に白い結婚を強要した上に愛人に托卵された元伯爵は、王家から糾弾され、社交界で嘲笑の的となった。王家からの処分を受けた後、実の両親に身柄を引き取られ、領地に幽閉された。
平民の愛人は貴族家の乗っ取りを企んだ罪で投獄され、子供は孤児院へあずけられた。
伯爵が退く前に奥方は離縁し、多額の慰謝料と共に生家の伯爵家へ戻った。
現在は跡継ぎである兄を手伝い、領政官として精力的に働いている。
『白い結婚からの溺愛生活!! 〜有能令嬢は無自覚にざまぁする〜』は、架空の小説です。




